『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』  くさばよしみ編 汐文社

2016年4月、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれた前ウルグアイ大統領・ホセ=ムヒカ氏が来日し話題を呼んだ。
在任中(2010~2015)は、給料の9割を慈善団体に寄付、外遊はエコノミークラス、豪華な大統領公邸ではなく郊外の質素な自宅に住んでいたという人だ。公用車も自分のためにドアを開けさせるのが嫌で使わなかったという。
彼についての本が読みたくなって図書館に行ってみた。が、市内の図書館すべて貸出し中だった。
どうしても読みたくなり、Amazonで注文したらその日のうちに本が届いた。
『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』  くさばよしみ編  汐文社 1200円
世界でいちばん貧しい大統領

ムヒカは、非合法ゲリラ活動で4度投獄されている。
特に軍事政権が成立してからの4度目の投獄生活は悲惨で13年間にも及んだ。
換気口もトイレもマットレスもない、ただのコンクリートの箱のような牢獄に入れられ、精神に異常をきたした時期もあった。
そんな彼を救ったのは読書だった。
一日中本にどっぷりつかりながら、人間とは何なのか、自分に問い続けた。
1985年、軍事政権が終わり、ムヒカは出獄する。
獄中で孤立無援の状態を経験したからこそ、
いかにわずかなものでも幸せになれるかを学んだんだ。
わたしたちをひどく扱った人間を憎む気には、なれなかった。」
「重要なのは、未来のために過去を乗り越えることなんだよ。」

と、この本のムヒカは、子供に語りかけるような口調で語る。

大統領に就任したムヒカは、貧富の差をへらすことに心を砕く。

優しそうな笑顔のムヒカ氏。壮絶な過去があったのだ。

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この本を急に読みたくなったのは、連日の舛添都知事の公私混同疑惑の報道を見ていたからなのであるが、そんなことはともかく、読んでみたら、価値観のもち方、何が大切かを考える上で、はっとさせられるようなことがたくさんちりばめられていた、とてもよい本だった。(購入してよかった。)
何より、このような高潔な人物がいる、ということを知ることができ、世の中捨てたもんじゃないという希望が持て、さわやかな気持ちになれた。

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舛添都知事のお金の使い方は、「違法ではないが不適切」とかいう中途半端な表現がなされている。
当然、違法でなければよいのか、という疑問が浮かぶ。

ある極端な設定を使って考えてみたい。
行政能力がとてもあるのだが、金についてルーズで私腹を肥やすような人物がいるとする。彼のやっている政策は申し分なく、彼のもとで経済的な発展が実現したのだが、汚職にかかわっていた、という設定である。
汚職の部分には目をつむり、有能な彼の政策に期待した方が、人々のためには得策だろうか?
幼稚なたとえで申し訳ないのだが、この場合、もちろん否である。
田中角栄のロッキード事件をあげるまでもなく。
歴史を見ても、何人の有能な政治家が、汚職がらみで失脚していったか。
たとえ「できる」人物でも、「金」の管理がきちんとできなければ、追放されても仕方ないのだ。
だから、有能であればあるほど、金のことはきちんとして欲しい。
金のことで失脚するなんて、もったいないと思うのだ。

汚職に目をつむり、放置したらどうなるのか。
当然、汚職が蔓延する。
だから、汚職に関わり私腹を肥やすというとんでもないレベルは言うに及ばず、たとえ、違法ではなくても、政治家は不透明なカネの使い方をしてはいけないのだ。

