『シカゴ7裁判』

シカゴ7裁判


2020年に公開のアメリカ映画。
コロナ・ウイルスの流行により、配給のパラマウントは劇場公開を断念し、Netflixに権利を売却。
日本では2020年10月から配信(配信に先駆けて一部劇場で公開)

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1968年8月、イリノイ州シカゴで、ベトナム反戦運動の集会・デモが、警察と衝突し、数百名の負傷者を出す暴動に発展してしまった。
その責任を問われ、デモに参加した各グループのリーダー的存在だった7人は、暴動を扇動したとする罪で法廷に立たされることになる。
しかし、この裁判があまりにも理不尽。
法廷ものは私の大好きな映画のジャンルだが、今まで見た中で、この裁判のホフマン判事は最低の裁判官だった。(ホフマンのひどさがこの作品での見どころ。)
訴えられたのは、「シカゴ・セブン」と呼ばれる7人。
民主社会学生同盟のトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)、レニー・デイヴィス。
青年国際党のアビー・ホフマン、ジェリー・ルービン。ベトナム戦争終結運動のMOBEのリーダー、デヴィッド・デリンジャー、さらにリー・ワイナー、ジョン・フロイスら7人。これに、ブラック・パンサー党のボビー・シールも加えた8人の裁判が展開される。

暴動を誘発した責任は、デモの側と警察の側のどちらにあるのか?
デモのリーダーたちは、参加者の安全に十分配慮したか?
などが争点。

裁判の展開は、映画を見て楽しんでもらうとして、このブログでは、デモについて考えてみたい。

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デモは政治を動かす。

1960年代は「若者」の政治参加が活発な時代で、アメリカでは、公民権運動やベトナム反戦運動が社会を大きく変えた。
フランスでも1968年、学生や労働者を中心に改革を求める運動が全国に広がり、「五月危機」と呼ばれる事態に発展し、翌年のド=ゴール退陣につながった。

日本でも1960年の安保闘争や、1968年~70年の全共闘運動学生紛争などが思い浮かぶ。もっと歴史をさかのぼると、大正政変がある。
大正政変の展開を説明すると少々長くなるので、ここでは省略するが、1913年、第三次桂内閣に抗議する数万の民衆が帝国議会を取り囲こみ、桂首相を辞任に追い込んだ出来事である。桂退陣の背景には、もうこれ以上事態が大きくなると、暴動・内乱に発展し危険だとする判断があったという。
日本では、これが民衆の直接行動が内閣を倒した最初の事例である。

ここだなと思う。
民衆の抗議で政治を変えることができるのは、まともな国での出来事なのだ。

世界の歴史の中では、抗議の声が権力側による弾圧によりつぶされ、流血の惨事となった事例は多い。
例えば、映画『遠い夜明け』に描かれている南アフリカでのソウェト蜂起(1976)。
黒人学生1万人と警察隊が衝突し、500人が死亡、約2000人が負傷した。これも当初は学生たちが計画した平和的な抗議活動だった。
無抵抗の学生たちに銃弾が浴びせられ、多くの黒人学生が死んだ。
この国がアパルトヘイトを撤廃するのは、その後、15年の年月を待たなければならなかった。

2014年の香港の雨傘運動も非常に盛り上がったけれど、香港政府はデモ側の要求をすべて拒否し、結局この運動をつぶした。
その後の香港では、2020年に香港国家安全維持法が成立し、活動家の周庭が逮捕され、裁判で実刑判決を受けた。
民主化を求める学生のデモを軍の出動によりつぶした天安門事件(1989)を挙げるまでもなく、国家権力の強い中国では、民衆の抗議活動はなかなか成功しない。

今日(2021.3.4)も、ミャンマーでの軍事クーデターに反対するデモのニュースが報道されていた。アウンサン・スーチー氏から政権を奪った軍事政権は、デモを武力でつぶそうとしている。ここ数日、事態はどんどん悪化して、死者の数は日を追うごとに増えている。
ニュースの映像を見ていると、かなり心配な状況。(けが人を救護する医療従事者を警察がこん棒でたたいていた。なんで?)
数週間前は平和的なデモだったのが、あっという間に悲惨なことになってしまった。

それでもミャンマー人たちは命懸けでデモに参加している。
かつての軍事独裁時代の不自由さを知っているから逆戻りは何としても防ぎたいのだ。
もう、ミャンマー自体では収拾できないのではないかと心配している。

