『かもめ食堂』

刺激を求めて映画を見たい方にはお薦めしませんが、ちょっとした時間をほっこりとした気分で過ごしたい方にはお薦めできる1時間42分の作品。

舞台はフィンランドの首都ヘルシンキ。そこでサチエ(小林聡美)は「かもめ食堂」という“おにぎり”や“焼きサケ”など、日本食をメインにした食堂を始める。客はまったく来ない。それでも、コップを磨き、店内のテーブルを拭きながら、来店者を待つ。
ひょんなことから、ミドリ(片桐はいり)と知り合い、ミドリはサチエの家に転がり込み店を手伝うことになる。さらに、20年にわたる両親の介護から解放され、外国旅行をしようとフィンランドを選んでやってきたマサコ(もたいまさこ)も、この店を手伝うことになる。

個性的で味のある女優陣がいい。
かもめ食堂に初めて入店したトンミ・ヒルトネンというという日本かぶれの青年に「お客様第1号だからコーヒー代は永遠にただ」にしてしまうサチエの気前の良さも気持ちがいい。でも、このお店、本当にやっていけるのだろうかと心配になってしまうが。

おいしいコーヒーや新たにメニューに加えたシナモンロールが好評で、はじめは好奇の目で店をのぞいていたフィンランド人のオバサンたちも来店してくれるようになり、客は徐々に増え、ついに満席になる日を迎える。

人間が生きていくうえで「食べること」とは大切なことなのだとあらためて感じさせられた。
サチエは来てくれたお客様を歓待し、ただひたすら、おいしいものを食べてもらおうとする。
きっと儲けなんて度外視で、つぶれない程度にお店が営業できればよいのだろう。

結局、なぜサチエがフィンランドに住むことになったのか、その辺の事情はまったく明かされない。ミドリがフィンランドを選んだ理由は、目をつぶって地図上のどこかを指さしたらそこがフィンランドだったからということではあるが、そこにいたるまでのミドリの過去については何も触れられていない。マサコについては、両親の介護に20年しばられてやっと足かせが外れたから、という事情があり、リセットのための外国旅行なのだろうと推測できるが、フィンランドを選んだ理由が、「エアギター選手権を行うようなおおらかな国民性に魅かれて」というのも根拠薄弱なような気はする。

特にサチエの過去に全く触れていないところが、見終わった直後、何か物足りない気がしてしまった。(最後にきっと明かされるのだろうな、と、勝手に思ってみてしまっていたので。)

が、しばらく時間をおいてあと、気持ちが変わっていた。
お風呂に入りながら、ゆっくりとこの作品について考えてみたら、「それでいいのだ!」という思いがわいてきたのだ。
過去なんて、どうだっていいのだ!
人は、誰だって、悲しい思い、辛い思いを抱えて、それを乗り越えながら生きているのだ。
それを吐き出したければ吐き出せばいいけれど、いちいち会う人会う人にそんなこと説明していられない。
お店に来てくれたお客さんを「いらっしゃい!」と明るく招き入れ、おいしいものを食べてもらって、幸せな気持ちになってもらう。それがサチエにとっての喜びであり、幸せなのだ。

なぜフィンランドに住んでいるのか。なぜ日本を離れたのか。
フィンランドの人はそんなことをサチエに問うたりしないだろう。
日本にいたら、根ほり葉ほり、どこの出身で、いままで何の仕事をしていたのか、家族は?子供は?と、聞かれてしまうだろう。
そんな煩わしさがないのも、それがまた外国暮らしのいいところかもしれない。

誰かのために、おいしいもの心をこめて作ること、そしてそれができること。
それって、人が生きていくうえでとても大切なことで、大きな喜びとなるのだな、ということをあらためて感じた。

『海街diary』

前回、『ブーリン家の姉妹』について書いたら、それを読んだ長女から、
「長女が性格がいい物語ってあるかな。」というつぶやきメールが届いた。

たしかに、物語ではあんまりないかも。
『リヤ王』もひどい姉たちと心優しい末娘という設定だったし・・。
だとしても、長女は性格が悪い、ということにはならないわけで・・。

で、何となく姉妹についてあれこれ考えてしまった。
生まれもっての性格というのもあるかもしれないけれど、生まれた順番が性格に影響するということはあるだろう。長女はどうしても初めての子だから、親も慎重になるし、下の子のときは慣れもあるし、忙しくってかまっていられないから、上の子の時と比べて大胆な(いい加減な)子育てになるやすい。上の子は下の子の面倒を見させられる。
などなどの事情から、長女はしっかり者になり、末っ子は甘えん坊になりやすい、という傾向はあると思う。

