『MINAMATA』

MINAMATA
MINAMATA

2020年のアメリカ映画。日本での公開は2021年9月。
水俣病の実態を撮影・記録したフォト・ジャーナリスト、ユージン・スミスを描いた作品。

見る前から、タイトルでストーリーの展開のおおよそは見当がつく。
水俣病患者の悲惨さ、企業との闘争、それを写真に撮影して世界に訴えた写真家を描いた、いわゆる社会派作品なのだろうなと。
そしておそらく暗くて重い作品かな、と。
こう勝手に予想して、一応みておこうかなというくらいの気持ちで10月3日(日)、朝一番で近所のTOHOシネマズに行ってきました。

良かったです。とても。
予想をはるかに超えて、心にグッときました。
見に行ってよかった。見終わった後、心からそう思いました。

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今、「この映画は、何がよかったのだろうか?」ということについて考えている。

ひとつは、この作品が、ドキュメンタリー作品ではないということによるかなと思う。
ドキュメンタリーと銘打っていたら、事実しか取り扱うことができない。
「史実にもとづくストーリー」とすれば、フィクションを挿入することもできる。
それにより、ユージンの気持ち、水俣病被害者とその家族の気持ち、折れそうになりながらも抗議活動を続ける支援者の人たちの気持ちを細やかに描くことができたのだと思う。
(ユージンとチッソの社長との駆け引きや、ユージンたちの活動を妨害する出来事のなかに、実際にはなかった創作も含まれている。)
だからとても分かりやすい。

そして、俳優陣が素晴らしかった。
私は、画面に登場した時間はごくわずかだった浅野忠信の静かな演技に強いインパクトを受けた。
彼は胎児性水俣病の智子の父親マツムラ・タツオを演じた。
ユージンは水俣に到着してすぐにマツムラ家を訪れる。そして、マツムラに撮影の許可を願い出る。
マツムラの答えは、「勘弁してください。」だった。

そうか。
被害の発生した水俣という地域の中で、この人たちは、ひっそりと暮らしているのだ。
智子を世の中の好奇の目にさらしたくないのだ。

穏やかな口調で答えたマツムラ。
どれだけの怒り、苦しみを背負っているのだろうと思わずにはいられない。

そして、次第に水俣の人々がユージンに心を開いていく。
写真家と被写体の信頼関係があって、初めて本物の写真が撮れる。
入浴する智子と母(注1)」はユージンがとった写真の中で最も有名な写真であるが、今まで私は、なぜこのような写真が撮れたのかということまで考えたことはなかった。
写真家がいきなり水俣に行って、偶然に撮れた一枚ではないのだ。


この映画は、見た者が、被害者の心情がどのようなものであったかということにまで思いを至らせるようになる、そういう作品だと思った。


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注1:「入浴する智子と母」の本物の写真は、現在では見ることができません。ユージンの妻アイリーンが1998年に封印しました。理由は「(この写真を)もう休ませてあげたい。」ということでした。

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『アイダよ、何処へ』

緊急事態宣言も明け、台風一過の10月2日(土)、千葉劇場というミニシアターに映画を見に行ってきました。観客数10人弱。シニア料金(¥1100)で入っているとみられる人ばかりだったから、この回の売り上げ1万円程度。地方のミニシアターは経営が大変だろうなどと思いながら、作品に浸ってきた。


『アイダよ、何処へ(QUO VADIS,AIDA?)』
2020年のボスニア・ヘルツェゴヴィナなど9か国の合作映画 (注1)


第二次世界大戦後のヨーロッパ最悪の悲劇と言われた1995年夏の「スレブレニツァの虐殺」」を描いた作品。
混乱のさなか、国連職員で通訳のアイダは家族を守るために必死の行動をとった。
アイダよ、何処へ

