『JFK』

『JFK』

1991年のアメリカ映画。
監督:オリバー=ストーン。 ケネディ大統領暗殺事件の真相を追究する地方検事ジム=ギャリソンをケビン=コスナーが演じる。


冒頭。1961年1月のアイゼンハウアー大統領の退任演説の実写フィルムが流れる。
「軍と軍需産業の結合は一人歩きの心配があります。この巨大な複合体が自由を危うくしてはなりません。」軍産複合体の肥大化に警鐘を鳴らした有名な退任演説である。その内容は、その後のアメリカにとって原点になると思う。(原点に立ち返れ、と思う。)

さらにそれを引き継いだケネディ大統領の大学での講演の言葉が紹介される。
「我々はどんな平和を求めているのか。世界に向かって、アメリカの武器を売って平和は来ません。ソ連への態度も再検討すべきです。我々を結びつけている基本は、この小さな天体に住んでいることです。同じ空気を吸っている、子供の将来を案じている、しかも、必ず死ぬ、ということです。」
(こうした演説は、原稿があればだれでも語れるというものではない。内容に見合わない人格のものが語っても、聞いている方は、感情に齟齬をきたすだけだから。ケネディは、美しい言葉を使って語れる大統領だったと思う。)

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1963年11月22日、テキサス州ダラスで、ケネディ大統領が暗殺された。犯人はオズワルド。しかし、オズワルドは2日後、警察署内でジャック=ルビーに撃たれて殺された。
真相は闇の中の葬られてしまった。
事件の調査にあたったウォーレン委員会は、オズワルドの単独犯行と結論づけた。

これに対して、地方検事ギャリソンが疑問を持つ。ここから彼の執念のような調査が始まる。
ウォーレン委員会の報告のように、本当に銃弾は3発だけなのか?
この事件に関する一切の陰謀はなかったと言えるのか?


ケネディは「ベトナムでは勝てません。」と言っていた。そして、1963年、ベトナムからアメリカ軍を65年末までに撤退させる計画に従事していた。
しかし、ケネディ暗殺後、引き継いだジョンソン大統領は、「アジアに地歩を固めるまで撤退はしない。」として、ケネディの政策を覆した。
そして、1965年、北爆開始。ベトナム戦争は本格化した。


たしかに、ケネディ大統領暗殺事件後の歴史の流れを見ていると、疑問がわいてくる。
なぜ殺した?だれが得をする?謀略があったとして、それを隠すことのできる権力をもつのはだれだ?

ギャリソンは真相に近づいていくが、巨大権力に立ち向かっていくことの困難を思い知らされていく。オズワルドとルビーに関する資料は国家機密として、75年間封印され、一般の人間が見ることはできない。しかも、仮に、オズワルドがおとりであり、犯人とされたのは濡れ衣であり、ケネディを狙撃した真犯人が彼とは別に存在していたとしても、真犯人ですら、だれの命令で、何のためにやったのかはきっとわかっていないだろう。
陰謀があったことなど証明不可能なのだ。そこには何段階もの命令が介在していて、真相の解明ができないように仕組まれているのだろうから。

ギャリソン検事は、陰謀があったことを証明するため、クレーシー=ショーという人物を、CIAの秘密工作機関に属し、ケネディ暗殺の陰謀にかかわったとして訴追した。
しかし、陪審員の判断は、クレーシー=ショーの無罪。
ギャリソン検事の敗北だった。


では、ギャリソンのやったことは無意味なことだったろうか?
所詮、勝てる見込みもない戦いに、無謀にも挑戦したということだろうか?

途中、この事件の追究にのめりこんでいく夫に対して、妻との仲が不和になる。
妻は、そんなことに時間を使わずに、地方検事としての仕事を果たし、家庭を大切にする夫でいて欲しいと願ったのだ。当然の感情だと思う。
何のため? ギャリソンにとって一文(いちもん)の得にもならないし、仮に陰謀があばけたとして、国家の信頼が揺らぐだけなのではないか。 

しかし、ギャリソンはさらにのめりこんでいく。
何のため?何になる?
結局、彼を突き動かしたものは、「正義感」としか言いようがないと思う。

ここまで来ると、この作品の冒頭の言葉が大きな意味を持ってくる。
「抗議すべき時に沈黙するのは、卑怯者である。」

ラストシーンは、裁判に負け、裁判所を去っていくギャリソン検事と彼に寄り添う妻と息子の3人の後ろ姿。
国家機密として封印されたオズワルドとルビーの資料が公開される2038年。この時まだ幼かったギャリソンの息子が、国立公文書館に入りその資料を見ることになるのかもしれない。ギャリソンと、最終的にギャリソンに理解を示した妻、この両親に育てられた息子は、きっと「正義感」を引き継いで成長しているだろう。

