太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男

このところWOWOWやBSプレミアムで放映されたものを片っ端から録画していて、
見て書く作業はとても追いつかず、録画がたまる一方だ。
なので、ちょっとさわりを見て、面白くなさそうだとやめてしまう。
そんな中で、この作品は、最後まで飽きることなく、引き込まれていった。

太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男
2011年公開の日本映画。
ドン・ジョーンズの長編実録小説『タッポーチョ 「敵ながら天晴」 大場隊の勇戦512日』が原作。
主演の竹野内豊が大場大尉を誠実に演じていてよかった。

映画は面白くなければ、見てもらえない。
説教くさくては、反発されてしまう。
感情がオーバーに表現されていると、しらける。

そういった点では、この作品は、太平洋戦争末期のサイパン島での展開を、淡々と真摯に描いていると思った。

Wikipediaによれば、この作品は「厚生労働省社会保障審議会が推薦する児童福祉文化財の1つに選ばれている。」という。
あんまりなじみのない、どうでもよさそうな選考だけれど、要は、若い人たちにも見て欲しい、ということなのだろう。



しかしながら、太平洋戦争を扱った作品は、どのように見たらよいのかを考えてしまう。

もちろんこれは、サイパン島で奮戦した大場大尉を英雄として扱っているわけではない。
また、もちろん、ポツダム宣言受諾後も、タッポーチョ山にこもって約1年半も交戦したのは、結果的にはまちがいで、
早いとこ降伏した方が、犠牲が少なくて済んだではないか、判断を誤っているではないか、と批判しているわけでもない。

太平洋戦争末期、圧倒的な軍事力で米軍が上陸してきたサイパン島において、一人の軍人大場栄が、そうした状況のなかで、どのような決断をし、どう行動したのかを描いている。


「サイパン島の戦い」について
サイパン島は第一次世界大戦後、日本の委任統治領となり、約2万人の日本の民間人が住んでいた。
太平洋戦争末期、サイパン島は、ここが陥落したら、日本本土はB-29爆撃機の爆撃圏内に入ってしまうという重要な拠点であった。
しかし、1944年6月15年のアメリカ軍上陸から7月6日までの戦闘で、制圧されてしまった。
1944年7月9日、ターナー中将はサイパン島の占領を宣言。ゲリラ化した47人の大場隊は、数百人の民間人とともにタッポーチョ山に後退し、抗戦をつづけた。
1945年11月27日、陸軍少将の正式の降伏命令を受け、停戦。
12月1日、山を下り、投降した。(この間512日)



日中戦争、太平洋戦争についての本を読んだり、映画を見て思うこと。

当たり前のことであるけれど、人は、その時代、その国家の中に生み落される。
選べないのだ。
こんな時代に生まれてきたくなかった、こんな国に生まれてきたくなかった、と思っても。

戦争というのはまったく不条理な状況だ。
しかし、その状況下におかれた者は、それを受け入れて、その中で、どういう生き方をしていくかを、選択していくしかない。

大場大尉は、もと地理の教師だった。
太平洋戦争中、サイパン島に配属された彼は、日本軍玉砕命令後の総攻撃で生き残ってしまった。
玉砕か自決か、という選択を迫られる中、かれは、200人余りの民間人を米軍から守りきるという決意をする。

映画のラストでの米軍将校と大場の会話
「大場大尉、あなたは、一年半、山の中で兵隊たちを見事に統率されました。
あなたは、200人の日本人の命を救いました。」

「しかし、私はそれ以上の命をこの手で奪いました。
私は、この島でほめられるようなことは何一つしていません。」

大場の言った、「多くの命」という言葉の中には、サイパン島に居住していた多くの民間人の命を守れなかった、そして、この戦いで多数の日本軍の兵隊を死なせてしまった、という痛恨の思いが込められていると思う。

しかし、それだけでなく、「多くの命」という言葉の中には、「敵である米兵の命」も含まれているように感じた。
戦争だったのだから、敵の命を奪うことが使命だったのだけれど。
大場は、一人でも多くの米兵を倒して、抗戦しようとしたのだけれど。



