『暗幕のゲルニカ』   原田マハ著  新潮社

原田マハが大好きという友人のY子さんから「おもしろいよ。」と、この本を薦めてもらった。
本当に面白かった。やはり、口コミは頼りになる。
書店に行っても、図書館に行っても、本の数が膨大過ぎて何を選んだらよいのか途方にくれる私にとって、こうした情報はありがたい。(今回はアマゾンで購入しました。)

この作品はスペイン内戦から第二次世界大戦にかけての、ピカソとその恋人を取り巻く20世紀のストーリーと、ニューヨーク近代美術館のキュレーター瑤子を中心にした21世紀のストーリーが交錯しながら展開していく。
20世紀の部分は登場する人物のほぼすべてが実在の人物で、史実をからませて書かれている。
21世紀の部分はフィクション。

「ゲルニカ」はスペイン内戦を兵器の実験場として利用したヒトラーがスペイン北部の都市ゲルニカに無差別爆撃を行ったことに対して、怒りをこめてピカソが描いた絵である。1937年、パリ万博のスペイン館に展示され、その後ファシストの手に落ちて破壊されることがないようにと、1939年からニューヨーク近代美術館に寄託され、フランコが没して民主化が復活した1981年にスペインに返還された。

「ゲルニカ」は反戦・反抗のシンボルなのだ。
21世紀の部分の主人公である瑤子は、この絵画を反戦の絵画として展示を企画する。この部分はまるでフィクションなのだが、ストーリーの展開が激動で、引き込まれてしまう。

それにしても、と思う。
スペイン内戦から第二次世界大戦にかけて歴史上に登場した人物は、ドイツのヒトラー、ソ連のスターリン、そしてスペインのフランコ。
スペイン内戦に勝利したフランコは、内戦で疲弊したスペインは大戦に参加しえないとして中立をとったので、スペインはフランコの死ぬ1975年までフランコの独裁となる。この間、カタロニア人やバスク人などの少数民族がどれだけの弾圧にあったのかと思う。
ヒトラーに関しては虐殺されたユダヤ人の数は600万人とも700万人とも言われているし、スターリンのもとで反体制派として処刑された人は100万人、収容所で死亡した人200万人と言われている。
もう最悪である。

独裁者の出現は怖い。権力を握った者は、自分の権力を維持するためなら、反体制勢力を殺す。戦争を始めることもできる。怖すぎる。

歴史は繰り返す、という言葉があるけれど、少なくとも、第二次世界大戦という歴史上最悪の経験をした人類が二度と過ちの道に進まないようにと思う。

プーチンや習近平が長期政権を可能にする体制をつくっていくことに疑問を持つけれど、戦争だけは起こさないようにしてくれよと思う。もちろん、2期は持たないだろうと思われるトランプにしても。

いつもの癖で、ネタバレをしないようにと文を書き始めたら、『暗幕のゲルニカ』から話がそれてしまったが、「ゲルニカ」の描かれた背景や、現代社会に訴える意味などにも思いをはせながら読んでみることができたように思う。

時代小説

抗がん剤治療中の私にとって、眠れない、食べられない、疲れやすいという症状が辛かったのですが、それとともに私を苦しめたのが、集中力がない、何をやっても楽しくない、という症状でした。
この症状は、投与が終了して5か月近くたった今でもまだ完全には治っていません。特にメンタルをやられたようで、家で一人で過ごしている時に、どう時間をやり過ごしたらいいのかわからず、しんどい思いをしています。

テレビを見ていて面白い、夢中で本が読める、ということができたなら、何も苦労することはないでしょう。テレビにも本にも夢中になれない、家事その他、何かをやる気がおきないとなると、本当に一日が過ぎるのを長く感じてしまいます。

そんな私が何とか読めた本を紹介します。
時代小説。「みをつくし料理帖」シリーズ全10巻 高田郁(たかだ かおる)著 ハルキ文庫
1~2年前にNHKのBS時代劇、黒木華主演で放映されていたようです。
主人公が心をこめて料理を作ります。
「食」は生きていくうえでの基本なのだなと感じさせられます。主人公は襲ってくる困難や不幸な出来事にたいして、耐え、受け入れ、立ち向かいながら、料理ができる喜びを支えに生きていきます。強い女性で、周りの人も温かい人ばかりで、読んでいて気分良くなります。