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スレプレニツァという地名をご存知でしたか?
私は知らなかった。
ボスニア紛争の背景はわかっているつもりだったし、その悲惨な展開も知っているつもりであったが、このような集団処刑が行われたことについても全く知らなかったし、そもそも、スレプレニツァという地名も今回初めて聞いた。
ボスニア紛争自体が複雑で悲惨だが、その末期に起きたスレブレニツァの虐殺では、推計8000人以上のボシュニャク人(イスラーム教徒)が殺害された。
わずか四半世紀前に、このようなことが起きていたのだということを、映画を通して知ることができた。
民族同士の対立から内戦となり、混乱が加速すると、収拾不可能な状態に陥り、このようなことが起こってしまうのかと、その恐ろしさを認識した。

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この作品の背景となったボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992~1995)について。

ユーゴ 地図

第一次世界大戦後に独立したユーゴスラヴィアという国は6つの共和国からなる連邦国家で、「5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字をもつ1つの国家(注2)」で、多様性・複雑性をもつ国家であったが、ティトー大統領というカリスマ的指導者のもと、東西冷戦の緊張の中で、統一を保っていた。
1980年にティトー大統領が死去して以降、連邦国家としての結合は弱まり、1989年冷戦終結、1991年ソ連消滅という激動の中で、連邦を構成していたスロベニア、クロアチアが連邦から分離独立し、ユーゴスラヴィアの解体が始まっていった。
その流れの中で、ボシュニャク人(イスラーム教徒)、セルビア人、クロアチア人という宗教の異なる3つの民族で構成されていたボスニア・ヘルツェゴヴィナは、分離独立をめぐる対立から、複雑な内戦になってしまった。
そして、勢力地域を拡大するセルビア人に対して、人数では多数派であるはずのボシュニャク人は最も劣勢になってしまった。
ボスニア 地図
1995年7月、セルビア軍の侵攻を目前にして、スレプレニツァ地域に住むボシュニャク人は、安全地帯とされた国連保護軍のオランダ軍本部に向かうか、セルビア人支配地域を突破しながら約50km離れたボシュニャク人支配地域をめざして徒歩で向かうしかなかった。

約4万人いたスレプレニツァのボシュニャク人のうち、オランダ軍本部を目指した人々が約2万人。しかし、その敷地内には入れたのは5000人で、約15000人がゲートの外にあふれかえり、水もトイレもない状態の屋外で昼夜を過ごすことを強いられた。
アイダ

この作品では、オランダ本部に逃げ込もうとした人々の様子を中心に描いている。
見ていて衝撃の連続だった。
こんな状況下に1時間でも居たくない。
命の危険にさらされながら、行き場のない人々。
そんな人々であふれかえっているオランダ軍本部のゲート前。


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(以下、この作品をみて私が感じたこと。ネタバレを含みます。)

アイダがすごい。家族を守ろうとして必死に施設の中を走り回る。
しかし、それは、自分の家族である夫と息子2人を守るためであって、国連職員という立場を利用して、特別扱いしてもらおうとして、必死に国連軍の人たちに懇願する姿だ。
見ていて、途中で、ん?と思う。
アイダの行動に「自分の家族だけ」という身勝手さを感じるのだ。
しかし、アイダに共感することはできないまま見続けているうちに、そんなことは言っていられないすさまじい状況であったのだということを思い知らされる。
逃げなくては、隠れなければ殺されるのだ。
家族を守るためならなんだってする。
きれいごとなど言っていられない、これが混乱を極めた現場の実態だったのだろう。

さらに、みていて感じてしまうこと。
国連軍の無力さ。
ルワンダ内戦の時もそうだった。
事態がどんどんエスカレートしていって収拾不可能になると現地を見捨てて撤退する。
国連軍て?とつい思ってしまう。

しかし現地の国連軍の無力さを批判することはできない。
オランダ軍は、他国がすでにこの地を見捨てている状況のなかで、現地に駐屯して、この地の住民を守ろうとしていたのだ。
圧倒的な兵力不足による無力を非難することは、問題の本質からそれることになる。