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平和的なデモ活動と暴動は紙一重だ。

この『シカゴ7裁判』も、平和的に行おうとしたデモが、どうして暴動に発展してしまったのかが争点だった。
昨年全米で盛り上がったBLM運動は、特にリーダーがいるわけでもなく、自然発生的に各地で参加する人が増えていき、世界各地に広がった。一部、混乱が生じた事例もあったが、暴動に発展しないような配慮があったように思う。

21世紀の今、人類は戦争や暴力によらない問題解決の方向を目指していかなければならないのだと思う。



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『2人のローマ教皇』

2人のローマ教皇


2019年の英・米・伊・アルゼンチン合作映画。
Netflixオリジナル作品。
監督:フェルナンド・フェイレス
脚本:アンソニー・マクカーテン

出演:アンソニー・ホプキンス(ベネディクト16世)
   ジョナサン・プライス(ベルゴリオ枢機卿=のちのフランシスコ教皇)

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タイトルを見たときに、さほど面白い映画ではないだろうと、あまり期待はしなかった。
世界史の教師をしているので、ローマ・カトリック教会史は必須なので、まぁ見ておこうか、くらいの気持ちで見始めたのだが、うれしいことに予想に反して、非常に面白かった。

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2人の教皇とは、2013年2月に辞任を発表したベネディクト16世と、その後を託されたベルゴリオ枢機卿(現在のフランシスコ教皇)のこと。
この作品は、この2人の心の交流を描いたものである。

教皇職は終身の役職で、本来、死んだ時にようやく任務から解放されるわけで、自分の意志で教皇を辞任するというのは極めて珍しい。700年前の1294年に事例があるだけだという。
(日本でも、2019年に平成の天皇が生前退位され、元号も令和になったが、日本の歴史の中で、これも珍しい事例で、私は、平成の天皇の決断には、ベネディクト16世の辞任の影響もあったのではないかと思っている。)

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ベネディクト16世は2005年から2013年までの約8年間、ローマ教皇を務めた。
前任のヨハネ・パウロ2世は、1978年から2005年までの27年間教皇を務め、非常に人気があり、全世界から尊敬されるような人物だったので、いろいろやりにくいこともあったろうと思う。
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(参考)この作品ではヨハネ・パウロ2世は冒頭に葬儀の時の映像がちょっと流れるだけで、登場はしていないのだが、前任者がどのような人物だったのかを知ると、ベネディクト16世を深くとらえることができると思うので、ここで、ちょっとヨハネ・パウロ2世についての説明をします。

ヨハネ・パウロ2世の何が素晴らしいか。
反戦と平和を訴え続け、世界中を飛び回り(訪問した国は129か国)、「空飛ぶ教皇」と呼ばれた。日本の広島・長崎を訪れた最初の教皇である。
・他宗派・他宗教・他文化間の対話を呼びかけた。
・キリスト教がなした過去の罪について、歴史的謝罪を活発に行い、ガリレオ・ガリレイの地動説裁判における名誉回復を公式に発表。また、ダーウィンの進化論についても容認した。
(今時、天動説を主張する人はいないし、人類がアダムとイブから始まったと思っている人はいないものね。)

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ヨハネ・パウロ2世が素晴らしい教皇だったという印象が強いのに比べると、ベネディクト16世は、イメージとしては、保守的・厳格・地味、といったところだった。
偉大な教皇の後任は辛い。
しかも、映画『スポットライト 世紀のスクープ』で描かれているように、ボストン・グローブ紙が「カトリック司祭による性的虐待事件」の記事を公開したのが2002年のことで、ローマ・カトリック教会は当然のことながら、厳しい批判にさらされた。
そんなことがあったころの就任だった。

この作品は、ベネディクト16世が辞任を決意する2012年を中心に描いている。
彼が後任を託そうとしたのが、現在のフランシスコ教皇だった。
ベネディクト16世とは、考え方のまるで違う人物である。
作品中でも、「君を次の教皇にしたくないから、教皇を辞めることができなかった。」というベネディクト16世のジョークがある。
そんなベネディクト16世がフランシスコという人物のすばらしさを見抜き、考え方の違うフランシスコを信頼して、あとを任せて退こうとする。
「君なら教会の改革ができる。」

フランシスコに教皇職を引き受けてくれるように説得する場面で、二人が背負っている過去の罪について告白しあうのが、この作品の見どころだと思う。
どんなに偉い人でも背負っている罪があり、だからこそ、人々に対して優しくなれるのだと思った。