で、こんなことを書いているうちに、過去の贅沢三昧のニュース映像が頭の中によみがえってしまった。
人生60年以上やってきているので、今の若者たちが知らないような、過去の出来事のニュースをリアルタイムで見ている。
印象に残っているのは、1986年、ピープルズパワー革命でフィリピンを追われハワイに亡命したマルコス大統領夫妻。
彼らが逃げた後のマラカニアン宮殿には、イメルダ夫人の1060足の靴、15着のミンク・コート、508着のガウン、888個のハンドバッグが残されていた。
あるいは、1979年のイラン革命で亡命したパーレビ国王一家。
ファラ王妃は逃げる際に、財産すべて持って逃げたと思われたくないという理由で、好きな本とアルバムだけを持ち出し、宝石のコレクションはおいていった。王宮に残された宝石箱にあふれるように詰め込まれていた宝飾品の映像がニュースで流れたが、今でも記憶に残っているほど豪華なものだった。
あるいは、1989年の東欧革命の流れの中で起きたルーマニアの政変。
チャウシェスク大統領夫妻は即日処刑されたが、彼らが造営したカーサ・ポポールルイ(国民の館)は、今でも存在する。
内部は大理石で作られていて、豪華なシャンデリア、純金の装飾がほどこされた内装。
こんな建物、政務を扱う場として必要か?

いずれの場合も主の去った館に残された、贅沢の限りを尽くした残骸物が悲しい。

貧富の差、為政者の贅沢。
放置しておくと、国民の怒りが爆発し、しっぺ返しが来る。
そうならないようにするためのチェック体制なのだと思う。

話はそれるが、犯罪率が高くて毎日殺人事件が起きているような国では、飲酒運転など、あたり前だという。
重篤な犯罪を取り締るのに手いっぱいで、軽微な犯罪を取り締まっている暇がないからだ。
日本では、飲酒運転の取り締まりは厳しく、厳罰化が進んだ。

政治とカネに関しても同じなのだと思う。これくらいいいではないか、で済ませてはいけない。
日本は民度が高い国なのだ。

(タイトルからまるで話がそれてすみません。ウルグアイのムヒカ前大統領。素晴らしい人だと思いました。)

『マインド・コントロール』 岡田尊司著

Facebook上の友達の稲葉さんからの情報で、またまた面白い本に出会うことができました。紹介されていたのは、
『マインド・コントロール』 増補改訂版  岡田尊司著 文春新書 2016年4月発売。

私は記事を見て、すぐに地元の図書館に行って探したら、新書版ではないもともとの単行本がありました。増補改訂版に何がどう増えているのかは把握していませんが、非常に興味深く、歴史を考える上でも、日常の人間関係を考える上でも、はたまた、子育てを考える上でも参考になる内容だと思いました。
マインド・コントロールという言葉は、オウム事件(1995年)の時に、流行語となりよく使われた言葉なので、タイトルを見た時に、そのころに書かれた本なのかと思いましたが、ちがいました。新書版ではない元の単行本も、2012年出版という、比較的新しいものでした。
「マインド・コントロール」とは、あの時はやり、その後すたれてしまった、というような言葉ではないのです。それ以前から研究されていて、現在においても、「何故、テロリストが作られてしまうのか」という問題を考える場合、重要なカギを握る言葉なのです。

「マインド・コントロール」とは嫌な言葉だと思います。
人の心は本来、その人固有のものであり、自由であるべきものです。
もちろん、人は一人では生きられないのだから、立派な人、嫌な奴....など、少なからず、周りの人の影響を受けて生きるものではありますが、心の在り方は、その人個人が様々な出会いを経験しながら、どう考え、どう受け入れるかによるもので、決して、他人によって制御されてはならないと思うのです。

しかし、この本を読んでわかったことは、人の心は操ることができるということです。
ある条件のもと、悪意を持ってマインド・コントロールをやられたら、並みの人間ならその罠にはまってしまうだろうと思えました。恐ろしいことです。

