『判決、二つの希望』


判決 二つの希望

2017年のレバノンのドラマ映画。

レバノン映画を初めてみた。
この国が抱えている複雑さがよく分かった。

ちょっとした言葉が原因のトラブルはどこでも起こるもの。
しかし、その背景に民族・宗教的な対立という事情が絡むと、事態は予想もつかないほど、大きなものに発展してしまう。

原因はささいなことだった。
アパートの2階のトニーの家のバルコニーの排水管から流れた水が、下の道路で作業していたヤーセルにかかってしまう。
排水管は水が道路に向かって流れる違法建築だった。
(バルコニーの植物に水やりをするトニーが勝手に作ったもの。)
ヤーセルは排水管の向きを変える工事を施す。
しかし、トニーはそれを壊す。
ここで、ヤーセルはトニーに「くそ野郎」という言葉を発してしまう。
この言葉に対してトニーは謝罪を求める。
所長に付き添われて謝罪に向かったヤーセルだったが、この時、トニーが発した言葉がどうしても許せず、とっさに殴ってしまい、トニーの肋骨を骨折させてしまう。

トニーはキリスト教徒のレバノン人。ヤーセルはパレスチナ難民。
トニーが放った言葉は「シャロンに殺されていればな。」だった。
シャロンとは、レバノン内戦に介入したイスラエル国防相(当時。のち首相。)
パレスチナ難民のヤーセルにとって、この言葉は許しがたかった。

そして、事態はどんどん悪い方向に進展し、法廷にまで持ち込まれることになってしまった。
トニーとヤーセルという個人と個人のトラブルが、“キリスト教徒のレバノン人”と、“パレスチナ難民およびイスラーム教徒のレバノン人”との対立となり、レバノンという国の世論を二分してしまうほどの事態となる。

ヤーセルはパレスチナ難民なのでレバノン人よりは弱い立場にあり、仕事を請け負わせてもらっているという意識もあるので、工事現場の監督として当初、丁寧に対応しようとしたと思う。
見ている側は、トニーの態度を偏屈だと思うし、彼がひどい言葉を言わなければとこんなトラブルが起こらなかったのにと思ってしまう。
トニーが支持している「レバノン軍団」という政党は、「パレスチナ人はレバノンから出ていけ。」と考えている集団で、彼が見ているテレビからもレバノン軍団の集会の映像が流れていた。

トニーの考え方は、キリスト教系レバノン人第一主義で、その利益を脅かす集団を排斥しようとする考え方だ。
こうした考え方に対して、はたから見ている私は、何と了見の狭い考え方だといいたくなってしまう。
難民は理不尽に祖国を追われた人たちで、このレバノンで、肩身の狭い思いをして暮らしているのだ。彼らは悪くない、受け入れてやれ、と思うのだ。

しかし、私のこの考え方は、パレスチナ難民側の立場から物事を見ていて、難民を受け入れている側のレバノン人の視点に立ってはいない、ということに気が付いた。
物事は双方の立場からフラットな気持ちで見なくてはならない。

ネタバレになってしまうのだが、作品の後半、舞台が法廷に持ち込まれていくと、次第に、トニーの感情の裏に何があったのかがわかるようになる。
トニーも、悲しい過去を背負っていた。

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パレスチナ難民を受け入れているレバノンという国。
実に複雑だ。
中東の国々は、ユダヤ人国家のイスラエル以外はすべてイスラーム教徒のアラブ人国家であると思われがちだが、実はレバノンという国は40%がキリスト教徒で構成されている。
1943年、フランスの委任統治領だったこの地域が、レバノンとして独立した当初から、国内ではイスラーム教徒とキリスト教徒の対立はあった。
それでもこの国はレバノン内戦がおこるまでは、地中海沿岸の温暖な気候のもとで、首都ベイルートは「中東のパリ」と称されるほど美しい都市で、観光地としても栄えていた。
しかし、この国は1975年から1990年まで続いたレバノン内戦でぐちゃぐちゃになってしまった。

