「遠い夜明け」 - アッテンボロー氏を偲んで

8月末の昼、テレビをつけっぱなしでソファにひっくりかえっていたら、映画監督のアッテンボロー氏死去のニュースが流れた。
「ガンジー」、「遠い夜明け」の監督だ。

こうした○○氏死去のニュースでは、その人の生前の業績が紹介される。
その度に、ああ、この人の作品だったのかと改めて知ることも多い。
そしてそれは、過去の作品をもう一度掘り起こすきっかけになる。

「遠い夜明け」については、たまたま、夫が南アフリカ旅行をひかえていた7月下旬に、アパルトヘイトについての作品を確認しておきたかったので見たばかりだった。
エンディングでボロボロに泣いた。
「よかった」ので、ブログに書きたいと思いつつ、グダグダとしていて書けないでいた。

きっかけができた。
同じニュースを聞いて、見ようと思う人がいるかもしれないと思い、先を越されてなるものかと、家から徒歩1分のTSUTAYAに飛んで行って、もう一度、借りてきた。
私の行動パターンのせこさである。

(ソチ=オリンピックの時に、「ミュンヘン」が見たくなってTSUTAYAに行ったら貸し出し中だった経験があるのです。
同じ町内に、同じようなことを考える人がいる、とその時思いました。)



「遠い夜明け」
1987年のイギリス映画。
監督リチャード=アッテンボロー(2014年8月24日死去 享年90歳)。

1970年代のアパルトヘイト下の南アフリカ共和国が舞台。
前半は、黒人解放活動家スティーヴ=ビコと白人記者ドナルド=ウッズの交友。
ビコは知的で魅力的な人物だ。演説のうまさ、説得力、さわやかな笑顔。リーダーたりうる素養をもっている。
白人社会を壊そうとは言っていない。白人と黒人が平等な南アフリカを作りたいのだと。
そして、警察が行う暴力をやめさせたいのだ。

しかし、ビコは拘禁され、獄中での暴力が原因で死去。
死因は獄中でのハンガーストとされているけれど。

ウッズは、ビコの死を調査し、それを公表しようとするが、政府、警察はそれを阻止する。
南アフリカの現状を世界に訴えようとするウッズは亡命を決意。
彼の行動を監視する警察。
そこからは、ウッズと家族の脱出劇で、映画としてはハラハラドキドキで、引き込まれていく。

(実は、私は脱獄もの、脱出ものの映画が大好きなのだ。
「脱出もの」というジャンルがあるかどうかわからないけれど。
脱獄ものの最高傑作は.「ショーシャンクの空に」。
「サウンド=オブ=ミュージック」もラストはオーストリアからの亡命だから私の分類では脱出もの。)

話がそれた。

地図で南アフリカを確認して欲しい。周りを南アフリカ共和国に囲まれた内陸国レソトがある。
ウッズはまずここに逃げ込み、家族と待ち合わせ、そこから飛行機でボツワナへ行く計画をたてる。
しかし、レソトからボツワナへは、南アフリカ上空を通過しなければ到達できない。
上空を飛んだら強制着陸させる、と脅す南ア政府。

これを、レソト政府が用意した国連パスポートで切り抜ける。
「搭乗者は、レソト政府の役人1名と国連パスポート所持者7名。」であると。

飛行機のなかのウッズは、万感の思いで南アの国土を上空から眺める。
そして1976年のソウェト蜂起の回想シーン。


エンディングでは、美しい南アの風景の映像の下に、拘置中に死亡した者の名前と死因が字幕で延々と流れる。
死因は首つり自殺、転落死、転倒死...。
明らかに嘘であろうと思われる死因。その数の多さ。

この作品の原題は「Cry Freedom」。
邦題の「遠い夜明け」は、うまいネーミングだと思う。
今、ほとんどの映画のタイトルが、原題をカタカナ表記にしただけのものであることを思えば、このタイトルは、内容と合致していて、象徴的だと思う。
ビコが死去した1977年頃の南アフリカを描いた1987年の作品なのだ。
南アフリカで、マンデラが釈放され、アパルトヘイトが撤廃されるのが1991年。
「明けない夜はない」というけれど、この時点では、やがて夜明けが来る、ということも信じられなかったろう。

