『ルース・エドガー』

『ルース・エドガー』
ルース・エドガー

2019年のアメリカ映画。
出演
ケルヴィン・ハリソン・Jr (ルース)
オクタヴィア・スペンサー (ハリエット・ウィルソン、世界史教師)
ナオミ・ワッツ (エイミー、ルースの養母)
ティム・ロス (ピーター、 ルースの養父)

面白い映画を教えてくれる情報源をいくつか持っているのだが、その一人Aくんがこの作品をあげてくれた。この人が「よかった。」という作品は私も「よかった」と思えるものが多いので、その信頼のもとに、Amazonプライムで見てみた。

タイトル以外の情報一切なしで見始めたが、いきなり見ても、登場人物の設定がわかりやすく、すぐに入っていけた。
そして。見終わった後、いろいろなことを考えさせられた。
こういう作品を秀作というのだろうな、と思った。

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以下ネタバレです。

主人公のルースは黒人の高校生。非常に優秀で、スピーチのうまさは抜群。
友人も多く、リーダー格である。
彼の家族は白人の養母エイミー(ナオミ・ワッツ)と、養父ピーター(ティム・ロス)。
深い愛情をルースに注いでいる。

この人物設定でいくと、アフリカのエリトリアという貧しい国から、アメリカ人家庭に引き取られた少年が、養父母の深い愛情の下で、優秀な人物に成長していく話かなと思ってしまう。

しかし、そんな単純な話ではない。

この年頃の少年の心は実に繊細で複雑だ。
ことに、周りの大人たちによる価値観の押し付けには猛烈に反発する。
実子でさえ、よい親子関係を築いていくのが難しいのに、血のつながりのない関係というのはさらに難しいだろうと思う。
まして、ルースはエリトリアの少年兵だった。

ルースの過去がいかに悲惨であったのかということは、作品では一切描いていない。
ルースが養父母に引き取られてから10年、精神科の治療も受け、もう、全く普通の子供と同じ状態になっていることを養母が教師に語ることなどから、想像するだけである。
ルース本人も「車の運転よりも先に銃の扱い方を覚えた。」と語っていることから、少年兵として、殺傷能力のある銃をもって訓練された、あるいは、実際に戦線に立たされた経験を持つのだろう。

少年兵の話を聞くたびに心が痛くなる。
少年兵はおもに拉致されて兵士に仕立て上げられる。
(いたいけない子供を戦場に送ろうとする親はいないし、まだ原っぱで遊んでいたい子供が進んで兵士に志願するなどありえない。)
無垢だった少年たちが洗脳的な軍事訓練を受け、残虐行為に加担させられる。
親の愛や友人との人間関係を通して、社会生活を身に着け価値観を構築していく10代の時に、豊かな国への憎しみと、それを暴力で解決しようとする価値観を叩き込まれた少年が出来上がっていく。

少年兵は成人して、自分の育った村に帰っても社会復帰は難しいという。
拉致の被害者だった少年に、残虐行為の加担者としての経歴がついてしまっているからだ。

あまりにも根深い問題だ。
それを少しでも良い方向にと、少年兵の過去を持つルースを引き取り、アメリカ社会に溶け込めるように育て上げているエドガー夫妻はすごいと思う。

見ている者こうした前提を十分に理解させながら、ストーリーは、ルースの高校生生活を中心に展開していく。
軸は、世界史教師のハリエット・ウィルソン(オクタヴィア・スペンサー)との関係。
おそらく、ウィルソン先生は、ベテランで、実力のある教師。
世界史上の人物のだれかを選び、その人物になって語るというレポートの課題は面白いとと思う。
この課題で、ルースはフランツ・ファノンというアルジェリア独立運動の指導者を選んだ。
過激思想の持ち主である。
(一般の人はまず知らない。アルジェリアでも忘れられているレベルの人物だそうだ。)
ルースのことを優等生として扱ってきたウィルソン先生に不安がよぎる。
ルースもまた、「アフリカ系高校生の模範」を求めてくるウィルソン先生に息苦しさを感じていた。
ルースがディベートで見事な論理的意見を発表することや、人を感動させるスピーチをすることは、指導者であるウィルソン先生の手柄にもなる。
ルースはそれが嫌だった。