レバノン内戦の原因・展開はかなり複雑である。
1948年にイスラエルが建国されるとそこに住んでいたパレスチナ人は難民となって、周辺のヨルダンやレバノンに押し寄せた。
1970年、ヨルダンでは、パレスチナ=ゲリラ組織であるPLOを排除しようとしてヨルダン内戦がおこった。(ヨルダンもPLOもアラブ人。つまりヨルダン内戦はアラブ人同士の戦い。ヨルダンとしてはPLOを排除しなければイスラエルからの攻撃を受けることになるので。)
ヨルダン内戦により、PLOおよび多くのパレスチナ人難民がレバノンに移住してきた。
すると今度はこうした事情を背景に、1975年、レバノン内戦が勃発した。
レバノン内戦は、“レバノンのキリスト教徒(マロン派)” vs. “レバノンのイスラーム教徒&PLOの連合軍”  という戦いである。
これに隣国シリア(アサド政権)が介入し、1982年にはPLOの排除を目指してイスラエル軍が侵攻した。

レバノン内戦は1975年~1990年までの15年間続いた。
この間、マロン派民兵がパレスチナ難民キャンプを襲撃して非戦闘員を含む多数のパレスチナ人を殺害するという残虐行為があった。逆にPLO・イスラーム教側がキリスト教徒の住む村を襲撃し、女子供を含む民間人数百人を殺害するという残虐行為があった。

トニーは襲撃されたダムール村の出身で、この事件の時、父親とともに命からがら襲撃から逃れたという過去を持っていたのだった。

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過去の負の遺産を背負って生きている人々。
トニーにとって、パレスチナ人は許せない存在だった。
自分の村を襲撃した組織の側の人間だから。
ヤーセルの人格や人間性がどうこうということ以前に、パレスチナ人であるという存在そのものが、許しがたいのだ。

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日本という安全な国の中で、多数派の日本人として安穏に暮らしていける立場にある自分が到底わかりえない、根深い憎悪の感情は存在する。
自分の住んでいた村が襲撃されて、そこで大虐殺が起こったなら、襲撃した勢力を憎むのは当然だ。
民族的対立をはらんでいる国に生まれていたら、自分は敵対する勢力に対して、どのような接し方をするだろうか?

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この作品の後半の展開は法廷劇である。

そもそもは単純な相手を殴ったことによる傷害事件。
が、それを誘発した侮蔑的な言葉はレバノンが抱える複雑な民族対立をあぶりだしてしまい、レバノンじゅうを巻き込むことになる。
抱えている事情はあまりにも根深い。
偏った判決は対立をさらに深める。
公正な判決を下さなければならない。

対立を何とか収拾しようとする裁判の進展が私にはとても興味深いものだった。

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1917 命をかけた伝令

命を懸けた伝令1917 


2019年制作のイギリス・アメリカの戦争映画。
1917年4月6日とその翌日の2日間というきわめて短い期間の出来事を描いた作品である。

第一次世界大戦中の西部戦線では、イギリスを中心とする連合軍とドイツ軍が激しい戦闘を展開していた。そしてイギリス軍は、撤退したドイツ軍をさらに追撃する作戦をたてていた。しかし、ドイツ軍の撤退はイギリス軍を呼び込むための作戦だった。
イギリス軍が突撃したら、それを待ち受けて配備されている多勢のドイツ軍によって壊滅的な被害を受けることになる。
航空写真からドイツ軍の作戦に気づいたイギリス陸軍司令部は、攻撃を中止させる指令を現地の第2大隊に伝えたいのだが、電話線が切られていて連絡が取れない。
そして若きイギリス兵のブレイクとスコフィールドに、現地の第2連隊に攻撃中止の指令を伝えるという任務が下される
攻撃は翌日遂行される予定であるから、何としてもそれまでにこの情報伝えなくてはならない。
第2連隊1600人の命がこの2人にかかることになる。

