『イミテーション・ゲーム /エニグマと天才数学者の秘密』

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』
2014年のアメリカ映画。(日本での公開は2015年3月)
出演:ベネディクト=カンバーバッチ、キーラ=ナイトレイ。

これは、第二次世界大戦中、ナチスの暗号機エニグマの解読に挑んだイギリスの天才数学者アラン=チューリングを主人公とした「事実に基づく物語」である。

この映画の注目のしどころはいくつもあると思う。
まずは、アランを演じたカンバーバッチの魅力。顔立ち、雰囲気、演技力など、独特のものを持っていて、彼の作る世界に引き込まれてしまう。さらにジョーンを演じたキーラ=ナイトレイも美しくて素敵だった。ジョーンはアランが同性愛者だと知っていながら、仕事を続けるために彼の婚約者となり、彼を支え続けた。ごく普通の男女関係とはまるで違う、数学ができる者同士のこうした人間関係があるのだと納得できた。

暗号の解読は膨大な労力を必要とする作業である。来る日も来る日も解読に必要な「設定」をさぐるため、アランとチームのメンバーは信じられない桁の可能性に挑む。途中、プロジェクトの廃止など、危機に何度もさらされながら、2年もの時間が流れる。そして、酒場でのひょんなやり取りからキーワードに気づき、解読に成功する。
ここがこの作品のヤマ場で、見どころである。

が、私としては、アランたちが解読に成功した後のことに注目したいと思う。

アランがエニグマの解読に成功したことが、第二次世界大戦において連合軍側を勝利に導いたとされる。
しかし、アラン=チューリングという名前はほとんど知られていない。
なぜか。それは、エニグマの解読に成功したことを含む一連のことのすべてが軍事機密として50年間封印されていたからである

終戦となったとき、アランたちは関係書類の焼却処分を命じられ、チームは解散し、すべてなかったことにされた。国家にとって都合が悪いことはすべて闇の中というわけである。
その理由は、解読に成功した後の対応が批判にさらされる可能性があるからだと思う。
ここが、解読成功ということの抱えるジレンマだ。
つまり、解読に成功したことはドイツ側に知られてはならない。解読に成功したことが知られてしまえば、当然、ドイツ側は暗号の設定をまったく変えてくる。
そうなったら、2年にもわたって苦労した暗号解読の作業が水の泡となる。
暗号が解読できていないフリを続けて、ドイツ側の暗号を解読し、戦況を有利に展開しようとしたのだ。
暗号がわかってしまったことにより、Uボート(ドイツ海軍の潜水艦)の位置が把握でき、Uボートにねらわれている船舶も分かる。しかし、ねらわれている船舶を突然回避させれば、ドイツ側に暗号が解読できてしまったことを悟られてしまう。だから、救えるはずの船舶も見捨てる。

しかも、解読できた直後、アランが見捨てたのは、子供たちも乗っているであろう客船と、チームのメンバーの兄が乗っているのがわかっている戦艦だった。(この部分は事実かどうかわからないが、ともかくストーリー上では。)
さらに、敵を欺くためには味方も欺かなければいけないわけで、軍に対しても、エニグマの解読はできていないことにして、別の情報源から得たことというウソを流し続ける。
そしてMI6のミンギスとアランたちチームのメンバーにより、膨大な量のナチス=ドイツの情報を処理していった。
日々、血にまみれた計算をし、日々、生きる者と死す者を決め、日々、人知れず連合軍を勝利に導いた。
スターリングラード、アルデンヌ、ノルマンディー上陸。
エニグマの解読による彼らからの情報なしには成功はありえなかった。

しかし、大局的には勝利に導いていったとはいえ、一部を見捨てているのだ。
できないからではなく、意図的に見捨てるという行為が許されていいのか。
神でもない人間が、生きる者と死ぬ者を、統計学上の計算などで決定していいのか。
戦争という普通ではない状態での、人知を超える判断であると思う。

そしてついに終戦を迎える。
チームは解散。ミンギスからは、君らのことはまったく知らないし、会ったこともないといわれる。
MI6とは秘密情報部だ。アランたちの苦労も功績もまったくなかったことにしてしまった。国家とはこういうものなのか....。


さらに同性愛者であるアランを悲劇が襲う。
当時のイギリスの法律では、同性愛はわいせつ罪になるのだ。
刑務所での2年の服役かホルモン治療かの選択を迫られたアランはホルモン治療を選択する。
刑務所ではクリストファー(アランの少年時代の友人の名前をつけたマシン)と仕事ができないから。

エニグマの解読のおかげで、戦争の終結を2年以上早めたといわれる。さらに、彼のクリストファーは、コンピューターの原型となった。
アランは偉業を成し遂げた。
それなのに彼の末路はあまりにも悲しい。彼もまた、戦争の犠牲者なのだろう。

