『砂漠の鬼将軍』

「砂漠の鬼将軍」
1951年のアメリカ映画
砂漠の鬼将軍

第二次世界大戦で、北アフリカ戦線で活躍し、連合軍側から「砂漠の狐」と呼ばれて恐れられたドイツのロンメル将軍を描いた作品があると教えてもらい、さっそく飛びついた。70年前のモノクロ作品。U-NEXTで見ることができました。

タイトルの画像から、使われている音楽まで、まさに1950年代のアメリカ映画という感じで、何とも言えないワクワク感がありました。
内容もわかりやすく、興味深い構成でよかったです。
アメリカが敵将ロンメルを、敬意をもって描いた作品です。

ロンメル将軍については、英雄としてのイメージが強く、私はその悲しい最期について全く知らなかったので、非常に興味深く見ることができました。
ドイツでは、大戦の末期になってくると、ヒトラーの暗殺計画が持ち上がってきます。
ロンメルはこれに対してどのような考えをもち、どのような立場であろうとしたのかが描かれていました。
ストーリーの終盤で、ワルキューレ作戦が絡んできます。その場面が出てきたとき、「あっ」と息をのむほどの既視感がありました。
暗殺計画実行の舞台となった森の中の「狼の巣」と呼ばれる軍の施設や、隻眼のシュタウフェンベルク大佐が、トム・クルーズ主演の2008年の作品そのままだったのです。
1951年と2008年の、2つの映画がつながりました。


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(以下、この作品を見たことをきっかけに、調べたこと、考えたこと。)

ロンメルは、ヒトラーをどのように思っていたのか。

1933年1月、ヒトラーは首相に就任した。
「ロンメルは、他の軍人たちと同様にヒトラーの登場には熱狂し、彼の反共主義と再軍備政策を歓迎した。」(wikiより)

第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは過酷な賠償金に苦しみ、ハイパーインフレに苦しみ、世界恐慌への対応に苦しんでいた。
そんな状況の中で、救世主のように現れたヒトラーに人々は熱狂した。
かの高名な哲学者ハイデッガーですら、ヒトラーに期待し、ナチ党に入党し、支持し、賛美したのだ。
当然、ロンメルもヒトラー支持者であったし、妻への手紙でも、ヒトラー賛美の文が見受けられる。そして、ロンメルはヒトラーの寵愛を受けた。

そして時は流れていく。
当初の期待が裏切られていったら?
心酔してついていこうと思った人物が、「やばい」人格であったなら。
しかも、ロンメルは軍人である。軍というところは、上からの命令は絶対である。

しかし、ロンメルは、現場の判断を優先という理屈をつけて、正しいと思うことを貫くために、時として、上からの命令に逆らった。
例えば。
ある闘いで、ユダヤ人部隊を捕虜にした際、全員を虐殺せよ、との命令がヒトラーから下ったが、ロンメルはその命令書を焼き捨てた。
戦争においては、「捕虜に対して人道的待遇をする義務」があるのだ。
まして、捕虜を殺害することは、あってはならない。ロンメルはそれを守った。
作品の中でも、捕虜に対して不当な扱いをしようとしたドイツ兵に対して、ロンメルがまさに鶴の一声でやめさせた場面があった。
また、北アフリカ戦線で、戦況が悪化していった時、ヒステリックな命令を送ってくるヒトラーからの電文は「一歩も退くな。勝利か死だ。」というものだった。
ロンメルは撤退しなければ隊は全滅するだろうと考えた。
兵士の命がかかっているのである。ロンメルの決断は、命令を無視した撤退だった。

この映画作品はロンメルを英雄として描いているので、実にかっこいい。

ロンメルは最後までナチ党に入党することはなく、あくまで一人の軍人として戦い続けた。

しかし、一人の軍人としてまっとうに生きようとするのは難しい。
人は、おかれた状況の下で、最善の行動を選択していくわけだけれど、滅びゆく命運の側にいたら、もうどうにもならないのだな、としみじみ思った。

戊辰戦争における会津藩、組織として崩壊していった新選組、倒産した山一證券...。
いつものことながら、映画を見た後はとんでもなく妄想が広がり、作品からは全くずれたことを想像してしまう。
そして思う。自分がたまたま滅びゆく側に属していたなら、それはそれで仕方のないことだ。
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グッドナイト & グッドラック

2つ前のブログで新聞報道やジャーナリズムのあり方をテーマに書いたら、『グッドナイト&グッドラック』を勧められた。
さっそく見てみた。
グッドナイト&グッドラック

2005年のアメリカ映画。監督・脚本はジョージ・クルーニーで出演もしている。
1950年代マッカーシー上院議員によって行われた「赤狩り」旋風の中で、実在したニュースキャスターであるエドワード・R・マローとCBSの番組スタッフが、冷静にこれに立ち向かっていった様子を描いた作品。

見終わって、思ったこと。ジャーナリズムを扱ったまっとうな作品なのだが、まったく一般受けしなさそうなこんな作品をよく制作したものだな、ということ。
全編モノクロ。
娯楽性は全くなし。気になって調べてみたら、ジョージ・クルーニーはこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞しているが、この作品の報酬は3ドルであったという。(監督1ドル、脚本1ドル、出演1ドル)。
儲けは関係なく、こういう作品が作りたかったのだろう。