ラストは、現在のフランシスコ教皇の活動。
フランシスコ教皇は初の南米出身のローマ教皇で、古い伝統にとらわれない革新的で庶民的な教皇。サッカーとビートルズが大好き。
公用車を使わず、公共交通機関で移動するなど、貧しい人の味方で、人気が高い。

この作品では描かれていないのだが、フランシスコ教皇は、トランプ大統領との会談での発言が注目をあびた。
メキシコ国境の壁に対して、「橋を築くことではなく、壁を造ろうと考えるのはキリスト教徒ではない。」
そして、アルゼンチン人である自分のことを「私も移民の子孫です。」と言って、トランプの移民排除の姿勢を批判したことは多くの人々からの共感を得た。

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ヨハネ・パウロ2世とフランシスコ教皇に挟まれたベネディクト16世なので、人気や評価の点で何かと損な立場にあると思うのだが、私は、この『2人のローマ教皇』という作品をみて、ベネディクト16世がなにかほほえましく、好感が持てた。
演じたアンソニー・ホプキンスが素晴らしい。
アンソニー・ホプキンス


脚本のアンソニー・マクカーテンは『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』、『博士と彼女のストーリー』『ボヘミアン・ラプソディー』を手掛けた脚本家。
この作品も2人の教皇が対話を重ねて理解しあうという展開のなかで、心に残る言葉が数多くちりばめられていた。

※注:フランシスコ教皇は、教皇に就任する前は正確にはベルゴリオ枢機卿なのですが、ややこしいのでフランシスコという表記で文を書きました。

『存在のない子供たち』

存在のない子供たち


2018年のレバノンのドラマ映画。

どこの国にも貧困に苦しんでいる人は存在する。
貧困層を扱った作品にはほろ苦さがつきまとう。
『万引き家族』や『パラサイト』のように、「家族愛」をテーマにして、家族ぐるみでうそやペテンや犯罪行為をしてまで何とか生き抜こうとする姿を描き、そこに思わず笑ってしまうようなコメディ調のテイストを加えたとしても、やはり、根本にあるのは「貧困」という問題であり、懸命に生きようとしても貧困から這い上がれない社会の問題点が見えてきて、見終わった後に、「面白かった。」という感想では済まされない、もやもやしたものが残る。

この作品はもっとストレートだ。
レバノンのスラム街に住む、戸籍すら持たない少年を描いたものなのだが、あまりの過酷な状況な中でも生き抜いていこうとする。
主人公の少年ゼインから、人間としての尊厳のようなものが感じられ、わずか12歳の少年の生きざまに感動する。

冒頭から衝撃が走る。
少年刑務所に収監されているゼインが、両親を訴える法廷の場面からスタートする。
罪名は「僕を産んだ罪」
この少年にいったい何があったのだろうか?

主人公のゼインの大きな瞳が、彼の様々な感情を表現する。
貧困の中でなすすべもなくただ流されていくだけの日々を送る父親を見る目、そんななかでまた妊娠してしまった母親を冷たく見限るときの目。
この少年の大人に対する目には、冷やかさと憂いがある。
一方で、理不尽な社会に怒り、憤りながら、妹のサハルを守ってやろうとするやさしさにあふれた目を持つ。
ゼインは、エチオピア移民の女性ラヒルの息子ヨナスのことも面倒を見続けた。
ラヒルが理由もわからず家に戻ってこられなくなっても、ラヒルはヨナスを見捨てることなく、一緒に生活を続けた。
12歳の子供が赤ん坊を育てながら生活するなんて無理だと思うので、このあたりは見ていてつらくなるほどだったのだが。

作品の後半、ストーリーは大きく展開する。

貧困に運命を翻弄され、押しつぶされそうになりながらも、ゼインは、そんな世の中はおかしいと思い、行動した。
「みんなに好かれて尊敬されるような立派な人になりたかった。」というゼインの望みは、人として、まともな願望だと思う。
そしてゼインの訴えを拾い上げてくれたラジオのキャスターや弁護士がいた。
この作品のラストはほっとできる。

