スコットランドの住民投票を終えて   

スコットランドの独立をめぐる住民投票が行われた。

結果は「NO」。

スコットランドは連合王国に留まることが決まった。

この結果に落胆したのはスコットランドの独立賛成派だけで、多くの人は胸をなでおろしたのではないだろうか。
(特に金融市場に関係のある人。)

私の周りでも、「そもそもなんで独立?」「なんのメリットがあるの?」という人が多かった。
スコットランドが独立してしまった場合、北海油田からの税収入を失うイギリスのダメージが大きいのは明らかだが、スコットランド自体もポンドの使用ができなくなり、EUへの加盟も見通しがついていなかったのだから、経済的困難が起きることが予想されていた。

それでも、賛成派が46%の得票を得たということは、それだけ「完全な自治」ということにこだわりがあったということか。

スコットランドではイギリスの保守党政権時代(1979~97)に政府に対する不満から、独立を求める動きが生まれたという。
しかし、独立についての賛否を問うほど、盛り上がりを見せていたとは思ってもいなかった。ノーマーク。(不勉強でした。)

世界史教師をしているので、当然イギリス史も授業で扱っているが、教科書レベルの内容では、アイルランド問題については触れるが、スコットランドついては特別にやらない。
エリザベス1世が死んだあと、スコットランドから王様をもってきてステュアート朝となり、1707年にイングランドとスコットランドが正式に合邦してグレート=ブリテン王国成立、という程度。
1801年にアイルランドを併合して、大ブリテン=アイルランド連合王国成立後は、アイルランドについては、アイルランドの人たちがイングランド人不在地主に地代を搾り取られ、19世紀半ばにはジャガイモ飢饉で100万人もの餓死者をだすという悲惨な状況に置かれていたということについては学習するが、スコットランドについてはとくにない。というか、イングランドとスコットランドをあわせてイギリスという認識。
アイルランドは、ケルト系でカトリックが多いから、民族・宗教が異なるけれど、イングランドとスコットランドは同じアングロ=サクソン系だからひとくくりでとらえていた。



今回の問題は、おもに経済的なことについての地域間格差からくる不満だったのか、民族主義的なことからくる連合王国からの分離の欲求だったのか、私はよくわかっていない。

ここで、話は変わってしまうのだが、イギリスが失敗したとされている、「多文化主義、移民政策」について考えてみたいと思う。

「多文化主義」とは異なった文化の共存を積極的に認めようとする考え方である。
現在、世界の中で明確に多文化主義の立場をとり、成功しているのがカナダとオーストラリア。
カナダでは1988年に多文化主義法を成立させ、この考え方が根付いている。

イギリスやその他ヨーロッパの国でも多文化主義の考え方が導入されたが、イギリスやドイツでは、これとは逆の単一文化主義への回帰が見られている。
なぜか。
イギリスでは、労働力の不足から、それまでの抑制策を転換して、2000年に移民政策が緩和された。
その後の10年であっという間に移民が増え続け、ロンドンでは、生粋のイギリス人は45%になってしまった。
特にアラブ系の移民が多いという。
もともとロンドンに住んでいるイギリス人たちが、自分たちの文化が脅かされる、と感じるのも無理はないだろう。

これだけグローバル化し、一つの国の中に様々な国からの人々が流入してきている世界の状況を考えた時、私は、あるべき姿は「多文化主義」であると考えていた。
異なった文化に対しても寛容に認めそれぞれ共存していく。その一方で、自民族の文化についても誇りを持ちそれを継承していく。さらに、福祉、安全など、国家からの恩恵を受けているのだから所属する国家に対する帰属意識を持つ。
単一民族国家というのは存在しえなくなり、国家が多数の民族の混成という状況で成立せざるを得ないのだから、目指す方向性としてはこうだと思っていた。

しかし、考えてみると、「多文化主義」が成功しているのは、カナダとオーストラリアという国土も広く、その割には人口が少なく、移民の受け入れの余裕のある国だけだ。
ドイツのように外国人労働者により自国民の職が奪われるような問題を抱えている国、スウェーデンのように今まで高い税金を払い続けてきたのに、それにより受けられるはずだった恩恵を後から入ってきた移民の人たちにもっていかれてしまった国では「多文化主義」は批判されている。