読書の目的は、自己啓発のため、知識を得るため、など、人によって様々でしょう。
私のように病気をしてしまったものにとっては、心が穏やかになるような温かい時代小説、主人公の生き方に共感でき、読んでいてこちらも励まされるようなストーリーがしっくりきました。
そしてもちろん、心身ともに健康な方がぐいぐい読んで楽しめる作品です。

近況報告

長い間、ブログが書けないでいました。11月2日以来ですので、かれこれ半年近くにもなります。その間、何をしていたかというと闘病をしていました。
悪性リンパ腫という血液のガンにかかってしまい、昨年8月末から12月末まで8回にわたる抗がん剤投与による治療を受けていました。その結果、1月のPET検査で完全寛解と診断されました。
悪性リンパ腫は効果的な薬が開発され、今や治癒率の高い病気に分類されると思います。世の中には治療法も確立していない難病が存在していることを考えれば、効果的な薬が開発されたという事は本当にありがたいことです。しかも、私の場合、2期という早期発見であったこともラッキーでした。
とはいうものの、この間の抗がん剤治療はやはり辛いものでした。眠れない、食べれない、疲れやすいという症状に悩まされます。さらに、ケモブレインという呼び方があるそうなのですが、何とも集中力がなくなり、じっとしていられないという症状が私の場合出ました。
でも本当に辛かったのは完全寛解と診断された1月以降だったように思います。寛解しても副作用の影響はまだ残ります。また、副作用の出方も人それぞれと言いますが、私の場合、神経というのか、心というのか、メンタルをやられてしまいました。
投与期間の終盤あたりから、不安の虫に襲われるようになってしまったのです。眠れない夜や、目が覚めてしまった明け方が危険でした。不安に襲われて胸苦しくなるというのは自分の意志ではどうにもなりません。それで、抗不安薬を処方してもらったのですが、私にとってはそれもよくなかったようです。抗不安薬は即効性があり、すぐに楽になるし、夜も寝付く効果があるのですが、即効性があるという事は依存性も高いという事です。依存しすぎないように、自分で1日2錠までと決めてはいたのですが、薬が切れると苦しくなるような症状になり、通っていた病院の腫瘍精神科を受診しました。抗不安薬はやめることになり、別の薬になったのですが、薬を変えたあたりが一番つらかったです。
その後、もう数か月がたち、4月も下旬になってしまいました。肉体的には血液検査の結果も特に問題く、回復してきました。しかし、心を病むと長くかかるものですね。だいぶ良くなってきたとはいえ、まだ、一人で家にいるときに時間がやり過ごせず、辛い時がしょっちゅうあります。

このブログで、古い映画の掘り起こし手をして、若い世代がまだ生まれていなかった頃の映画の紹介をしてきましたが、映画が見られなくなってしまったのも辛いことでした。映画どころか、まだ、ストーリーのあるテレビドラマをじっくり1時間見ることができません。途中で辛くなるという事もあるし、我慢して最後まで見てしまって気持ち悪くなったりします。
何なのでしょうね。本は自分のペースで、30分くらい読んで疲れたらやめる、というやり方で、少しずつ楽しめるようにはなってきました。
だいぶ回復してきたとは言うものの、まだまだ病気の前の状態には戻っていません。
ブログも再開してみようという気がおきて書いてはみたものの、今後、頻繁には書けないと思います。でも、少しずつ、自分の思い、病気になって分かったことなどを書いていこうと思いました。
そして、また、映画を見ることができるようになったら、お奨めの作品を紹介したいと思います。

『チョコレート・ドーナツ』

ゲイのカップルがダウン症の少年を育てようとするお話。
2012年のアメリカ映画。
舞台は1979年のカリフォルニア。

今でこそ、LGBTという言葉がようやく根付きはじめ、性的マイノリティ-に対する差別や偏見はやめましょう、と言われるようになってきたが、70年代頃は、ゲイのカップルは、まるで汚らわしいもの、というような視線を浴びせられていた。