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レバノンという国が抱える貧困の問題は、周辺国家の状況にも左右されている。
かつて難民を受け入れる側だったシリアからも、内戦の影響でレバノンに流入する人が増えた。
しかし、難民は身分証を持っていない。身分証がなければ、まともな職に就けず、貧困のスパイラルにはまっていく。
身分証を持たない親から生まれたゼインのような子供は戸籍すら持たないし、自分の生年月日もわからない。
当然、学校にも行けない。
(生年月日くらいきちんと覚えていて子供に教えてやれよと、この親の無責任さには腹が立った。)
レバノンには、さらに貧しいエチオピアなどのアフリカ諸国から移り住んできたラヒルのような人々もいる。
不法就労で摘発されることを恐れながら、エチオピアにいる親に仕送りをするために、劣悪な条件下で生活をしている。
貧しい中で自分の生活だけでも精いっぱいなはずなのに、仕送りまでしなくてはならないなんて・・・。

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この作品の特徴は、作品の登場人物と同じような境遇の人を配役にあてているところだ。
主人公であるゼインを演じたのは本名もゼインというシリア難民の少年だ。
演技は初めてという少年が、自分と同じ境遇の作中の役柄を、自らの経験を頼りに見事に演じ切った。
それはまるでドキュメンタリー作品のようなリアルさだった。

プロデューサーと監督のこの試みが素晴らしいと思った。

『工作 黒金星(ブラック・ビーナスと呼ばれた男)』

工作


2018年の韓国映画。北朝鮮に潜入した韓国の工作員をめぐる、実話をもとにしたフィクション。
コードネーム“黒金星(ブラック・ビーナス)”は実在した韓国のスパイで、最も成功した対北工作員として知られた人物。彼は、2010年に国家保安法違反で突然逮捕され、6年の服役を経て、2016年に出所。作品の企画は、彼の収監中に始まり、釈放後、詳しい取材を通してこの作品が出来上がったという。

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1992年、朝鮮半島は北朝鮮の核開発をめぐって、緊張状態が高まっていた。
北朝鮮は核兵器をすでに持っているのかいないのか?
(現在、北朝鮮が核兵器を持っていることは明白なのだが、当時はそれを確認する必要があった。)
韓国軍の情報部隊の将校パク・ソギョンは国家安全企画部のチェ・ハクソン室長からコードネーム「黒金星」という工作員として北朝鮮に潜入する命令を受ける
「北朝鮮の核開発阻止」だけが朝鮮半島を救う道だと言われて。

工作員になるには将校だった過去を消さなければならない。
中佐に昇進する目前だったという優秀なパクだったが軍を辞める。
その日から毎日酒を飲み歩き、賭場にも出入りし、元同僚から借金をし、そしてあっという間に膨れ上がった借金により自己破産する。
韓国に潜入した北朝鮮のスパイを欺くための偽装工作で、これがパクにとっての最初の任務だった。

パクは、北朝鮮へ入り込むチャンスを狙う。
北朝鮮には、リ・ミョンウン対外経済委員会審議所長という外貨獲得の責任者がいた。
軍の所属ではないので序列はないが、キム・ジョンイル委員長と単独で会えるという、北朝鮮の高官だ。
リ所長に接近するためにパクは事業家に成りすまし、中国に潜入する。


それまでも中国に潜入した工作員は正体がばれると、拉致され、あるいは無残に殺され、何人も消えたという。
(なんと危険な恐ろしい任務。)
表情・服装・行動が不自然だと敵に見破られる。
パクは金だけが目的の商売人になりきる。

パクはリ所長に交渉を持ち込むところまでにこぎつける。
北朝鮮を背景に韓国の商品を撮影するというCM作成の広告事業を持ちかける。
南北の広告共同事業である。
韓国側は商品が売れるCMが作成できれば大きな儲けになり、北朝鮮側は撮影場所を貸すだけで大きな利益が転がり込む。双方にとってうまい話。
そしてパクは撮影のためには北朝鮮国内を自由に下見する必要があると持ち掛ける。
ここまで話が進展し、いよいよパクはキム委員長に会う機会を得る

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北朝鮮のキム委員長に会う場面がすごい。
特殊メイクを施したそっくりさん演じるキム委員長。ペットの犬。
お部屋の雰囲気。仕える兵士や給仕のものものしさ。

撮影のために作ったセットは莫大な金がかかっていると思うのだが、実際の北朝鮮はこんな感じなのだろうと想像することできるシーンで、この作品の見どころの一つだ。

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スパイというのは割に合わない任務だと思う。
正体がばれたときの危険が常につきまとう。(それだけで相当なストレス。)
事業家になったパクが国家安全企画部の工作員であるということを知る人物はチェ室長を含め3人だけ。
「正体がばれて拘束された場合、政府と国家安全企画部はかかわりを否定する。」ということも言い渡されての任務だ。
「最悪の事態になったら決断は任せる。」
任命した国家安全部は任命された工作員の身の安全を保障しない。