問題は民族同士の憎しみあいだ。
外見からは、セルビア人とボシュニャク人は区別がつかない。
大きく分類すれば、同じ南スラヴ人だ。
それなのに、宗教の違いによる民族の違いは、憎しみにまで膨らんでいく。
ボシュニャク人がセルビア人を殺害したから、それに対する報復をしているというセルビア軍の将軍ムラディッチの理屈。
そのために命を奪われた無抵抗のスレプレニツァのボシュニャク人。

悲しい。

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その後の展開。
スレプレニツァの虐殺の起きた7月の後、8月にはNATOによるセルビア人支配地域への大規模空爆が始まり、アメリカが仲介に乗り出す。
11月、3民族による和平合意が成立し、12月に正式調印された。

その後、16年間潜伏していたムラディッチは2011年に身柄を確保され、2021年6月、ようやく終身刑が確定した。

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劇場で購入したパンフレットを読んで知ったこと。
アイダを演じたヤスナ・ジュリチッチとムラディッチ将軍を演じたボスコ・イサコヴィッチは夫婦でともにセルビア人。この作品に出演したことでセルビア人から非難の的になり、母国で政治的圧力を受けているという。

すごい夫婦だと思う。
セルビア人でありながらボシュニャク人を演じる、
セルビア人でありながら、ジェノサイドを行ったムラディッチ将軍を演じる。

この作品はセルビア人にとっては、見たくもないものだろう。
多くの一般セルビア人にとって、スレプレニツァの虐殺は軍が行ったことで、自分には関係ないこと、と思いたいだろう。
しかし、この作品により、世界の人々がそこで何が起きたかを知ることができた。
作品を見た私たちは、セルビア人を非難するということではなく、なぜこのようなことが起きてしまったのだろうということを考え続けたい。

タイトルの「アイダよ、何処へ」は、この先、アイダがどちらに向かって生きていくのかということを問うているのだろうと思う。


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(注1):この作品を制作するにあたって、資金のないボスニアに対して、オーストリア、ドイツ、フランス、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ルーマニア、トルコの8か国が協力した。

(注2)
6つの共和国:スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ      
5つの民族:セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人
4つの言語;セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語
3つの宗教:カトリック、正教、イスラーム教
2つの文字:ラテン文字、キリル文字
1つの国家:ユーゴスラヴィア連邦
のことを指します。 共和国については、現在はセルビアからコソヴォが独立したので7つになっていることや、民族のなかに、ボシュニャク人(当時はムスリム人という呼び方だった)が含まれていないので、適当ではない部分がありますが、複雑な民族構成を持つ国ということを表現するために、数をあげて示すこの言い方を使いました。

『終戦のエンペラー』

4つ前のブログで、「ナチ犯罪追及をテーマにした作品」について書いた。
人類史上最悪の行為と言えるホロコーストに対して、戦後、ドイツがどのように向き合ってきたのかを、映画を通して考えてみた記事だ。

当然のことながら、読んだ方から、「では日本は?」と問われた。

実は、私はこの記事を書いた時、本当は、日本についても言及したかったのだが、書けなかったのだ。
「過去への向き合い方の優等生」と言われるドイツと比較して、「日本が徴用工のことや従軍慰安婦のことでいつまでも韓国から言われ続けているのは何故なのか」が自分の中で常にモヤモヤしていて、それについて考えたかったし、書きたかった。しかし、うまくまとめることができなくて、その時は、ドイツに焦点を絞ることで文章をまとめ、逃げてしまった。

今回、日本の戦後処理について、あらためて考えてみたいと思う。

日本のことを書こうとした場合、どうしても「昭和天皇の戦争責任」について触れなければならない。
実は、このことについて書くのはとても難しい。


悩んだ挙句、以前見た『終戦のエンペラー』という作品のことを思い出した。
この作品を通して、マッカーサーの占領政策がどのようなものであったのか、彼が天皇の処遇をどのようにしようとしたのかから、日本の戦後処理について考えてみたいと思う。