チョコレート・ドーナツとはダウン症の少年マルコの大好きな食べ物。
「体に悪いよ。」と言われながらも、チョコレート・ドーナツを食べる時のマルコのうれしそうな顔は最高。とびきりの笑顔だ。
ダウン症のマルコは、人とスムーズにコミュニケーションをとることができない。
人から質問されても即答はできず、無表情のまましばらく間をおいて、ぽつりと答える。
そんなマルコのこのことをわかっていれば、時間はかかるけれど、マルコの気持ちを理解することはできる。
好きなものはなにかという質問にもちゃんと答えられる。
マルコは、自分を主人公にしたハッピーエンドで終わるお話が大好き。
ルディの創作するそういうお話を聞くのが大好きで、いつもルディに「お話して」とねだる。
お話を聞くときのマルコは本当に幸せそうで、素敵な笑顔になる。

ゲイのルディは、マルコとめぐりあったことで、この少年を笑顔にしたい、幸せな気持ちでいて欲しい、と心から願ったのだろう。
差別と偏見にさらされているルディにとって、守るべきものの存在は、心の支えになったのだろうと思う。


マルコは実の母親から育児放棄された少年で、母親が男とあっている時、よく部屋から閉め出されていた。そんなダメ母親が、危険薬物所持で逮捕されてしまい、残されたマルコは施設に引き取られるのだが、そこになじめないマルコは脱走を繰り返し、街をさまよっていた。ある日、街をさまようマルコに遭遇したルディが、彼を自分の家に連れ帰る。この時、ドーナツを食べるマルコの笑顔をみて、ルディはマルコを引き取りたいと思ったのだと思う。

検事局のポールと心を通わせ合い、つきあっていたルディは、自分たちがゲイのカップルであることを伏せ、法律に強いポールの力もあって、法的手続きによりマルコの監護者となって、三人で暮らし始める。
マルコの笑顔にあふれる時間が流れる。
マルコの笑顔はまわりの者を幸せにする力がある。


しかし・・・。
ルディがどんなにマルコを愛し、マルコがルディなついていていても、ゲイをどうしても認めることのできない「あの男」と二人が呼んでいるような人物もいる。ルディとポールのことをまるで汚らわしいものというような目つきでにらむ「あの男」。
もちろん、ルディがマルコに注いでいる愛情を理解し、ルディを養育者としてふさわしいと認めてくれる養護学校の教師など、周りの温かい人たちもいるのだが、世間の冷たい目は、厳しい。

ルディとポールとマルコの三人をめぐる状況は一気に悪化し、二人はマルコの養育者と認められず、不利な裁判を展開することになる。

***********
日本では、2016年12月に、大阪市でゲイカップルが養育里親に認定され、今年2月から10代の男の子1人預かることになり、育てているという。
育児放棄の親、虐待する親の元にいるよりは、形は世間一般とは違うマイノリティであっても、愛情のある人のもとで暮らす方がどんなに幸せかと思う。
日本でも、ようやくそうした価値観が根付いてきたのだと思う。(ただし、養子となると、法的にまだまだハードルは高いそうです。)

そして、もう一つ。ルディのように心と体の性が一致しないというのは、とてもとても、苦しいことだろうと思う。その場合、人にとって心が一番大切なものであるから、心の方に一致させるしかない。しかし、そうすると、心は女でも、体は男なのだから、ひげも生えるし、見かけはどうしても、男性なのに女装している人、としか見られない。
心と体の性が一致して生まれてくれば何もする必要のない苦労を、たまたまそれが一致しないで生まれてきてしまったLGBTの方たちは、人間として最も基本的というべき男なのか女なのかという己の性のことで苦労しなくてはならない。
そして、生物学的にそれは一定の割合で存在する。ネットで調べたところ、7.6%だそうだ。
だとしたら、性的マイノリティの人たちも生きやすい社会でなくてはならないと思う。

以前、電車の中でスーツケースがぶつかったか何かのトラブルで突然切れた男が、相手がLGBTと見てとるや、スーツケースを思い切り蹴飛ばして、「気持ちわりいな、このおとこ女!」と言い捨てて、電車から降りていった。
車内の雰囲気が一瞬凍った。
その時、そばにいた女性が、スーツケースを蹴飛ばされた方に、「大丈夫ですか?」と声をかけた。声をかけられた方は、静かにうなずいて微笑んだ。それだけで車内の空気が和んだ。
とっさの場面でそんな風に声をかけられたその女性は、マイノリティの立場に立ってものを考えられる人なのだろう。

