またやってしまった。。。

先日、「ペリカン便」なる送信元からのメールを受け取った。

「お客様宛の配送物をお預かりしています。
再配送の受付が下記より可能となっていますのでご確認ください。」とあり、URLが付されていた。

そもそも、「ペリカン便」なんて、もうないんだよ、気がつけよ!
という話なのだが、やってしまった。

「おかしいな」という感覚はあったのだが、URLを開くと、配送番号なるものが表示されていて、そこに自分の氏名を入力するようになっていた。
そして、つい、無意識に入れてしまった・・・。

・・・。やっぱりおかしい。
「ペリカン便 偽メール」で検索したら、やっぱりそうしたものが横行しているとのことだった。
その後、不審なメールが多数、送信されてきた。
内容としては、2000万円送金したから受け取れとかいうことらしい。
(開いてないから読んでないけど。)
これで間違って、URLを開いてしまうと、お金を受け取るための手数料がどうちゃらこうちゃらということで、お金をだまし取られるらしい。

さすがに、もう2度と開かないから、結果的に実害はない(と思う)のだけれど、本名を入力するという馬鹿なところまではやってしまったから、「引っかかりやすい人」リストに載ってしまったかなと思うと悔しい。
しかも相変わらず送り続けてくる大量のスパム。
結局、メールアドレスを変更することにした。
こんなことで手間暇かけさせられるのも癪に障るがFacebookもメーリングリストもこのアドレスで登録していたので、アカウントの変更もした。
あー、面倒クサ!!
まあ、前向きにとらえるしかないので、こういう作業もたまにはやらねば忘れてしまうから、「訓練」と思うことにした。

恥をさらすようだけれど、私は、2年ほどまえにも、悪徳サイトにやられてしまっている。
My PC Backup とかいうやつだった。
送信元の安全が確認できていないのに、「インストールしますか?」の表示に対して、何も考えずに、「する」をクリックしてしまったのが間違いだった。

さあ大変。
びっくりするような数の「ウイルスが検出されました」という表示が出て、さらに「お客様のパソコンが危険な状態です」という人の不安をあおる警告表示。そして、セキュリティーソフト(もちろんこれもニセ)を購入させるという詐欺。
なんだかわけのわからぬまま誘導されて、購入してしまった。
ウイルスではなく、無意味なソフトウェアなので、入れてしまったものをコントロールパネルから削除することで解決し、パソコンは無事だったけれど、無駄なお金を使ってしまった。というか、だまし取られてしまった。

これを職場で話したら、
「へ~、あんなものに引っかかる人、いるんだ!」
「・・・。」
「こういう人って、また引っかかるんだよね~。」
と、まあ、ひどい言われよう。かなりへこんだ。
なんと馬鹿にされようが、私が悪いんで、仕方ありませんが。


こういう話って、自分の無知をさらけ出すようなものなので、黙って知らん顔していた方が賢明なのだろうけれど、あえて告白しました。

皆様、お気を付け下さいませ


で、思うこと。
性善説の立場をとりたい私ではありますが、ネットというものに関してだけは、「性悪説」で臨まないといけない、ということを悟りました。
人をだます奴がいる。
ネット上では、だます方もだまされる方も、顔が見えない。
知らない相手だから、だます方も気がとがめないのだろう。
大量に詐欺広告を流しているから、その中のわずか数パーセントが引っかかっただけで、儲かるのだろう。
多分、「ひっかかった奴がバカ」、くらいにしか思っていない。
引っかかった方は、自分の馬鹿さ加減にあきれる。
そして、自分を責める。
インターネットに関する知識のなさを恥ずかしいことだと思ってしまう。

だます奴が悪いのであって、こちらは善良な市民だ!とは思うのだが・・・。

ネット社会全体の対策としては、どうしたらよいのかは、見当すらつかないけれど、個人レベルで言うなら、失敗談などの情報を得ることで賢くなっていくしかないか、と思ったので、前向きにアホ情報を提供しました。

不確かな送信元は疑ってかかりましょう。

『アメリカン・スナイパー』をみて思ったこと

『アメリカン・スナイパー』
2014年のアメリカ映画。監督:クリント=イーストウッド。
イラク戦争に4度従軍したクリス・カイルの自伝をもとにした作品。

映画を見るときに、全く何の情報もなしにいきなり見始めるということは少ないだろう。
何を題材にした作品で、監督はだれで、というくらいの情報は仕入れておいてから見る。
それは先入観を持ってみるということにはならないと思う。
必要情報だ。