若草物語、細雪(読んでないけど)、姉妹の話はいろいろある。
浅井長政・お市の方の娘である茶々、初、江の三姉妹、または「宋家の三姉妹」など、歴史の中での有名な姉妹もいる。
そんな中で、今回書きたいと思ったのは、『海街diary』。
ストーリーの重い歴史ものに少々疲れてしまって、見ていて心がほっこり来るような、やさしい気持ちになれるような作品にふれたいと思ったのだ。

姉妹の話です。
いい人たちばかりが登場する作品です。

長女の幸(さち、綾瀬はるか)、次女の佳乃(よっちゃん、長沢まさみ)、三女の知佳(ちか、夏帆)の三人姉妹が住む鎌倉の家に、異母妹のすず(広瀬すず)が一緒に暮らすようになる。
三姉妹にとっては、すずは自分たちの家庭から父親を奪い取った女性の娘ということになる。
すずの母親が死んだあと、父親は洋子さんという女性と一緒になったが、その父親も亡くなってしまい、その葬儀の時に、洋子さんとそれほど折り合いのよくないすずに、長女の幸が「一緒に暮らそう」ともちかけ、鎌倉での4姉妹の生活が始まったのだ。

すずは明るくしっかりした子で、異母姉たちとの生活になじんでいくが、時折、自分の存在そのものに苦しくなる。自分の母親がこの姉たちの家庭を壊したわけだから。
そんなすずに対して、三人の姉たちはそんなことは関係ないとばかりに、ごく普通に、自然な態度で生活を続ける。
すずが辛くなったとき、「ここにいていいんだよ。」とすずを抱きしめた幸のやさしさがいい。


海と山に囲まれ、古い木造住宅の並ぶ鎌倉の街並み。
周りのみんながやさしい人たちばかり。くちげんかはしょっちゅうだけれど、仲の良い4人の姉妹。
見終わって心がほっこりとした作品でした。

『ブーリン家の姉妹』

高校の世界史の「宗教改革」の単元では、ルターの改革、カルヴァンの改革、イギリス国教会の成立、対抗宗教改革の4つの内容を学ぶ。なので、世界史受講者ならば、イギリス国教会の成立については、どのような事情によりそういう展開になったのかは、基本的な知識ではある。
でもまあ、日本史受験だったから世界史はサボった(必修科目ですが)という方や、そんな内容は忘れてしまったという方のために。
(くどいかもしれませんが。)
英王ヘンリ8世はアン・ブーリンと結婚するために、王妃キャサリンとの離婚問題を起こす。離婚を認めないローマ教皇に対して、ヘンリ8世はローマ・カトリック教会から離脱して、国王至上法(首長法)を出して、イギリス国教会を成立させる。きっかけはアン・ブーリンが王妃になりたいからキャサリンとの離婚を迫ったという事情なのだが、結果的に、イギリスはローマ教皇の干渉の排除、王権の強化という目的を果たすことになる。

時代背景や重要人物の人間関係をつかんでおけば、ストーリーが理解しやすいので、以上の事情は頭に入れておくといいと思う。

それにしても。
「アン=ブーリンとは、こんな女だったのか。」と、ため息が出るような展開の作品だった。

この作品を、16世紀のイギリスの宮廷を描いた歴史ドラマとしてとらえることもできなくはないけれど、見終わってあと、時代設定を越えて、人間の生き方、女性の生き方をテーマとした作品なのだなとを思った。
アンとメアリーという性格から考え方からあまりにも対照的なブーリン家の姉妹を通して、人間にとって何が大切なのかを考えさせられる。

アン・ブーリン(ナタリー・ポートマン)が激しい。美貌と頭の良さを備えた彼女は、自分の才覚で事を思い通りに運ぼうとする。人を操り、人の善意も利用する。
さらに彼女は人としてしてはならないことをしている。
一つは妹のメアリー(スカーレット・ヨハンセン)が王の寵愛を受けている時、嫉妬からメアリーにつらく当たり、腹いせとばかりに許嫁のいるヘンリー・パーシーの気をひき、結婚式まで挙げてしまう。許嫁のいる男性を奪い取る、しかもそれをわかっていながら相手の気をひくというのはやってはいけないことでしょう。たまたま恋に落ちてしまったというのなら仕方ないかもしれないけれど。王の寵愛を受けられなかった不満をゆがんだ方向に向けてしまったとしか思えない。(この結婚の事実は、家族の配慮でなかったこととしてもみ消されるが。)
さらに最悪なのはメアリーが辛い妊娠期間を経て、ようやくヘンリ8世の子供を出産(しかも生まれた子は男の子だった)したその日に、ヘンリ8世の寵愛を受けメアリーを捨てさせてしまったこと。メアリーは(本人の希望したことでもあるが)せっかくイギリス王の子供を産みながら、宮廷を去り田舎で暮らすことになる。

