歴史用語の引用と「炎上」

まずは本の紹介から。
『ナショナリズムをとことん考えてみたら』   春香クリスティーン著  PHP新書

タレントの春香クリスティーンさんが、テレビ番組の発言をきっかけに、「ネトウヨ」からバッシングされ、「炎上」を経験した。
彼女は、そこから、自分で考え、識者からの話を聞き、「右とは?」、「左とは?」、「ナショナリズムとは?」・・・、と真摯に考えて、この本にまとめた。
非常にわかりやすく、読みやすく、また、彼女の態度に非常に好感が持てた。
「いい本」です。

「炎上」のきっかけとなった、「ヒトラー発言」とはどのようなものであったかというと、
2013年12月26日の安倍首相の靖国神社参拝について、テレビ番組のコメンテーターとして、以下の発言をしたことだった。

「海外でやっぱりこの問題と比べられるのが、もしもドイツの首相がヒトラーの墓参りをした場合、ほかの国はどう思うかということで議論されるわけですけど。難しい問題ですよね。」

これは、春香さんの意見ではなく、ネットで実際に目にした外国人のコメントを紹介しただけなのだけれど、これに対する反発が殺到し、彼女がブログのコメント欄は大荒れになってしまい、ブログ炎上ということになってしまった。
(ブログに書いたわけではないのに。)

「英霊に対する侮辱だ」
「靖国に参拝する日本人はみんなヒトラーの信奉者と同じとでもいうのか。」
「スイスにさっさと帰れ」 (彼女はスイスの出身なので)

何十万件ものアクセス。痛烈な非難の言葉。
この出来事が起きた直後は、さすがの彼女も怖くて外に出られなかったという。

ただし、その後の彼女はすごい。右翼団体の論客を訪問して意見を聞くなどということもして、(すごい勇気!)、とことん考えている。

彼女がとことん考えた結果、どのような結論に達したかはさておくとして、この出来事のきっかけとなった「ヒトラー発言」について考えてみたい。

近頃の傾向として、誰かの発言、誰かの文章について、全体を通して、何が言いたいのか、その発言の主旨は何なのかを、きちんと読み取ってもらえることは少ない。
全体の中の強く印象に残る部分をはぎ取られて、報道されてしまう。
それが言いたいことの主要部分である場合もあるだろうが、部分的にはぎ取られたことで、全体の文脈から大きくはずれてしまうことがある。
例えば、2013年の麻生副総理の「ナチス発言」。

「あの手口に学んだらどうかね。」という部分だけが切り取られてしまい、麻生さんが、ナチスの手口をまねて、こっそりみんなが気が付かないうちに改憲してしまえばいい、と言ったのかと受けとられてしまった。
全体の発言のどういう流れの中であの発言になったかというと。
(以下は、全くの引用ではなく、麻生さんが言いたかったのだろうなということを、私の勝手な補足を入れてまとめてみました。)

「ヒトラーは軍事力で政権をとったような誤解があるかもしれないけれど、ヒトラーは、選挙で選ばれている。
ワイマール憲法という、当時最も民主的な憲法のもとで、合法的に政権を獲得した。
そして、その後の歴史は、第二次世界大戦という最悪の事態への突入となった。
憲法はよくてもそういうことはありうる。」

(で、以下は、ほぼ引用。ここが一番言いたかったことなのではないかと思います。)

「護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても世の中すべて円満になるというわけではない。
改憲はたんなる手段だ。
目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命と財産の保全、国家の誇り、を守ること。
狂騒、狂乱の中で決めて欲しくない。
落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。」

以上、私は、安倍政権の支持者でもなく、麻生さんのファンでもないし、憲法9条は守っていきたいと思っている「護憲」の立場にはいると思うのだが、この発言の中の「あの手口をまねたらどうか。」の部分を切り取って、そこだけを強調して報道して、麻生批判をするのは、どうかと思う。

春香さんの場合もそうだった。
もとの発言を聞いていない人、ただ単に人を中傷したい人からの投稿が、あっという間に膨れ上がってしまった。

発言の内容に対する意見ではなく、ほとんどが短く感情的な言葉なので、(twitterやブログのコメントとは本来そういうものなのだろうけれど)、その言葉の応酬は、発展性のない、不毛なものになってしまう。
これは、急速に発展したインターネット社会においては仕方のないことなのかもしれないが。
瞬時に何万という人に意見を伝えることができるのだから、その見返りに、瞬時に非難が殺到しても不思議ではない。


春香さんは、「炎上」を経験した時、人の目がすべて自分を非難しているように感じ、外を歩いたら刺されるのではないかという不安に陥ったという。

そうなってしまった場合どうしたらよいか?
いわれなき中傷に関する対策としては、ひたすら「無視」することだという。
まともな意見に対してはそれに反応して、議論をより高次元なものに発展させればよいと思うが、そうでない低レベルなものに対してまともに反論すると、反論、反論の応酬に陥ってしまう。
相手にしてはいけないのだ。

で、もう一つ感じたこと。
「ヒトラー」、あるいは「ナチス」という単語は取扱い要注意の単語だな、ということ。
「ヒトラーは悪である。」という歴史認識がすでにあるから、「たとえ」に使ってしまうと、それと同じだというのか、と、反発を招くことになる。

「一部分の切り取りによる誤解」とは、少し話はずれるが、以下は、用語の誤用により批判が起きた例。
「八紘一宇」・・・「世界を一つの家にする」というもとの意味があったとしても、太平洋戦争時に使われたスローガンなので、仲良く、なんて意味で使ったら誤用。
「アパルトヘイト」・・・その撤廃のためにネルソン=マンデラを始めとする南アフリカの人々がどれだけの苦難を積み重ねたのかを考えれば、「参考にすべき点がある」などという意見は批判されるのは当然。

インターネットは「両刃の剣」だと思う。
どれだけ便利になったことか。そして同時にどれだけ危険をあわせ持っているものか。
そのどちらの面が出るかは、今まさに、それを使う私たち現代人の使い方にかかっていると思う。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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