その後のルワンダ

1994年、ルワンダでは約100日間で80万人以上が殺害されるという大虐殺が起こった。

あれから、20年が経過した。

ルワンダは、今、どうなっているのだろうか?

現在のルワンダが、「虐殺」という壮絶な悲劇があった国だとは想像できないくらい、奇跡の復興を遂げていということを私が知ったのは、ネット上をあちこちジャンプしているうちに偶然知ったe-EducationというNGOの牧浦土雅さんの記事からだった。

e-Educationは、途上国の子供たちの教育を支援しているNGOで、農村部の子供たちに、DVDを利用して、その国のトップレベルの教師による最高の授業を届け、都市部と農村部の教育格差をなくそうとする活動をしている。
牧浦さんは、その活動のルワンダ担当だった。

ルワンダのことを考えてみたくなって、e-Educationのサイトに掲載されていた牧浦土雅さんの記事vol.1~48と彼の著書「アフリカ・奇跡の国ルワンダの『今』からの新たな可能性-ジェノサイドからの20年を経て」(Kindle版)を丁寧に読んでみた。

彼がルワンダで活動したのは、2012年。
「虐殺」のイメージがあまりにも強く、いつまでもそのイメージを持ち続けてしまいがちだが、今や首都キガリは、高層ビルが立ち並び、おしゃれなカフェもあり、しかも犯罪率が低く、アフリカでもっとも安全な都市といわれるほどになっていた。
彼は、プロジェクトがうまく進行しないときなど、首都キガリのカフェで、くつろいだり、方針を練り直したりしていた。

ルワンダは、インフラの整備や、汚職の撲滅、情報産業の育成に力を入れ、この10年間で、経済成長率は年平均8%を遂げている。
また、2007年、死刑廃止法案が可決され、2008年の下院選挙では、世界で初めて女性が過半数の議席を獲得した。

ツチ人とフツ人との間にあった憎しみ。人口の20%を大虐殺で失うというダメージ。
そこからの復興には、どれだけの困難があったのだろうかと思う。



その前に、なぜあのような大虐殺が起きてしまったのかを、考えてみたいと思い、
もう一度、「ホテル・ルワンダ」を見ることにした。

80万人以上というおびただしい数の人が殺害されたという事実に衝撃を受けるが、さらに驚くのが、その方法が、ナタなどによる撲殺だったということである。
亡くなった人の数と同数の残虐な殺人事件があったということだ。

この映画を見返してみて、あらためて印象に残ったシーンやセリフが2つあった。

1つは、主人公のポール=ルセサバキナが、酒を調達に行ったときに、酒と思っていた積荷が崩れ、なかからナタが出てくるところ。
「中国から1本10セントで仕入れた。」と説明する兵士。

ナタとは、薪割りや枝打ちに使う道具で、武器ではない。
武器ではなく道具であるという理由からか、あるいは酒と偽っての積荷だったからなのか、そもそもそんなことはまるでどうでもいいことなのか、とにかく、大量のナタが輸入され、それがフツ人の民兵の側に渡った。
そして、それが凶器になった。 !!!

もう一つは、ルセサバキナとフツ人兵士の会話。
ルセサバキナ: 「ツチを皆殺しにしようというのか?そんなことできるわけない。」
フツ人兵士 : 「できるさ。もう半分終わった。」 !!!

本当に、一つの部族を撲滅させようとしたのか?と驚いてしまうが、
ラジオによって扇動されたフツ人民兵たちは、狂気の沙汰としか言いようのない状態に陥っていた。

メディアは人を殺人行為に仕向けることができる。

ラジオ以外に情報を得る手段をもっていなかった1994年当時のルワンダにおいて、ラジオから流されるツチ人を誹謗する放送は、フツ人民兵を殺人集団にしてしまった。

怖いなあと思う。
このルワンダ虐殺では、ラジオ放送がそれを煽ったということが問題視された。
その反省として、「メディア・リテラシー」の大切さが唱えられる。

現在のルワンダでは、「フツ人」とか「ツチ人」ということばを使うことすら禁止されているという。

では、フツ人とツチ人の対立はどこから始まってしまったのか?
そもそもフツ人とツチ人の違いとは何だったのか?