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終戦のエンペラー

『終戦のエンペラー』
2013年公開のアメリカ映画。
(出演者)フェラーズ准将:マシュー・フォックス
     マッカーサー :トミー・リー・ジョーンズ
             (サントリー缶コーヒーBOSSのCM「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ」でおなじみのあの人。)
東条英機(火野正平)、近衛文麿(中村雅俊)、木戸幸一(伊武雅刀)などが登場するが、それぞれの俳優が、演じた歴史上の人物になんとなく似ているというのも、見どころだと思う。このほか、ストーリーのなかでの重要な役どころとしては、主人公の恋人の伯父役の西田敏行。 など。

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1945年8月30日、マッカーサーは厚木海軍飛行場に連合軍最高司令官として降り立った。
パイプをくわえながら悠々とタラップを降りる姿は、これから、この人物のもとで占領政策が行われるのだということを日本人に強く印象付けた。
以後、彼の日本滞在は1951年の4月11日まで、2000日に及んだ。

この作品は、主人公のフェラーズ准将がマッカーサーから、「天皇を免責にするか逮捕するか、結論を出し、文書にして提出しろ。10日間で。」という命令を受けたことから始まる。

終戦直後の状況では、連合国側は天皇の裁判を求めており、さらに処刑を求める声が強かった。
しかし、マッカーサーは、「私の使命は日本の再建だ。」と言い切る。
「もし、天皇を逮捕すれば、集団自決や反乱を招く。裁判を行えば、火薬庫に火をつけるのも同然だ。」
と、日本のことを見ていた。

どうしたら、良いのか?

調査を開始したフェラーズは、いったんは「徹底的に調査したが、無実を証明する証拠は皆無。ヒロヒトは国の統治者として戦争責任を回避できない。天皇の逮捕は国内に大混乱を招くだろう。だが、不可避だ。」
という結論にたどり着く。
しかし、ここで昭和天皇の側近として宮中政治にかかわっていた木戸幸一が登場する。
彼はフェラーズに、8月9日深夜の御前会議のこと、8月14日から15日にかけての宮城事件(終戦反対事件、八・一五事件)のことを話した。

御前会議では、ポツダム宣言を受諾しようとする東郷茂徳外相と、降伏はできないとする阿南惟幾・陸軍大臣の意見に分かれ、3対3になってしまった。そこで、意見を求められた昭和天皇は、「自分の意見は、外務大臣の意見に同意である。」と答えた。
いわゆる「ご聖断」が下されたのである。
そして玉音放送の録音がされるのだが、降伏に反対する一部の陸軍省勤務の将校らが録音盤を奪い取ろうとして皇居を襲撃するという宮城事件を起こした。この事件は、鎮圧され、首謀者たちの自決や逮捕で収拾され、8月15日正午、当初の予定通り玉音放送はラジオを通して流された。

「天皇が戦争を終わらせた。」

フェラーズは、終戦に関しては間違いなく昭和天皇の意思が働いたと、結論づけた。


では、開戦に関してはどうなのか?

天皇は太平洋戦争の扇動者ではなかったのか?
仮に、天皇が開戦には反対だったとしても、軍部の暴走を止めることのできた唯一の立場にあったのは天皇ではなかったのか?
開戦について、天皇は止めえたのかどうか?