クリント=イーストウッドは監督として、すでに高い評価を得ている。
つまり、まともな人。
また、日頃の言動では、「反戦」の立場をとっている。
そして、この作品は、実話だ。
これらは、この作品の大前提として重要であると思う。

戦争を舞台にしたフィクションは数多くあるけれど、それが一兵士の戦い方の物語であった場合、フィクションだということはイコールつくりもの、ということになってしまう。
だから、実話であるということの重みは大きい。
また、見る人を感動させようとする意図が見え見えの作風や、説教くさい要素が入っているものは、見終わったあと、心のどこかに、うずうずとした否定的な気持ちがわいてきたりする。

この作品は、余計な感情を入れず、淡々と、できるだけ事実に近いように描こうとする手法をとったものなので、逆に考えさせられる。
さらに、「え?」「・・・ん?」。「これで終わりなの・・・?」
とつぶやきたくなるような終わり方で、「この映画はいったいどういう立場の映画なのか」と考えながら劇場を出て、帰る道々、まだ、考えてしまっているというあたり、私は見事にイーストウッド監督の術中にはまってしまったのだと思う。

この映画は現在、劇場公開中なのでテレビでもコマーシャル映像が流されている。
キャッチコピーは、「この男、英雄か悪魔か。」

見る気をそそるキャッチコピーではあると思うけれど、そのどちらでもないと思う。
クリス・カイルは一兵士である。


映画を見終わってから、原作の自伝ではどのように記述されているのかが気になって、原作本を買ってしまったので、そこから少し引用する。

しょっちゅう訊かれる質問がある-そんなに多くの人間をイラクで殺して気がとがめないものか?
私はこう答えている。「少しもとがめない。」
(中略)自分や同胞たちが殺されないために敵を殺し続ける。殺す相手がいなくなるまで殺し続ける。
それが戦争というものだ。


現場の兵士は、あえてこういう感覚になるように心をコントロールしてしまうのだろう。

この映画を見て、一番感じたことは、戦争は人を変えてしまうということだ。
戦場に一歩足を踏み入れた者は、平和で安全で快適な都市生活を送っているごく普通の人々(私自身のような)には、到底理解しえない世界に行ってしまうのだ。

それが、愛する妻と子供がいるクリス・カイルが、なぜ、4度もイラク戦争に行ったのか?の答えになると思う。
戦場を体験した者は、いったん無事帰還しても、仲間がまだ戦場で戦っているという状況が継続している限り、自分だけ安全な場所にはいられない、再び、ともに戦わなければという思いに駆られてしまうのではないか?

そしてこれも戦争によるPTSDだと思う。
戦争から帰還した兵士のPTSDがどれほど多いか。
クリス・カイルのような一見、英雄、勝者と思われるような兵士でも、心は傷ついているのだ。

この映画は大半がイラク戦争における戦闘シーンであり、ラストには、クリス・カイルの葬送の記録映像が流される。
一見、イラク戦争で勇敢に戦った兵士を称賛した映画のようではあるが、テーマは、戦争から帰還した兵士のPTSDなのだと私は思った。

無私の人。 吉田松陰とシモン=ボリバルの共通点

「吉田松陰とシモン=ボリバル」について書いてみようと思う。
まったく、脈絡のないこの2人を突然挙げてみても、何の共通点があるのか?と思われてしまいそうだが。

勝手ながら、歴史の教師をしている自分の生活上にたまたま出てきただけ。
前者は自分が見ているテレビ番組の登場人物であり、後者は世界史の教材つくりのために調べ物をしているうちに興味がわいた。
この2人を結びつけるつもりなどは全くなかったのだが、「似ているなあ。」と思う部分があり、それについて書いてみたくなった。


吉田松陰は、幕末の長州藩で、久坂玄瑞、高杉晋作らを育てた。
現在放映中のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公の兄なので、知名度は抜群。
(信長、秀吉、家康ほどではないけれど。)
一方、シモン=ボリバルは、世界史の受験生ならば、「知らなければまずいぞ」というレベルの人名で、教科書に必ず載っているラテンアメリカ独立の指導者であるが、この地域にあまりなじみのない日本では、あまり知られていない名前だろう。


『花燃ゆ』は、初回の視聴率が芳しくなかったようだが、そんな数字に振り回されることなく、じわじわと若い人たちの間で、ファンが増えてきているという。

なにより、吉田寅次郎(のちの松陰)を演じている伊勢谷友介がいい。
実は、私は、初回からかなりしびれている。

人はなぜ学ぶのか? 
職を得るためでも、出世のためでもない。人に尊敬されるためでもない。
己のため、己を磨くために学ぶのだ!」
というセリフを言った時の吉田寅次郎を演じる伊勢谷友介の目の輝きが素敵だった。