そんな時、ウィルソン先生はルースのロッカーから爆発物となる花火を発見してしまう。
危険物を保持していることは違反。
しかし、個人のロッカーを本人に断りもなく検査するのもプパライバシーの侵害だ。
このあたりから、二人は微妙に対立していく。

ルースが過激思想を持っているかもしれないと疑うウィルソン先生。
エイミーはあくまでも100%の愛情でルースを信じようとする。
途中、ピーターの本音も漏れる。「本当は自分の子とごく普通の家族を築きたかった。」と。

ルースは頭のいい少年だ。
周りの大人たちの心理を読めている。
そして、暴れたり、わめいたりすることはなく、ウィルソン先生の疑いにたいして、理路整然と答えて、すり抜けていく。
レポートに書いたことは、「その人物になって」というレポートの課題に則して書いただけだと。ロッカーは友人と共有しているので、入れてあるものについて、自分が全部管理しているわけではないと。

そして、ウィルソン先生のデスクが仕込まれた花火の爆発で破壊された。
ウィルソン先生はこの責任を取らされて失脚する。

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見終わった後、考えさせられる。
爆発物を仕組んだ犯人は誰なのか?
ウィルソン先生の自宅の窓ガラスに、「ニガー」という落書きをした犯人は誰なのか?

ルースは全く関与していないのか?
それとも、ルースが仕組んだことなのか?

作品ではそのことがはっきりわかるような描き方はしていない。

見終わった後、もう一度見返して、確かめたい気分にさえなる。

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さて。

作品を見終わった後、どう思い、どう考えるのかは人それぞれ。
ルースが怪しい、と感じる方もいるだろうし、いや、ルースは潔白だと思う方もいるだろう。
だから、この記事も、ここでやめておくべきだ。

ただ、余計なこととわかっていつつ、私がどう考えたかを、続けて書きます。
ここからは私の勝手な、そして全くの妄想。

私は爆発も落書きもルースが関与していると思う。
直接やっていなくても、素行の悪さからウィルソン先生に処分されて、スポーツ奨学金を取り消された仲間もいた。
ルースが彼にウィルソン先生を陥れる計画を示唆した可能性はある。
ウィルソン先生もそう考えた。
しかし、ウィルソン先生の考えも私の考えも、あくまでも疑念に過ぎない。
証拠がないことに対して、ルースの関与を決めつけて、取り調べることはできない。
そして、疑うことはルースを傷つける
これ以上、事件については進展しないだろう。

では、ルースは悪魔の心を持った少年なのか?

仮に事件にルースが関与していたとしても、これについては、私ははっきりと否定したい。
幼い時に少年兵の価値観を植え付けられていたとしても、ルースはアメリカの社会で生きていくための価値観がわかっている。
そして、私はルースの将来にも期待している。
それは、何が起こっても100%の愛情でルースを護るエイミーの存在があるからだ。
愛され、信頼されていることをわかっている人間は、それを裏切るようなことはしない。
ルースは頭の良い少年だ。仲間に対する優しさも持っている。
まともな大人に成長するだろう。

もちろん、この先、ルースが、「エリトリアで生まれ育ち、少年兵であったという自分の過去」に苦しむということは起こるだろう。

そうした葛藤を抱えながらも、ルースは立派な大人に成長するはずだ。
見終わった直後、心配な気持ちがわいてしまったのだが、しばらく考えた後、そんなふうに思えた。

あくまでも、自分を納得させるための都合の良い解釈であるけれど。

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ウィルソン先生を演じたオクタヴィア・スペンサーが素晴らしい。
ヴィクトリア・スペンサー
「ヘルプ~心がつなぐストーリー」、「ドリーム」では、白人社会の差別の中で、強く生きていく黒人女性を演じていた。
今回は、主人公のルースに嫌われる役回り。
表情が豊かで、素晴らしい役者さんだと思います。
そして私も世界史教師なので、彼女が演じるウィルソン先生の気持ちが痛いほど理解できます。
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『最後の決闘裁判』

『最後の決闘裁判』
最後の決闘裁判

2021年のイギリス・アメリカ製作の歴史映画。
監督:リドリー・スコット 
出演:マット・デイモン (カルージュ)
   アダム・ドライバー (ル・グリ)
   ジョディ・カマー (マルグリット)
   ベン・アフレック  (ピエール)
 最後の決闘裁判 キャスト
  