このあたりのことが知りたくて、ルワンダを研究対象とした『現代アフリカの紛争と国家  - ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』 武内進一著 明石書店
を図書館で借りてきた。
膨大な調査・研究からなる学術書で、素人の私がブログを書くなどという安易な目的のために利用するなど恐れ多い、と、感じてしまうような、著者の長年の労苦が詰め込まれているような本である。

それでも、少しずつ、ページを繰りながら探っていった。

それによれば、ツチ人である、フツ人である、ということを明確に区別されるようになったのは、ベルギーの植民地時代であった1934~35年代に、身分証明書に、帰属するエスニック集団を記載する措置が取られてからだという。
(これは独立以降も引き継がれた。)
どの集団に帰属するか判然としない場合は、牛を10頭保有していればツチ、それ未満ならフツと分類されたという逸話があるくらいなので、そもそも、あいまいな所もあったようだ。

ツチ人なのかフツ人なのかを身分証明書によって明確に区別され、これにより、支配者集団としてのツチ、被支配者集団のフツという構造が出来上がり、植民地政策遂行に利用された。

その後の略史は以下の通り。
1962年の独立後、フツ人のカイバンダ政権はツチ人を迫害し、これにより大量のツチ人が難民化した。
73年に成立したフツ人のハビャリマナ政権では、状況は少しましになるのだが、この間、難民となっていたツチ人が編成したRPFという反政府武装組織は成長していき、緊張が増し、1990年、RPFの侵攻で、内戦が始まる。
そして、1994年4月6日、ハビャリマナ搭乗機撃墜事件をきっかけに、フツ人民兵が、ツチ人やそれをかくまう穏健フツ人を殺害するという大虐殺が、全土で始まる。
7月18日、RPFが内戦に勝利し、戦争終結を宣言。

2000年に大統領に就任したカガメ大統領は、大虐殺に加わった受刑者を苛酷に罰すると国が崩壊すると判断し、最も重罪となる虐殺扇動者を除く犯罪者を大幅に減刑した。
そして、「ガチャチャ」と呼ばれる一般市民による裁判制度を開始した。

・・・・・・・・

あの、大虐殺から20年。
ルワンダは「奇跡」と呼ばれる復興を遂げた。

しかし、急速な発展もいつかは停滞期に入る。
若者の失業など、経済が停滞してくると、その不満が、再び、民族間の対立に転化されかねない。

実際、長期政権となったツチ人のカガメ大統領に対する批判や不満が現れ始めているという。
また、インターネットが普及したルワンダでは、「ツチが嫌い」などの書き込みが出てきているという。

メディアは民族対立を煽る道具になってはならない。
メディアは「公正・中立な立場」にたち、平和のために使われなくてはならない。

ここが、ルワンダの踏ん張りどころだと思う。

以上、まとめてみると。
「ホテル・ルワンダ」から「メディア・リテラシー」の大切さにつなげていくというのは、定番の落としどころといった感もあるが、やはり、歴史を振り返って学んでいくなら、そこに落ち着くかなと思う。 

私たちの周りには膨大な情報が溢れている。
その中には、インターネット上の悪意のある書き込みもある。
「○○人は出ていけ!」のような、ヘイトスピーチと呼ばれるものもある。
だから、膨大な情報の中から、「世の中を良くするもの、平和につながるもの」とそうではないものを識別できるような能力を養っていかなければならないと思う。

そして、もう一つ。
留学する学生が少なくなったことから、日本の若者は「内向き」になっている、などと言われているが、そんなことはない。
このブログが、牧浦さんのようにルワンダに飛び込んでいく若者もいるのだという紹介になったらよいと思う。


