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歴史の中の銃

世界史の史料集に、ドイツの三十年戦争(1618~48)の時の「マスケット銃をかつぐ傭兵」という挿絵が載っている。
マスケット銃とは弾丸がスポッとまっすぐに飛び出す初期の銃である。
無回転の弾丸の軌道は安定せず変化する。
野球のピッチャーが投げる球や、バレーボールのサーブが、無回転だと大きく変化することを思い浮かべれば理解しやすいと思う。
銃はこれでは困る。
これを改良したものがライフル銃で、銃身の内側にらせん状の溝を施すことで、弾丸は進行方向を軸として回転しながら飛び出すようになり、軌道はぶれなくなり、命中後の破壊力は格段に高くなった。
アメリカ独立戦争(1775~83)の時には、すでにライフル銃が使われていたという。

銃はさらに前装式から後装式へと進化を遂げる。
前装式とは、銃身の先端側の銃砲口から銃弾・装薬を装填する方式で、装填に時間がかかり、発射速度が低い。
これに対して、後装式は、装填が容易に迅速に行え、発射速度が速い。

武器の進歩はめざましい

司馬遼太郎の作品の中にも盛んに銃の名称が登場する。
幕末から戊辰戦争にかけて、諸藩は銃の購入に力を注いだ。
長州藩・薩摩藩を相手にしたトマス・B・グラバーや、東北諸藩を相手にしたスネル兄弟など「死の商人」が暗躍する。
長州藩が最新の武器を購入していたころ、東北諸藩は、旧式銃を安く購入していた、というようなくだりがあり、興味深く読んだ記憶がある。
(どの作品のどの部分だったかが、今、どうしても思い出せないのだが。)

この頃の銃についてまとめてみると、概ね以下のようになる。

1868年頃、会津藩は、すでに時代遅れであったゲベール銃(滑空式・前装式)を廃棄し、ミニエ-銃(施条式・前装式)を盛んに輸入調達した。
しかし、会津戦争時、ミニエー銃が主力であった会津藩に対して、新政府軍はスナイドル銃(施条式・後装式)が中心であった。
当時、一番レベルの高い銃はスペンサー銃で、これは、施条式・後装式で連発式であった。
「八重の桜」の山本八重が会津戦争で使っていたのは、スペンサー銃で、これは、兄の覚馬が長崎に行ったときに購入し、八重の結婚祝い(川崎尚之助との)に贈ったものだという。

武器のレベルは戦局を左右する。
しかし、最新式のものは高価となり、大量には購入できない。
戦力は当然、藩の経済力にも左右されたのだ。


映画「スターリングラード」でも銃に関することが印象に残る。
スターリングラードの戦いは第二次世界大戦の戦局を大きく変えたもので、ソ連軍はドイツ軍以上の犠牲者を出して、この戦いに勝利した。
それまで破竹の勢いでヨーロッパを制覇していたドイツ軍がここから負けに転じ、敗戦への道をたどっていくことになる。

この戦いにおけるソ連軍の隊長の指示に驚かされる。
「銃は二人に1丁だ。持っていないものは、死体から取り上げろ。」!!!
銃を持たない兵士を前線に立たせて突撃させる、という信じられない戦いぶりだ。
農民を多く動員し、兵力は調達したが、それに見合うだけの銃は調達できなかったということだ。

その後、ソ連は銃の製造に力を注ぐ。
そこで製造されたのが、設計者の名前からカラシニコフと呼ばれるAK-47という銃である。

この銃は、簡潔な設計で、耐久性にすぐれ、どんな過酷な環境でも確実に作動したという。ベトナム戦争では、米軍の高性能の銃が高温多湿のベトナム森林地帯で故障が続出したのに対し、南ベトナム解放戦線が使うAK-47は、確実に動作したという。
いわば“simple is best” ということか 。
単純にしたことで、メインテナンスもしやすくなった。
現在に至るまで、何段階もの改良がくわえられているが、カラシニコフという名称は引き継がれている。
しかし、シンプルな設計であるということは、量産にも向いており、コピー商品が続出するということになる。当然、安価で手に入るから、現在起こっている紛争地域の過激派集団に流れているのも、この拳銃であるという。

人間はものづくりの名人だ。
改良を加えてより高度なものをつくりあげる能力に長けている。

むしろ、この能力を抑えさせることの方が難しい。

5月上旬、3Dプリンターで殺傷能力のある拳銃を作った男が逮捕された。

立体的にものをコピーしてしまうこの機械は、医療の分野などで活用されていて、今後も様々な分野の発展に大きく貢献するであろうと期待されている。
それをよりによって、人を殺すためのものを作ることに利用するとは....と、ため息が出るが、当然、起こりうることではあった。

逮捕された男は、「拳銃が大好きで、銃が違法な日本でどうしたら持てるか考え、自分で作ろうと思った。」と動機を供述したという。
とんでもない。
殺傷能力のあるものであれば、たとえプラスチック製であろうが、『所持』すれば銃刀法違反。製造すれば、武器等製造法に違反し、3年以上の有期懲役となる。

また、「体力的に弱い者の自衛手段として拳銃は必要だ。」と持論を展開したという。

必要だろうか?
弱いものがそんなものを持っても、どうせ使えはしない。
使ってしまえば、その場で犯罪者になる。
使えないものは、安全確保のお守りにはなりえない。

狩りをして暮らしていた時代や戦乱の世の中だった頃とは違う、21世紀の日本において、銃はいらない。
ただし、これは、日本だからいえること。

世界の多くの地域では、これは通用しない。
簡単に作れる方法があったら、それはあっという間に広がるだろう。

2013年12月に94歳で死去したカラシニコフは、一部の国が、AK-47をコピーした模造品を勝手に生産し始め、それが紛争地域に広まっていることに不快感をあらわしていたという。
一部の国が勝手に作って、外貨獲得のために、どこにでも売る。
この事態は、防がなくてはならない。
世界的な監視が必要になっていくだろう。

「私たちは、死の商売でお金儲けをしてはなりません。」
「国際武器市場を自由貿易の原理に任せてはならないのです。・・・・・・・・この武器貿易は、独裁者の友であり、人々の敵である場合がほとんどなのですから。」    (by オスカル=アリアス )



追記:カラシニコフについては、松浦晋也さんのブログ「人と技術と情報の界面を探る」から「カラシニコフとAK-47と核兵器」の記事を参考にさせていただきました。


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萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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