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かなり気になっていた作品だった。
脚本は1997年の『グッド・ウィル・ハンティング』を手がけたマット・デイモンベン・アフレック
『グッド・ウィル・ハンティング』は、当時まだ無名だったマット・デイモンが、幼馴染で親友のベン・アフレックと共に2年の歳月をかけて練り上げた作品で、珠玉のセリフが込められていた。
私にとって、今まで見た作品の中でもベスト10に入るほど好きな作品だ。

だから、この『最後の決闘裁判』については、脚本がマット・デイモンとベン・アフレックと知っただけでワクワクしてしまい、どうしても見たいと思っていた。
そして、最寄りの映画館での上映が11月4日で終了ということを知り、上映打ち切り4日まえにぎりぎり仕事帰りに映画館に寄って見てきた。

見終わった後の帰り道。
「????」
「なんだ、これは。何を描きたいのだ?」
「よくわからん。」

モヤモヤが残った。

この作品についてはブログに書くつもりはなかったのだが、その後、ネットで評判や感想を読んでいたら、やはり、物議をかもしているということを知り、また、いろいろ考えてしまい、そのことを書いてみたくなった。
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1.
描いているのが14世紀なので、中世の価値観と現代とでは考え方が違うといってしまえばそれまでなのだが、それにしても納得がいかない。
裁判の決着を決闘でつけるとは....。

中世は理不尽で、少なくとも証拠に基づいて裁判が行われる現代の方がましとだと思った私の反応は、もしかして、作った側の思うつぼなのか?

2.
作品の構成が、性的暴行事件の被害者の夫、加害者、被害者の3人の視点から描いた3つのパートからなっているだが、同じことを3回繰り返し見せられたたようにしか思えなかった。
このことは、ヴェネツィア国際映画祭の記者会見で、同様の質問があったようだが、これに対して監督のリドリー・スコットは、「もう一度、映画を見たまえ!」と怒りの声で反応したそうだ。
私も間違いなくスコット監督から怒鳴られるな。

加害者、被害者、被害者の夫の3者による証言で真実をあぶりだそうという手法は、黒澤明監督の「羅生門」に倣っている。(こちらは「性的暴行事件の被害者の夫」が殺害されているので、事件の審問では、被害者の夫の証言は巫女の口を借りて語るという手法をとっている。)
特にこの被害者の夫のパートでは、「性的暴行事件の被害者である妻」がどのような表情を見せたか、どのような言動をとったのかが語られ、一つの出来事でも立場が違えば証言が食い違ってくる、という面白さにが、まさに作品の見どころだった。

「最後の決闘裁判」は3つのパートの違いがよくわからなかった。

3.
女性が性的暴行を訴えることの難しさは、中世も現代も変わらないということ。
訴えれば、世の中の好奇の目にさらさる。
しかし、訴えなければ泣き寝入りになる。
しかし、裁判で自分の主張が通るとは限らない。
被害者である女性に落ち度はなかったのか、ということを追及される。

「しかし」、「しかし」が繰り返されるだけ。

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中世とはなんて理不尽な世の中なのだろう。
女性が強姦を訴えることがいかに大変なことかということは、中世も現代も変わらないな。
と、思った。

マット・デイモンとベン・アフレックの友情に期待して見てしまったが、全くそういう役どころではなかった。
(思い込みは禁物)

『燃えよ剣』

『燃えよ剣』
燃えよ剣

2021年10月15日(金)公開。(コロナのせいで、公開が延期されていた。)
『日本のいちばん長い日』(2015)、『関ケ原』(2017)、に続く、原田眞人監督が描く三大変革期の完結編である。
この3作に共通するのは、終戦、徳川への政権交代、幕末・明治維新という大変革期において、滅びゆく側を主人公にして描いていることだ。

歴史的な出来事を題材にした作品でも、どちら側からの視点で描くかによって描き方は変わってくる。
日本のいちばん長い日』(原作:半藤一利)は当時の陸軍大臣:阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大将が主人公で、彼は1945年8月15日割腹自殺。
関ケ原』の主人公:石田三成は関ケ原の敗北後、捕らえられ、京都六条河原で処刑。
そして、今作『燃えよ剣』の主人公:土方歳三は敗北がわかっているような戊辰戦争の戦況の中で箱館まで逃げ延びて、戦い抜き、滅びてゆく。