それでもパクが任務を忠実に果たそうとしたのは、パクの祖国を思う気持ちによるものであり、軍人としての使命感によるものであると思う。

しかし、それが、大統領選挙により政権が変わるかもしれないという政情の変化に大きく影響されてしまう。
選挙の時期に国民の危機感をあおれば、与党に票が集まる、という理由で、韓国側は金を積んで、北朝鮮軍に攻撃を依頼していた。(もちろん人的被害を出したら武力衝突に発展してしまうから、そうはならないようなレベルの砲撃で。)
選挙のたびに「北風」が吹いた
「北風」は韓国側の国家安全企画部の策動で吹かせたものだった。

国家安全企画部は韓国という国家のものであり、与党の機関じゃないだろう!
キム・デジュン(金大中)が選挙に勝って大統領になったら、国家安全企画部が存続されなくなるから、キム・デジュンの当選を阻止しようとするとは、チェ室長の保身のためであって、韓国という国の利益ではないだろう!

国家レベルの問題でも、担当する人間の個人的な利害が政策に影響するのだと、つくづく思う。
そんなレベルの低い話で国策が動いてほしくはないけれど。

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この作品では主人公のパクと北朝鮮高官のリ所長がとにかくかっこいい。
南北に分断された朝鮮半島という舞台で、それぞれの立場に縛られながらも、祖国を思い、朝鮮半島全体のことを思う。
立場の違いがありながら、二人の間には信頼関係が存在した。
“浩然の気”という言葉を通して、理解しあえるものがあったのだろう。

腕時計とタイピンに象徴される友情。素敵でした。

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(追記)
リ所長を演じたイ・ソンミン。
私が昨年はまった韓国ドラマ「ミセン(未生)」のオ課長。
厳しい表情と目が細くなるほどの笑顔のメリハリがいい。

『判決、二つの希望』


判決 二つの希望

2017年のレバノンのドラマ映画。

レバノン映画を初めてみた。
この国が抱えている複雑さがよく分かった。

ちょっとした言葉が原因のトラブルはどこでも起こるもの。
しかし、その背景に民族・宗教的な対立という事情が絡むと、事態は予想もつかないほど、大きなものに発展してしまう。

原因はささいなことだった。
アパートの2階のトニーの家のバルコニーの排水管から流れた水が、下の道路で作業していたヤーセルにかかってしまう。
排水管は水が道路に向かって流れる違法建築だった。
(バルコニーの植物に水やりをするトニーが勝手に作ったもの。)
ヤーセルは排水管の向きを変える工事を施す。
しかし、トニーはそれを壊す。
ここで、ヤーセルはトニーに「くそ野郎」という言葉を発してしまう。
この言葉に対してトニーは謝罪を求める。
所長に付き添われて謝罪に向かったヤーセルだったが、この時、トニーが発した言葉がどうしても許せず、とっさに殴ってしまい、トニーの肋骨を骨折させてしまう。

トニーはキリスト教徒のレバノン人。ヤーセルはパレスチナ難民。
トニーが放った言葉は「シャロンに殺されていればな。」だった。
シャロンとは、レバノン内戦に介入したイスラエル国防相(当時。のち首相。)
パレスチナ難民のヤーセルにとって、この言葉は許しがたかった。

そして、事態はどんどん悪い方向に進展し、法廷にまで持ち込まれることになってしまった。
トニーとヤーセルという個人と個人のトラブルが、“キリスト教徒のレバノン人”と、“パレスチナ難民およびイスラーム教徒のレバノン人”との対立となり、レバノンという国の世論を二分してしまうほどの事態となる。

ヤーセルはパレスチナ難民なのでレバノン人よりは弱い立場にあり、仕事を請け負わせてもらっているという意識もあるので、工事現場の監督として当初、丁寧に対応しようとしたと思う。
見ている側は、トニーの態度を偏屈だと思うし、彼がひどい言葉を言わなければとこんなトラブルが起こらなかったのにと思ってしまう。
トニーが支持している「レバノン軍団」という政党は、「パレスチナ人はレバノンから出ていけ。」と考えている集団で、彼が見ているテレビからもレバノン軍団の集会の映像が流れていた。

