児童書と正論

相変わらず平和についてムニャムニャと考えている。
前回に引き続き、岩波ジュニア新書 「平和をつくった世界の20人」という本から、軍隊を廃止したコスタリカの大統領オスカル=アリアスの言葉を引用する。

「最終的には、貧困を撲滅できるということを私は申し上げたいのです。現時点で、そのためにわかりやすい方法は、軍事費を削減し、その資金を人類の発展に向けることです。」
「世界の貧しい人々は、銃や軍隊を求めているのではなく、学校や医師を必要としているのですから。


アリアスの言っていることは正論である。
ただし、正論が現実世界でまかり通るとは限らない。
今現在、現実に武力による危険にさらされている国や地域でこんなことを言ったって無駄である。
拳銃を突きつけている相手に対して、丸腰で平和論を唱えても、殺されるだけなのだ。

今、ナイジェリアでは、ボコ・ハラムという過激派集団が女子生徒を270人以上拉致したという事件が起きている。

事件の根底には貧困がある。
部族対立がある。
イスラーム教徒とキリスト教という宗教の違い、ヨーロッパ式教育とアフリカの伝統的な価値観の対立という要素も絡んでいる。

ナイジェリアには250余りの部族があるが、そのうちの主なものは、北部のハウサ人、南西部のヨルバ人、南東部のイボ人である。
少し年配の方なら、ナイジェリアと言えばビアフラ内戦(1967~70)を思い出すだろう。
南東部のイボ人地域から油田が発見され、分離独立を図ったイボ人と他の部族との間で内戦となり、100万人以上の餓死者を出した。
1955年生まれの私は当時、小学校高学年~中学生だったが、栄養失調で手足が棒のように細く、おなかだけポッコリ膨らんでいる「ビアフラの子供たち」の画像を見て、同じ子どもとして、大きなショックを受けた記憶がある。

このナイジェリアの内戦は、当然、世界史の授業で扱わなければならないが、私は今まで、この内戦を石油の利権をめぐるイボ人と他の部族との対立、ということでとらえていた。
が、原因はもっと古い時代にさかのぼって考えてみなくてはいけないようである。

悪名高い18世紀の大西洋三角貿易では、アフリカからアメリカ大陸に黒人奴隷が輸出された。イボ人、ヨルバ人などの強い部族が、周辺の弱い部族を捕まえて、奴隷商人に売った。
イボ人、ヨルバ人は植民地化の過程で政治的に優遇され、キリスト教を受容した。
一方、北部のハウサ人は、その恩恵をほとんど受けなかった。
そして、1960年の独立のどさくさで、ハウサ人が多くの議席をとったことからイボ人との対立が激化し、イボ人に対するジェノサイド(大量虐殺)が始まった。
これが、イボ人が分離独立をしようとしたきっかけであるという。
単にイボ人が石油を独り占めにしようとしたというわけではなかったのだ。

ナイジェリアは2013年のGDPが南アフリカ共和国を抜き、アフリカ最大の経済大国となった。しかし、その経済はほとんどを南部の石油に依存しているといる内容である。
しかも、イボ人、ヨルバ人の住むに沿岸部が豊かなのに対して、ハウサ人の住む内陸部は貧しいという経済格差が著しい国である。
事件を起こしたボコ・ハラムという集団を、イスラーム教過激派というだけのくくりでとらえてしまってはいけない、ということを多くの記事が指摘している。
「貧困に苦しむハウサ人」という背景をふまえておかなくてはならないのだ。

事件は起きてしまった。
最優先課題は、拉致された少女たちの救出である。

平和教育には即効性はまったくない。
事件の解決に、何の役にも立たない。

それでも、思うのである。
なぜ紛争は起こるのか?どうしたら紛争がなくなるのか?
ということを考えながら成長した子供たちが大人になった世の中と、
経済優先、自分の生活が豊かになることだけを価値観として育った子供が大人になった世の中は違うと。


最近、この岩波ジュニア新書が気に入ってしまい、繰り返し何度も読んでいる。
ジュニア向けの本であるから言えることがある。
今の社会にそのまま適用できるわけではないが、子供たちの価値観の構築という面では、児童書の良書が果たす役割は大きいと思う。

私は今まで、平和学、平和教育ということに対して、何か押しつけがましいもの、もっと言ってしまうと、偽善者の臭いを感じていた。
戦争の悲惨な映像を見ることで、戦争は怖いもの、戦争は嫌だ、戦争は二度と起こしてはならない、と感じることはできるが、そこで思考停止するだけで、ひどい場合は、拒否反応が出るだけだと思っていた。
今のこの平和な日本で暮らせている子供たちにとって、とりあえず関係のないことなのだから。

しかし、平和教育とはそういうものではないようだ。
平和教育とは身近なところから始まるという。
人間関係でトラブルが生じたときに、暴力やカネで解決しようとしないで、相手の立場に立って解決の方法を考えていくというのが、第一歩ということだ。