吉田松陰とはどのような人物か。
人の心は善。真心をこめて人と向き合えば、思いは必ず伝わるはずだ。」
というあたり、性善説の立場をとる私は、共感する。
しかし、それが度を越しているというか、「この人、アホか。」と言いたくなるくらい、人に対して悪意を持たないし、思ったことを行動に移してしまう。

そして、黒船に乗船して密航しようとした。
日本の将来を案じたためとはいえ、本当に黒船に乗ろうとするあたり、「正気か?」と思ってしまう。
国禁を犯したしたことになるその行動により、萩の野山獄につながれる。
が、そんなことではへこたれない。ここでも、牢につながれている人たちとの間で勉強会を始めてしまう。
天性の楽天家なのか?
のち許されて蟄居の身となり、松下村塾を開き、幕末の志士を育てた。
しかし、安政の大獄で死罪・・。


長州藩きっての秀才で、若くして長州藩兵学師範になった。
早くからその優秀さは認められていたのだから、そんな無茶をしなくても、安定した生き方ができたであろうが、損得勘定、世渡り、保身・・などの言葉とは、無縁の人だったのだろう。


一方、シモン=ボリバル。
スペインの植民地であったベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビアを独立に導いた指導者である。
(その功績についてはどの教科書にも載っているが、彼の人生について触れているものはない。まあ、そんなことまで書いていたら、教科書が何ページあっても足りないわけだけれど。)
ベネズエラの富裕な地主層の家に生まれたが、自分の農園の奴隷を全て解放し、農園や鉱山を売却して解放戦争の資金にするなど、私財のすべてを投じて活動を続けたために、死の直前はほとんど何も残っておらず、シモンの死によって、ボリバル家は完全に没落したという。

Wikiで調べていたら、彼の名言が載っていた。
私は自由と栄光のために闘ってきた。しかし、個人的栄達のために闘ったことはなかった。」

このあたり、幼い時に叔父玉木文之進に、「己を捨てよ。公のために生きよ。」と厳しく教えられた松陰の価値観と共通するものがあるように思う。

ボリバルの言葉に、「歴史上、最大の馬鹿者三人は、イエス=キリストとドン=キホーテと私だ。」というのも載っていた。(ドン=キホーテは歴史上の人物ではないけれど。)

私財を失ってしまった自分の人生を自嘲して言った言葉だ。
しかも、彼がまとめあげた大コロンビア共和国は、地域間対立により3国に分裂してしまうなど、彼の思い通りにはまとまらず、失意のもとで死んだという。

松陰も同じようなところがある。まだまだ志半ばというところで安政の大獄が起こり、人生を刑死という結末で閉じる。

でも、この二人、自分の人生に後悔はしていなかったのではないか。(と思いたい。)
やりたいことはやった。
結果はどうであれ、そのことには満足して死んだ。(と思いたい。)

吉田松陰の辞世の句
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

彼の遺志は、幕末の志士たちに引き継がれた。



もう少々、自分の人生計画とか、老後の心配をしても良いのではないかとも思うけれど、こういう、無私の人たちが歴史のなかで何らかの役割を果たしてきたのだろうな、と思う。

実際、松陰の育てた幕末の志士たちは、必死で考え、行動し、明治維新を成し遂げた。
おかげで、帝国主義時代に突入していた世界情勢の中にあって、日本は植民地化されることなく、近代国家としての歩みを進められた。

最後に、もう一つ、余計なひと言。
松陰の実家の杉家の人々の明るさ、おめでたいと言いたいくらいの、「いい人」っぷりに感動。
こうした家庭環境のもとで、松陰のような人格が育成されたのだと思った。

ザ・プロファイラー  「ポル・ポト 姿なき独裁者」  岡田准一くん、いいぞ!

NHKの「ザ・プロファイラー」という番組でポル・ポトを取り上げていた。
(BSプレミアム 2月18日(水))

ゲストの田原総一郎が「ポル・ポト、関係ない、ではなく、是非、若い人たちに、何があったのかを見て欲しい。」といっていた。

同感。
よその国の、40年ほど前の出来事である。
若者にとっては知らん、興味ない、関係ない、出来事だろう。
が、これを取り上げ、考えてみることで、見えてくるものがある。




カンボジアでは1976~79年の間、ポル・ポトなる人物が政権を握り、今から思えば信じられないようなメチャクチャな政策を行った。

彼が目指したのはだれもが平等な共産主義社会の建設。
しかし、そのために行ったのは、都市民を農村へ強制移住させ、そこで強制的に農作業をさせるというものだった。
(都市民はある日突然、着の身着のまま、都市から追い出された。逆らうもの、足手まといになる病人などの弱者はその場で射殺された。)


幾つかのキーワードがある。

国民総農家。(ちょっと考えただけでも、農業だけで国家が成り立つはずはない。)

貨幣経済の否定。(この現代社会で、配給と物々交換でやっていけということか?)