クルーニーは、ハイチ地震被災者への寄付をしたり、スーダンのダルフール紛争解決のための抗議活動などの政治的な活動をしている。
日本ではスポーツ選手や俳優が政治的発言をすると、「黙っていろ」的な批判を浴びてしまうが、社会的に影響力のある人が、政治的な発言をすることや、慈善活動をすることを評価する文化を持ちたいと思う。被災地への寄付や炊き出しなどの支援をすると、売名行為だという見方をする人がいるけれど、有名人は社会的影響力が高いのだから、しっかりと意見を言って、遠慮せずに寄付や慈善活動も大いにしたらよいと思う。(年収高いのだし。日本でもひそやかに多額の寄付をしている有名人は多く、私はそういう方が素直に好きですが、それを取り上げる芸能誌に対しては放っておけよと思ってます。)

書き始めから、映画の内容から全くそれてしまった。
作品の話に戻るが、ニュースキャスターのマローの言っていることはいちいちまともです。

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マッカーシズムとは、東西冷戦が激しくなっていく中で、共産主義者を排除しようとする異常なほどの感情的で理不尽な動きだった。
リベラル派の官吏・外交官・軍人・文化人などを、すべてを共産主義者と決めつけて、彼らを職場から追放した。
社会がこういう状況になってしまったとき、人のとりがちな行動は黙ることである。
変だと思っても批判の声をあげない。
何か言ったことで、自分に矛先が向かってしまうことを恐れ、保身のために黙る。
しかし、マローはマッカーシズムを冷静に批判した。そもそも、共産主義者だから追放するということ自体おかしいと思うけれど、百歩譲って、共産主義思想を持ちソ連のスパイであるという疑いがある軍人や官吏を、軍や役所から追放するというのならわかる。しかし、その「証拠」が「親族が共産主義者だという内部告発があった。」だけというのは、理由として不十分だと思う。
このような例が次々に起こっていた。
マローはこれを批判する。
恐れずにテレビ番組で意見をはっきり言い続けるマローも素晴らしいと思うし、軍からの圧力があったにもかかわらず、それをはねのけ、マローを守り抜いたCBSというテレビ局も、素晴らしいと思った。
こうして、1950年からアメリカを吹き荒れたマッカーシズムは、1954年には収まっていった。

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最後にこの作品を見た率直な感想を言わせてもらうと、マローの言っていることがまともすぎて、少々、説教臭く感じてしまった。
マッカーシズムとはどのようなことだったのか、テレビ報道はどうあるべきかを考えたい人にはお勧め度★★★★☆くらい。面白い映画を見たい人には★☆☆☆☆くらいかな。
「大統領の陰謀」も映画としては地味で面白くなかった。「スポットライト」は実に面白くて引き込まれたけど。
このあたりが、大衆に媚びない、主張する映画が抱える難しさだと思う。

ナチ犯罪追及をテーマにした作品5つ

『顔のないヒトラーたち』(2014)がよかった、という情報を得て、見てみたのが始まりだった。そこから、『アイヒマンを追え!/ナチスがもっとも恐れた男』(2016)、『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(2015、イギリス映画)を立て続けに見て、数か月前に見た『コリーニ事件』(2019)、ずいぶん前に見た『ハンナ・アーレント』(2012)がつながった。

以上、列挙した作品のうち、『アイヒマン・ショー』はイギリス映画であるが、それ以外はすべてドイツ映画で、2010年代の作品である。
第二次世界大戦をテーマにしたドイツ映画(ドイツを含む複数の国との合作映画)には『ヒトラーの偽札』、『戦場のピアニスト』などいくつかの作品があるが、戦後のドイツ国民が戦争犯罪や戦争責任についてどのように向き合っていったのかをテーマにした作品が出てきたのは、2010年代になってからだと思う。

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第二次世界大戦において最も責任の重かったヒトラー(総統)、ゲッペルス(国民啓蒙・宣伝大臣)ヒムラー(親衛隊全国長官)はすべて自殺した。1945年~46年、戦争犯罪を裁く国際軍事裁判であるニュルンベルク裁判が行われた。
ドイツは、これをもって一区切りとし、人々のエネルギーを戦後の復興に向けた。そして、実際にアデナウアー政権のもと、「奇跡の復興」と呼ばれる目覚ましい経済発展を遂げた。

しかし、主要人物の自殺やニュルンベルク裁判で、戦争犯罪に関する処理が決着できていたわけではない。残虐行為に関わった多くの元親衛隊員、元ナチ党員が、罪を問われることなく、前歴を隠してドイツ社会の中で平然と暮らしていた。あるいは、アイヒマンのように、ホロコーストに最も責任があった人物は国外に逃亡していた。
終戦から十数年、ドイツは、戦後の処理を完遂できないまま、人々は過去から目を背け、豊かさを求めて暮らしていた。
一方で、アウシュヴィッツから生き残ったユダヤ人たちは、大切な家族を失った悲しみと、収容所での壮絶な体験による心の傷を抱えたまま、それを誰に語ることもなく口をつぐんで暮らしていた。

しかし、過去と向き合わなくてはならないと考えているバウアー検事長のような人物はいた。彼は、戦後十数年、戦争犯罪に関する処理が大きな進展のないまま、国外に逃亡したアイヒマンらを捕らえることもできず、1000万人いたナチ党員の責任追及もなされないまま時が流れていることを歯がゆく思っていた。
そしてついに、1950年代末頃から過去に向き合おうとする流れがおき、1963年のアウシュヴィッツ裁判へと進展し、ドイツ史は大きく転換した。

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『顔のないヒトラーたち』(2014)
顔のないヒトラーたち