遠くの国の紛争と貧困の話

モンゴルの孤児院を支援している照屋朋子さんの報告会の話の続き。

照屋さんは活動報告の中で、今後は、活動をモンゴルに限定するのではなく、それ以外にも広げていきたいと話していた。
たとえば、アフリカの少年兵のリハビリを支援しているNPOの活動に協力するということなども考えていきたい、と。

彼女の話のなかには、私の知らなかったことがいくつかあったが、このことが一番、気になった。

「アフリカの少年兵」ってなんだ?

私は、ほとんど知識がなかったので、家に帰ってから調べた。
以下、wikiで得た知識なのだが、調べていくうちにあまりの酷さに絶句だった。

アフリカのウガンダについては、1970年代にアミン大統領というとんでもない独裁者がいたことは知っていた。
彼の政権時代には30万人もの反対勢力が粛清された。
1979年にアミン政権は打倒されたが、その後もクーデタが繰り返され、政情は不安定だった。

1987年、ジョセフ=コニーなる人物により「神の抵抗軍(LRA)」という組織が結成され、ウガンダ北部地域で活動を始めた。
LRAは、1994年、最初の大規模な子供の拉致を行い、少年を兵士に仕立て上げ、最も危険な最前線に立たせ、残虐行為に加担させた。少女の場合は、強制的に兵士の妻にして身の回りの世話などをさせた。
今に至るまで、LRAに拉致されたこどもは2万人以上になるという。
難しいのは、LRAに対して軍事的な掃討作戦を行うことは、拉致の被害者を攻撃することになってしまうことだ。

LRAは、すでに20年以上にわたって、こうした活動を続けているので、1994年に10代で誘拐された少年は30代になってしまっている。
しかも、こうした元少年兵の社会復帰はままならないという
なぜなら、彼らは、拉致の被害者であると同時に、兵士として洗脳的な軍事教育を受け、残虐行為に加担させられたため、加害者でもあるのだ。
また、幼少期に家族と離され、軍隊以外の生活を知らないので、普通の家族関係を理解できず、社会生活を送れないという
このため、もといた家族や地域社会にも受け入れてもらえない元少年兵も多い。

施設に収容された元少年兵の写真がある。
うつろな表情をして、床にへたり込んでいる。

彼らは、人間形成の基礎が培われなければならない少年期に、家族の愛情も知らず、友達や周囲の大人との必要な人間関係を築くこともできないまま、命の危険のある最前線に送り込まれてしまった。
このため、生きていくのに必要な社会性や、価値観を身に着けることができないまま、年齢だけ大人になってしまった。



以上が、調べてわかった内容である。

世界の果てのどこかで起こっているこうした悲惨な状況を聞かされても、ほとんどの人は、とりあえず、自分には関係ないと思うだろう。
私もそうである。
安全な日本で暮らせていることに感謝するのみである。
これは、遠くの国の紛争と貧困の話だ。

しかし、地球上に同じ人間として生きているということを考えてみると・・・。
人間としてのまともな生活を送ることができない状況下にある人々がいるということは、「人権」という観点から考えたら、許されない事態であるといえる。

世界には、現在、多くの紛争地域があり、「貧困」に苦しむ国がある。
抱えている問題はあまりにも根が深くて、簡単に解決できることではない。

それでも、そこに目を向けて、何かできることをしようとする人たちがいる
「人道上」、無関心ではいられないのだ。

そのことだけがわかった。


追記:前回の、『世の中を良くして 自分も幸福になれる「寄付」のすすめ』では、書いているうちに、ハッピーな気持ちになれたのですが、今回は、書いているうちに収拾がつかなくなり、どうまとめていいかわからなくなって、苦しみました。
あまりにも重いテーマだな、というのが感想です。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

検索フォーム
リンク
QRコード
QR