文字を読めたら処刑。(つまり、文字を読める教師・学者、医者などの知識人の排除。こうした知識人が、このとんでもない政権に抵抗してくるがわかっていたからだろう。)

「子ども医者」。小児科医ではない。医者を殺してしまったために医者がいなくなってしまったから、子供に医者をやらせた。(無資格のものが医療行為をやったら犯罪だろう!)

家族の解体。(本来なら、善悪の判断など、人間としての最も基本的なことは、幼い時にまともな親から教育を施されなければならないと思う。家族の解体とは、子供を親から引き離し、わけのわからぬ革命理論を子供に刷り込むためのものだ。)


反対派の粛清による犠牲者、病気・餓死などの犠牲者は100万人とも200万人とも言われている。(当時のカンボジアの人口は約300万人だったから、人口の3分の1以上が犠牲になったということだ。)

番組では、ポル・ポトとはどんな人物で、なぜ、このようなことが起きてしまったのかということを追跡していた。

そのポイントとして挙げていたのが以下の3点。
1.ウソだらけのプロフィール。
2.めだたない記念写真
3.大虐殺の引き金となったつぶやき -「責任をとるべきものがいる」


詳しく説明しなくても、上記の3点を読んだだけで、だいたいの想像がつくと思う。

実際、私は、ポル・ポトの顔写真を見たのはこの番組が初めてだった。
影の実力者で、公に姿を現さなかったからだ。
前面に出て、すべてを受けて立つのではなく、陰で人を操る奴は卑怯だと思う。

そして経歴。どんな経歴なのかも、当時からよくわからなかったけれど、そもそも言っておいたことがウソだったのか・・。

3番の言葉は、まさに「人のせい」。
「責任をとるべきもの」は、ポル・ポト、お前だろう!


なぜ、こんな人物がうまれてしまったのか。

豊かな生まれで、高等教育を受けることができたのに、そこで味わったのは、「劣等感」。
パリに留学するチャンスに恵まれたのに、そこでも味わったのも、「劣等感」であったという。

普通、人は劣等感をバネにして成長していくものなのに、この人物の場合、それが「エリートへの憎しみ」に向かって行ってしまった。



山間部で勢力を拡大した武装集団が、ある日突然、都市を襲撃して、都市民を農村に追放する、という事態を想像してみよう。
逆らえば殺される。
無防備な都市民は逃れようがない。


私は、この番組を見ているうちに、日本のオウム事件を思い起こした。
規模も状況もまるで異なるものではあるけれど、めちゃくちゃぶりは共通している。
日本の場合、成熟した市民社会が成立しているから、オウム真理教が1990年の衆議院総選挙に大量立候補した時も、当選者を一人も出すことはなかった。(全員落選。)
しかし、この教団が、山梨県上九一色村という日本の片隅でサリンという猛毒を製造していたことに気づくことはできず、1995年3月に地下鉄サリン事件が発生してしまった。
幸い、この教団がポル・ポトのように勢力を拡大する前につぶすことはできたが。



そして思う。
こうした信じられないような恐ろしい出来事の原因を細かく追及していくと、根底にあるものとして共通するのは、「劣等感」「憎しみ」といった、人間の持つドロドロとした感情に行きつくということだ。

人間の「心の闇」に焦点を当てたこの番組。考えさせられました。



追記:
ポル・ポト政権下のカンボジアを舞台にした映画に『キリング・フィールド』がある。
(TSUTAYAに借りに行くときは、『キリング・フィールズ』という紛らわしい作品もあるので間違えないようにする必要がある。)
アメリカ人ジャーナリストとカンボジア人通訳との友情が描かれていて、ラストで流れるジョン=レノンの「イマジン」で泣いてしまう。
上映時間141分の大作なので、興味のない人にはお勧めできないけれど、ポル・ポト政権下で起こった悲惨な状況、そんな中でも生き延びていこうとする主人公のたくましさが描かれていて、私の中ではベスト10に入る秀作です。

そして、もう一つ。最近の岡田准一くん、本当に輝いています。番組での真摯な態度に好感が持てるし、何より、彼は勉強家なのだと思う。いいぞ!
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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