この本は、精神科医である著者が、今までの心理学・精神医学での研究事例を紹介しつつ、具体的な、2001.9.11の同時多発テロや、オウム事件、霊感商法など、様々な具体的事例をとりあげながら、そこにどんなふうにマインド・コントロールが入り込んでいているかを述べていて、わかりやすく説得力がありました。
いくつか印象に残った部分を紹介します。
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まず、印象に残ったのが「トンネル」という言葉。
「トンネルは、細く長い管状の通り道で、外界から完全に遮断されている。.....そこを進んでいく者は、外部の刺激から遮断されると同時に、出口という一点に向かって進んでいくうちに、いつの間にか視野狭窄に陥る。」
テロリストに志願してきた若者を本物のテロリストに仕上げるには、この原理を利用すればよいのだそうだ。
与える情報量を極めて少ない状態に置いておくと、不安な心理状態になり、情報を渇望する状況に陥る。
そうした状況の下で情報を与えると、仮にそれが間違ったものであったとしても、それに飛びついてしまう。騙すのは簡単なのだ。
さらに、その若者を「英雄」に仕立て上げていく。それはテロを実行する以前から始められていて、そうしていくうちに後戻りできなくなるのだそうだ。

では、どのような人がマインド・コントロールに陥りやすいか。この本ではそのカギとなる言葉として、「依存性パーソナリティ」を挙げていた。
マインド・コントロールに陥ってしまった人は、「自分で主体的に考え、判断し、行動するという力を大幅に低下させてしまっている。些細なことをするのにも、自分を支配している人間の顔色をうかがい、意のままになる。」
こうした状況になりやすいのが「依存性パーソナリティ」の人なのだ。
つまり、だれもが、マインド・コントロールに陥ってしまうわけではないのだ。
「その人のパーソナリティの特性、情報コントロールや意思決定にかかわる脳の機能、現在および過去に受けてきたストレス、心理的な支えといった要因に左右される。」のだ。
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と、まあ、私が読んだ本の要約などしようものならつらつらと長くなるばかりなので、この辺でやめます。興味のある方は、是非どうぞという、オススメの本です。

で、思ったことと。
先ほどの「トンネル」の原理は、うまく使えば、たとえば、スポーツ選手の育成に利用できます。不要な情報を遮断し、雑念をもたせない方が、目的達成のためには効果的でしょう。しかし、子供をそのような手法で育てるようとするのはとても危険です。スポーツだけで人生を生きぬけるわけではないのですから。
魔の手が忍び寄ったとしても、マインド・コントロールに陥らないような人格を形成するためにも、「その子自身が試行錯誤し意思決定するための時間を十分にあたえる必要もある。」ということです。

もう一つ、この本を読んで考えさせられたこと。
マインド・コントロールとは、要は人を騙すことであり、当たり前のことなのですが、世の中には、騙す人と騙される人がいるということです。
そして、人を騙そうとする人間、つまり「悪しきマインド・コントロールに走るものは、他者を支配する快楽が強烈なのに比して、それを思いとどまる共感や思いやりを希薄にしか持たないと言える。」ということです。
人を騙す奴とは、自己愛が強く、威張ったり、強がったり、平気で弱い者いじめができる人間なのです。
オウム事件の麻原彰晃がそうであり、純粋で知的な高学歴の若者たちが、ころりと騙されてしまったということが過去にあったのです。
今後も麻原のような人格の人間が出現する可能性はゼロではありません。だとしたら、そのような人間に騙されないようにすること、そういう人間に権力をもたせないように監視することが大切になってきます。

もし、権力側がマインド・コントロールを使ってしまったらどういうことになるか。
この本の後半に、「パブロフの犬」で有名な条件反射の研究を深めたパブロフ博士のその後のことが書かれていました。彼は、彼の研究に興味をもったレーニンに厚遇され、ソ連で研究を深めたのです。その成果は、「洗脳」に利用されました。肉体的苦痛を与え続け、そのあとに快楽を与える、このような手法で人間の思想を変えることができるということでした。
あってはならないことです。

悪意を持って一定の条件を整えれば、マインド・コントロールは可能である。
そのことがこの本を読んでわかりました。
しかし、そんなことを許す社会であってはならない。このことは肝に銘じておきたいと思います。
(拷問はもちろん、精神的苦痛を伴う尋問や教育において体罰が禁じられているのも、こうした事情が背景にあるのかなとふと思いました。)
個人レベルでいうならば、そんなものに陥らないような人格形成をめざさなければならない。心からそう思いました。

