『大脱走』    何度でも、何度でも。

引き続き、「脱出モノ」について。

「脱出モノ」の古典的名作と言えば、「大脱走」でしょう、という御意見をいただいた。
しかも、「遠い夜明け」の監督のアッテンボローが重要な役どころで出演している。

そう言われてしまうと、ブログなるものを始めてしまった行き掛かり上、これについても書かねば、とつい思ってしまい、早速、TSUTAYAへ。


『大脱走』
1963年のアメリカ映画。

「脱出モノ」の面白さは、それが成功するかどうかのハラハラドキドキ感にある。
そして、脱出が成功したときの安堵感、達成感に満足して映画を見終えることにある。

そういった意味では、「脱獄モノ」の名作「大脱走」は、「脱出モノ」としては一風変わった映画だ。
明るい曲調の「大脱走のマーチ」が流れるせいか、終始一貫、のどかな雰囲気すらあり、ほとんどハラハラしない。
しかも、見ていて気分がよいのだ。

それが何故なのかを考えてみた。

何故、見ていて気分が良いかは、まずは、トンネル掘りのチームワークの良さだろう。
みんなが役割分担して、協力し合っている。
さらに、トンネル掘りの名人でありながら閉所恐怖症のダニーや、視力が落ちて目が見えなくなってしまったプライスなど、足手まといになりそうなメンバーも見捨てずに、かばいながら脱走するところがいい。

では、何故ハラハラしないのか?

それは、この大脱走が、それぞれが逃げのびて成功するかどうかではなく、脱走という行為そのものに目的があるからだろう。

どういうことかというと。

これは、第二次世界大戦中、ドイツ北部の第三捕虜収容所で、連合空軍の捕虜が大脱走を計画し、実行する話。

当時、1929年に結ばれた、「捕虜の待遇に関するジュネーヴ条約」があった。
それには、捕虜に対して人道的待遇をする義務などが含まれていて、脱走する捕虜を殺害してはいけないとされていた。

(日本はこの条約に批准していない。
しかも、1941年、陸軍大臣東条英機が示達した、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という戦時訓があり、兵士の投降は厳しく戒められていて、日本軍の兵士には、捕虜になるくらいなら、自決か玉砕を選ぶという考え方があった。
このあたり、当時の日本軍兵士とヨーロッパの戦線での兵士では、大きな考え方の違いがある。)


脱走する捕虜を殺してはいけない。(実際はともかく、そういうルール。)
だから、捕虜は脱走しても殺されない。
脱走捕虜の再収容には多大な兵力と時間が費やされる。

だから、バートレット(リチャード=アッテンボロー)をはじめとする捕虜は、敵の後方を攪乱するために、何度でも脱走を繰り返す。

捕虜は、のんびりと収容所生活を送っていればよいというわけではないのだ。
脱走は全将兵の義務。
それが前線で戦えない捕虜に残された唯一の任務なのだ。

バートレットは大規模な脱走計画をたてる。
トンネルを掘って、収容所を脱出し、200~300名をドイツ中に散らす、というもの。

そして、この計画が実行された。
トンネルを抜け出た後のメンバーは、てんでに行動する。
列車に乗るもの、自転車を奪うもの、川にでてボートに乗るもの…。
はじめ、なんでこんなにばらばらな行動をするのだろう、と思ったが、まさにこれこそがこの大脱走の目的。
脱走を成功させるに越したことはないが、それ以上に、できるだけ、長く逃げ延びて、敵を翻弄することが目的なのだ。

圧倒的にかっこいいのがオートバイで丘を駆け抜けるヒルツ(スティーヴ=マックウィーン)。
やはり、大スター。見ていてしびれます。


彼らには、捕虜として、収容所でおとなしく暮らして、終戦を待つ、という選択もあったのに、みんな、そうはせず、精いっぱいの抵抗をする。

しかし、多くは、ドイツ軍の執拗な追跡に屈する。
護送されるトラックの荷台の幌のなかで、バートレットがつぶやく。
「多くの部下に犠牲を強いたのかな…。」
すかさずマックが否定する。
「みんな、自分の意志でやったことだ。ここまでやれたのは君の力だ。みんないい仕事ができた。」

そして、この映画のキモとなるのが、丘の上で、バートレットがいった言葉だろう。
「組織作り、トンネル作業が私の生きがいだった。いま思うと、幸せだった。」



プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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