ファンタジーと実話

NHKの「精霊の守り人 シーズン1」(2016年3月19日~連続4回 )の番組宣伝で養老孟司さんがファンタジーの楽しみ方にかたについて語っていた。それによれば、ファンタジーだからこそ描ける人間の真実があるという。
「所詮、絵空事」と思わずに、奇想天外なストーリーを楽しみ、そこに現れる人間模様を見るべし、とのことだった。
なるほど。ちょっと、目からウロコだった。
私のような現実主義者は、実話でないものは、「作り話」という大前提で見てしまう。
で、ちょっと発想をかえて「精霊の守り人」を見てみた。
綾瀬はるかがかっこいい。子役の清原果耶ちゃんも出る場面は少なかったが、短槍(たんそう)を使いこなしたアクションが立派だった。綾瀬はるかも傷だらけになってアクションシーンに取り組んだようで、見ていて引き込まれた。
が、しかし...。やはり、ストーリーにはついていけなかった。
原作者の上橋菜穂子さん、ごめんなさい。私のような人間は、ファンタジーは見ない方がよいようです。

いつからこういう人間になってしまったのだろう。子供の頃は、ピーターパンも「不思議の国のアリス」も大好きだったし、魔法使いや魔女が出てくる話もOKだったのに。
ところが、どうも最近、実話でないものに心を動かされることがなくなってしまっている。
年齢とともに心が硬くなってきているのだろうか。これは、まずい傾向に陥っているぞ..。

そんな私が、『オデッセイ』を見てきた。
2015年のアメリカSF映画。日本での公開は2016年2月。
火星に置き去りにされてしまった主人公の宇宙飛行士ワトニーにマット=デイモン。
マット=デイモン好きとしては、見に行かないわけにはいかない。
全編、ほとんど彼が出ずっぱり。

ワトニーが火星に置き去りにされたときの状況は、水:無し、酸素:ほぼ無し、食料31日分、次の救助1400日後という、ほぼ生存不可能な状況だった。
しかし、ワトニーはそんな絶望的な状況のなかでも、生存することを諦めず、科学の知識をフルに活用して生き抜いていこうとした。
残留保存されていたわずかな物資を利用して、水、空気、電気をつくる。さらに、植物学者としての知識を生かして、去って行ったクルー達が残したパック詰めの排泄物を利用して土をつくり、ジャガイモの栽培に成功し、食料も確保する。
どんな絶望的な状況であれ、人間を支えるのは気力と知力ということか。
サバイバルものとしても楽しめる作品だった。
マット=デイモンの魅力を十分堪能できたし。ジャガイモが芽を出した時は、見ていてうれしくなったし。

でも、頭の中のどこかで、「無理~。不可能~。ありえない~。」とつぶやいている自分がいた。なので、反省。何はともかく、SF映画は楽しんでみるものだ
「無理~。」とかいう人間は、困難な状況に置かれたときに真っ先に諦める。無理難題をふっかけられた時に、何とかしようとせずに、最初に「できません。」と言ってしまう。
架空の話でも、諦めなかったワトニーから学ばなければね。

とはいうものの、本音を言ってしまうと、私は『アポロ13』の方がしっくりくるのだ。
こちらは実話。ラヴェル船長にトム=ハンクス。
1970年、第3番目の有人月面飛行をめざしたアポロ13号は、酸素タンクの爆発などのトラブルが発生し、帰還困難状況になる。電力不足にも追い込まれ、電力の節約のため、ヒーターを切ったため船内は1~4℃の寒さになる。乗組員は凍えるような寒さを耐える。さらに二酸化炭素濃度の上昇。大気圏再突入への軌道のずれ。なんだかよくわからないけれど、大変なことが次々に起きる。しかし、様々な困難を乗り越え、アポロ13号は無事、地球に帰還する。
どんなときにも冷静に、そして諦めずに最善を尽くしたラヴェル船長。必死に指令を送る地球の管制官や技術者たち。感動ものである。(実話だし。)

アポロ計画は1969年のアポロ11号が人類初の月面着陸を果たし、その後、17号までが打ち上げられ、13号以外の12号、14~17号はすべて月面着陸に成功して、失敗したのは13号だけ。しかし、困難な状況を乗り越えて、無事、地球への帰還を果たしたことから、「失敗の成功」といわれている。

余談。
TSUTAYAの旧作DVDコーナーで、作品を物色していたら、『アポロ13』の隣に並んでいた『アポロ18』というタイトルが目に入った。
「なんだこれ? アポロ18号なんてあったっけ?」
借りようかなと思ったけれど、ヘンだなと思ったので、とりあえず、借りないで家に帰り、早速検索。よかった。これは、SFホラーで、私の好みではないものでした。しかも、ネットでは酷評。

結論。
映画にもファンタジーやアクション,SF、ホラーなどいろいろなジャンルがあるわけで、それぞれの好みがあるのだから、好きな作品を見ればよいと思う。
『ゼロ=グラヴィティ』や『オデッセイ』などは、宇宙を舞台にした優れた作品で、好評だったので見た。宇宙空間という、人間にとって過酷な条件下で発生したトラブルに対処する主人公たちの懸命な奮闘は感動を呼び起こす。面白かった。

私は、映画を見ながら世界史を考えていきたいので、当然、実話かそうでないかにはチェックが入る。
まあ、性分なのだから仕方がない。
が、ワクワクしながら作品を楽しめるような、心の柔らかさは失ってはいけないなと思った。