『チョコレート・ドーナツ』はそんな出来事を思い出させてくれた)作品でした。

『いつか晴れた日に』

18世紀末から19世紀初めころの、イギリスの貴族の女性を描いた作品。
貴族にも裕福な貴族も貧乏な貴族もいる。財産のない貴族身分の女性は、自分で働いて収入を得ることもできず、不自由なものだと思った。
打開策は、条件のよい結婚という自力ではどうにもならないことしかない。
そんな当時のイギリス社会を舞台にした、財産のない貴族の姉妹の物語です。

原作は、ジェーン・オースティンの『分別と多感』
『分別』とは姉のエリノア(エマ・トンプソン)を表した言葉で、『多感』は妹のマリアンヌ(ケイト・ウィンスレット)のこと。
辛い状況の時も感情をあらわにすることなく、ひたすら耐えるエリノアは、少々地味なくらいである。一方、妹のマリアンヌは、褒められればうれしくなるし、ひどい状況に陥ってしまった時は悲嘆し、荒野をさまよってしまうほど激しく心乱れてしまうなど、感情がむき出しになる。マリアンヌは美人で華やかで魅力的。
性格のまるで違う二人の物事に対する反応の仕方の違いが興味深い。しかし、この姉妹は(三女の年の離れたマーガレットも含めて。)仲が良く、支え合って生きている。
遭遇する不幸な出来事に対して、それぞれの受け止め方で、

(あらすじ)
姉妹の父親である貴族のダッシュウッド氏が亡くなる。広大な土地を分割したくないというダッシュウッド氏の遺志で、遺産は先妻の子ジョンが受け継ぎ、後妻である姉妹の母と姉妹たちには年金で生活を保障する、という事なった。
しかし、その年金はジョンの妻ファニーにより、減額され、さらに母と姉妹が住んでいた邸宅を乗っ取られ、母娘は親戚の厚意で田舎のバートン・コテージという空き家だった住まいに移り住む。元の邸宅では召使のいる生活だったがそれもなし。
この間、エリノアにもマリアンヌにも、それぞれ心を寄せる恋人ができるのだが、その恋人にはるか昔に約束を交わしたという婚約者がいたり、だらしない過去の過ちのせいで負債を負っていたがために金持ちの貴族の娘との結婚にのりかえられて捨てられたり、と気の毒としか言いようのない裏切りにあう。

ショックを受けたマリアンヌは嵐の日に荒野をさまよい、それが原因で病いに倒れる。
不幸のどん底の状況が姉妹を襲う。
*******
「さて、物語の結末はどうなるのだろう。」と結末を想像しながらワクワクして、終盤の展開に夢中になっていく。
ストーリーの展開としては、様々な可能性があるわけだ。
金銭的に困窮してもっとみじめな状況に陥るかもしれないし、このまま田舎で質素ながらも静かな生活を続けていくかもしれないし、あるいは突然大金持ちの庇護者が現れるかもしれないし、もしかすると、姉妹のそれぞれに素敵な結婚相手ができるかもしれないし。
映画を見るのは、だから楽しい。
そして、作品を見終わったあと、いろいろなことを考えてしまう。

マリアンヌのように、感じたこと思ったことを素直に表現するのもいい。
エリノアは次々におこる不幸な出来事にじっと耐え、運命として受け入れながら、それに負けてしまうことはない。
静かな強さのある女性である。
どちらがいいとか比較する必要はない。それぞれの性格なのだ。
この姉妹をみていると、遭遇する出来事に対する反応の仕方は様々だと思う。
しかし、どうであれ、その人なりに何とかしていく。
この姉妹なら、支え合って、様々な出来事を乗り越えていけるだろう。



そして、ふと思う。
人生何が起こるかわからない。
先のことを思い煩ったって仕方ない。
起こらないかもしれない不幸におびえて不安になるのは馬鹿馬鹿しい。
その時、その時に、それに対応していくしかない。
結局、おきまりの言葉になってしまうけれど、
「なるようにしかならないさ。」と大きく構えて生きていけばいいのだ、というところに気持ちが落ち着いた。
この作品を見終わって考えたことは、まあこんなことでした。
作品の意図(というものがあるとするなら)からは、おそらく大幅にそれているとは思いますが。

1995年製作のアメリカ・イギリス映画。
この作品では、エリノアを演じたエマ・トンプソンが脚本も担当し、アカデミー賞の脚本賞を受賞している。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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