歴史を考えたとき、日本は、この3つの変革期を経て、繁栄期に突入していく。
これら変革期の混乱を経たのち、260年間戦乱のない江戸時代が築き上げられ、日本が近代国家への変貌を遂げる明治時代となり、ポツダム宣言を受け入れたことで終戦となり、昭和前期の暗い時代から戦後の高度成長期へとつながっていった。

そして敗北した側は、そこで歴史の表舞台から去り、消えていった。
しかし、それでも、そこで登場した人たちの「滅びの美学」を貫いた生き方は、21世紀の今を生きる私たちの心を打つ。

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さて、今回は『燃えよ剣』だ。

司馬遼太郎の『燃えよ剣』が出版されたのは1960年代。多くの人々を魅了した歴史小説だった。
司馬遼太郎を読むことで日本史好きになった人は多いのではないかと思う。
それから半世紀、司馬遼太郎は読み継がれているのだろうか?
自分の若いころを思い出してみると、司馬遼太郎を読んで、登場人物の生き方、考え方を通して、歴史を学び、人生においての大切なことを考えたように思う。
しかし、今のように、膨大な量の情報や娯楽があるふれている中、司馬遼太郎が好き、などという若者はもはや少数派だろう
とはいえ、やはり、時代を超えて、司馬遼太郎は面白いと思う。
今の若者たちに、是非、司馬作品に触れてほしいと思うのだ。

映画は原作に触れるきっかけになる。
そういった意味で、若い世代の方々に、この作品を見て欲しい。

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などと思いながら、私としては珍しく、公開初日に夫と二人で、千葉の京成ローザというシネコンに行ってきた。

そして。
見終わった後の雑感。

「新選組」を描いた作品は、見る側の「新選組」に対する思い入れ度合いによって見方が変わってくると思った。
観客の中には、「新選組」について熱い思いがあり、隊士の名を熟知し、それぞれのメンバーの死に方までわかっているといういわば「新選組」上級者の方もいるだろうし、近藤勇、土方歳三、沖田総司くらいはわかるという方から、「新選組について、よく知らないので、知りたいと思って見に来ました。」という方まで、いろいろな観客がいると思うのだ。

そう考えると、すべての観客層の方を満足させる作品を作るのは難しいことだと思った。

さて、他人のことはさておき、私自身はどうなのかと言えば、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、芹沢鴨を知っているというくらいで、それほど詳しいというわけではない。
そして、今回、私は、「少しは知っているけれど、あまり詳しくはない」というレベルの者が陥りがちな、良くない見方をしてしまった。
何が悪かったかというと、登場人物をいちいち把握しようとしてしまったのだ。
なんとなく名前だけは知っているという、斎藤一とか、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)、などの人物が出てくると、この人誰だっけ? どういう死に方をするのだっけ? 明治まで生き残るのだっけ?などと考えながら見てしまったのだ。
さらに、それを演じている俳優の名前を思い出したくて、「誰だっけ?誰だっけ」と、頭の中がぐるぐるしてきて、前半の登場人物の多さについてゆけず、見ているだけでエネルギーを消耗してしまった。
登場人物をきちんと把握したいなら、見る前に「燃えよ剣」を読み返すとか、上映が始まる前にパンフレットを買って、予習をしておくべきだったと反省した。

序盤の登場人物の多さについていけなくなり、頭がパンクしかけたものの、後半は土方歳三に焦点をあて、新選組が崩壊していく過程、土方歳三の劇的な死にざままでを味わってみることができた。(鑑賞能力、ほぼ回復。)


映画の見方としては、細部にこだわらず、作品のテーマを考えるというのが王道だな、と思った。

そしてもう一つ。
「新選組」を見るときにやってしまいがちなことがある。
それは、「新選組」作品の持つ宿命ともいえるのだが、過去作品と比較してしまうことだ。
例えば、沖田総司なら草刈正雄、というように。(かなり古い。1974年です。)
そして、私の中では、山南敬助はどうしても堺雅人になってしまう。
それほど大河ドラマでの堺雅人の山南敬助は鮮烈だった。
だから、今回の作品で山南敬助の扱いが、それほど重くなかったことに物足りなさを感じてしまった。私は、山南敬助は新選組の中で一番知的な人物だと思っているので、もう少し山南が土方と対立してしまう過程を描いて欲しかったし、そのあたりから新選組が内部崩壊していく様子に焦点をあてて欲しかったと思った。

