大奥御年寄 絵島

2017年3月3日(金)の歴史秘話ヒストリアは「愛と悲しみの大奥物語」で、絵島を扱っていた。
絵島(正しくは「江島」だそうだ。)とは、大奥において大きな権力を持つ御年寄という地位にまで上り詰め、しかし、絵島生島事件で処罰されてしまった人物である。
絵島生島事件については、「大奥における一大スキャンダル」という知識程度しかもっていなかったが、番組はわかりやすく構成されていて、この事件を、絵島と歌舞伎役者生島との間の色恋沙汰などではなく、大奥の権力闘争の中で、絵島が陥れられてしまったのが真相であるという描き方をしていた。
大奥とは恐ろしい所なり。増上寺の墓参りの帰りに門限に遅れてしまったというだけで、帰りに寄った芝居小屋の歌舞伎役者生島との密会を疑われる。門限に遅れたのは絵島のミスであるが、それを利用されて、大奥始まって以来の大スキャンダルを起こした人物に仕立て上げられてしまったというわけだ。

で、ここまでのところは、「ふーん。」「へえ。」と思った程度で、それ以上の興味や感動がわいたわけではなかったのだが、エンディングの部分が妙に心に刺さってしまった。
番組終了間際の数分のところで、テーマ曲とともに大奥を追放された後の絵島の生き方が紹介された。
それによれば、当初、死罪とされた絵島は、減刑されて信濃高遠藩(現在の長野県伊那市高遠町)へ流された。
絵島は8畳ほどの広さの絵島囲み屋敷と呼ばれる建物に幽閉され、正徳4年(1714)から寛保元年(1741)に亡くなるまでの約27年間をここで過ごした。
屋敷には格子戸がはめられ、出入りができないようになっていて、外の世界とは隔絶され、紙と筆を使うことも許されず、大奥でのことを語ることは一切許されなかった。
かなり厳しい生活環境である。
しかし、絵島はここで凛としてきちんと過ごしたようである。
身に覚えのない醜聞をでっち上げられた絵島は、一切を胸の奥に封印した。
恨みつらみにあふれた見苦しい振る舞いや言動をすることもなかった。
身の回りの世話をするおつきの者にも、大奥でのことを話すことは一切なかったという

私はこういう話にグッと来てしまう。
幽閉の身になっても、ここまで美しく生きることができる人がいる。
人生、あまり過酷な状況になりたくはないけれど、生き方の美学は持っていたいなと思った。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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