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『インビクタス/負けざる者』 大統領になってからのマンデラ

前回のブログを「次回はインビクタスについて書きます。つづく」で終わらせた。

これは、ブログをやっている人から教えてもらった入れ知恵で、「つづく」で終わらせて読者を引っ張るという手法だ。
日記ブログも「ではまた明日。」で終わると、翌日も書かなくてはという気持ちが働いて、継続するのだそうだ。
(私は日記ブログをやるつもりはないが。)

真似してやってみた。
誰も期待なんかしていないし、私が勝手に書いているだけなのはわかっているが、クソ真面目な性格の私は、この「つづく」という言葉により、「続きを書かなくては、」という、義務感を持ってしまう。

自分自身を縛るという意味では意外といいかもしれない。

しかし、そういう時に限って、身内に具合の悪いものが出て、そちらに顔を出さなくてはならなくなったり、締め切り付きのパソコン仕事が転がり込んだりして、ゆっくり文章を書く余裕が生まれない。

やっと、書き始めることができた。(以上、近況。)
さて、本題です。

「インビクタス/負けざる者たち」2009年のアメリカ映画。
監督:クリント=イーストウッド
出演:モーガン=フリーマン(ネルソン=マンデラ)
   マット=デイモン(ラグビーチームの主将フランソワ=ピナール)

クリント=イーストウッド監督作品には、「硫黄島からの手紙」、「ミリオンダラー・ベイビー」など、今後、このブログで書いてみたいと思うものが数多くある。
モーガン=フリーマンは、上記「ミリオンダラー・ベイビー」(これは主演クリント=イーストウッドの存在感の方が圧倒的だったけれど)や、私の好きな映画№1の「ショーシャンクの空に」など、彼が出演している映画は面白いこと保証付き。ほんとに味があり深みがある名優だと思う。
そして、マット=デイモンは、「プライベート=ライアン」でのトム=ハンクスとの共演、「グッド・ウィル・ハンティング」でのロビン=ウィリアムズとの共演、そしてこの作品でのモーガン=フリーマンとの共演と、名優との共演が多数ある。心ある大人に接することで成長していく若者、そんな役どころがぴったりの俳優だ。(「幸せへのキセキ」では父親役を演じる年代になってしまったけれど。)



この映画は、大統領になってからのマンデラの話である。

マンデラというと、どうしても「27年間の獄中生活を経て~」という言葉がついて回る。
なので、勝手にその部分から始まるのだと思っていたので、映画の冒頭の部分で、釈放時の本物のマンデラの実像フィルムの後、スーツを着たモーガン=フリーマン扮する大統領になったマンデラが登場したとき、違和感があってなじめず困った。

本物のマンデラの少し細い目でやさしく微笑んでいる顔になじみすぎていたので、モーガン=フリーマンがモーガン=フリーマンにしか見えず、マンデラに見えなかったのだ。

しかし、やはり、モーガン=フリーマンは名優だ。
(しかも、マンデラ役は:モーガンにというマンデラ本人の希望もあったという。)
彼の演じるマンデラの世界に引き込まれていった。



今までの私は、マンデラという人物が、27年間という気の遠くなるような長い年月を、絶望的ともいえる状態の中で、どうやって希望を捨てず、強い精神力で耐え抜いていったのだろう、ということばかりを考えていた。
(そのこと自体、感服せざるを得ないことだと思う。)

しかし、もっと大事なのは、大統領という権力を手にしてからのマンデラのやり方だ。

大統領になったマンデラは、就任初日、前政権の職員だった白人を慰留する。
「新しい南アフリカをつくるために協力してほしい。あなたたちの協力が必要だ。」

ボディーガードもだ。

前政権のデクラークは、マンデラと協力しあい、アパルトヘイトの撤廃に尽力した人物であるとはいえ、その時点でのボディーガードの任務は反抗する黒人から大統領を警護するということだ。

黒人にしてみれば、警察は、「俺たちを殺そうとした連中」なのだ。
そして実際、「大勢、殺された。」

それを、マンデラは協力し合って任務に着けという。

「過去は過去なのだ。我々は未来を目指す。和解の在り方を見せるのだ。」
(言えそうで言えないセリフだと思う。)

「赦しが第一歩だ。赦しが魂を自由にする。赦しこそ恐れを取り除く最後の武器なのだ。」
(うーん。すごい。)

言葉は単なる文言ではない。
言葉は魂である。
語る人間の人格、経験その他すべてをトータルした魂が言葉に込められる。

(こういうセリフって、インプットしておいて、何処かで使おうなんて思っても無駄だな。
使おうなんて思わずに、自分の心のなかにしみこませておこう。)



映画は、1995年に南アフリカで開催されたラグビーワールドカップを背景に、ラグビーチームのスプリングボクスの主将ピナールとマンデラの交流を軸に展開していく。

スプリングボクスのメンバーたちも、黒人の子供たちにラグビーの指導をするために貧困地区を訪れたり、マンデラの収監されていたロベン島を訪れることで、黒人に対する差別的な考え方から少しずつ解放されていき、マンデラという人物の大きさに感化されていく。

この映画、後半はスプリングボクスが勝ち続けて、イケイケどんどんのスポーツものみたいなノリになっていく。
大まかなストーリーはそういうことなのだが、細部にこだわってみると、クリント=イーストウッド監督の表現方法のうまさに感心させられる。

例えば、白人のスポーツであったラグビーを表現するために、その隣のグラウンドで黒人の子供たちが裸足でボールを追っかけてサッカーをしている場面を使って対比させているところ。

早朝の散歩で、ボーディ―ガードから家族のことを聞かれたとたん、散歩をやめてしまうマンデラ。南アフリカという国、あるいは世界にとって偉大な人物マンデラでも、プライベートでは悩みを抱えていることがわかり、一人の生身の人間としてのマンデラも表現されている。

ストーリーとは外れてしまうが、この映画をみる上で、この国の国旗と国歌について知っていると、さらに細部がよくわかり面白い。それについても書きたいのだが、長くなりすぎたので、今回はこの辺で。


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萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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