実話に基づいたストーリー。ただし、主人公のヨハン・ラドマン検事は実在しない架空の人物。1930年生まれで、第二次世界大戦当時はまだ子供で、この作品で描かれている1950年代末には、まだ20代後半の新米弁護士であるという人物設定。
武装親衛隊であった過去を隠して教師をしている人物がいるということを知ったラドマンは、過去に向き合っていこうとし、収容所で行われていた残虐行為の事実を明らかにしていこうとする。
前半の部分で私が驚いたのは、ラドマンが街行く人々に「アウシュヴィッツを知っているか?」と次々に問うたときに、皆、首を横に振ったこと。作品を見ただけでは、ラドマンの問いかけを不快に思い、知らないふりをしたのか、本当にその地名を知らなかったのかは明らかではないのだが、私は、この時点のドイツでは、アウシュヴィッツという地名を知る人はほとんどいなかったのだと解釈した。
もちろん、ナチスによるユダヤ人迫害を知らない人はいない。戦時中、彼らの周りにいたユダヤ人たちが次々に拘束されどこかに移送されていったのだから。しかし、当時ドイツの人達が本当にアウシュヴィッツという地名を知らなかったのなら、終戦後10年たった時点でも、ドイツは、自国の行った戦争中の非道な行為について検証することをしていなかったということだ。
それを変えたのは劇中の架空の人物ラドマンなのだが、おそらくラドマンのような人物が実際にいたのだろう。
彼は、収容所にいたことのあるユダヤ人のシモンから当時の様子を聞き、収容所で行われた残虐行為に心を痛める。そして、それを明らかにし、罪を犯した者たちを追及しようとする。しかし、その特定には大きな困難が伴っていた。そもそも、1000万人いたナチ党員、アウシュヴィッツに駐留した兵士だけでも8000人。膨大な資料の山。さらに真実の追及に対する様々な妨害。権力者の側に、ナチスだったものが生き残っているのだ。追及をやめさせようとする脅迫状も届く。窓ガラスにハーゲンクロイツが刻まれた石を投げつけられる。
しかし、数々の困難を乗り越えながら、ラドマンたちの努力が実を結び、1963年のアウシュヴィッツ裁判につながり、ドイツ史の転換点となった。
「我々国民は事実を知るべきだ。」「ウソと沈黙はもう終わりにする。」
こうした考えがドイツの人々に広まっていった。

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(2016)
アイヒマンを追え

「ナチスがもっとも恐れた男」とはバウアー検事長のこと。ユダヤ人である。
バウアーは、「顔のないヒトラーたち」にも登場し、上司として新米のラドマンを指導する役回りだった。この作品では主人公の検事長として、アイヒマンの逮捕に全力を尽くす。
アイヒマンは何百万人ものユダヤ人を収容所に送った中心人物である。このことを考えただけでも、裁判を受け、その責任を明らかにして相応な刑罰を受けるのは当然と思うのだが、現実はそう簡単なことではなかった。国外に逃亡した犯罪者の逮捕やその身柄の引き渡しには国家間での様々な制約があるのだ。インターポールは「政治犯は管轄ではない」と協力を拒否する。アルゼンチンの警察も頼れないのだろう。そして、ドイツの捜査機関である連邦刑事局も連邦情報局もナチスの残党だらけ。
アイヒマンがアルゼンチンに潜伏していることを突き止めたバウアー検事長は、「アイヒマンがクウェートに潜伏している」というニセ情報を信じているふりをしながら、イスラエルの情報機関モサドにアイヒマンの拘束を委ねる。
ドイツの捜査機関は信頼できなかった。バウアー検事長がどこまでの情報を得ているかを常に監視している。潜伏先をつきとめたことがわかれば、そのことがアイヒマンに伝わり、アイヒマンはさらに逃亡し、違う偽名を使って、再び見つけることは困難になってしまう。
そしてついにモサドがアイヒマンの身柄確保に成功する。
結局、バウアーが望んだように、自国ドイツでの裁判にはならなかったが、1961年、アイヒマンはエルサレムの法廷で裁かれることになった。
アイヒマンがどのような人物であったのかは、この前年に制作された『アイヒマン・ショー』や2012年の『ハンナ・アーレント』で明らかになっていく。

『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(2015 イギリス映画)
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1960年、アルゼンチンに潜伏中だったアイヒマンはイスラエルの諜報機関モサドに捕らえられ、翌1961年からエルサレムの法廷で裁かれた。この裁判の様子は世界中に放映されることになった。この作品は、この裁判の放映に関わったテレビマンたちを描いた作品である。
裁判の全体像を客観的に映し出しだそうとする局側に対して、監督はアイヒマンという人物の表情をズームアップしてとることにこだわり、アイヒマンがどのように反応し、どんな表情を浮かべるかを細かく映し出すことにより、この人物がどんな人間なのかをあぶりだそうとする。番組の制作方針で、まず意見がぶつかり合う。
さらに、世界の注目を浴びているとはいえ、一般の人々の興味は、長丁場の裁判の展開を丁寧に視聴するほど集中力が高いわけではない。派手な話題に飛びつきがちである。
この裁判が行われていた1961年は、ソ連がヴォストーク1号の成功に成功し、アメリカはキューバと国交を断絶するなど、アメリカとソ連の派手な動きが話題の中心だった。
そんな状況下でのこの裁判を、どのような手法で放映するのか。
テレビマンたちが、この裁判を世界に伝えようと奮闘した結果、裁判の展開、アイヒマンの様子がテレビによって明らかになっていく。
アイヒマンとはどのような人物だったのか。
それにしても、この人って、いったい....!!