戦争がおこらないようにするにはどうしたらいいのか、ということを考えていくことは大切であると思う。
そう考えながら成長した世代は、経済格差や貧困についての問題意識を持つと思う。
弱者を切り捨てた経済発展によって生ずる社会のゆがみは、必ず、しっぺ返しをもたらす。
そこにまで、思いが至るような人間に成長していかなければならない。


追記 :ナイジェリアに関することは、SusumuAfricaさんのブログ『アフリカさるく紀行』
を参考にしました。




大いなる西部

今回もまた申し訳なるくらい古い映画だ。何のことはない、昔の西部劇。
この作品から、「平和」について考える、というのは、あまりにも無茶なこじつけと思われるかもしれないが、ふと感じたことなので、それについて書いてみようと思う。

作品の紹介は後半でするとして、なぜ私がそんなことを考えたのかのきっかけとなった本を、まず紹介したい。

岩波ジュニア新書 「平和をつくった世界の20人」
ガンジー、マザー=テレサ、キング牧師などの有名人から、日本人には少々馴染みのない人物まで、20人の生き方や考え方が紹介されている。

児童書だからとバカにすることなかれ。
児童書の方が、余計なことに制約されず、ことの本質をついていることがある。

20人の中にコスタリカの大統領オスカル=アリアスがいる。
コスタリカという国をご存じだろうか?
中米の小国で、軍隊を廃止した国だ。

アリアスは内戦に勝利した後、軍隊を廃止し、軍事費に回していたお金を道路や鉄道などの産業基盤の整備や、教育・医療の分野に回した。

当然、国防とはそんな甘いものではない、という反論が出るだろう。
海洋進出を強める中国、核開発を続ける北朝鮮を隣国に持つ日本が、のんきなことをい言っていては、領土の保全もままならないし、いつ何時、隣国からの武力の危険にさらされるかもわからない。
国家の三要素は、国民・領土・主権なのだから、それを安全に守るというのが国家の最大の責務だ。

だが、「どうしたら世界は平和になるのかな」ということを純粋に考えたら、アリアスの考えに行きつくと思う。
諸事情でそうはままならないというのが現実なのだが。

夢のような話ではあるけれど、すべての国が軍事力を捨てれば、世界は平和になる。」という考え方は事の本質であると思う。
強い軍事力を持った国が横暴な行動に出るからいけないのだ。
すべての国が軍縮に向かっていかなければいけない。
(もちろんコスタリカも全く丸腰というわけではなく、治安警察隊を含めた警察力という準軍隊に相当するものを持っているのであるが。)

この本に出会ってから、「平和」について考えるようになった。
なぜ紛争が起きるのだろうか?
考えてみると、世界の紛争は資源がらみのことが原因で起きていることに気づく。
尖閣諸島も付近の海域に海底資源があるから中国が割り込んできた。
ロシアが高圧的な態度をとるのも、天然ガスをはじめとする豊富な地下資源を持っているからこそである。

そんなことを思っていた時に、たまたま「大いなる西部」をみた。

これを見た動機は全く違う観点からで、「西部劇」の歴史について調べようと思ったからなのだが、思ってもみなかった方向に自分の思考が進んでしまった。

大いなる西部
1958年のアメリカ映画。
インディアンが全く出てこない西部劇である。
見終わってとても気分がよかった。さわやかだった。
理由はグレゴリー=ペックが演じるジム=マッケイがカッコ良かったからであるが、それは彼の容姿やアクションがカッコ良かったということではない。
むしろこの作品の中で彼は、婚約者パットのテリル家と対立するヘネシー家の息子たちに投げ縄で襲撃されてコケにされたり、荒馬に振り落とされたりと無様な目に合っている。

だが彼は仕返しをしなかった。メンツを重んじて暴力をふるうようなこともしなかった。
荒馬を乗りこなしても、それを引けらすこともしなかった。
テリル家とヘネシー家の対立、その枠の中でしか思考のできない婚約者パットは、そんな彼を理解できず離れていく。

そしてラストで水源地の利権を持つジュリーと結ばれることになったジム=マッケイは、水をみんなが利用できるようにするという。

この考え方こそ、平和につながるものであると思った。

資源は独り占めしてはいけないのだ。

追記:このブログを書くにあたっていろいろ調べていたら、「ナドレック」さんのブログに行きついた。
アクセス数1万を超える人気ブログで、彼はすでに2011年8月に大いなる西部」について書いていた。
そしてその内容にとても共感できた。
彼のブログによれば、ウィリアム=ワイラー監督は、この作品を冷戦下の寓話として意図したという。
そうか、この映画を見て平和について考えてしまった私は、あながち見当違いというわけではなかったのだ。
ブログを始めてからまだ半年にもならない私は「ナドレック」さんの足元にも及ばないが、映画を見て感じたことは同じだと思った。
夫から「自己満足」と腐されてはいるけれど、よーし、めげずに映画を見て考えるという作業は続けていくぞ!

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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