これに関するフェラーズの答えは「わからない」というものであった。
何年たっても、わからないだろう。
天皇は自分の気持ちを言葉や文章にして残していない。
天皇制という制度も謎だ。
だから、「わからない。」

結局。
昭和天皇が戦犯として裁かれることは回避された。
日本という国の特性を見極めたマッカーサーの占領政策が施行された。
日本は世界が目を見張るような復興を遂げた。

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公開後のこの作品への反応は、アメリカでは「日本の戦争責任を無視し、過剰に美化している。」という痛烈な批判があったらしい。
日本人の私の感想は、「よかった。」というものである。
「よかった」というのは、なにやら「ほっとした」という意味だ。
天皇の戦争責任を厳しく追及した作品であったなら見ていてしんどい。少なくとも、「終戦については天皇の力が大きく働いた」という内容に安堵したのだ。

おそらく、作品を見た多くの日本人はそう思うと思う。

日本人にとって、昭和天皇の戦争責任について語ることは難しい。
昭和天皇が開戦に反対あるいは消極的な立場であったとしても、大日本帝国憲法下のもとでの当時の日本において、最高の立場にあったのだから、責任はあった。
昭和天皇自身も、敗戦国の元首であるのだから、退位は考えていたようである。

しかし、昭和天皇はそのまま「天皇」という立場に据え置かれた。
このことによって、日本は混乱を回避できた。

1947年5月3日、日本国憲法が施行された。
日本国憲法を作成するにあたって、最も難しかったのは、第一条だったのではないかと思う。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

現人神であった昭和天皇は、人間宣言をして、「国民の象徴」となった。

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数か月前にこのブログで「三島由紀夫vs東大全共闘」について書いたが、あの1969年の闘論の時の全共闘たちは「天皇制廃止」論者たちだった。
全共闘たちにとって、戦争責任についてあいまいな立場のままの昭和天皇に対する崇敬の気持ちはまるでなかったし、三島由紀夫は、天皇が日本人の心の拠り所であると考えていたのだから、意見が対立するのは当然だ。

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「天皇」とは何か?
私の中で知りたいこと、考えたいことが頭の中で渦巻き、天皇に関する書籍をいくつか読んだ。

むずかしい天皇制」 大澤真幸・木村草太 晶文社
街場の天皇論」 内田樹 文春文庫
平成と天皇」 半藤一利・保坂正康・井上亮 大和書房
「平成の天皇」論 伊藤智永 講談社現代新書

以上の書籍ではいずれも、平成の天皇が「象徴天皇」のあり方を模索し続け、見事に体現された、としている。
平成の天皇が、沖縄やペリリュー島などの戦争の被害が甚大であった地を訪れ祈る姿や、阪神・淡路大震災、東日本大震災の被災地を慰問する姿は、人々の心に安寧をもたらし、傷ついた人々を勇気づけた。

昭和天皇については難しすぎる。
64年の在位の中で、最初の20年は現人神として生き、後半の44年にわたる期間は人間であり、「国民の象徴」という簡単には理解できない立場に置かれた。
戦争責任について明確にされないまま、昭和天皇自身は、開戦を止めえなかったことに痛恨の思いを抱え続けながら、昭和という時代を生きぬいたのであろうと思う。

そして、年号はすでに「令和」になった。
「象徴って何?」
日本人にとってわけのわからなかった言葉の意味が、時代を経て、平成の天皇のあり方を通して定着してきたように思う。
継承者の確保の難しさや、皇族に自由はあるのかという点で、天皇制の存続を危惧する考えがあったとしても、天皇制そのものを否定する人は少ないと思う。

日本とはそういう国だ。

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では、もともと私が今回のブログを書く動機となった、「日本の過去への向き合い方」や戦争処理をめぐる問題についてはどうか?
日本は、1965年の日韓基本条約で、過去の韓国併合条約などの失効などを約し、日本は無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を行うことを約束し、それをもって賠償問題は終わった、という立場をとっている。

国家間でのお金のことでは決着はついている、と私もとらえたい。
しかし、感情的な面ではどうか?
韓国人の反日感情、日本人の嫌韓感情がいまだに残っているのは確かだ。
それがなぜなのかは、お金のことでは決着がついているとしても、日本の統治時代に韓国の方々受けた傷を癒すだけの日本側の謝罪や反省の表現が不十分であったからだろうと思う。
(ドイツにおけるブラントやヴァイツゼッカーやメルケルに相当する政治家が現れなかったのも不幸だった。)