そして同様のことがイギリスでもいえる。
こうしたことを抱えている一方で、今回のスコットランドの「独立」をめぐる動き。
イギリス、さらに世界はどういう方向に進んでいくのだろう。

報道されているニュースからは、スコットランドの人たちは、この住民投票を冷静にとらえ、結果が出た後も、賛成派と反対派のしこりを残すことがないように、酒場などで盛り上がっていたように見えた。
85%という高い投票率は、スコットランドの人たちがそれだけみんな真剣に考えたということでもある。
また、「独立」をめぐるこの動きに対して、一切の武力は行使されることなく、住民投票という極めて民主主義的な方法が採られた。さらに1票でも賛成票が反対票を上回れば独立を認めるという前提で投票が行われた。
このことは称賛されてよいのではないかと思う。
(万が一、結果が「独立」になっていたら、キャメロン首相は激しく批判されただろうけれど。)




スコットランドの住民投票の結果がまだ出ていない9月18日、娘からノーテンキなメールが届いた。
「スコットランドはどうなったのかしら?メルギブソンのブレイブハートを思い出すよね!ついにフリーダームの時が来るのかしらね。」

ここで、この映画の話をすると、この映画が、スコットランドの民族主義を煽る要素を持っているため、話はややこしくなり、論点がなんだかわからなくなってしまうのだが、このメールを見たとたん、すっかり忘れていていたこの映画のことを思い出した私は、その日の仕事帰りにまたTSUTAYAに寄ってしまった。
見始めた時、約3時間という長い作品であるので、自分がおそらく早送りという動作をするだろうなと予想していたら、なんと最後までじっくり見入ってしまった。
結末はわかっているのに「フリーダーム!」のところでまた泣いてしまった。

(このブログは世界史にからんだ本や映画の紹介ということで始めたものなので、今回もその目的に沿います。
なんだか付け足しのような書き方ではあるけれど。)

「ブレイブハート」1995年のアメリカ映画。
 メル=ギブソン主演・監督。作品賞、監督賞などのアカデミー賞受賞。
 13世紀、イングランド王エドワード1世の暴政に対して独立のために戦った、スコットランドのj実在の人物ウィリアム=ウォレスを描いた作品。

やっぱりこの映画、好きだな。
圧制への抵抗、屈しない心。
中世のスコットランドにはこのような歴史があった。
偏狭な民族主義に陥ってはならないが、自民族の誇りをもつことは大切だ。

『インビクタス/負けざる者』 大統領になってからのマンデラ

前回のブログを「次回はインビクタスについて書きます。つづく」で終わらせた。

これは、ブログをやっている人から教えてもらった入れ知恵で、「つづく」で終わらせて読者を引っ張るという手法だ。
日記ブログも「ではまた明日。」で終わると、翌日も書かなくてはという気持ちが働いて、継続するのだそうだ。
(私は日記ブログをやるつもりはないが。)

真似してやってみた。
誰も期待なんかしていないし、私が勝手に書いているだけなのはわかっているが、クソ真面目な性格の私は、この「つづく」という言葉により、「続きを書かなくては、」という、義務感を持ってしまう。

自分自身を縛るという意味では意外といいかもしれない。

しかし、そういう時に限って、身内に具合の悪いものが出て、そちらに顔を出さなくてはならなくなったり、締め切り付きのパソコン仕事が転がり込んだりして、ゆっくり文章を書く余裕が生まれない。

やっと、書き始めることができた。(以上、近況。)
さて、本題です。

「インビクタス/負けざる者たち」2009年のアメリカ映画。
監督:クリント=イーストウッド
出演:モーガン=フリーマン(ネルソン=マンデラ)
   マット=デイモン(ラグビーチームの主将フランソワ=ピナール)

クリント=イーストウッド監督作品には、「硫黄島からの手紙」、「ミリオンダラー・ベイビー」など、今後、このブログで書いてみたいと思うものが数多くある。
モーガン=フリーマンは、上記「ミリオンダラー・ベイビー」(これは主演クリント=イーストウッドの存在感の方が圧倒的だったけれど)や、私の好きな映画№1の「ショーシャンクの空に」など、彼が出演している映画は面白いこと保証付き。ほんとに味があり深みがある名優だと思う。
そして、マット=デイモンは、「プライベート=ライアン」でのトム=ハンクスとの共演、「グッド・ウィル・ハンティング」でのロビン=ウィリアムズとの共演、そしてこの作品でのモーガン=フリーマンとの共演と、名優との共演が多数ある。心ある大人に接することで成長していく若者、そんな役どころがぴったりの俳優だ。(「幸せへのキセキ」では父親役を演じる年代になってしまったけれど。)