この映画の見どころは、撮影美術の素晴らしさ
カメラはひたすらブレイクとスコフィールドの動きを追い続け、まるで、長回しを続けたワンカットの映像のように見える。
(実際はCGを使ってつなぎ合わせているとのことだが。)
この手法によって、見ている側は、兵士の立場に立ってストーリーを追うことができる。
2人はドイツ軍が撤退し、死体がころがっている沼地や平原を進み続ける。
「無人地帯」はどこに危険が潜んでいるかわからない。
住民が去り廃墟となった市街地にも残存しているドイツ兵がいる。
どこからドイツ兵の銃弾が飛んでくるかわからない。
相棒に死なれ、一人になってしまったスコフィールドに、死と隣り合わせのピンチが何度もおとずれる。
しかし、どんな危険が待ち受けていようが、彼は突き進む。
作戦中止の指令を伝えるという任務を遂行するために。
1600人の命を守るために。

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とにかくわかりやすい。
一兵士スコフィールドに焦点をあて、彼の動きとともに時間が経過していく。
場面の切り替えがない。時間が遡ったり、現在に戻ったりという複雑な構成もない。
カメラはひたすらスコフィールドの動きを追う。

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この作品は事実に基づいたフィクションで、主人公は架空の人物であるというが、元兵士の体験をもとに作られているので、実際に作品で描かれているスコフィールドのような兵士がいたのだと思う。
命をかけた彼の行動は感動ものだ。

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この作品を見ると、第一次世界大戦がどのような戦いであったのかがよくわかる。

高校世界史の教科書的に説明すると、第一次世界大戦はそれまで人類が経験したことのない規模の「大戦争」であり、戦場での軍隊と軍隊の戦闘だけでなく、全国民を巻き込んで補給体制を整えていくことが勝敗にかかわるという「総力戦」だった。使われて新兵器としては、飛行機、戦車、毒ガスが挙げられる。
そして、この作品を見て、あらためて認識させられるのは、第一次世界大戦が塹壕戦だったということだ
1分間に数百発以上のもの弾丸を打ち出すことのできる機関銃が兵器として普及したことで、その攻撃から身を守るための塹壕が掘られた。
成人男性がすっぽり隠れるほどの深さの塹壕が掘りめぐらされる。
ネットで調べたところ、西部戦線に縦横無尽に彫りめぐらされた塹壕は、スイス国境からイギリス海峡まで到達し、爆弾の被害を食い止めるためにわざとくねくねと曲がり角を作って掘ったので、総距離は数千キロに及ぶという。
なんという労力だろう。
敵の侵攻を食い止めるための、必要不可欠の構築物だったわけだが、戦争がなければこんなものを作る必要がなかったわけで、そこにかけられた労力のことを考えるとむなしい。

この作品の撮影のために作られた塹壕は、かなりリアルに作られている。
興行収益が上がれば元は取れるのだろうけれど、スコフィールドがマッケンジー大佐を探して塹壕を走り回るシーンを見ただけでも、どれだけの長さの塹壕を撮影のために掘ったのかなと思ってしまう。

お金をかけた作品。そして、第一次世界大戦を描いた秀作。


※無人地帯・・連合軍側・ドイツ軍側の両陣営の塹壕陣地の中間地帯

『弁護人』

弁護人 ソン・ガンホ

2013年の韓国映画
1981年の軍事政権下の韓国で実際に起きた冤罪事件である釜林事件を扱っている。
出演
ソン・ガンホ : 弁護士のソン・ウンソク・・・廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領がモデルとされている。
イム・シワン : ソン・ウンソクが通っていた食堂の息子パク・ジヌ。共産主義思想を持つ人物として拘束され、ひどい拷問を受ける。

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韓国映画に詳しくないので、なにか面白い作品はないかとU-Nextを検索しているうちに、たまたまこの作品をみつけた。
ソン・ガンホ主演なので、きっと面白いだろうと思ってみてみたら、まさに大当たりで、すごい作品だった。

ソン・ガンホは、『パラサイト』(2019)でのお父さん役が強烈な、今や韓国を代表する俳優。
イケメンだらけの韓国俳優の名前がまるで覚えられない私でも一発で覚えられた。
いかつい体型、迫力のある演技で、人々の印象に強く残る名優だ。
『タクシー運転手』(2017)が素晴らしかった。この人について知れば知るほど、すごい人だということがわかってきた。

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韓国は1988年のソウルオリンピック、2002年のサッカー・ワールドカップの日韓共同開催により、日本にとって親しみの持てる国となり、2004年の『冬のソナタ』のヨン様人気で空前の韓流ブームが起こり、韓国ドラマ大好き、韓国コスメ大好きな女性たちは多くなった。