この映画の評判
この映画は、2011年の公開で、その後、水曜ロードショーでも放映されているので、2014年の現在、何をいまさら書いているといわれそうであるが、これだけ遅れて書いていると、ネットに寄せられた様々な批評を参考にすることができる。

当然、「なぜ、47人の日本兵が、米軍の投降要請に逆らって、山を下りなかったのかが、描ききれてない。」
あるいは、「米軍を”人道的”と印象付ける描き方だ。」
などの批判があった。

そうした、映画に対する厳しい目も併せ持たなければいけないと思いつつも、私はこの映画について、「よかったよ。」という感想で締めくくりたい。
なにせ、このブログの目的は、公開から日が経ってしまった映画の掘り起し、紹介なのだから、まだ映画を見ていない人が、これを読んで、見てみようかなという気になってくれたらうれしい。

まずは、見ることで、「サイパン島の戦い」について知ることができる。
でなければ、サイパン島は、成田から片道3.5時間、5万円弱のツアーが組まれている南太平洋のリゾート地だ。


最後に。

日中戦争&太平洋戦争を描いた作品で扱われた人物として、「硫黄島からの手紙」の栗林中将がいる。渡辺健が演じた栗林は、硫黄島に着任後、理不尽な体罰をやめさせるなど、人格者として描かれている。
また、戦後、B級戦犯として横浜法廷で裁かれた、「明日への伝言」の岡田資(たすく)中将がいる。
藤田まことが演じた岡田は、”捕虜処刑”に関して、すべての責任を一人で負い、関わった部下をかばい、処刑されていった。

一方、「あの戦争はなんだったのか」保坂正康著 (新潮新書)などに書かれている、インパール作戦の牟田口中将などは、きわめて評判が悪い。

結果はすべて敗戦で終わるのだけれど。


「美化しすぎている。」という批判は頭においておくとして、
あらがいようのない戦争という状況の中で、大場大尉や、栗林中将、岡田中将らが、どのような生き方をしたのかを、
これらの映画を通して知っておきたい。

現代の日本に生きる私たちが、「平和」について考えるきっかけになれば、さらに良いと思う。


       

ベン・ハー

2月にこのブログを始めてから、勢いで4つほど書いたが、その後、しばらく書けなかった。
曲がりなりにも、人に読んでもらう文章を書くには、エネルギーが必要だ。
間違ったことは書いてはいけないと思い、人名を確認したり、歴史背景を調べ始めると、止まらなくなる。
趣味で始めたはずなのに、ヘロヘロになってしまった。

「書く」という作業は、調べる、考えるという作業を伴うのだ。

始めたばかりで「挫折」では情けない。「細く」でいいから「長く」続けていきたい。

で、今回は、「ベン・ハー」

ベン・ハー
1959年のアメリカ映画。今から55年前の映画だ。
昔の名作の紹介というこのブログの目的からすると、絶対にはずせない作品である。
2月22日のWOWOWでやっていたし、もちろんTSUTAYAで100円。

ローマ帝国の繁栄がどれほどのものであったかを想像するのに役に立つ。
なんといっても、最大の見せ場は、「二輪戦車の競走」。
二輪の戦車に載る戦士が4頭の馬を操って競走する。
裕福な観衆は勝敗に賭けをして楽しんだ。

これぞローマ帝国の繁栄の象徴。

たまたま2月22日のNHKのBS地球ドラマティック「古代ローマ コロッセオの秘密」という番組をやっていた。
この番組で紹介されていたコロッセウムの建築技術は驚嘆すべきものであった。
特に注目すべきは、コンクリートとアーチ。
古代ローマでは、石灰、水、火山灰でセメントを作り、それに砂や小石を混ぜ合わせてコンクリートを作った。
レンガを積み上げて作った2枚の壁の間にこれを流し込み、コンクリート建築を作り上げた。
アーチを作るためには、石材を運び上げるための滑車を使った巨大クレーンも使用していた。