その後、アンは自分が妊娠した時、助けが欲しく、妹との和解を求める。
このあたり、アンはメアリーを利用することしか考えていない。
メアリーはあれだけひどいことをされながら、関係修復に応じ、姉を支えようと決意する。実の姉なのだからという理由で。

この後のアンは自滅の道を歩む。歴史的にアンの末路はわかっていたけれど、まさに自滅だなと思う。人を圧倒するほどの美貌をもっていたとしても、人並み外れた才覚をもっていたとしても、人の心をあやつって思い通りに事を動かすことなど、できるわけないのだ。

歴史的にアン・ブーリンは有名だが、メアリーという妹がいたことは知らなかった。後にエリザベス1世となるアンの娘を育てた女性だ。
初めてこの作品を見た時はアンを中心にストーリーをおってしまったけれど、今回改めて見直し、メアリーに注目してみると、地味でめだたないような雰囲気を持ち、アンに振り回されてしまったようなメアリーが、人に対して常に誠実に向き合い、しっかりとした価値観を持ち、自分にとって何が一番大切なのかがわかっている女性として描かれているのがわかった。
ラスト、幼いエリザベスを抱きながら宮廷から去っていくメアリーの姿は毅然としていて美しい。
その後、メアリーは結婚し、田舎でエリザベスや自分の子供たちを育てながら夫とともに幸せに暮らす。
激しいストーリーの展開だっただけに、このエピローグにほっとさせられた。

『ヴェルサイユの宮廷庭師』

Wowowで録画を撮りためていたものの中から、何となく選んでみてみた。
作品の評価についても、どういうストーリーなのか、どんな作風なのかの知識もなく見始めた。
見終わった後、何か心が癒されるような、力が湧いてくるような気持ちになれ、この作品好きだなと思った。

時代背景は、まさにフランスの絶対王政の最盛期ルイ14世の時代。絶対権力を持つルイ14世が、豪壮・華麗なヴェルサイユ宮殿を造営中で、家族でここに引っ越して住もうとしようとしているさなかの話。
ヴェルサイユは宮殿だけでなく庭園部分が広大で素晴らしい。広い林の部分もあり、いくつかの人工的な噴水などを含む造園もある。その一部分を任されたのが、主人公のサビーヌ・ド・バラ(ケイト・ウィンスレット)。
この人物は架空の人物だそうなので、この作品自体がフィクションである。

世界史教師をやっているので史実かどうかにこだわりを持ってしまう私であるが、この作品についてはそれはどうでもいい。
この作品の見どころは、サビーヌが毅然として、数々の妨害にも負けず、自分にまかされた区画に美しい庭園を造り上げていった強さだと思う。

それは同時代の貴族の女性たちが宝石やドレスで自分を美しく見せることだけに精力をかけ、舞踏会で媚を売り男性の気をひいて、自分の存在を誇示するような生き方の対極をなしている。
泥にまみれ、力仕事もいとわず人夫と一緒に庭を造り上げていく姿は美しい。(17世紀にこんな女性がいたかしらとも思いますが。)

終盤でサビーヌの過去が明かされる。
マダム・ド・バラと呼ばれている彼女が未亡人であるのは見ている途中でわかるのだが、未亡人になった理由はずっと明かされないでストーリーは進行してきた。
ここで、彼女が馬車の事故で夫と愛する娘を失ってしまったことが事情が判明する。
その事故の原因はサビーヌにあった。自分のもとを去ろうとしている夫の馬車を止めようとして、馬車の前にとび出てしまったのだ。そのせいで馬車は崖から転落してしまう。

サビーヌはどんなに自分を責めたことだろうかと思う。

**********

facebook上の記事で、“リジリエンス”という言葉を知った。一般的な認知度としてはまだそれほど高くない言葉だと思う。私はこの言葉がもっと広がればいいと思う。

Wikiによれば、“リジリエンス”とは、「“脆弱性”の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。精神的回復力、抵抗力、復元力、耐久力などとも訳されるが、訳語を用いずそのまま”リジリエンス”と表記して用いることが多い。」とある。

