『硫黄島からの手紙』

硫黄島とは東京都区部からおよそ1200kmに位置する8km×4kmほどの島である。
土壌は火山灰。飲料水などは塩辛い井戸水か雨水に頼るしかないという。

作品の始まりの部分で、海岸で塹壕掘りを命じられていた一等兵の西郷(二宮和也)が、
「こんな島、アメ公にやっちまえばいいんだよ!
何も生えねえし、くせーし(臭い)、あちーし(暑い)、虫だらけだよ。おまけに水がねえ。」とぼやいたのが、上官に見つかってしまい、こっぴどくぶたれるシーンがある。

島を見た限りでは、西郷がそう思うのが当然だろう。

ではなぜ、このような劣悪な環境の島で、太平洋戦争における最大の激戦とされる硫黄島の戦いが展開したのか。
それは、この島が当時の飛行機で日本本土との往復が可能な距離に位置していたこと、飛行場となる平坦な土地があったことに由来する。

すでに1944年夏、マリアナ諸島を攻略したアメリカは、ここから日本本土への空襲を開始していたが、日本は硫黄島においていた防空監視所からの報告にもとづいて、戦闘機をB29の迎撃に向かわせていた。つまり硫黄島は、アメリカの日本本土空襲を防衛するための拠点だったのである。
アメリカとしては、この日本の防空システムを破壊したい。さらに、この島を手中にすれば、東京空襲が可能になる。
逆にいうと、日本としては、東京空襲を避けるためには硫黄島を死守しなければならなかったのである

ここに太平洋戦争末期の硫黄島をめぐる日米の死闘が展開することになる。


この作品では日本軍側の人物、特に主人公の栗林忠道中将(渡辺謙)を、非常にわかりやすく丁寧に描いている。
新たに硫黄島に指揮官として着任した栗林忠道中将。彼はアメリカ留学の経験もあり、従来の日本軍の指揮官とは違う発想をする人物だった。少ない兵力だからこそ、兵士に休息を与え、大切に扱う必要があるという考え方をする。精神力だけを強調し、従わないものは暴力をもってでも従属させるという、旧来の軍隊にありがちな行為はしない。

それにしても。
栗林の置かれた状況はあまりにも悲惨だった。
勝てるはずのない戦況の中で、重要拠点の死守を任ぜられる。
しかも、すでに末期症状に陥っていた日本軍の内部では、意見の対立が生じていて、栗林の考え方に否定的なものさえ出てきている。

たとえば。
陸軍と海軍の連携がとれていなかった。
伊藤海軍大尉(中村獅童)や大杉海軍少将は栗林の着任時から、栗林のことを良く思ってはいず、「海軍の軍規では敵上陸まで」ということにこだわったりしている。
これに対して、栗林は「これは本物のいくさなんですよ。わかっていますね。」と諭している。栗林の言うとおり、この状況下で海軍だ、陸軍だ、とこだわっている場合ではない。
連携できなくては作戦のたてようもないだろうと思う。

また、当初から硫黄島で任務していた中堅幹部の多くは、アメリカ軍の上陸直後を水際でたたく、そしてそれがだめなら、「軍人らしい潔い死に様を」、と考えていた。
しかし、栗林は持久戦を主張する。海岸からさがった地点からの穴からの攻撃により、敵にダメージをじわじわと与え、一日でも長く、硫黄島を持ちこたえたいという栗林の思いである

「我々の子供たちが一日でも長く暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味があるんです。」
栗林が「一日でも長く」という言葉を使っているところが悲壮だ。
勝てる、守りきれる、とは思っていないのだ。

