『ウルフ・オブ・ウォールストリート』 額に汗しない稼ぎ方

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
2013年のアメリカ映画。主人公のジョーダン=ベルフォートにレオナルド=ディカプリオ。


世の中の男たちがやりたいなと思っているようなことって、こんなことかな。
自分の会社を建てる。大儲けする。金持ちになる。豪邸を建てる。
クルーザーを持つ。フェラーリを乗り回す。ついでに自家用ジェット機も。・・・。

だれしも、やってみたいと頭に描くようなことだ。

裸の美女をはべらせての淫乱パーティーをする。
飛行機のなかでの客室乗務員と乱交する、というところまでは、
いくら金があっても、良識ある一般市民はしないと思うけれど。

主人公は、ドラッグの常習者。
クスリのせいか、やっていることは無茶苦茶。

これは、ジョーダン=ベルフォートの『ウォール街狂乱日記・「狼」と呼ばれた私のやばすぎる人生』という回想録を映画化したもので、ほぼ実話

レオナルド=ディカプリオがベルフォードを生き生きと演じていて、『タイタニック』や『グレート・ギャッツビー』よりも、はまり役なのではないかと思った。

見ていて痛快。
エンターテイメントとしてはA級作品。



で、ここで、このブログを止めておけばよいのだけれど、
さんざっぱら、面白がった後で、やっぱり考えてしまう。

主人公のベルフォードは、無価値な株を口八丁で売りつけて大儲けした。
優良株でないことを知りながら、さも値上がりして儲かりそうなことを言って、富裕層に株を買わせた。
これはいけないことだ。
貯金ゼロから年収49億円だと・・。

濡れ手で粟。
ちょっと憧れるけれど、やっぱり、ふざけるな! だな。



思い出すのは、日本のライブドア事件。
粉飾により株価を異常につり上げるのは違法なのだ。

あの時に、東京地検特捜部長だった大鶴基成の言った、「額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すれば儲かるとわかっていても法律を遵守している企業の人たちが憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい。」という言葉。

私は心から喝采を送った。
よくぞ言ってくれたと思った。

見せしめの逮捕だったとか、捜査に市民感情を差し挟んでいいのか、という意見もあるけれど、私は、東京地検の言っていることの方に共感した。

まじめに働いているものが報われる社会でなければね。
資本主義社会は、生産性という点ではすぐれた仕組みだけれど、分配の仕組みとしては欠陥だらけだな。



追記:
細部にこだわっていうと。
途中とラストに、ベルフォードが、社員の採用の時に、セールストークの力量を試すために、「俺にペンを売れ」という方法を使っているのが興味深かった。

「そこに名前を書け。」「ペンがない。」「じゃあ、これを買え。」
需要と供給。必要とする状況をつくれば、1本売れる。
なるほど。モノを売るのも才能だ。

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『アメリカン・ビューティー』

『アメリカンビューティー』
1999年のアメリカ映画。現代アメリカ社会の病みをテーマにした作品で、ごく平凡な一般家庭が崩壊する様子を描いている。アカデミー作品賞を受賞。

冒頭。
「今年42歳で、一年たたないうちに僕は死ぬ。」という主人公のナレーションから始まる。
(この主人公、だれかに殺されるのだな。娘にか? 妻にか?  と、まず思う。)

導入部は、この家庭の出勤前の朝の様子。

整った街路樹を持つ美しい街並み。
芝生を敷き詰めた前庭と、柵の周りに植え込まれたバラの花。
出勤前、びしっとスーツを着こなし化粧もきめこんだうえで、エプロン姿で、庭のバラを切り取る妻。
一見、豊かで、幸福そうなアメリカの一般家庭。

はたから見ただけではわからない。

この家庭が崩壊していく。
というか、すでに崩壊している。
その過程の描き方は、実に丁寧で、絶妙。
時にコミカルで、クスッと笑ってしまうような場面もある。
しかし、抱えている闇は深い。

見ながら、いろいろなことを考える。
なんでこんなに、心がすれ違ってしまったのか?