今では「近くて近い国」になったが、1980年代頃までは、韓国は「近くて遠い国」だった。

私は、1980年代の韓国の国内でどのようなことがあったのかということを、ほとんど知らなかった。
韓国の大統領についても、全斗煥(チョン・ドゥホァン)が軍事独裁政権で、金大中(キム・デジュン)とそれに続く廬武鉉(ノ・ムヒョン)が民主化路線で、北朝鮮に対しては太陽政策をとったという教科書レベルの知識しかなく、それ以上の深いことは知らなかったと反省し、勉強しなおしてみた。
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それにしても。
Wikiで調べてみたら、1980年代の韓国では、恐ろしいとしか言いようのないことが起きていた。

粛軍クーデタで実権を掌握した全斗煥は、民主化を要求する光州市民のデモを武力で弾圧し、市民の側に多数の死者をだすという光州事件を起こした。
さらにその後も、これを鎮静化するためにひどい弾圧を続けた。
以下、引用
「社会的に弱者とされる失業者やホームレス、あるいは犯罪者や学生運動家、労働運動家など約4万人を一斉に逮捕させ、軍隊の「三清教育隊」で過酷な訓練と強制労働を課した。特に後者は暴行などで52人の死者を出し(後遺症の死者は397人)、2768人に精神障害を残すなど計り知れない傷跡を残した。
あまりの酷さに人々から「一旦入ったら生きて出られぬ」と恐れられたという。逮捕された者の中には光州事件に連座した高校生や主婦、14歳の女子中学生も含まれていた。」

そして、翌1981年。『弁護人』で描かれている釜林事件が起こる。
1981年、大統領となった全斗煥は、「赤色分子」(共産主義分子)を取り締まるとして、社会活動家たちを捕えた。
釜山読書会のメンバー22名は、逮捕令状もないまま、不法に拘禁され、ひどい拷問を受け、自白を強要された。

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読書会のメンバーが勉強会で読んでいた本は、E.H.カー著作の『歴史とは何か』だった。
公安当局はこの本を、「共産主義を掲げた有害書籍」とし、この読書会を有害書籍を回覧し不法集会を組織した国家保安法違反とした。
これを、弁護人ソン・ウンソクは、イギリス大使館に照会し、『歴史とは何か』が共産主義を掲げた本などではなく、E.H.カーが「尊敬を集める歴史学者である。」という回答を得る。
公安当局は本の内容も理解しないまま読書会メンバーを逮捕するという暴挙を行ったわけだ。

このあたりを法廷で突き詰めていく弁護人ソン・ウンソクの姿は気持ちがいい。

(実は、『歴史とは何か』は、私が学生時代に赤鉛筆で傍線を引きながら繰り返し読んだ本だ。清水幾太郎訳で岩波新書から出されたこの本は、私の学生時代の1970年代頃は必読書だったけれど、今はどうなのかしら。)

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ソン・ウンソクは正義感に駆られて、国家権力に立ち向かっていく。

公判中、弁護人ソン・ウンソクの「一番つらかったことはなんですか?」という質問に、
被告人パク・ジヌが「理不尽さです」と痛々しくボソリと答える。

酷い拷問を受け、体があざだらけになっているパク・ジヌの肉体的苦痛はいかばかりかと思うが、何よりもつらかったのは、精神的苦痛なのだ。
「うその自白でありもしないことをでっちあげられ、うそをうそで上塗りさせられました。」

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廬武鉉は、まさにここで描かれているソン・ウンソクのような人物だったらしい。
貧しさから高校・大学に行けなかった廬武鉉は、高卒認定試験を受け、働きながら司法試験に合格した。
はじめは登記業務・不動産・租税関連の訴訟を専門として金を稼いでいたが、釜林事件を機に人権派弁護士に変身した。
それは、『平凡な常識と良心、そして「拷問されて真っ黒になった学生の足の爪」を見ての憤りと怒り』からだったという。