『ハンナ・アーレント』(2012)
ハンナ・アーレント

アイヒマン裁判を傍聴し、レポートを書き、ザ・ニューヨーカー誌に発表したのがユダヤ人の政治学者・政治思想家のハンナ・アーレントだった。
この裁判でアイヒマンは、「私はただ、命令されたことをやっただけだ。」と他人事のような表情で言った。
アーレントはこれを「思考の欠如した凡庸な悪」と批判した。
600万人ものユダヤ人殺害の最終的責任者であったにもかかわらず、命令に従ったまま、事務的に処理しただけだという。悪いのはヒトラーやヒムラーであり、自分には何の責任もない、という。すべて、人のせい。
これこそが、「(ヒトラーのような)悪魔的な悪」を助長する恐ろしいものの正体だ。
アーレントは言う。
「思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。」
思考することで人間は善悪の判断ができる。
思考することで人間は強くなれる。

『コリーニ事件』(2019)
コリーニ事件

2001年のベルリン。ホテルの最上階のスイートルームで、経済界の大物マイヤーが、ドイツで30年以上暮らしているイタリア人コリーニに殺害された。
この二人の間に何があったのか?
作品は、「なぜ?」の連続のサスペンス・ドラマに仕立てあがっているので、ネタバレしないようにストーリーについてはここで留めなくてはならないのだが、この作品で重要な鍵を握る法律「ドレーアー法」について説明しておきたい。
ドレーアー法とは、「ナチ犯罪に加担した法律家や軍人などが行った犯罪についての時効を短縮させた」法律で、1968年に施行された。
簡単に言うと、ホロコーストの実行に協力したSSの幹部や強制収容所の所長らの罪の公訴時効を15年にしたということだ。このほか、パルチザンを保護した一般のイタリア市民を銃殺した罪についても同様で、時効が短縮された。つまり、法律の成立した1968年の時点で、終戦の1945年を起点としてもすでに15年の時効が成立していて罪に問えないということになってしまったのだ。
なぜこのような法律が成立してしまったのか。
ドイツでは、上記の映画作品でも描かれているように、1960年代から、ナチ犯罪を追及する動きが始まっていた。そして、世界中で若者たちが大きな動きを見せた1968年には、親世代のナチ犯罪を追及しようとするドイツの若者たちの動きが高まった。
ドレーアー法はそれに対する反動である
ドレーアーのようにナチス政権下で検事として活躍した人物が、戦後も公職追放を免れ、法律家として力を持っていたということだ。
『コリーニ事件』は映画としてとても面白い作品です。
そして、見終わってから、いろいろなことを考え、調べたくなる作品です。


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以上の5作品を見て、ドイツでは、戦後すぐにナチ犯罪を追及する動きが始まったわけではなく、1950年代末から1960年代になってようやくその動きが本格的になったのだということが分かった。そこには、様々な妨害にも屈せずに、ナチスが犯した犯罪を明らかにしていかなければならないと、過去に真摯に向き合った人たちの尽力があった。
それをテーマにした作品が2010年代に次々に制作され、しかも、『コリーニ事件』では、戦争中の犯罪だけではなく、戦後においても自分たちの保身のために追及を免れるための法律を作った勢力がいたということを鋭く描いていた。

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(以下は映画から離れた世界史の話です。)

ドイツは過去への向き合い方の「優等生」というような言われ方がされる。
靖国神社参拝をめぐる是非や、徴用工や従軍慰安婦の問題などでいまだに中国や韓国から批判され続けている日本と比較して使われる言葉だ。

もちろん、ドイツと日本とを単純に比較することはできない。
しかし、ドイツが「優等生」と呼ばれる要因の一つに、謝罪、反省、犠牲者への哀悼を示す指導者の存在があったことがあると思う。
ブラント

有名な写真がある。ワルシャワのゲットー前でひざまずくブラント首相の写真だ。
この写真は、日本の高校教科書には、山川出版社のものにも、東京書籍のものにも、浜島書店の史料集にも載っている。
ゲットーとは、ユダヤ人が強制的に住まわされた居住地区のことで、劣悪な生活環境のもと、伝染病の流行と飢餓で何十万人もの人がそこで死亡した。
そこを訪れたブラント首相の行為は、そこで亡くなったユダヤ人を悼む気持ちと、ドイツ人としての謝罪の気持ちにあふれていたのだと思う。


そして、1985年、ドイツ敗戦40周年にあたっての、ワイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」と呼ばれる演説があった。
「ユダヤ人という人種をことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。・・・・。
この犯罪に手を下したのは少数です。公の目には触れないようになっていました。
(しかし。)目を閉ざさず、耳を塞がずにいた人々、調べる気のある人なら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。・・・犯罪そのものに加え、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのが現実であります。・・・。」
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです。」


さらに。
2008年イスラエル建国60周年にメルケル首相はイスラエルの国会クネセトで演説を行い、ドイツとイスラエルの関係を、ホロコーストへの反省と責任に基づく「特別な唯一無比の関係」と表現した。メルケルは、イスラエルとの良好な関係を維持しつつ、イスラエルのヨルダン川西岸や東エルサレムの入植地建設に強い反対を示すなど、いうべきことはきちんと言っている。

こうした指導者たちが、ドイツという国家を代表して、過去と真摯に向き合う行為・発言をしたことで、ドイツ人の立場がどれだけ救われたことかと思う。
見せかけだけのパフォーマンスなのか、過去と未来に対する深い思いがあるのかは、人はわかるものなのだ。

参考図書
ワイツゼッカー

歴史を変えた新聞報道

アメリカには歴史を変えた新聞報道が3つある。
1つは、ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件(1972)を暴いたワシントン・ポスト紙の報道。それを描いたのが『大統領の陰謀』(1976)。
ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードがワシントン・ポスト社の記者を演じ、真実に迫っていく様子を描いた。