この映画は、大統領になってからのマンデラの話である。

マンデラというと、どうしても「27年間の獄中生活を経て~」という言葉がついて回る。
なので、勝手にその部分から始まるのだと思っていたので、映画の冒頭の部分で、釈放時の本物のマンデラの実像フィルムの後、スーツを着たモーガン=フリーマン扮する大統領になったマンデラが登場したとき、違和感があってなじめず困った。

本物のマンデラの少し細い目でやさしく微笑んでいる顔になじみすぎていたので、モーガン=フリーマンがモーガン=フリーマンにしか見えず、マンデラに見えなかったのだ。

しかし、やはり、モーガン=フリーマンは名優だ。
(しかも、マンデラ役は:モーガンにというマンデラ本人の希望もあったという。)
彼の演じるマンデラの世界に引き込まれていった。



今までの私は、マンデラという人物が、27年間という気の遠くなるような長い年月を、絶望的ともいえる状態の中で、どうやって希望を捨てず、強い精神力で耐え抜いていったのだろう、ということばかりを考えていた。
(そのこと自体、感服せざるを得ないことだと思う。)

しかし、もっと大事なのは、大統領という権力を手にしてからのマンデラのやり方だ。

大統領になったマンデラは、就任初日、前政権の職員だった白人を慰留する。
「新しい南アフリカをつくるために協力してほしい。あなたたちの協力が必要だ。」

ボディーガードもだ。

前政権のデクラークは、マンデラと協力しあい、アパルトヘイトの撤廃に尽力した人物であるとはいえ、その時点でのボディーガードの任務は反抗する黒人から大統領を警護するということだ。

黒人にしてみれば、警察は、「俺たちを殺そうとした連中」なのだ。
そして実際、「大勢、殺された。」

それを、マンデラは協力し合って任務に着けという。

「過去は過去なのだ。我々は未来を目指す。和解の在り方を見せるのだ。」
(言えそうで言えないセリフだと思う。)

「赦しが第一歩だ。赦しが魂を自由にする。赦しこそ恐れを取り除く最後の武器なのだ。」
(うーん。すごい。)

言葉は単なる文言ではない。
言葉は魂である。
語る人間の人格、経験その他すべてをトータルした魂が言葉に込められる。

(こういうセリフって、インプットしておいて、何処かで使おうなんて思っても無駄だな。
使おうなんて思わずに、自分の心のなかにしみこませておこう。)



映画は、1995年に南アフリカで開催されたラグビーワールドカップを背景に、ラグビーチームのスプリングボクスの主将ピナールとマンデラの交流を軸に展開していく。

スプリングボクスのメンバーたちも、黒人の子供たちにラグビーの指導をするために貧困地区を訪れたり、マンデラの収監されていたロベン島を訪れることで、黒人に対する差別的な考え方から少しずつ解放されていき、マンデラという人物の大きさに感化されていく。

この映画、後半はスプリングボクスが勝ち続けて、イケイケどんどんのスポーツものみたいなノリになっていく。
大まかなストーリーはそういうことなのだが、細部にこだわってみると、クリント=イーストウッド監督の表現方法のうまさに感心させられる。

例えば、白人のスポーツであったラグビーを表現するために、その隣のグラウンドで黒人の子供たちが裸足でボールを追っかけてサッカーをしている場面を使って対比させているところ。

早朝の散歩で、ボーディ―ガードから家族のことを聞かれたとたん、散歩をやめてしまうマンデラ。南アフリカという国、あるいは世界にとって偉大な人物マンデラでも、プライベートでは悩みを抱えていることがわかり、一人の生身の人間としてのマンデラも表現されている。

ストーリーとは外れてしまうが、この映画をみる上で、この国の国旗と国歌について知っていると、さらに細部がよくわかり面白い。それについても書きたいのだが、長くなりすぎたので、今回はこの辺で。