そして2021年の現在。
BTSが大好きで韓国コスメを愛用している日本人の若い女性たちは、何の屈託もなく、「韓国大好き!」と答える。
これからの時代は彼ら・彼女たちが担っていく。
国際関係が良好で、平和が保てるのであればそれでいい。

曖昧のままでも時代は流れていく。

しかし、と思う。
過去に何があったのか、償うべきことがきちんとなされているのか、反省すべきことは何なのかは、歴史を学ぶことで考え続けていきたいと思う。

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少し話がずれることを承知で、最後に余計な一言を。
国際関係においては、双方の言い分が平行線をたどり決着がつかなくて、曖昧のままで何十年,何百年と続いてしまっていることはある。それでよいとは思っていないけれど、容易な解決は望めない。
しかし、自分の国のことで、決着できることは曖昧のままにしておいてはいけない。
特に政治家の「不正」とかね。
いくら日本人が、事を荒立てずに、時が過ぎて丸く収まるのを待つ、という特性を持っているとしても、不正を曖昧のままにしていると、日本がそれを許してしまう国になってしまう。
そうなってしまわないようにしなければね。

『OSLO/オスロ』

『OSLO/オスロ』
2021年 アメリカ
スピルバーグが製作総指揮をつとめ、アメリカの衛星・ケーブルテレビ局HBOから2021年5月29日からリリースされ、日本では.U-NEXTで6月28日から配信されている。
オスロ


1993年9月、ワシントンで、長年の敵対関係にあったイスラエルとPLOとの間で、パレスチナ暫定自治協定が調印された。
クリントン大統領を挟んで、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が握手を交わすこの写真は有名である。
この協定は「オスロ合意」とも呼ばれる。それはこの協定の成立の背景に、ノルウェー外相ホルストの仲介があったからであるが、そこに至るには、1組のノルウェー人夫婦が進めたイスラエルとPLOとの秘密交渉があった。
この作品は、ノルウェー外務省の外交官モナと、その夫の社会学者テリエ・ラーセンを中心に、この秘密交渉に関わった人々の気持ちを丁寧に描きながら、「オスロ合意」が成立した過程を描いたものである。
パレスチナ暫定自治協定

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パレスチナ問題をざっとおさらいしておきたい。
1948年のイスラエル建国により、そこに住んでいた100万人のパレスチナ人は難民となった。さらに、1967年、第3次中東戦争により、イスラエルはガザ地区やヨルダン川西岸を占領したため、さらに100万人もの難民が発生した。
ガザ地区ではそこに残るパレスチナ人と、軍事占領して入ってきたイスラエル兵との間で、何度も武力衝突が起こっていた。

作品の中で何度もモナの中でフラッシュバックする光景がある。
ガザ地区で見た二人の少年の向き合う姿だ。
石を投げつけようと構えるパレスチナ人の少年、銃を構えるイスラエル兵の少年。
「殺す」「殺される」という、極限の空間。
パレスチナ人に生まれてきた、イスラエル人に生まれてきたというだけで、互いを憎しみ合わなければならない2人の少年が、立ちすくんでいる。
オスロ 少年

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こんな光景はあってはならない。
何とかしたい、とモナは強く思う。
そこで、モナとテリエが思いついたのが、イスラエル・パレスチナ双方に良好な関係を持つ自分たちが仲介役となって、和平交渉を進めること。
それは簡単なことではない。
イスラエルもパレスチナも、公人同士が直接会うことは禁止されていた。

しかし、モナとテリエは双方の交渉人を秘密裏にオスロに招き、交渉の場を設ける。

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世界の紛争を見るたびに、何とかならないものかと思う。
何かしたい。この夫婦は、それを現実に何とかしようとした。
そして、パレスチナ暫定自治協定の調印を実現した。