『大統領の陰謀』から41年後、メリル・ストリープ、トム・ハンクス主演で『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』(2017)が制作された。
描いている時期はウォーターゲート事件直前の1971年。
ベトナム戦争の真っただ中の時期だった。
「勝てる」とされて突入したベトナム戦争は、実は1965年の時点で勝てないことがわかっていた。「兵を増員していて、状況は改善している。」というのはウソの発表で、現地の状況は悪化の一途をたどっていた。
「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、ベトナム政策決定過程に関する国防総省秘密文書のことで、これには、本当の状況が記されていた。
この国家最高機密文書が持ち出され、ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズに持ち込まれる。国家最高機密文書(戦争や外交に関すること)の漏洩は犯罪にあたる。
国家のウソというスクープ間違いなしのネタは、一歩間違えれば、会社の存亡にかかわる。
これを公表すべきなのか、するべきではないのか。悩むワシントン・ポスト社の社主キャサリン・グラハム。
結局、ワシントン・ポスト社がペンタゴン・ペーパーズを暴露したことによって、世論は一気に反戦に向かい、1973年のベトナム和平協定によるアメリカ軍の撤退につながった。

この作品はラストの場面で、夜のウォーターゲートビルで不審者が何やらよからぬことをやっている様子を映し出す。まるで『大統領の陰謀』が『ペンタゴン・ペーパーズ』の続編であるかのように2つの作品がつながっていく。

新聞報道が、ベトナム戦争からのアメリカ軍の撤退、ニクソン大統領の辞任、というアメリカ史を大きく変えた出来事につながった。
新聞報道が歴史を変えたのだ。


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スポットライト

そしてもう一つ。
『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)
ボストン・グローブ紙の「スポットライト」チームが、カトリック司祭による性的虐待事件の根本的真相に迫っていく様子を描いたもの。
アカデミー作品賞受賞。冒頭から一気に引き込まれ、ラストの場面まで、飽きることなく作品の世界に入っていける。
チームワークがいい。仕事に臨む真摯さがいい。
派手な場面があるわけではなく、ひたすら新聞記者たちが取材を続けるストーリーなのだけれど、次々と新たなことが判明し、そのたびにチームのみんながどうしたらよいのかを考えて行動していくので、見ている側も一緒に仕事をしている気分になれる。
この作品を見ていると、報道の果たす役割とは何なのだろうか?ということを考えさせられる。
面白い記事を書いて、購読者を増やせばいいということではないのだ。

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立ち向かっていかなければならない対象が宗教的権威であるということは、恐怖を伴う。
踏み込みたくない世界だと思う。一歩間違えば、ボストンじゅうを敵に回すことになりかねない。
ボストンはアイルランド系の住民が多く、ボストン・グローブ紙の購読者の半数以上はカトリックである。メンバーのサーシャのおばあちゃんも、毎週教会に通っているような敬虔なカトリック教徒だ。そんなおばあちゃんの信仰心を傷つけるようなことはしたくはない。
サーシャの気持ちの中には辛いものがあるが、しかし、今も、とんでもない神父によって、傷つけられている子供たちがいるのだ。
これを暴いて、やめさせなければならない。

スポットライト・チームは、果敢に取り組んでいく。

そして、調査を進めていくうちに、性的虐待をおこなった神父の数が数人レベルではなく、なんと教区の約6%、つまり教区全体で1500人いるうちの約90人もが性的虐待に関わっていたことがわかる。
その多さにチームのメンバーも驚く。その事実を暴露しただけで、世間は大騒ぎになるだろう。スクープになる。
しかし、スポットライト・チームは、問題のある神父の行為を暴露するだけでは問題の解決にならないと考える。
なぜこんなことが長きにわたってずっと繰り返され続けてしまったのか?

組織に焦点をあてよう。個々の神父ではなく、教会の隠蔽システムを暴け。教会が神父を転属させ、それが上の指示で行われていることを。」

被害にあった子供は口をつぐむ。内気な子供や、家庭に問題があって相談する人がいないような子供を狙っているのだ。相談しても、「まさか神父が」と信じてもらえないような環境下にある子供を選んでいるのだ。
被害にあった子供は心に傷を抱えたまま大人になっていく。
こんなことが許されるはずがない。

スポットライト・チームは真相に迫っていく。
しかし、記事の掲載が間近に迫った2001.9.11、ニューヨークの同時多発テロが起きる。
「今は、テロ事件に集中しろ。」という指令のもとに、掲載は先送りされる。
この部分は、なくてもいいようにも感じたのだが、現実の報道の世界では、当然こういうことも起きるということだ。優先順位をつけなくてはいけない。編集長はこういう場合の判断を迫られるから、チームが納得できるようなリーダーシップも必要なのだなと思った。

そして、2002年、記事の公開へ。
記事を読んだ読者、それまで誰にも言うことのできなかった被害者からの電話が鳴りやまなかった。

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「スポットライト」は見ていて気持ちの良い作品である。
「正義」とか「真実」を求める行動には、世の中を正しい方向に向かわせるだけの力があるのだと思う。

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以上の『大統領の陰謀』、『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』、『スポットライト 世紀のスクープ』の3つの映画作品は、国家権力や宗教的権威の不正を暴いた新聞報道をテーマにしたものである。これらの新聞報道は、歴史を変えるほどのインパクトがあった。
新聞にはそれだけの力があったということだ。


『スポットライト』の中に印象的な言葉があった。

宗教的権威に立ち向かっていくスポットライト・チームのメンバーが、
「こんなことを記事にして責任がとれるのか?」と問われる。
これに対する彼の返答は、「記事にしなかった場合の責任は?」