結局。
硫黄島の戦いはアメリカ軍の圧倒的兵力を前に5日で終わるだろうといわれていたが、36日間にも及ぶ激戦となった。
この島の陥落後、東京空襲が本格的に始まる。


硫黄島の戦いにおける栗林中将の置かれた状況は、どうにもよい方には展開しようのない状況だったと思う。
西竹一(伊原剛志)の「最も賢明な策は、この島を海の底に沈めてしまうことだと思います。」という言葉は正しい。
それができるなら、どんなにいいだろう。この島をアメリカに奪われてしまわなくて済むのだから。
そんな状況下で最後まで最善を尽くそうとした栗林中将は、軍人として、人間として立派だったと思う。
そしてそんな彼は、家族を心配し、手紙を書き続けた一人の家庭人でもあった。
そこまでを描いているクリント・イーストウッド監督のこのアメリカ映画、秀作だと思います。


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作品とはそれたひとり言。
戦後70年以上たってしまった現在からすると、もっと早く降伏してしまえばよかったのに、そうすれば、もっと少ない犠牲で済んだのに、という思いが頭をよぎる。
しかし、それができない状況だったというのも、戦争まっただ中の当時の様子を見ればわかる。
特に、制空権にかかわる重要拠点、硫黄島においては。

第一次世界大戦末期のドイツでは、キール軍港の水兵の反乱から革命がおき、第一次世界大戦は終戦となった。水兵たちが、負けが見えている戦況のなかで、戦地に派遣されるのはイヤダということで始まった反乱だった。
同じようなことは日本ではありえない。
日本には「一億総玉砕」という言葉があった。
戦争に協力的でない者を「非国民」と呼んだ。
降伏すれば戦争が終わる、などというを口に出して言うことはできない時代だった。

戦争がいったん始まってしまうと、それに向かって大きな動きが働いてしまい、小さな抵抗ごときでは、流れを変えることは絶対にできない。
だから、平和な現在の日本においても、「もし、戦争が始まったらどういうことになるか。」ということを、想像力をめぐらせて、考えておかなければならないと思う。
映画を見終わった後、そんなことも考えた。

『父親たちの星条旗』

この作品は、太平洋戦争における最大の戦闘とされる硫黄島の戦いを、アメリカ側の視点で描いたもの。日米双方の視点からこの戦いを描くという「硫黄島プロジェクト」のうちのアメリカ側の視点で描いたのがこの作品で、日本側からの視点から描いたものが『硫黄島からの手紙』。
片方の側からの立場で見てしまいがちな戦争というものを、双方の視点から見つめるという考え方に気づかされることが多いし、どちらの作品もクリント=イーストウッド監督の手腕が光っている。


硫黄島の戦いについては日本側の視点からしか考えたことはなかった。
どうしても、島に押し寄せる圧倒的な数のアメリカ軍の軍艦や上空を滑空する戦闘機・爆撃機の映像が頭に浮かんでしまい、「軍事力で勝るアメリカ軍に対して、勝てるわけのない兵力で全滅となるまで島を守り抜こうとした日本軍」、というとらえ方をしてきていた。
今まで私の中で、この戦いに勝利したアメリカ軍側のダメージについてあまり考えたことはなかったように思う。
しかし、戦争なのである。日本軍・アメリカ軍双方に相当数の死傷者が出たのは当然なことだ。
この作品で気づかされるのは、負けた側はもちろん、勝った側も大きな痛手を負っているということだ。そして、生き残って祖国に帰還できた兵士でさえも心に深い傷を負っていたということに思いをはせることができた。


父親たちの星条旗

この作品は、硫黄島の激しい戦闘のなかで、摺鉢山を攻略したアメリカ軍の兵士たちが、山頂に星条旗を掲げた写真をめぐるストーリーである。
象徴的な写真だ。
この写真により、硫黄島の戦いでアメリカ軍が勝利したことをだれもが確信する。
しかし、旗が掲げられた後も、全島を制圧するまで戦闘は続き、その間に戦死したものは多く、写真に写っている6人のうち生き残ったのは3人だけだった。

生きて祖国に帰還できた3人は、星条旗を掲げた英雄として扱われる。

戦場の実態というものは想像を絶するほど残酷なもので、それは仕方のないことではあるけれど、戦場に身を置いたことのない者にはわからない。
兵士を送りだし、祖国に残ったものは、ひたすら戦勝を祈り、帰還した兵士を英雄として称賛してしまう。