林羅山の生き方

今回は、Facebook友達のⅠさんが紹介してくれた本を読んでの雑感です。

『江戸幕府と儒学者』 揖斐高 著     中公新書
   -林羅山・鵞峰・鳳岡三代の闘い

「Ⅰさんが面白かったという本は、面白い。」という品質保証のブランドみたいなものが私の中でできつつあり、今回も、彼のFacebookを見て読む気をそそられ、書店で見つけた突端、購入してしまい、また、はまってしまった。


林家(りんけ)は、江戸幕府の儒官として朱子学を講じた家柄で、「御用学者」というとらえ方をされてきた。

「御用学者」という語は、広辞苑によれば、「学問的節操を守らず、権力に迎合・追随する学者」という意味。
この本は、「徳川の御用学者」とレッテルを張られた林羅山・鵞峰・鳳岡の親子三代が、大坂冬の陣を招いた方広寺鐘銘事件、赤穂浪士の処断、などの出来事に対して、どのような考えのもとで、どのような立場をとったかを検証している。

私の中の勝手なイメージで言うと、朱子学とは権力側の学問で、権力維持のため、秩序を重視する考え方。
これに対して、貧民救済や、世の中を変えようとして、行動を起こしてしまうのが陽明学。
幕末に反乱を起こした大塩平八郎は陽明学者だし、『峠』の主人公、河合継之助も陽明学の影響を強く受けた人物だ。

朱子学より、陽明学の方がかっこいい。
これが、本を読む前の、私の知識&イメージ。

著者は、上記の私のようなとらえ方、つまり通俗的評価に対して、江戸期朱子学や林家は再評価されるべきではないかという思いから、この本を書いた。


林羅山の方広寺鐘銘事件への対応は、後世の学者から、「曲学阿世」の非難を浴びたという。
確かに漢文の文法を知り尽くしている羅山が、「国家安康 君臣豊楽」を「家康を呪詛し、豊臣家の繁栄を願うもの」と解釈したのは曲学も甚だしい。

この本では、大坂冬の陣の発端となったこの事件に対する羅山の対応を、マックス=ウェーバーの理論を使って説明している。
(目的合理的行為、価値合理的行為という用語を使用し、羅山の行為を目的合理的行為に分類している。
漢文の文法にしたがって鐘銘を学問的に適正に解釈したとすれば価値合理的行為。
しかし、羅山は目的合理的行為を選択した。
つまり、「主君家康による王道政治の実現という、儒者羅山が主観的に正しいと考える目的実現のために、曲解を厭うことなく鐘銘批判を行った。」 )

家康にとって、西国の一大名に転落したとはいえ、豊臣秀頼は滅ぼさねばいけない存在であり、大坂冬の陣を始めるための口実が必要だったというわけだ。


でも結局、家康にとって都合のいい解釈をしたってことだよな...。
やっぱり、御用学者ではないか...。
などと、読みながら思った。

いろいろと考えてみて、羅山が目指していたものについて、思いを馳せようと思った。

織田信長・豊臣秀吉によって武力による国家統一がなしえたのち、これを引き継いだ徳川家康は平和な世の中を構築しようとした。
(意地悪な言い方をすれば、「徳川家のための」だけれど。)
そのために必要な国家思想は朱子学であり、林家はそれを支えた。
その結果、江戸時代という約260年間戦乱のなかった時代が現出された。

「御用学者」とか「曲学阿世」とかいわれても、歴史の中で、ちゃんと果たした役割があるではないか。



人は、己の価値観に忠実な生き方をすればよいのだと思う。

学者も、自分の専門分野に没頭する研究者タイプもいれば、弟子の育成に心を注ぐ教育者タイプもいる。
また、権力から距離をおいて客観的・批判的に見つめる立場をとるものもあれば、政権を支える立場をとるもの(竹中平蔵とか?)もいる。

それでいいじゃないかと思えてきた。
(またまた、安易な結論で、まるく収めてしまった...。)

最後に。
晩年の羅山は、『論語』の「吾が好む所に従う」という言葉に辿り着き、万巻の書物を思うままに読破しようとした。
しかし、火災で書庫の蔵書がすべて灰燼に帰し、それを知った羅山は生きる気力を失い、3日後に死亡したという。
わたしも、老後は(もうその段階に入りつつあるけれど)、好きなだけ本を読んで、映画を見て、そしてウォーキングして...、と思っているので、それができなかった羅山が気の毒で仕方ない。

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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