しかし。
作品で描かれているようにオスロ合意の成立まではこぎつけたものの、その後はどうなったのか?
エピローグで語られているように、実は、うまくは進展しなかった。
調印したイスラエル首相ラビンは、1995年、和平反対派のユダヤ人青年により暗殺された。
後任に、対パレスチナ強硬派のネタニヤフが首相になると、対立はますます深刻になった。
パレスチナ側がテロを止めるという姿勢を完全に示さない限り、イスラエルは国民の安全を守るためにテロと戦うという理屈だ。
パレスチナもハマスが勢力を強めている。ハマスは武装闘争によるイスラム国家樹立を目指した武装組織である。ハマスはそもそもイスラエルを承認していない。
しかし、ハマスがイスラエル側を攻撃したら、軍事力で勝るイスラエル側は、戦車を出動させ、ガザ地区へ空爆をする。倍返しをくらうのだ。

今年(2021年)の5月にも、イスラエルがパレスチナのガザ地区に空爆を続け、ビルから黒煙が立ち上っている映像が何日間もニュース映像で流れた。
ニュースを見るたびに、ガザ地区に住んでいる人たちが気の毒で仕方がなかった。
イスラエルにしたら、パレスチナ側が先に仕掛けたという理屈だろう。

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ハマスは、オスロ合意に反対している。このため、オスロ合意はパレスチナ人の間にそれを支持する人と反対する人との間に分裂をもたらしてしまった。
パレスチナ問題は容易に解決できない。
しかし、私は、パレスチナ問題解決の糸口は、オスロ合意が示した双方の歩み寄りだと思う。
武力を用いた抵抗は、事態をさらに悪化させるだけだ。

地中海東岸の美しい土地が、人々が安心して住めるようになって欲しい。

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最後にこの作品を、見て思ったことを書きたい。
それは、モナ&テリエ夫妻の、イスラエル・パレスチナに平和をもたらしたいという思いの強さが、対立する2つの勢力の歩み寄りをもたらしたということ。
そして、この夫婦は、物事の進め方をよくわかっているということ。
交渉や話し合いをまとめるには何が必要か?
国家・民族を背負っての交渉も、まず第一歩は、窓口となる人間同士の信頼関係だ。
お互いの要求を主張しあっているだけでは交渉は決裂する。
どこかで妥協点を見つけなければならない。

この夫婦は、ルールを設ける。
会議室のなかに入るのは、イスラエル・パレスチナから来た2人ずつの4人だけ。
当事者同士の話し合いに任せる。モナ&テリエ夫妻は会議室の外で待つ。
「どうなることかしら?」と心配でたまらないが、当事者に任せる。
この夫妻は、あくまでも仲介役に徹して、公平な立場をとり、どちらかに肩入れするようなことはしない。

何度か、双方がぶちぎれて、会議室の中から怒声が聞こえる。
そんな時、交渉は一旦休止して、食事にする。
おいしい料理。とろけるようなデザート。
会議室をでたら、一切、交渉に関することは話題にしないルール。
おいしいものを食べて、お互いの家族のことなどを話題にする。
空気が和む。

会議が煮詰まってしまったら、散歩にでて、外の冷たい空気を吸いながら、お互いのプライベートを話題にしながら歩く。
気持ちは変わってくる。

会議が最悪の雰囲気になり、決裂しそうになった時、モナが必死に双方を説得した。
気持ちは通じた。双方が再び話し合いの席に戻る。

国家・民族間の交渉は、その背後にいる何千万の人々のことを思えば安易な譲歩はできない。とはいえ、所詮、交渉とは人と人との人間関係。
関わった人たちの人格、熱意、誠実さにより、交渉の行き着く先が決まっていく。

『砂漠の鬼将軍』

「砂漠の鬼将軍」
1951年のアメリカ映画
砂漠の鬼将軍

第二次世界大戦で、北アフリカ戦線で活躍し、連合軍側から「砂漠の狐」と呼ばれて恐れられたドイツのロンメル将軍を描いた作品があると教えてもらい、さっそく飛びついた。70年前のモノクロ作品。U-NEXTで見ることができました。

