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『いつか晴れた日に』

18世紀末から19世紀初めころの、イギリスの貴族の女性を描いた作品。
貴族にも裕福な貴族も貧乏な貴族もいる。財産のない貴族身分の女性は、自分で働いて収入を得ることもできず、不自由なものだと思った。
打開策は、条件のよい結婚という自力ではどうにもならないことしかない。
そんな当時のイギリス社会を舞台にした、財産のない貴族の姉妹の物語です。

原作は、ジェーン・オースティンの『分別と多感』
『分別』とは姉のエリノア(エマ・トンプソン)を表した言葉で、『多感』は妹のマリアンヌ(ケイト・ウィンスレット)のこと。
辛い状況の時も感情をあらわにすることなく、ひたすら耐えるエリノアは、少々地味なくらいである。一方、妹のマリアンヌは、褒められればうれしくなるし、ひどい状況に陥ってしまった時は悲嘆し、荒野をさまよってしまうほど激しく心乱れてしまうなど、感情がむき出しになる。マリアンヌは美人で華やかで魅力的。
性格のまるで違う二人の物事に対する反応の仕方の違いが興味深い。しかし、この姉妹は(三女の年の離れたマーガレットも含めて。)仲が良く、支え合って生きている。
遭遇する不幸な出来事に対して、それぞれの受け止め方で、

(あらすじ)
姉妹の父親である貴族のダッシュウッド氏が亡くなる。広大な土地を分割したくないというダッシュウッド氏の遺志で、遺産は先妻の子ジョンが受け継ぎ、後妻である姉妹の母と姉妹たちには年金で生活を保障する、という事なった。
しかし、その年金はジョンの妻ファニーにより、減額され、さらに母と姉妹が住んでいた邸宅を乗っ取られ、母娘は親戚の厚意で田舎のバートン・コテージという空き家だった住まいに移り住む。元の邸宅では召使のいる生活だったがそれもなし。
この間、エリノアにもマリアンヌにも、それぞれ心を寄せる恋人ができるのだが、その恋人にはるか昔に約束を交わしたという婚約者がいたり、だらしない過去の過ちのせいで負債を負っていたがために金持ちの貴族の娘との結婚にのりかえられて捨てられたり、と気の毒としか言いようのない裏切りにあう。

ショックを受けたマリアンヌは嵐の日に荒野をさまよい、それが原因で病いに倒れる。
不幸のどん底の状況が姉妹を襲う。
*******
「さて、物語の結末はどうなるのだろう。」と結末を想像しながらワクワクして、終盤の展開に夢中になっていく。
ストーリーの展開としては、様々な可能性があるわけだ。
金銭的に困窮してもっとみじめな状況に陥るかもしれないし、このまま田舎で質素ながらも静かな生活を続けていくかもしれないし、あるいは突然大金持ちの庇護者が現れるかもしれないし、もしかすると、姉妹のそれぞれに素敵な結婚相手ができるかもしれないし。
映画を見るのは、だから楽しい。
そして、作品を見終わったあと、いろいろなことを考えてしまう。

マリアンヌのように、感じたこと思ったことを素直に表現するのもいい。
エリノアは次々におこる不幸な出来事にじっと耐え、運命として受け入れながら、それに負けてしまうことはない。
静かな強さのある女性である。
どちらがいいとか比較する必要はない。それぞれの性格なのだ。
この姉妹をみていると、遭遇する出来事に対する反応の仕方は様々だと思う。
しかし、どうであれ、その人なりに何とかしていく。
この姉妹なら、支え合って、様々な出来事を乗り越えていけるだろう。



そして、ふと思う。
人生何が起こるかわからない。
先のことを思い煩ったって仕方ない。
起こらないかもしれない不幸におびえて不安になるのは馬鹿馬鹿しい。
その時、その時に、それに対応していくしかない。
結局、おきまりの言葉になってしまうけれど、
「なるようにしかならないさ。」と大きく構えて生きていけばいいのだ、というところに気持ちが落ち着いた。
この作品を見終わって考えたことは、まあこんなことでした。
作品の意図(というものがあるとするなら)からは、おそらく大幅にそれているとは思いますが。

1995年製作のアメリカ・イギリス映画。
この作品では、エリノアを演じたエマ・トンプソンが脚本も担当し、アカデミー賞の脚本賞を受賞している。

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プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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