『ワルキューレ』

4月10日(日)午前8:00 フジテレビの新報道2001を見ていたら、「金正恩 暗殺4つのシナリオ」という話題が取り上げられていた。アメリカとしては、もしも、金正恩が暗殺された場合の対応というのも想定しておかなければならないわけで、それについての研究があるという。
暗殺のパターンとしては以下の4つがあるということだ。
1.ヴァルキューレ型
2.ブルータス型
3.オズワルド型
4.金載圭型

1はヒトラーの暗殺計画で、かなりの数の軍人が参加した。結果は失敗。
2は古代ローマの時代のユリウス=カエサルの暗殺。実行したのは彼の腹心の一人であったブルータスを含む一派。親しいと思われていた数人により実行されたパターン。
3はケネディ大統領の暗殺。ケネディの全く知らない人間により、数百メートル離れた距離からの銃撃によるもの。この暗殺事件の調査委員会はオズワルドによる単独の犯行としているが、本当にそうなのか、背後に大きな謀略があったのかなかったのかは、未だに謎。
そして、4のパターンは、金載圭による朴正熙の暗殺で、側近中の側近が、数人での会食という場で、単独で大統領の暗殺を決行した。まさに1対1の犯行であった。

金正恩の暗殺が起こるとしたら、可能性は4のパターンであるという。確かにそれ以外は不可能だと思う。自分に反対するものは叔父であれ処刑してしまうのだから、周りは従順な態度を示す者だけで固められている。拍手の仕方が熱烈でなかったというだけでとがめられる体制なのだから、裏切りどころか批判的な態度をとっただけで排除されてしまうだろう。これではみんな怖くて、自分の保身のことしか考えなくなる。複数の人間が計画に加担するとは思えないし、途中で怖くなって裏切る人間が出てくるのは必至だ。だから1も2も3もありえない。起こるとしたら4のパターンだけ。しかし、これも今の様子を見ているとこれもなさそうだ。危険な人物が権力を握ってしまった場合、排除するのがいかに難しいかがわかる。

それにしてもワルキューレ作戦はスケールの大きい計画だった。歴史に「もし」を言っても仕方がないが、1944年7月20日のこの計画が成功していれば、第二次世界大戦の休戦は9か月は早まっただろう。
そんなわけで、今回のブログのテーマは、
『ワルキューレ』
2008年のアメリカ映画。監督:ブライアン=シンガー。主演:トム=クルーズ

ヒトラーの暗殺計画は単独犯と組織的なものを合わせて少なくとも42回企てられたのだが、すべて失敗に終わっている。この作品はその最後で最大の「7月20日事件」を描いたもの。
この作品の前半で印象的だったのは、ヒトラー暗殺計画の会合に参加したシュタウフェンベルク大佐(トム=クルーズ)が、会合の中心にいたゲルデラ―たち政治家が、「ヒトラーと対決して失脚させるのだ。」といったことに対して、「そのあとは?」と質問したところ。
彼らには、ヒトラーを排除した後の明確な構想がなかった。ヒトラーの言いなりにはならない、ヒトラーに抵抗したドイツ人たちがいたのだということを示したい、と彼らは言う。しかし、それだけでは不十分だ。ヒトラーの首ががヒムラーやゲッペルスに挿げ替えられるだけで何も変わらない。成功させなければ意味がないという大佐の考えはもっともだと思う。
そして、シュタウフェンベルク大佐によって示されたのがワルキューレ作戦。
ベルリンには兵力数万の予備軍が置かれていて、ヒトラーが職務不能に陥った場合にその兵力を動員する”ワルキューレ“という作戦がもともとあった。大佐は、これを利用する「ワルキューレ作戦」を発案する。ヒトラーを暗殺し、SSによるクーデタ計画が起こったとして、この”ワルキューレ“を発動してベルリンを制圧し、新政府をつくって、連合国側との休戦に持ち込む、という計画だ。戦争を終わらせるというところまでを思い描いているというところが、単なる「要人の暗殺」に留まらないスケールの大きさを感じさせる。
同士たちの結束力も強く、例えば途中で誰かが計画を密告するとかいう裏切り行為もみられない。
だが・・・。
(裏切りとは言えなくても、ビビッて判断を遅らせる人物がいたり、作戦の進行とともに関わってくる人たちが、どちらの側につくのが得策なのかを判断するのは当然のことなのだ。)

これは歴史に基づく実話で、結果がどうであったかは自明のことなのだが、それでも、見ていてドキドキする。映画として面白いこと間違いなし。

そして思うこと。暗殺という手段はテロ行為である。使って欲しくないやり方である。しかし、ワルキューレ作戦が実行された第二次世界大戦末期のドイツは、それ以外に世の中を変える方法がないと考えられるような世の中だったのだ。そして、この作戦は失敗した。

独裁者が実権を握ってしまうと、それを排除するシステムも失われてしまうから、いかに恐ろしいことになってしまうかということも歴史から学んでおきたいと思った。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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