私はこの作品を、サビーヌのリジリエンスの物語なのだと捉えた。
自分のせいで夫と娘を失ったサビーヌは人生のどん底とでもいうべき苦悩を味わったことであろう。このような過酷な体験は往々にして人から生きる気力を奪ってしまうことだろう。
しかし、サビーヌは生きた。そこから立ち上がった。

ヴェルサイユの一角に自分が設計し、人夫たちとともに汗を流し、泥まみれになりながら造り上げた庭園を築き上げることで。

創造とは人を蘇らせる力があるのだな。
大きな挫折から立ち上がった人間は、それ以前とは比べ物にならないくらい、強くたくましく、深い。

60歳をとっくに過ぎたというのに、まだまだ弱い自分を感じている私ですが、苦しい時には、これが自分を強くする試練なのだ、と受け止めたい。必ず乗り越えられる、と信じたい、と思う。
この作品を見て、”リジリエンス“という言葉が浮かび、だから、見終わった後に気分が良かったのだと思った。

NHKスペシャル 「戦慄の記録 インパール」

2017年8月15日のNHKスペシャルは、「戦慄の記録 インパール」だった。

アジア太平洋戦争の中で最も無謀と言われたインパール作戦。
まったくする必要のなかったとされる作戦
補給を度外視した無謀な作戦
3万人の犠牲者が出た
この作戦を擁護するような表現は一つもない。

戦後72年たった今、このような番組が完成したことは、今後、戦争を考える上で大きな意味を持つと思った。

インパール作戦とは太平洋戦争末期の1944年3月、悪化していく戦況を何とか打開したいと、インド北東部のインパールにあるイギリスの拠点をビルマ(現ミャンマー)側から行軍して攻略しようとした作戦だった。
470kmの行軍。その行程には川幅600mのチンドウィン河、2000M級のアラカン山系、世界一の豪雨地帯と言われる悪路が立ちはだかっていた。
途中、食料を調達できるような豊かな村もなく、後方からの補給もない。

結局、インパールまで行きついた兵士はなく、作戦は4か月で中止されるが、戦死者の6割が作戦中止後の撤退中の病死・餓死であったという。
作戦の推進者は第15軍司令官牟田口廉也中将。
彼は、補給の面からこの作戦は不可能だと進言した部下を更迭し、作戦を実施した。
作戦開始後も、各部隊から芳しくない報告、作戦の中止を求める声が上がっても、それを怒号で握り潰し作戦を続行した。
4か月後の中止はあまりにも遅すぎた。
しかも、牟田口は作戦失敗の責任をとっていない。
作戦を大本営の希望であった、と語っている。


この番組では、13577人分の戦没者名簿をもとに一人一人の死を、場所・日時を特定し検証している。
また、生き残った元兵士の方々への取材を行い、その方々に証言をしてもらっている。

この番組を見て思ったのは、「よくぞ作った、よくぞ間に合った。」ということである。
元兵士の方々の生の声がとれたことは大きい。
すでに高齢となられている元兵士の方々。
番組の製作も、時間との戦いであったはずである。

特に牟田口に直接仕えていた齋藤博圀さんが存命で、番組のラストに登場して下さったことは大きい。90歳を超えた高齢となり、施設で穏やかな日々を過ごされていたであろう齋藤さんがインタビューに応じ、かつてのことを語り始めた時、わなわなとふるえるほどの感情の高ぶりをみせ、「悔しいです。」とおっしゃった。
どれほどの思いがそこにあるのかということが、見ているものに伝わった。

齋藤さんには牟田口のことを許せないという思いがあるのだろう。
それは、牟田口が上官に「5000人殺せばとれる」というのを聞いてしまったからだ。
はじめは敵を5000人倒せば拠点をとれる、という意味かと思ったという。
ちがった。作戦遂行には日本側の5000人の犠牲が必要だという意味だった。
しかし、それを「5000人殺せば」という表現を使うだろうか。
兵士を捨て駒としか考えていない非情さ。そんな指揮官のもとで戦う兵士はたまったものではない。

今まで、戦争であまりにも悲惨な経験をされた方々は、戦後、あまり多くを語らず、思いを封印してきたように思う。
しかし、近年、自身の寿命が後わずかになってきたと思う方々が語って下さるようになった。今語らないと、次の世代に伝えることができないという思いからだろう。

元兵士の方にすれば、思い出したくもないことだろうと思う。
余りにも悲惨な仲間たちの末路のことなど語りたくないだろう。
それを語って下さった。

私たちは、元兵士の方々の語ることを聞き、かの地でどんな悲惨なことが起こってしまったのかを知っておかなければならないと思った。

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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