『パリよ、永遠に』

6月4日(土)、朝のテレビを見ていたら、セーヌ川が洪水で水位が上がってしまい、ルーブル美術館とオルセー美術館が7日まで休館というニュースが流れた。美術品が浸水でやられないように移動させているためだとか。
ちょうどこの数日の間にパリを訪れてしまった観光客にとって残念この上ない話だろう。
が、自然現象なのだから仕方がない。
そしてセーヌ川の洪水も、おそらく数日でおさまるだろう。また、もとに戻る。
しかし、過去に、この美しいパリという街、ルーブルに所蔵されている美術品、これらすべてが人間の手によって破壊される可能性があったのだと知ると、今現在、それが存在しているというだけで、ありがたいことだと思えてくる。

第二次世界大戦中、パリはドイツ軍に占領されたが、連合軍側のノルマンディー上陸後の進撃により、1944年8月25日に解放された。
恐ろしいことに、実はこの数日前、ヒトラーはパリの破壊を命じていた。
戦略的にパリを破壊しても何の意味もないというのに、手放さざるを得ないならば壊してしまえという理由で。
結果的に、パリは破壊されなかった。
ドイツ軍は破壊をさけ、パリをほぼ無傷で明け渡した。
そこに、どのような事情があったのかが、この映画を見てよくわかった。

『パリよ、永遠に』  
2014年のフランス映画。 日本での公開は2015年3月。

敗戦濃厚となった1944年8月、ヒトラーはパリの破壊を命じる。セーヌ川に架かる橋を爆破し、それによってせき止められたセーヌ川の氾濫で、パリを洪水にし、さらに、ノートルダム聖堂、ルーブル美術館、オペラ座、コンコルド広場、廃兵院、エッフェル塔、...これらに爆弾を仕掛け、爆破するというもの。
計画のすさまじさに驚いた。まさにパリ壊滅作戦だったのだ。
パリ占領中のドイツ軍のコルティッツ将軍も実はそんなことはしたくはない。
しかも、コルティッツは、末期症状のヒトラーの目つきがおかしく、よだれを垂らしているような様子を見ていて、こいつの命令には従いたくないと思っていたところだったのだ。
しかし、軍において命令は絶対であり、総統の命令には逆らえない。
さらに、家族を人質にとられていて、命令に背いた場合には家族は処刑という法まで作成されてしまっている。
(人をがんじがらめに縛るヒトラーの手法は卑怯であり、天才的だ。)
100万~200万のパリ市民の犠牲者をだすであろうという計画の実行を決断しなければ家族は守れない。
そのはざまで苦しむコルティッツ将軍。それを説得するスウェーデン総領事ノルドリンク。


この作品はシリル=ジュリーの戯曲「Diplomatie」を脚色したもの。
私の頭の中では、国際関係は力で決まる、という思いがあり、外交の効力を信用していない面があった。
が、国際関係も人と人の関係が作るものであり、トップ同士の人間関係やトップの人格・人間性が反映されるのもまた当然である。
ドイツの敗戦が濃厚になっていた時期であったとはいえ、タイミング的にはコルティッツがパリ壊滅作戦の実行を決断してもおかしくなかった。一歩間違えば、そうなっていた。
そうならなかったのは、コルティッツとノルドリンクの信頼関係であり、ノルドリンクの粘り強い外交努力であったと言える。

この映画は、全編のほとんどがパリのホテルの一室での二人のやり取りで、戦況の説明には白黒の実写フィルムをはさむだけで、派手な戦闘シーンなどはない地味な作品だ。
しかし、セリフの一つ一つに重みがあり、ぎりぎりのところに立たされている二人の立場もよくわかり、興味深く見ることができた。
ラストのセーヌ川からの景色が流れるシーンを見たとき、やはり、「パリよ、永遠に」と思った。

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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