質問に対して質問で答えるのは、私は本来好きではないのだが、この場合については、「そうだな」、と思った。
知っていながら、記事にしなかったとしたら、その責任は重い。

『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』の中にも、ジャーナリストとしてのプライドを持ったベン(トム・ハンクス)の言葉がある。
「権力を見張らなくてはならない。我々がその任を負わなければだれがやる?」
これは、マクナマラ元国防長官の友人であったキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)に対して、自らもジョン・F・ケネディの友人だったベンが、「政治家と友人であることと記者であることは成り立たない、どちらかを選ばなくてはいけない」、という意味でいった言葉だ。
ベンはJFKの友人という立場をすて(すでに1963年の時点でJFKは死亡しているという事情もあるけれど)、ジャーナリストとしての信念を貫いた。そして、ペンタゴン・ペーパーズの暴露を決断したワシントン・ポスト社の社主キャサリンも素晴らしい。

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新聞社を扱った作品はかっこいい。
記事の掲載された新聞が、ぐるぐる回転する印刷機からどんどん刷り上がって、大量の束になって運ばれていく様子は迫力があり、見ていてワクワクする。
新聞社モノ、新聞記者が登場する作品にハズレなし。


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しかしなぁ。
インターネットの出現で、新聞の社会に与える影響は下がってしまった。
通勤電車の中で新聞を読んでいる乗客は非常に少なくなってしまった。
乗客の多くは、目を閉じて眠っているか、スマホを眺めているかのどちらかである。
夕刊の大衆紙をコンビニで買う人はそれなりにいるが、主要全国紙の定期購読者数は激減している。

この先、新聞という媒体はどうなっていくのだろうか?

自分の行動パターンを考えてみると、電車の中で、Yahoo!ニュースなど無料の記事ををスマホで確認して、そこから芸能誌や女性誌が出している思わせぶりな見出しがどうしても気になって、それを開いてしまい、あちこちジャンプして、結局大したことは書いていなかったなと腹を立てながらも、毎日同じようなことを繰り返しながら車中の時間をやり過ごしている。夫が購読料を払っている日経電子版も私のスマホで読めるけれど、見出しをサラッと見るだけで、じっくりは読んでいるとは言えないなぁ。そしてあとは、コロナ関連の情報もだいたいテレビから得ている。
と、ここまで書いて、自分自身がかなりまずい状況に陥っていることに気づく。
スマホの記事を読んでいると、次々に画面に出てくる気になる見出しにつられて次々と開いて、最初になんの記事を読んでいたのか忘れてしまうくらい散漫になっている。まさにスマホ脳
情報の受け手である私たちもかなりレベルダウンしている。

このままでいくと、紙の新聞はますます読まれなくなっていく。それとともに、私たちの頭が、深く思考することをしなくなり、どんどん退化していく。

私たち自身も反省しなければならない。そして、新聞にももっと頑張ってほしい。
コロナ対策にしろ、オリンピックの開催にしろ(開催まで1か月を切り、もはや開催をしないという選択肢は消えてしまったようだが、私はこの期に及んでも、まだ開催には反対で、コロナ感染がおさまっていないこの状況でオリンピックを開催するという判断に納得がいかない。スポンサーになってしまった新聞各社が開催の是非について言えなかったとか聞くけれど、新聞がそんなことでよいのか、とつくづく思う。)、赤木ファイルに関することでも、新聞はもっと深く突っ込んでいかなければならないと思う。
政府や専門家が述べている言葉をそのまま掲載して、〇〇はこう述べている、という記事や、一つのテーマに対して賛否両論を併記するような書き方は、記事の形態はとっていても、その新聞として実は何も言っていないのと同じである。

ネットの普及という時代の波だけでなく、新聞の内容が劣化しているならば、購読者はますます減る。スピードでテレビやネットに勝てないなら、じっくり読むだけの価値のある内容をもつ記事を書いてほしいと思う。

一方で。国外に目を転じると。
2021年6月24日、香港では政府批判の立場を貫いた「リンゴ日報」日報が廃刊になった。
ジャーナリストや幹部が次々と拘束されてしまったのだから、新聞社としての運営は成り立たない。頑張っていたのに。
これは、「言論の自由」が弾圧されたということだ。
批判する機関をつぶしてしまった国はこの先どのような方向に進んでいくのだろう。

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半世紀前、新聞の果たす役割は大きかった。
誰もがまさかと思うような、大統領の犯罪、宗教的権威の犯罪を新聞報道が明るみに出した。

21世紀の日本。誰もがおかしいと感じる政治と金の問題、人事権を握ることで人を操る政治の手法、突っ込みどころが満載の世の中だ。
気骨のある新聞報道が読みたい。

『The Lady  引き裂かれた愛』

2021年2月1日、ミャンマーでは、国軍によるクーデタがおき、国家最高顧問アウンサン・スー・チーは拘束され、ミン・アウン・フライン国軍総司令官が全権を掌握した。二度と軍事政権下に戻りたくないミャンマーの国民は、これを認めず、抗議活動を連日くり広げている。しかし、これに対する軍事政権の弾圧はひどいもので、子供を含む多くの犠牲者が出ていて、いまだに収束の見通しもつかない。

ミャンマーのことを心配している方が多いと思う。
私も2月のクーデタ以降、この国のことが気になって仕方ない。
この国についてもっと知りたいと思い、まずは、この作品をみてみた。
The Lady


『The Lady 引き裂かれた愛』
2011年のイギリス・フランス合作映画。
アウンサン・スー・チーが、民主化指導者となっていく過程、長期の自宅軟禁という軍事政権による弾圧にも屈せず、祖国ミャンマーの民主化のために尽くそうとする生き方、およびそれを支えたイギリス人の夫マイケル・アリス教授を軸に描いた作品。
とても分かりやすく、当時、軍事独裁を行っていたネ・ウィンという人物がどれだけひどいかということがよくわかった。