タイトルの画像から、使われている音楽まで、まさに1950年代のアメリカ映画という感じで、何とも言えないワクワク感がありました。
内容もわかりやすく、興味深い構成でよかったです。
アメリカが敵将ロンメルを、敬意をもって描いた作品です。

ロンメル将軍については、英雄としてのイメージが強く、私はその悲しい最期について全く知らなかったので、非常に興味深く見ることができました。
ドイツでは、大戦の末期になってくると、ヒトラーの暗殺計画が持ち上がってきます。
ロンメルはこれに対してどのような考えをもち、どのような立場であろうとしたのかが描かれていました。
ストーリーの終盤で、ワルキューレ作戦が絡んできます。その場面が出てきたとき、「あっ」と息をのむほどの既視感がありました。
暗殺計画実行の舞台となった森の中の「狼の巣」と呼ばれる軍の施設や、隻眼のシュタウフェンベルク大佐が、トム・クルーズ主演の2008年の作品そのままだったのです。
1951年と2008年の、2つの映画がつながりました。


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(以下、この作品を見たことをきっかけに、調べたこと、考えたこと。)

ロンメルは、ヒトラーをどのように思っていたのか。

1933年1月、ヒトラーは首相に就任した。
「ロンメルは、他の軍人たちと同様にヒトラーの登場には熱狂し、彼の反共主義と再軍備政策を歓迎した。」(wikiより)

第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは過酷な賠償金に苦しみ、ハイパーインフレに苦しみ、世界恐慌への対応に苦しんでいた。
そんな状況の中で、救世主のように現れたヒトラーに人々は熱狂した。
かの高名な哲学者ハイデッガーですら、ヒトラーに期待し、ナチ党に入党し、支持し、賛美したのだ。
当然、ロンメルもヒトラー支持者であったし、妻への手紙でも、ヒトラー賛美の文が見受けられる。そして、ロンメルはヒトラーの寵愛を受けた。

そして時は流れていく。
当初の期待が裏切られていったら?
心酔してついていこうと思った人物が、「やばい」人格であったなら。
しかも、ロンメルは軍人である。軍というところは、上からの命令は絶対である。

しかし、ロンメルは、現場の判断を優先という理屈をつけて、正しいと思うことを貫くために、時として、上からの命令に逆らった。
例えば。
ある闘いで、ユダヤ人部隊を捕虜にした際、全員を虐殺せよ、との命令がヒトラーから下ったが、ロンメルはその命令書を焼き捨てた。
戦争においては、「捕虜に対して人道的待遇をする義務」があるのだ。
まして、捕虜を殺害することは、あってはならない。ロンメルはそれを守った。
作品の中でも、捕虜に対して不当な扱いをしようとしたドイツ兵に対して、ロンメルがまさに鶴の一声でやめさせた場面があった。
また、北アフリカ戦線で、戦況が悪化していった時、ヒステリックな命令を送ってくるヒトラーからの電文は「一歩も退くな。勝利か死だ。」というものだった。
ロンメルは撤退しなければ隊は全滅するだろうと考えた。
兵士の命がかかっているのである。ロンメルの決断は、命令を無視した撤退だった。

この映画作品はロンメルを英雄として描いているので、実にかっこいい。

ロンメルは最後までナチ党に入党することはなく、あくまで一人の軍人として戦い続けた。

しかし、一人の軍人としてまっとうに生きようとするのは難しい。
人は、おかれた状況の下で、最善の行動を選択していくわけだけれど、滅びゆく命運の側にいたら、もうどうにもならないのだな、としみじみ思った。

戊辰戦争における会津藩、組織として崩壊していった新選組、倒産した山一證券...。
いつものことながら、映画を見た後はとんでもなく妄想が広がり、作品からは全くずれたことを想像してしまう。
そして思う。自分がたまたま滅びゆく側に属していたなら、それはそれで仕方のないことだ。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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