トニーの考え方は、キリスト教系レバノン人第一主義で、その利益を脅かす集団を排斥しようとする考え方だ。
こうした考え方に対して、はたから見ている私は、何と了見の狭い考え方だといいたくなってしまう。
難民は理不尽に祖国を追われた人たちで、このレバノンで、肩身の狭い思いをして暮らしているのだ。彼らは悪くない、受け入れてやれ、と思うのだ。

しかし、私のこの考え方は、パレスチナ難民側の立場から物事を見ていて、難民を受け入れている側のレバノン人の視点に立ってはいない、ということに気が付いた。
物事は双方の立場からフラットな気持ちで見なくてはならない。

ネタバレになってしまうのだが、作品の後半、舞台が法廷に持ち込まれていくと、次第に、トニーの感情の裏に何があったのかがわかるようになる。
トニーも、悲しい過去を背負っていた。

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パレスチナ難民を受け入れているレバノンという国。
実に複雑だ。
中東の国々は、ユダヤ人国家のイスラエル以外はすべてイスラーム教徒のアラブ人国家であると思われがちだが、実はレバノンという国は40%がキリスト教徒で構成されている。
1943年、フランスの委任統治領だったこの地域が、レバノンとして独立した当初から、国内ではイスラーム教徒とキリスト教徒の対立はあった。
それでもこの国はレバノン内戦がおこるまでは、地中海沿岸の温暖な気候のもとで、首都ベイルートは「中東のパリ」と称されるほど美しい都市で、観光地としても栄えていた。
しかし、この国は1975年から1990年まで続いたレバノン内戦でぐちゃぐちゃになってしまった。

レバノン内戦の原因・展開はかなり複雑である。
1948年にイスラエルが建国されるとそこに住んでいたパレスチナ人は難民となって、周辺のヨルダンやレバノンに押し寄せた。
1970年、ヨルダンでは、パレスチナ=ゲリラ組織であるPLOを排除しようとしてヨルダン内戦がおこった。(ヨルダンもPLOもアラブ人。つまりヨルダン内戦はアラブ人同士の戦い。ヨルダンとしてはPLOを排除しなければイスラエルからの攻撃を受けることになるので。)
ヨルダン内戦により、PLOおよび多くのパレスチナ人難民がレバノンに移住してきた。
すると今度はこうした事情を背景に、1975年、レバノン内戦が勃発した。
レバノン内戦は、“レバノンのキリスト教徒(マロン派)” vs. “レバノンのイスラーム教徒&PLOの連合軍”  という戦いである。
これに隣国シリア(アサド政権)が介入し、1982年にはPLOの排除を目指してイスラエル軍が侵攻した。

レバノン内戦は1975年~1990年までの15年間続いた。
この間、マロン派民兵がパレスチナ難民キャンプを襲撃して非戦闘員を含む多数のパレスチナ人を殺害するという残虐行為があった。逆にPLO・イスラーム教側がキリスト教徒の住む村を襲撃し、女子供を含む民間人数百人を殺害するという残虐行為があった。

トニーは襲撃されたダムール村の出身で、この事件の時、父親とともに命からがら襲撃から逃れたという過去を持っていたのだった。

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過去の負の遺産を背負って生きている人々。
トニーにとって、パレスチナ人は許せない存在だった。
自分の村を襲撃した組織の側の人間だから。
ヤーセルの人格や人間性がどうこうということ以前に、パレスチナ人であるという存在そのものが、許しがたいのだ。

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日本という安全な国の中で、多数派の日本人として安穏に暮らしていける立場にある自分が到底わかりえない、根深い憎悪の感情は存在する。
自分の住んでいた村が襲撃されて、そこで大虐殺が起こったなら、襲撃した勢力を憎むのは当然だ。
民族的対立をはらんでいる国に生まれていたら、自分は敵対する勢力に対して、どのような接し方をするだろうか?

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この作品の後半の展開は法廷劇である。

そもそもは単純な相手を殴ったことによる傷害事件。
が、それを誘発した侮蔑的な言葉はレバノンが抱える複雑な民族対立をあぶりだしてしまい、レバノンじゅうを巻き込むことになる。
抱えている事情はあまりにも根深い。
偏った判決は対立をさらに深める。
公正な判決を下さなければならない。

対立を何とか収拾しようとする裁判の進展が私にはとても興味深いものだった。

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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