作品の冒頭は、夫マイケルのガンが発覚した1998年の場面から。
すでにこの夫婦は3年以上会えていないという。
なぜそんなことに?
そこから10年前の1988年に、さかのぼっていく。

1988年、イギリスのオックスフォードで夫マイケルと2人の男の子とともに暮らしていたアウンサン・スー・チーは母親の看病のためにミャンマーに帰国した。これと時をまったく同じにして、ミャンマーでは軍事政権に対する抗議運動が盛り上がり(8888民主化運動)、これに対する酷い弾圧が行われていた。民主化運動家たちは、独立の指導者アウンサン将軍の娘であるスー・チーに民主化運動の指導者となることを要望する。久々に帰国し、あまりにひどい軍事政権の暴挙をみたスー・チーはこれを引き受ける。
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イギリスで家族とともに安定した生活を送っていたスー・チーにとって、ミャンマーを見捨ててイギリスにもどり、家庭人としての自分の幸福を選択することもできたと思う。しかし、スー・チーはミャンマーのために生きる決断をする。
夫マイケルは、スー・チーがミャンマーにとどまって活動を続けることを支え、それは自身がガンで余命宣告を受けてからも変わらなかった。

この作品は2011年に制作されたもので、夫マイケルが死亡する1999年までを中心に描き、ラストは「その8年後」として2007年の僧侶らの反政府デモの様子、エンディングで、2010年に自宅軟禁が解除されたことを字幕で伝えて、終了する。

この作品が制作された2011年から10年が経過した。
この作品以降のミャンマーは、どのような歴史を展開したのだろうか?

2011年に民政に移管され、これにより、軍事政権時代に欧米諸国が行っていた経済制裁は解除され、海外の企業のミャンマー進出も盛んになった。2015年にはアウンサン・スー・チーが率いるNLDが選挙で大勝し、スー・チーが国家最高顧問とするNLD政権が成立した。ここ数年のミャンマーの経済発展には目覚ましいものがあった。

それなのに2021年、再び軍事クーデタがおきてしまった。
軍は政治への関与を手放さない。この国が抱える問題は根深い。
軍事政権下の不自由な生活には二度と戻りたくないミャンマーの人々は、命懸けで抗議活動を続けている。
それにしても、抗議活動を続ける無防備の自国民に対して銃を向ける軍の非道さが報道されるたびに、胸が痛む。

ミャンマーのことをもっと知りたいと思い、いつものことながら、作品で描かれている時期を飛び越えて、1948年の独立から現在に至るミャンマーの70余年間の歴史をたどってみた。
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世界史講座  ミャンマーの歴史

1886年 イギリス領インドに編入される。
ビルマ(現ミャンマー)は、3度にわたるイギリスとの戦争に敗北し、1886年、イギリス領インドに編入された。

20世紀になり、アジア・太平洋戦争がはじまると、日本軍がこの地に侵攻し、実質支配下に置いた。イギリスから独立したかったビルマのアウンサンら民族主義者はいったん日本と連携したが、日本による独立承認は形式的なものだったため、反日に転じた
1945年、アジア・太平洋戦争終戦で日本による統治は終わる。ビルマはイギリス領に復帰し、独立後の国づくりを模索していた。しかし、あまりにも残念なことに、独立前年の1947年にアウンサンは暗殺されてしまった。

1948年 ビルマ連邦として独立
独立国となったビルマは、議院内閣制を採用し、初代首相ウー・ヌのもとでスタートした。
しかし。
1962年 ネ・ウィン国軍大将によるクーデタ
ウー・ヌ政権は倒され、ネ・ウィン国軍大将をトップとするビルマ型社会主義政権へと移行した。これ以後、ネ・ウィンは約26年間、国政に君臨した。しかし、ネ・ウィンの掲げた「ビルマ型社会主義」は、先進国や国際機関からの投資・援助・市場の提供をほとんど受けない政策であったため、同じ時期に、他の東南アジア諸国のシンガポール・マレーシア・タイ・インドネシアが発展を遂げている間に、経済発展から取り残された。
ビルマはネ・ウィン政権のもとで、ビルマ型社会主義に失敗し、世界の最貧国のグループに転落していった。

1988年 民主化を求めるデモが盛り上がる(8888民主化運動)。 時を同じくして、アウンサン・スー・チーが母親の看病のため帰国。国民民主連盟(NLD)の結党に参加。 反政府運動の盛り上がりの中で、ネ・ウィンは辞任するが、引き続き軍事政権が続く。
1989年 アウンサン・スー・チーがシェダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて演説を行い、人々の心をつかんだ。これに対して軍事政権は、アウンサン・スー・チーを、自宅軟禁に置く。(以後、2010年まで3度、計15年以上にわたる。)
1990年 総選挙で、アウンサン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝。しかし、軍事政権はこの結果を認めず、スー・チーを自宅軟禁は継続。
1992年 タン・シュエが政権を握る。(~2011) タン・シュエは、スー・チーを自宅軟禁にした人物。
2008  国民投票により新憲法が制定される。(but.LNDは選挙をボイコット)
2010  新憲法に基づいた総選挙が実施される。アウンサン・スー・チーの自宅軟禁が解除される。