しかし、彼らは英雄扱いなどされたくはなかった。
彼らは自分たちのことを英雄とは思っていなかった。
自分たちは旗を掲げただけだ、そしてその写真に写ってしまっただけだ、という思いがあった。

さらに、広く知れわたってしまった写真は、最初に山を制圧した時に掲げたのものではなく、スペアの星条旗を掲げなおした時のものでだった。写真に写っている6人が誰だったのかについても、死んでしまった者もいるので、混乱のなかですり替えがおきてしまい、正確ではなくなっていた。
しかし、彼らへの称賛の方がどんどん膨らんでいってしまい、こうした「事実とは異なる部分」はうやむやとなってしまう。
それは彼らの気持ちのなかにしっくりこないものとして残り、彼らの心を傷つけていく。

3人のうち、アイラは、英雄扱いをされることには耐えられなかった。
深く傷ついた彼は、戦後、幸福な人生を送ることはできなかった。

ドクとレイニーは自分の立場をわきまえ、イベントやパーティーやスピーチに駆り出されることを拒否しなかったが、もてはやされてもヒーロー気取りになることなどはなかった。家族にも戦場でのことは多くを語らなかった。
戦場での悲惨な経験のすべてを胸の奥にしまって静かに戦後を生きた。
(たたし、彼らは、死んでいった仲間の父親や母親を訪ねて、最後の様子を伝えることはした。息子を失い悲しみの中にいる父親や母親に、戦場での写真もなく、栄光とは無縁に死んでいった彼らの息子が立派な男だったということを伝えるために。)



前半の激しい戦闘シーン、帰還後、英雄扱いに戸惑う元兵士たち、騒ぎが収まった後の彼らのその後の人生。
『硫黄島からの手紙』が硫黄島の戦いで終わっているのに対して、この作品は長いスパンで兵士たちのその後までを描いているところがいい。



『父親たちの星条旗』
2006年公開のアメリカ映画。

戦争映画について

『ハクソー・リッジ』を見た後、また『プライベート・ライアン』が見たくなり、見てみた。何度見ても、この作品はすごいと思う。戦闘の描き方のリアルさ、人物の描き方など、非常にレベルの高い戦争映画だとあらためて思った。

この夏は徹底して戦争映画を見ることに決めた。
戦争映画の名作を見ておかなければいけないと痛切に思ったのだ。

『プライベート・ライアン』や『ハクソー・リッジ』の戦闘シーンの迫力はすさまじい。爆弾に撃たれて内臓がとび出たり、銃弾を受けた傷口から血液がどっと流れ出るシーンは、顔をゆがめながらでないとみられないし、目を閉じたくもなったりする。
真夏の沖縄戦の、死体によってくる蛆虫やネズミも描かれていた。
そして、そういう見たくないシーンが、73年前ノルマンディーやの72年前の沖縄で現実に起こっていた。

「戦争はイヤだ。」と痛切に思う。
この思いをつないでいくためにあるのが戦争映画なのだと思う。
実際に戦場に行った方々の多くはすでに亡くなられ、当時、幼い少年であった方々も、かなりの高齢になっている。
だから、この方々の次の世代である私たちが「戦争はイヤだ。」という思いを次の若い世代につなげていかなければならない立場になってきているのだと思う。
戦後生まれの私たちは戦争を知らない。幸いなことに全く知らない。
知らないけれど、「戦争はイヤだ。」と思う。
だったら、せめて、きちんと戦争映画をみておこうと思う。

戦争の悲惨さ、非情さ、不条理を描いたものが戦争映画なのだと思う。
戦争映画は反戦映画である。
強い兵士をヒーローのように扱ったものは、戦争アクション娯楽映画であって戦争映画ではない。
単に残虐な戦争シーンを描いただけなら、そんなもの見たくはないと避けるだけである。
戦争という平時とは全く異なる極限の状況の中で、人間がどのように生きていったかを描いたものが優れた戦争映画なのだと思う。
ごく普通に、家族の中で暮らしていた人々が、戦争がおこってしまったことで、「普通」が成り立たない状況下におかれていく。