キャンドルを灯して美しくコーディネートされた夕食の食卓。
部屋に流れる上品な音楽。
それなりの料理。
しかし、かみ合わない会話。
妻の好みの気取った曲を、我慢して聞いている夫。


つい思ってしまう。
開拓時代を描いた「大草原の小さな家」の食卓。
「ALWAYS 三丁目の夕日」のちゃぶ台を囲んだ家族の夕飯。
こっちの方が幸せだよね。

開拓時代のアメリカや、高度成長期に突入していく時期の日本は、家族の心が一つに団結していて、豊かさを求めて生活していた。
実に単純でわかりやすかった。
そこには共通の夢があった。
そこには家族の愛があった。

物質的な豊かさという目的を実現してしまった現代社会では、人は何を求めて生きていいのかわからなくなって途方に暮れている。
何をやっても満たされない心。

家族のだれもが心のつながりを求めている。
しかし、共通の苦労を分かち合っていない家族は、自己の欲求を満たすことしか考えられず、相手の気持ちになって考えるという、想像力すら失っている。


この映画では、ラストにまたこの主人公の住む美しい街並みが映し出される。

私は、写真家・藤原新也の、もう30年以上も前の『東京漂流』という作品を思い出した。
なんの変哲もない、ごく普通の一戸建ての家屋の写真。
近所の住宅を写しただけの写真にしか見えない。
しかし、その家が、当時、浪人生だった二男が金属バットで両親を殺害してしまうという事件が起きた家だと知ったとたん、その写真が、背筋に寒さすら感じるようなものに見えてくる。

その時感じたこととちょっと似ているな。

主人公一家の隣に住む軍人一家も病んでいた。
最も健全で、楽しそうに生活していたのは、反対側のお隣の、ゲイのジムさんカップルだった。

幸せになりたいのなら、見栄も何もかも捨ててしまえ! と思った。

見終わった後の感想:重いテーマを扱っているのに、後味は悪くなかった。
崩壊していく家庭の過程を、淡々と、客観視できるように描いているからだろうか。
そして。エンディングロールに流れた曲は、ビートルズのBECAUSE。やっぱり名曲。

『ビューティフル・マインド』

2015年5月23日、ノーベル経済学賞受賞者で、映画『ビューティフル・マインド』の主人公であるジョン=ナッシュ氏(86)夫妻が交通事故で死亡した。
このニュースを聞いてから、この映画のことがずっと気になっていたのだが、ようやくwowowで放映したものを録画して見ることができた。

『ビューティフル・マインド』
 2001年のアメリカ映画。アカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞を受賞。主人公のナッシュ博士にラッセル=クロウ。

何をいまさら2001年の映画を、といわれてしまいそうだが、今まで、たいして映画を見てこなかったので、今になって、その埋め合わせをしているところなのです。
で、評価は★★★★★。面白かった。

(14年前の映画とはいえ、この映画については、ネタバレしてしまってはいけないと思うので、あらすじ付きの解説は避けたいと思います。
とはいえ、序盤の、金髪の美女がいるパーティーで、ナッシュがアダム=スミスの理論の否定を思いつく場面が気に入ってしまったので、それについて書いておきたいと思います。)


ナッシュは、金髪の美女をものにしたいと思うが、みんなが彼女を狙ってしまえば、競い合ってしまい、だれも彼女を獲得できず、みんなが不幸になると考える。
ではどうしたらいいのか?

そこから、アダム=スミスの理論の否定を思いつく。

アダム=スミスの自由放任論によれば、「競合社会では、個の野心が公の利益。」
みんなが競い合って豊かになろうとして経済活動を行えば、社会全体が豊かになる。
個々に利益を追い求めても、そこには「神の見えざる手」が働いて、うまくいくのさ、という理論。

しかし、これは、間違いだ!と、ナッシュは気づく。
「最良の結果は、グループ全員が自分の利益を追及すると得られる。」のではない!
「最良の結果は、全員が自分とグループ全体の利益を求めると得られる。」のだ!


経済活動の目的に「グループ全体の利益」という観点を持ってきたところが素晴らしい。

社会全体を良くするにはどうしたらよいか、という発想が根底にあるのだろう。

ジョン=ナッシュ。
ゲーム理論のうち、非協力ゲームの均衡分析の理論化で、ノーベル経済学賞を受賞。
うーん、何のことか、私の理解を越えてしまっていて、簡単な解説を読んでもよくわからなかったけれど、とにかく、すごい人だったのだな。


主演のラッセル=クロウは、この映画の前年の2000年には『グラディエーター』で、謀られてグラディエーター(剣奴)に身を落としてしまったローマの将軍マキシマスを演じた。この時は筋肉ムキムキの英雄。そして翌年のこの映画では、ちょっと猫背気味で、人付き合いが苦手で、天才数学者なのにどこか自信なさげで、弱々しい雰囲気のナッシュを演じている。うまくて感心した。

途中の展開は、予想外。
そしてラスト。

ありきたりの結びになってしまうけれど、ナッシュ博士を支えた妻のアリシアさんの心、およびこの2人の夫婦愛がビューティフルなのだと、当初、うさんくさいタイトルだなと思ったものの、納得。
見終わった後、気分が良かった。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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