『13デイズ』

『13デイズ』

2000年のアメリカ映画。
1962年のキューバ危機を題材にした映画。
ジョン・F・ケネディ大統領、弟の司法長官ロバート・ケネディ、そして大統領補佐官のケネス・オドネル(ケビン=コスナー)の3人を中心に、何とか核戦争の勃発を回避しようと必死に対応する13日間の緊張を描いている。

実は以前にこの作品を見ている。が、その時は、キューバ危機の結末についての知識があるから、危機は回避されるという安心感をもって漫然と見てしまった。
今回、見直してみて、まさに核戦争が勃発してもおかしくはないような、かなり危険な展開だったのだなということを改めて感じた。

キューバ危機とは。
東西冷戦中の1962年、ソ連がキューバにミサイル基地を建設中であることが航空写真の分析で発覚する。
キューバにそんなものをつくられたらニューヨーク、ワシントンを含むアメリカ本土が射程圏内に入ってしまう。
これに対応するため、国家安全保障会議執行委員会(“EXCOM”)が設置される。

ここからケネディ大統領の13日間の苦悩が始まる。
ただ単に、ソ連のフルシチョフを相手に駆け引きをすればよいというのではない。
大統領はまず、アメリカ側の意見の統一をしなければならない。
EXCOMの会議において、「ミサイルの発射準備が整う前に空爆をすべきだ」という、ルメイをはじめとする軍部の意見があった。まだミサイルは発射の準備が整っていない。しかし、もたもたしているうちに、準備完了してしまったら、取り返しのつかない事態になる。時間との戦いでもあるのだ。だから、即刻、空爆せよと発言するルメイ。
が、それをやったらどうなる?報復は免れない。
ケネディ大統領は苦悶する。

キューバに核兵器が持ち込まれないように海上封鎖と臨検で対応することを選択するケネディ。
空爆という選択は開戦につながるから選択したくないのだ。
しかし、ソ連船が応じなければ、空爆・侵攻に切り替えなくてはならない。臨界線に近づくソ連船。
ああ、もう最悪の事態は避けられないのか・・・、と思われたギリギリのところで、ソ連船は停止し、旋回して引き返す。

これで、ややほっとする。
しかし、これで、解決ではない。建設中のミサイル基地の解体という問題がまだ残っている。
外交交渉が始まる。ソ連は、フォーブスという交渉人を送り込む。
こいつは信用できる人間なのか?罠かもしれない。交渉は時間稼ぎで、この間にミサイルの発射準備は進んでしまうかもしれない・・。
そして、駐米ソ連大使との交渉に向かう大統領の弟ロバート=ケネディ。
オドネルが運転する車のなかで、ロバートがつぶやく。「こんな重い任務なんて....。」
オドネルが励ます。「妻や子供たちの命を託せるのは君しかいない。」


本当にどっちに転ぶかわからない状況だった。
海上封鎖の時に、米海軍が発した空に向けて発射する曳航弾を、ソ連船への攻撃の発砲と勘違いして、国防長官のマクナマラが怒りだす場面もあった。
偵察に行ったU2機が撃墜されるという出来事もあったが、報復行為は自制された。
緊張が続くなか、どこかでそれが一つずれて、攻撃が起こり、それに対する報復行為が起こってしまったら...。
ケネディの判断を弱腰とする強硬派に押されて空爆・侵攻というシナリオを選択した可能性もあったのだ。


途中、ケネディ大統領が、統合参謀本部議長テイラーを一喝する場面がある。
アメリカ大統領は合衆国軍の最高司令官としての指揮権をもつのだ、と。

アメリカ大統領の権限は大きい。
アメリカ大統領がまともな判断を下せる人物でないと、世界の平和が脅かされる。
この時は、大統領は軍が暴走しないように抑え込むことができた。しかし、展開によっては、核戦争という最悪の事態に突入する可能性もあったのだ。



今年は大統領選挙の年。アメリカ大統領は世界の平和を左右する。
まともな人物が選ばれますように。

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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