ひとたび戦争が始まってしまうと、想像もつかなかったような悲惨な状況に展開していく。
このことについて、しっかりと考えておきたいと思う。

『ハクソー・リッジ』

ハクソー・リッジ

仕事に一段落がつき、休日になったので、映画を見てきました。
見たいと思っていたのは、断崖絶壁を兵士たちが登るシーンが予告編で流れた『ハクソー・リッジ』。
第二次世界大戦中の実話に基づく作品ということですが、あの断崖絶壁はいったいどこなのだ?と気になっていました。

公開したばかりなので、ネタバレしてはいけないと思うのですが、書いてしまいます。
あの断崖絶壁は沖縄の「前田高地」とよばれた日本軍陣地の北側の急峻な崖地でした。
これは自分としてはショックでした。
日本版の予告編でも沖縄を舞台としていることはまったく紹介されていなかったということもあるのですが、「ヨーロッパ戦線のどこかで、こんなすごい地形のところがあったのかな。」などと思っていて、映画を見る前に「あの断崖絶壁が沖縄であること」を全く予想していませんでした。心の中で自分の頭を殴りました。

作品の後半はほとんどが戦闘シーンです。『プライベート・ライアン』における最初の30分のノルマンジー上陸作戦の激しい戦闘シーンに並ぶ、いやそれ以上と評価されているようです。

いつも思うのは、この手の作品、つまり「第二次世界大戦を扱ったアメリカ映画で日本と戦っているもの」を見る時、どのような見方をしたらよいのか、ということです。
主人公のデズモンドが衛生兵として戦場の中で負傷した兵士を一人、もう一人と救出していく姿は感動的で、彼に感情移入して見てしまいます。
しかし、沖縄戦を実際に経験した方々、その遺族の方々にとっては、当然、簡単にそんな感情にはなれない深い思いがあることでしょう。
あの戦いにおいて、デズモンドが属するアメリカ軍は敵であり、多くの沖縄県民が犠牲者となったのです。

ここで私はこの後の文をどう書いたらよいのか苦しんでしまい、書く勢いが止まってしまいます。そして、お決まりの言い方になってしまいますが、戦争映画は敵も味方もない、その悲惨さを心に刻んでみるべきだ、ということに留めます。
(戦闘シーンのラストの部分で、白旗を掲げた日本兵が投げた手榴弾でデズモンドは負傷します。白旗を掲げておきながら武器を使用する日本兵は卑怯だ、ということになるので、そこのシーンだけが納得がいかないのですが。今となってはわからないこと。ただ、作品をつくる上では避けて欲しかった。でも、日本兵はそんな卑怯なことはことしないと思いたいのは私の感情であり、やっぱり、日本人として作品を見ているということになるのかな。)

この作品は、実在した人物デズモンド・T・ドスを描いたもの。実話であるということが何より説得力となるし、作品の最後で、自分の体験について語るデズモンドが登場します。前半の軍法会議、後半の戦闘シーンと大きく二つに分かれるのですが、どちらの部分においても、「銃を持たない」と心に誓った人がどのような形で戦争と関わったのかということを知ることができるストーリーです。


『ハクソー・リッジ』
2016年 アメリカ映画  
監督:メル・ギブソン
出演:アンドリュー・ガーフィールド (デズモンド・T・ドス)
    『アメイジング・スパイダーマン』ですでに有名になっている俳優だそうですが、私としては、『ソーシャル・ネットワーク』でザッカ―バーグの訴訟の相手エドゥアルドであり、『大いなる陰謀』で教授のロバート・レッドフォードに呼び出される学生。  
 