もうひとり、芹沢鴨
大河ドラマでの佐藤浩市が演じた芹沢鴨が、酒と女にだらしなくて、隊の調和を乱すほどの横暴ぶりで嫌な奴だったので、この作品での伊藤英明の芹沢鴨はカッコよすぎると思ってしまったのだ。壮絶な殺され方はこの作品でも衝撃的に描かれていたけれど、アクの強さが足りないと感じた。
しかし、途中で過去作品での登場人物のイメージにとらわれすぎている自分にも気づいた。
あとで、解説を読んで知ったことなのだが、原田監督は、芹沢鴨を「粗暴だけれど品があって教養もある」人物として描きたかったということだ。
そして、伊藤英明は見事にそれに答えた。

今回の作品は今回の作品で完結している。
大河ドラマと比較しても仕方ない。

とはいいつつ、過去作品との比較もしながら見続けた中で、私の中で評価が高かったのが、実は、沖田総司の山田涼介だった。
沖田総司こそ、草刈正雄が一番だ、いや藤原竜也だ、という声が多そうだが、私は山田涼介がかわいくて、こんな沖田総司もよいなと思った。
土方に可愛がれ、素直で愛されキャラの沖田総司だった。
この作品の中で唯一の癒しだった。

そして、岡田准一の土方歳三と、鈴木亮平の近藤勇は、本当に素晴らしかった
(文句なしです。)

と、まあ、ストーリー全体ではなく、登場人物とそれを演じた俳優にいちいちこだわり、さらに過去のNHK大河ドラマなどと比べてみるって、もしかして作品の見方としては邪道なのかもしれないけれど、作品の魅力には浸ることができたと思う。
楽しみ方は人それぞれ。

そして、冒頭に書いた「若い世代の方々も是非ご覧になって欲しい」という点に戻ってみる。NHK大河ドラマで「新選組」が放映されたのが2004年。それからすでに17年。
今の10代20代の若い方々は、「新選組」について触れる機会がなかったのではないか?
だから、こうして20年以内のスパンで、作品がTV化・映画化されるのは嬉しいことだと思う。

「新選組」も、年末になると必ず放映される「忠臣蔵」と同様で、日本人にとっての文化なのだ。
「滅びの美学」を持つ新選組は日本人の心の琴線に触れる。
激動の歴史の中で、崩壊していく「新選組」。
末期症状の組織が、内部分裂していくさま。
負けるとわかっていながら、箱館まで逃げ延びて戦い抜いた土方歳三。

感じること、考えることは盛りだくさんでした。


『モーリタニアン/黒塗りの記録』

『モーリタニアン/黒塗りの歴史』
2021年のアメリカ・イギリス合作映画
モーリタニアン/黒塗りに記録

2015年に出版された実在の人物モハメドゥ・スラヒの〈手記〉をもとに制作された真実に基づくストーリー。

モーリタニア人のスラヒは、2001.9.11の同時多発テロの容疑者として、キューバにある米軍基地グアンタナモに設置された刑務所に不当に拘禁された。

人権派弁護士ナンシー(ジョディ・フォスター)は、若手弁護士テリー(シャイリーン・ウッドリー)をアシスタントにつけて、スラヒ(タハール・ラリム)の弁護を買ってでて、グアンタナモに乗り込む。同じころ、テロ犯の容疑者を死刑にしたい政府から、スラヒを起訴することを命じられたカウチ中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)も調査に乗り出す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キューバに設置されているグアンタナモの刑務所はテロ犯など収容し、酷い拷問が行われていると非難されている
そこを舞台としたストーリーなので、きっと見るに堪えない拷問シーンがあるのだろうな、、そういうのはあんまり見たくないなあ、怖いなあ、と思いながら、しかし、これはアメリカの汚点であり、あってはならないことが行われているのだとしたら、やはり、見ておかねば、などと思いながら劇場に行ってきました。