日本以上に学歴社会といわれる韓国での廬武鉉の経歴は、その背後にどれだけの努力があったのだろうと想像する。
大統領になってからも、廬武鉉は少数与党を率いて、苦境に立たされ続けた。
大統領弾劾訴追案が可決され、一時職務を停止されたこともあった。
これに対しては、世論の激しい反発があり、総選挙での結果により、事実上の信任とみなされ、職務に復帰した。
その後、本格的に改革に取り組むのだが、結局、国家保安法廃止などの含む改革立法は、保守野党の反対にあって挫折した

廬武鉉は、大統領退任後の2009年、側近や親族が贈収賄の容疑で逮捕され、本人も捜査の対象となり、追い詰められていく中で、自宅裏山の岩崖から飛び降りて自殺した。

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日本にも戦前に治安維持法という法律があったな。
他国にも、国家保安法だの国家安全法とかという名前の法律があるわけだが、こういう法律は、批判を恐れる権力の側が、批判する勢力をつぶすための法律なのだな。
そして、暴力を使ってまで、批判する勢力をつぶそうとするのは、権力を持った側の不安の現れなのだ。
(しかも、ジヌたちは、歴史の勉強会を開いていただけであって、国家権力への批判や、まして共産主義による国家転覆などはまるで考えていなかった。)

弁護人イム・シワン

釜山読書会のメンバーで被告人となってしまったパク・ジヌを演じたのは、韓国ドラマ「ミセン(未生)」で主役を演じたイケメン俳優イム・シワン
酷い拷問にあい、次第に精神に支障をきたし、朦朧とした様子で出廷するジヌを痛々しいまでに見事に演じた。
「ミセン」でオ課長を演じたイ・ソンミンも新聞記者役で登場していた。
俳優の顔がわかってくると、作品を見る楽しみが倍増するのがわかった。

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法廷ものは、私の好きな映画のジャンル。
この作品、大好きです。
「タクシー運転手」とともに、今年私が見た作品のベスト5に入りそうです。

いまならU-Nextで追加料金なし、Amazonnプライムで追加料金400円で見られます。、

『ブラック・クランズマン』

ブラッククランズマン

渡邊裕子さんの
「スパイク・リーはなぜ席を立ったのか。/アメリカの黒人差別を理解するうえで見るべき映画」※という記事を参考に映画を見続けて、ようやくスパイク・リーの作品までたどり着いた。
https://www.businessinsider.jp/amp/post-214663

『ドゥ・ザ・ライトシング』、『ザ・ファイブ・ブラッズ』『ブラック・クランズマン』を立て続けに見たのだが、全部面白かった。
設定やストーリーの展開が面白く、エンタメ調で作っているので、飽きることなく、何が起こるのだろう、どうなるのだろうと思いながら見入ってしまった。
そして、当然の流れで、見終わった後、差別について考えさせられた。

『ドゥ・ザ・ライトシング』
ニューヨークのブルックリンの低所得者層、特に黒人が多く住む地区が舞台。
うだるように暑い夏の日。そこに住む人は、経済的にも余裕はなく、だるくて何にもやる気が起きないし、ちょっとしたことでイライラもするし・・・。
イタリア系移民の経営するピザ屋と客のトラブルからけんか騒ぎとなり、警察が出動。
警官は白人と黒人が殴り合っていたら、有無を言わさず黒人のほうを取り押さえるのだな。
そして身柄の確保だけで十分なはずなのに、エスカレートして、今、まさに問題となっている“警官の黒人への暴力”としか呼びようがない事態にまで発展してしまう。

何故ここまでにやりすぎてしまうのだろう?

『ザ・ファイブ・ブラッズ』
2020年のアメリカ映画。Netflixで配信。
ベトナム戦争からのアメリカの撤退から約40年後の2014年。黒人のベトナム帰還兵4人とその息子1人が、埋められた金塊を回収しようと、再びベトナムを訪れるというストーリー。
登場人物それぞれに事情があり、過去に負った心の傷がある。金が絡むと、仲間割れも起こる。
ストーリーの展開の予想がつかず、面白かった。