『私の中でのディカプリオ作品ベスト10』

Tさんは20代前半の映画が大好きな女性。
彼女が目をキラキラと輝かせて、「ディカプリオが好きなんです~。」と語り始めると、こちらもワクワクしてきて、ディカプリオ作品が見たくなってくる。
彼女に影響されて、この数週間、ディカプリオ作品をいくつか見た。
詐欺師、口八丁の株式仲買人、ペテン師、大金持ち、貧しい画家志望の青年、FBI長官、開拓期の野性味あふれる毛皮ハンター etc. なんでもできる役者だ。
さらに、潜入捜査を命じられた悲劇の警察官、心を病んだ妻に寄り添おうと苦しむ夫・・・。
あらためてじっくり見て、ディカプリオの役者としてのうまさがだんだんわかってきた。

そこで。私なりのディカプリオ作品のランキングを勝手に作ってみた。

1.ブラッド=ダイヤモンド
ダイヤモンドの産地シエラレオネを舞台としたストーリー。内戦下での人々の悲惨な生活、少年兵のこと、紛争地域のダイヤが武器購入の財源となっていること、こうした問題をきちんと描いている社会派作品だ。ストーリーの展開も、凶暴なURF(反政府組織)の襲撃をくぐり抜けながら隠したダイヤを取りに行くというスリリングなもの。
この作品については、以前、書いたことがあるので、こちらもお読みになっていただけると嬉しいです。
http://haginori55.jp/blog-entry-44.html

2.キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
2002年の作品。監督:スティーヴン・スピルバーグ。
ディカプリオ作品の中では数少ない「見終わった後さわやかな気分になれる」作品。
実在の人物である天才詐欺師フランク・アバグネイル・Jr.の原作をもとにつくられた。
それにしても、アバグネイルがよりによってパイロットや医者という高度な知識・技術を必要とする専門識の人に成りすますのがすごい。(もちろん、飛行機を操縦するわけでも、医療行為をするわけでもありません。) 人はパイロットの制服や医師の着る白衣に案外弱く、服装だけで信用してしまうのかもしれないと思った。が、それだけでは詐欺は不可能。それが可能だったのは、彼の知識の豊富さ、頭の良さがあってこそ。しかし、やっぱり思う。これだけの頭脳を持っているのだったら、人をだますことではなく、世の中の役に立つことに使わなくてはね。
一方、アバグネイルを追いかけるFBI捜査官にはトム・ハンクス。アバグネイルに騙されてしまう彼は、間が抜けていると言いたくなるほどだが、最後まで徹底していい人。ここでもトム・ハンクスの人間的な味がにじみ出ている。
このストーリー、大好きです。

3.ウルフ・オブ・ウォール・ストリート
口八丁の株式仲買人。優良株でないことを知りながら、さも値上がりして儲かりそうなことを言って、富裕層に株を買わせて大儲け。儲けたお金でやりたいことをし放題。痛快であり、A級娯楽作品と言えるかな。以前、ブログに書いた作品です。
http://haginori55.jp/blog-entry-38.html

4.ディパーテッド
この作品はトニー・レオン主演の香港映画『インファナル・アフェア』のリメイク版。日本でのリメイク版は西島秀俊と香川照之の『ダブルフェイス』。で、どうしてもこの3つ作品を比較してしまう。(実は私はオリジナル版の『インファナル・アフェア』が一番好きなのだが。)この作品もディカプリオとマット・デイモンの競演でなかなか素敵。
マット・デイモン好きの私が、この作品ではディカプリオに肩入れしてみてしまった。(なんと単純!)