こうして5万人の観客を収容できるコロッセウムが完成した。

ボキャ貧で申し訳ないが、「すごい!」としか言いようがない。
しかも、これは、民衆の娯楽のための公共施設だ。
(皇帝が、自分の権力を盤石にするために、人気取りのためにやったものだとしても、
豪華な宮殿を立てるために巨万の富を浪費した権力者に比べたら、よっぽどまし。)


しかし、そこには征服者ローマのおごりがある。
コロッセウムの建設には、3万人ものユダヤ人が奴隷として動員されたという。

(ベン・ハーの時代設定はイエスの処刑ころであるから、紀元後の30年頃で、コロッセウムの完成は80年なので、二輪戦車の競走が行われた場所は、有名なコロッセウムとは別の競技場ということになるが。)


属州ユダヤに対する支配者ローマの高圧的態度は「ベン・ハー」でも扱われてる。

この映画は、「ユダヤの王族だったジュダ・ベン・ハーが、ローマ人の旧友メッサーラに復讐を果たす」というのがストーリーの柱で、そもそもの発端は、旧友メッサーラが属州ユダヤに司令官として赴任してきたことに始まる。


「ローマの支配に協力しろ。反乱のおそれのある者の名前を言え。」
「密告者になれというのか。同胞は裏切れない。」

そして新総督就任の行列に、ハー家のベランダの瓦が落下したことから、ベン・ハーは新総督暗殺未遂の罪を着せられ、奴隷以下の罪人にされてしまう。

が、そこからは復活劇。ガレー船の漕ぎ手としてこき使われても、才覚をあらわし、将軍アリウスを助けたことから、身分を取り返していく。

そして、二輪戦車の競走。
(当時の見世物は、けが人、死者が出るのなんか当たり前なのだな)

メッサーラに勝利し、復讐を果たしたものの、母と妹が業病(ハンセン氏病のこと)におかされ、死の谷にいることを知ったベン・ハーは憎悪の塊となる。

その頃、イエスがゴルゴダの丘で処刑される。
イエスは、磔にされ、肉体的に酷い苦痛をおわされても、死に至る間際に、
「神よ、彼らを許したまえ。」と言ったという。
その場面に遭遇したベン・ハーは憎悪の気持ちを捨てることができる。
で、嵐が起きて、母と妹の病が奇跡的に治ってラストというくだりは、ちと陳腐な感じが否めないが、
とりあえず、ハッピー・エンド。

世界史教師のひとりごと
ローマは、アウグストゥスから五賢帝時代までの約200年間、「パックス=ロマーナ」と呼ばれる大繁栄時代を送る。
農地を捨て、ローマに流れ込んだ無産市民ですら、「パンと見世物」を要求していれば、生きていけたという時代なのだから、どれほどの富がローマに流入していたのだろうと思う。

ローマは圧倒的な軍事力と、道路と船で帝国を抑えていく。
文化のレベルも、土木建築など、比類がない。
ローマの繁栄の恩恵を受け、豊かな暮らしができた人は多かったろう。

しかし、大帝国であるということは、領域内に大多数の支配される側の人間がいるということだ。

ベン・ハーは、アリウスの養子となり、ローマ市民の身分も与えられたのに、支配者ローマに対する憎しみから、それを返上する。
権力に媚びないベン・ハーが、前半のメッサーラとのやり取りでいった、
「僕は民族の未来を信じる。」という言葉の意味は重い。

ローマ帝国の繁栄と滅亡は、、現代社会を生きる我々にとって、教訓となる。
歴史を学ぶことは面白い。

追記:ベン・ハーについて書くのなら、主役を演じた、今は亡きチャールトン=ヘストンが、全米ライフル協会の会長を務め、2000年のアメリカ大統領選挙でのブッシュの当選に大きく貢献したことに触れなくてはならないが、それはまた次の機会に。


プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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