夫の南アフリカ旅行

8月上旬、夫が南アフリカに行ってきた。

一橋大学の米倉教授主催の「南アフリカ最新事情視察」というツアーへの参加だ。

夫は今年6月で、長年勤めた会社を定年退職した。
再就職先の勤務が開始になるまでの期間とこのツアーの日程がうまく合った。

彼にとっては就職して以来、初めての長期休暇(というか無職期間)。
人生の再出発にあたって、リセットのための旅だった。

そして、ネルソン=マンデラの足跡をたどるこの旅は、彼の心の在り方を大きく変えたようだった。

それほどマンデラは偉大だ。

いまさら説明するまでもないけれど、27年間の獄中生活経て、黒人指導者として、アパルトヘイト撤廃を勝ち取った人物。

アパルトヘイトの撤廃が1991年。
そこに至るまでの間、特に1980年代の南アフリカは、アパルトヘイトをやめないことに対して世界中から非難を浴びていて、経済制裁を受け、スポーツの世界からもしめだされていた。

1984年のロサンゼルス=オリンピックの時、南アフリカの天才少女ランナーのゾーラ=バットがイギリス国籍をとって出場し、しかも不幸なことに競技中にアメリカ選手と接触、転倒させるというアクシデントをおこし、会場中からブーイングを浴びたのを思い出す。

今となってはあえて取り上げていうほどのこともない過去の出来事となってしまったかもしれないが、当時の様子を象徴する出来事だったと思う。
(すみません、私は陸上オタクなのです。)

世界中から非難を浴びていたのに、南アフリカはアパルトヘイトをやめることができなかった。
アパルトヘイト諸法という法律があるから、白人優遇社会を保っていられる。
たとえば、白人専用の公園に立ち入った黒人を法律違反で逮捕できる。
抗議行動を起こす者に対して、裁判を行わずに拘置措置をとることができる。
この法律を撤廃してしまったら、黒人を取り締まることができなくなる。
それが怖くて、撤廃できなかったのだ。

マンデラは白人大統領デクラークと協力し合い、話し合いを重ね、撤廃にこぎつける。
黒人たちに一切の報復はさせない、ということを約束して。

黒人たちにしてみれば、白人に対する恨みのおおきさは、水に流せるようなものではなかったろう。
仕返しをしてやりたい気持ちは、ごく自然に心の中にあるはずだ。
しかし、仕返しをしても、前には進まない。
過去を振り返るな、前だけ見ろ!

すごい。
これに至るまでの心の経過はどんなものだったのかと想像するだけで、平伏してしまう。

マンデラの心の在り方、指導者としての考え方、取り組みを思った時、日常の些細なことにすらすぐに腹を立てる自分の心の狭さを反省させられる。

人は、他者からひどい仕打ちを受けた時、まずは相手を怨む。
仕返しを実行しないまでも、相手に謝罪を求めるか、自分が傷ついたのだという事実を相手に知らしめたいと思う。
あるいは、へこたれずに事を成し得ることで、どうだ!すごいだろ!とばかりに相手を見返してやろうとする。

しかし、マンデラの場合、そんなことは突き抜けている。
そこには、27年間という、長い長い、考える時間があったのだろう。

目的は、恨みつらみをはらすことではない。
見返してやることでもない。
どうしたら、南アフリカが抱えている問題を解決できるか、なのだ。

すぐに「被害者意識」にとらわれる現代人。(私自身のことです。)
不平・不満の偏狭な思考のドツボにはまってしまったら、マンデラを思い起こして見よう。
(と、思っています。)



この旅では荒天によるフェリー欠航のため、マンデラが約17年間収監されていたロベン島の監獄を見学することができなかった。
そのことは、本当に残念だった。(自然条件なのだから仕方ない。)

しかし、実際に南アフリカまで行って、マンデラの足跡にふれたこの旅は、夫にとって、人生の中での宝物となったようである。



旅行前に、ツアー参加者に送られてきたのが
「ネルソン・マンデラ  未来を変える言葉」   長田雅子訳  明石書店
という本。

ありがたい本をいただいたと思っている。
名言集なので、アトランダムにページをめくって楽しんでいる。

自分の心が不安定な時、言葉が身にしみる。
何をしたらよいのか途方に暮れるとき、勇気づけられる。

さらに、旅行前、ツアー参加者に米倉先生が出した課題が、映画「インビクタス」を見ておくこと。

南アフリカに行くなら、そのくらいの準備はしておかなくてはね。
次回のブログでは、「インビクタス」について書きます。
                               つづく



プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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