見に行ってよかったです。
残虐な拷問シーンを見せつけて、アメリカの非道を訴えるような作品ではありませんでした。もちろん、グアンタナモで行われているような拷問は、21世紀の法治国家アメリカにおいてあってはならないことで、作品でも、その酷さはきちんと描いています。
しかし、この作品はグアンタナモを批判しているというより、この理不尽な状況に対して、それに耐え、希望を失わなかったスラヒと、彼を救おうとしたナンシーとテリー、あるいは彼を起訴する任務を受けながら、グアンタナモで行われていることに疑問を持つカウチ中佐ら、登場する人物たちの素晴らしさを描いたものだと思いました。

スラヒという人物がすごいです。彼は全くテロに関与していないのに、長期にわたり拘禁され、苦痛を伴う扱いや、自尊心を奪うような屈辱的な扱いを受けました。
それなのに正気を失わず、希望を捨てませんでした。

すごいです。
モーリタニアン スラヒ


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(参考までに)
2009年、オバマ大統領はグアンタナモ閉鎖を表明したが、実現に至っていない。
拷問は国際法でもアメリカの法律でも禁止されているが、トランプ大統領はこれを合法化しようとした。バイデン大統領は、オバマさんの政策を引き継ぎ決着したいはずだが、アフガニスタンでタリバンが政権を取ってしまうなど、情勢はよい方向に進んでいるとは言えない。

『MINAMATA』

MINAMATA
MINAMATA

2020年のアメリカ映画。日本での公開は2021年9月。
水俣病の実態を撮影・記録したフォト・ジャーナリスト、ユージン・スミスを描いた作品。

見る前から、タイトルでストーリーの展開のおおよそは見当がつく。
水俣病患者の悲惨さ、企業との闘争、それを写真に撮影して世界に訴えた写真家を描いた、いわゆる社会派作品なのだろうなと。
そしておそらく暗くて重い作品かな、と。
こう勝手に予想して、一応みておこうかなというくらいの気持ちで10月3日(日)、朝一番で近所のTOHOシネマズに行ってきました。

良かったです。とても。
予想をはるかに超えて、心にグッときました。
見に行ってよかった。見終わった後、心からそう思いました。

**********

今、「この映画は、何がよかったのだろうか?」ということについて考えている。

ひとつは、この作品が、ドキュメンタリー作品ではないということによるかなと思う。
ドキュメンタリーと銘打っていたら、事実しか取り扱うことができない。
「史実にもとづくストーリー」とすれば、フィクションを挿入することもできる。
それにより、ユージンの気持ち、水俣病被害者とその家族の気持ち、折れそうになりながらも抗議活動を続ける支援者の人たちの気持ちを細やかに描くことができたのだと思う。
(ユージンとチッソの社長との駆け引きや、ユージンたちの活動を妨害する出来事のなかに、実際にはなかった創作も含まれている。)
だからとても分かりやすい。

そして、俳優陣が素晴らしかった。
私は、画面に登場した時間はごくわずかだった浅野忠信の静かな演技に強いインパクトを受けた。
彼は胎児性水俣病の智子の父親マツムラ・タツオを演じた。
ユージンは水俣に到着してすぐにマツムラ家を訪れる。そして、マツムラに撮影の許可を願い出る。
マツムラの答えは、「勘弁してください。」だった。

そうか。
被害の発生した水俣という地域の中で、この人たちは、ひっそりと暮らしているのだ。
智子を世の中の好奇の目にさらしたくないのだ。

穏やかな口調で答えたマツムラ。
どれだけの怒り、苦しみを背負っているのだろうと思わずにはいられない。

そして、次第に水俣の人々がユージンに心を開いていく。
写真家と被写体の信頼関係があって、初めて本物の写真が撮れる。
入浴する智子と母(注1)」はユージンがとった写真の中で最も有名な写真であるが、今まで私は、なぜこのような写真が撮れたのかということまで考えたことはなかった。
写真家がいきなり水俣に行って、偶然に撮れた一枚ではないのだ。


この映画は、見た者が、被害者の心情がどのようなものであったかということにまで思いを至らせるようになる、そういう作品だと思った。


*****************
注1:「入浴する智子と母」の本物の写真は、現在では見ることができません。ユージンの妻アイリーンが1998年に封印しました。理由は「(この写真を)もう休ませてあげたい。」ということでした。

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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