5.タイタニック
1997年の作品・監督:ジェームズ・キャメロン
恋愛ドラマの傑作であり、ディカプリオの代表作と言えば、この作品が№1になるのだろう。この作品は、公開中の20年前、ワクワクしながら劇場の大画面で見た。
恋愛とは「狂気の沙汰」なのだと思う。ローズの婚約者キャルが、嫉妬に駆られて、ジャックを銃で追い掛け回すけれど、沈もうとしている船の中で追いかけっこをしても意味がないでしょう、と思ってしまう。さらに、ローズがいったん救命用のボートに乗れたのに、ジャックを探しにまた船にもどってしまったのも、なんてもったいないことをと思ってしまう。タイタニックが沈没するとき、救命用のボートが足りず、船に取り残された人は多かったのだ。
そして、いつの世も格差社会。出航直前にようやく船のチケットを手に入れることができた貧しい青年ジャックは、もちろん3等客室の乗客。ローズは上流階級の人たちが乗る1等客室の乗客。等級で乗船中の滞在エリアは区切られており、1等客室のエリアはパーティー会場など実に豪華。避難の際も1等船室の乗客が優先されたとか。
(二人の階層が違うことが、恋愛ドラマをより盛り上げる要素なのだろうけれど、貧富の差という社会問題として見てしまおうとするところが、私の恋愛ドラマを観賞する能力の低さです。)
沈没する船の中で、最後まで演奏を続けた楽団の人たちは感動的だった。
そして、ジャックが海底に沈んでいくシーンはやっぱり悲しい。

6.リボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで
2008年のイギリス・アメリカ映画。『タイタニック』から10年、ディカプリオとケイト・ウィンスレットが夫婦役で再共演。しかし、『タイタニック』のようなロマンチックな恋愛ドラマを期待してみてはいけない。この作品はひたすら夫婦の問題を描いたもの。決して後味のいい作品とは言えない。見終わった後、いろいろ考えさせられてしまう。
人もうらやむような郊外の庭付きの一軒家に住んでいても、心が満たされていなければ、幸福感は得られない。隣の夫婦との一見、親しくお付き合いしているような関係も実に微妙。エイプリルはそこでの生活に閉塞感を感じていた。夫のフランクにそれほど落ち度があったとも思わないけれど、エイプリルがすでに心を病んでいたことに気づかなければいけなかったのだと思う。いい家に住んで、子供にも恵まれていたら、夫にすればそれで何が不満なんだといいたくなるだろう。でも、だからこそ、気づいて欲しかったと思う。

7.レヴェナント/蘇えりし者
やっとディカプリオがアカデミー主演男優賞をとれた作品。クマに襲われたり、崖から転落したり、寒さの中での過酷なシーンばかりなので、よく頑張った!と称賛したい気持ちにはなる。ただ、見終わった後、これって結局、復讐劇かと思うと、少々むなしく感じてしまう。

8.華麗なるギャッツビー
これもディカプリオの代表作と言える。1920年代、「永遠の繁栄」と言われたアメリカ様子がよくわかる。金持ちの豪華なパーティー、自動車がみんなの乗り物になっていくところなど、時代背景がよく描かれている。ただ、私はどうしてもデイジーという女が好きになれない。こんな女のために・・・。ギャッツビーも馬鹿だな・・。

9.シャッター・アイランド
精神障害犯罪者だけを収容する孤島。そこに捜査に乗り込んだ連邦保安官。何やらミステリアス。この島で何が行われているのか?ワクワク、ドキドキしながら異様な雰囲気の島のようすに引き込まれていき、ストーリーの展開も意外性があって面白い。
それにしても。もしこれが現実だとしたら本当に怖い。精神障害犯罪者に対するマインドコントロールやロボトニー手術がどこかで行われているのとしたら・・・。

10.J.エドガー
2011年。監督:クリント・イーストウッド
1924年~1972年までの間、捜査局長官・FBI長官を務めたJ.エドガー・フーヴァーを描いた作品。FBIという組織がどのような過程で権限の強い組織に発展してきたのがわかる。
http://haginori55.jp/blog-entry-77.html

以上、10作品をあげてみました。

このほか、『インセプション』もいいと思います。SFスリラー作品で、人の夢に侵入してアイデアを奪うのではなく、人の夢に侵入してアイデアを植えつける(インセプション)というもの。夢の第1階層、第2階層、第3階層など、設定がややこしくて、私は細部まで理解できたとは言えませんが、はまってしまって、何度も見る方もいるようです。
『アビエーター』も飛行機を操縦しているところがかっこいいし、ふわーっと見ていれば楽しいと思います。

繰り返しになりますが、レオナルド・ディカプリオ、すごい俳優だと思いました。


プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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