2011  テイン・セイン大統領の新政府が発足、民主国家としての歩みを始める。  政治犯の釈放、メディアの自由化促進、国民の人権を脅かす法律の廃止、などを実施。
2015 総選挙でNLDが圧倒的勝利。アウンサンー・スー・チー政権誕生。(アウンサン・スー・チーのポストは2016年に「国家顧問」となる。)
2021 ミャンマー国軍によるクーデタ。アウンサン・スー・チーは拘束される。国軍のミン・アウン・フライン総司令官が全権を掌握。


以上、大雑把に年表にまとめてみた。
結局、ミャンマーは、1962~88年の26年間をネ・ウィン、1992~2011年の9年間をタン・シュエによる軍事政権が実権を握っていたわけだ。すでに、ネ・ウィンのもとでの「ビルマ型社会主義」の失敗が今日のミャンマーの混乱の原因となったことは書いたが、それにしても、ネ・ウィンとタン・シュエの政策はひどかった。

作品の中でもネ・ウィンのひどさが描かれている。占い師の助言を聞くとか、政策の選択をトランプの数字をみて決断するとか、20世紀の政治家とは思えないような悪政を展開した。1988年の抗議活動の引き金となったのは「廃貨」である。それまで流通していた25、35、75チャット紙幣の使用を禁止し、それら貨幣の交換も行われなかった。(作品ではわかりやすく、「9」のつく紙幣以外の使用を禁止したと、描いていた。) 目的はインフレの抑制なのだろうが、これも、占星術の影響といううわさが流れた。これでは不満が爆発するのも当たり前だ。持っていた紙幣が、独裁者の一声で、「この紙幣は使えません」となって、紙切れ同然になってしまうことは想像するだけで恐ろしい。

タン・シュエはネ・ウィン政権下で頭角を現してきた人物として作品にも登場していた。ネ・ウィンがスー・チーの人気にイライラして「あの女をどうにかしろ」といったことに対して、「私にいい考えがあります」と言って、スー・チーを自宅軟禁した人物だ。
こういうことを思いつく人間が、軍の中で頭角を現していくのだな。
タン・シュエの政策もろくでもなくて、占星術に凝っていた。首都をヤンゴンからネーピードーに移したのも、国旗が変更されたのも、占星術に基づくものらしい。


とんでもない人物が政権を掌握して独裁を続けると、国はこんなにもボロボロになってしまうということが分かった。

それにしても、なぜ、独裁はなくならないのだろうか?

ミャンマーという国は、135の民族で構成されているという多民族国家である。内訳は68%のビルマ人と、シャン人、カレン人などの数%台の割合を占める少数民族や、1%に満たない少数民族など、実に多様である。歴史的にビルマ人が圧倒的優位な立場にあり、優遇策がとられてきたから、それに不満な少数民族は反発して反政府運動をおこない、ビルマ人の軍事政権がこれを弾圧するという悪循環が繰り返されていた。
マイノリティが武装化して抵抗してくると、様相は複雑化し、(ビルマ人社会の)治安を守るために、軍の存在意義が増す。

しかし、軍が政治権力を持つと、武力をバックになんでもできてしまうから危険である。
近代国家にとって当たり前のことである文民統制(シビリアン・コントロール)は、国家運営にとって非常に大切なことなのだ。このシステムができていない国の政治は混迷する。

そして、やはり、大切なのは憲法なのだ。。国家の基本は憲法にある。
憲法の条文に権力側に都合のいいことが含まれていると、世の中を変えようにも厄介なことになる。
2008年憲法では、大統領の資格要件として、「本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国国民であってはならない。」という条文があった。これはどう考えても、アウンサン・スー・チーの大統領就任を妨害する目的で作った条文としか考えられない。
さらに、2008年憲法では、議会における軍人議員の割合を一定数確保できる条文など、国軍に大きな権限を保障する内容があった。また、国家非常事態時に国軍総司令官の合法的な全権掌握を認めていることも規定されている。
だから、今回のクーデタは憲法に則ったものであると軍は主張しているのだ。
いいかえれば、2008年憲法を改正しようとしたアウンサン・スー・チーに先駆けて、国軍が現行憲法を逆手にとって国軍総司令官のミン・アウン・フラインが「合法的に」全権を掌握したとも言えてしまうのだ。

テイン・セインは2008年憲法の中の非民主的な条項を修正しようと試みたが失敗した。(テイン・セインは軍出身の政治家なので、それまでの軍事政権と同様の政策が行われるだろうという大方の予想に反して、様々な民主化改革に取り組んだ政治家である。)
アウンサン・スー・チーも憲法改正を試みたが、逆に今回のクーデタを招いてしまった。

なぜ、軍は権限に固執するのか?それは、政治的権限を持っていれば、経済的な利権が転がり込むからだ。
自分の身内や地元に利益をばらまいて、それによって支持を固めて、自分自身にも利益が転がり込むような構図はどこの国にもあるけれど、ミャンマーでも、軍が相当な利権を持っていたようだ。
当然、簡単には手放さない。利権が絡むと政治がゆがむ。
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困難を極めているミャンマーの現状であるが、国軍が抗議活動への弾圧を止め、この国に再び自由が戻り、豊かな国になっていくことを祈るばかりです。

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基本的なことだが、あらためて憲法は大切だと思った。そして、「日本は大丈夫か?」と考えてみた。。
2015年には、安保法制と呼ばれる法律が成立した。これは、日本が戦争に関わる可能性のある国になってしまった、ということだ。、自分の生活に直接影響がないことに関しては、人は無関心になりがちだけれど、こういうのを平和ボケというのだろう。
何を大げさな、と今、思えることが恵まれているのであって、それがいつまでも続くという保証はない。
今、自分が普通に生活できることに感謝しながら、危機感をもって、政治を見つめていこうと思った。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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