ストーリーとは少し離れてしまうけれど、この作品を見て、調べこと。
ベトナム戦争に参戦した黒人の割合は、合衆国の全人口に占める黒人の割合よりも、米軍における黒人の割合のほうがずっと多い。
しかも、ベトナム帰還兵のうち精神疾患にかかる割合は、黒人は白人の2~3倍ほど高いという。
これは、黒人の兵士が戦闘の前線に立たされ、白人兵士よりも,いっそう凄惨な戦争体験をしたためと言われている。


『ブラック・クランズマン』
冒頭の字幕に「リアルな話がベース」と出てくる。つまり実話をもとにしたストーリー。
こんな話が本当にあったのだろうか?と信じられないようなストーリー。

コロラドスプリングス初の黒人警官ロンは、電話でKKKの入会を申し込む。
KKKのリーダーのデュークはロンのしゃべる英語に黒人の訛りがないことから、まさか電話の相手が黒人であるなどと疑うこともせず、入会を許可する。
さらに相棒の警官でユダヤ系白人のフリックが,コロラドスプリングスのKKK支部の会合に参加して潜入捜査を行う。

潜入捜査を題材にした作品は、『インファナル・アフェア』(リメイク作品:アメリカ版は『ディパーテッド』、日本版は『ダブルフェイス』)などがあるが、潜入捜査だということがばれるのではないかと、みていてハラハラする。しかも潜入先の組織はマフィアだったり、日本の反社会的勢力(いわゆる暴力団)だったり、ばれたら有無を言わさずリンチにあい、その後で殺されるのだろうなと想像してしまうような組織だから本当に怖い。
今回の『ブラック・クランズマン』では、フリックが潜入したのは、狂気ともいうべき白人至上主義の集団KKK。

さて、この潜入捜査がうまくいくのかどうかも含めて、書きすぎるとネタバレになってしまうので、ストーリーについてはここまでにして、私がこの作品を見て感じたこと、考えたことを書きたい。


この作品を通して強く感じるのが、KKKという組織の異常さ
白いとんがり帽の覆面をかぶり白装束で身を固めたメンバーが十字架に火をつける儀式を行って結束を固める。
目的は黒人やユダヤ人の排撃。暴力を用いて弱者を排除しようとするだけでなく、殺人をしてまで、弱者を抹殺しようとしている。しかもそれを「よい行為」だとする価値観を持っている。
こういう組織をカルト教団と呼ぶのだな。

KKKは1920年代に会員数500万人という大きな組織になったことがある。その背景にあったのは、『國民の創生』というサイレント映画だ。
『ブラック・クランズマン』冒頭部分にも、『國民の創生』の画像を背景にボーリガード博士なる人物が差別満載のスピーチをしている場面がある。
(私はこの部分を実在の人物が行った過去のスピーチ映像だと思ってみていたのだが、違った。テレビ番組でドナルド・トランプ役を演じて評判となったアレック・ボールドウィンという俳優が演じたものだった。このあたり、スパイク・リー監督は皮肉たっぷりな要素をいろいろ仕込んでいるのだけれど、解説を読まないと、気づかないこと、わからないことは、まだまだ多い。)

このボーリガード博士なる人物が言っていることがとんでもない。
「白人の子供たちは、あのブラウン判決以来、劣等人種との学習を強いられています。
アメリカは雑種国に堕ちんとしている。有色人種は異人種混交によってアメリカを侵略しようとしている悪党なのです。」

ブラウン判決とは。

まずは、1892年のプレッシー判決から。
人種隔離を認める州法の違法性を問うため、黒人男性があえて白人席に座って逮捕された。この裁判は最高裁まで持ち込まれたが、そこでの判決は、
「隔離を認める州法は、一方の人種を劣等とみなすものではない。従って憲法修正第14条に反するものではない。」
 
それから約50年後。
 自宅のそばにある学校が白人専用であるために、娘をバスで遠くの黒人専用学校へと行かせなければならないのは不当である、と訴えた「ブラウン対トピーカ市教育委員会事件」に対する最高裁長官ウォレンの出した判決は。
「法律は”この日この時“と無縁であってはならない。」
「我々は、公共教育の場における“分離すれども平等”の原則は成立しないものと結論する。教育施設を分離させる別学自体が本質的に不平等だからである。」


アメリカは憲法修正第14条および、このブラウン判決により、差別を否定する法の規定は明確になっているということだ。
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『ブラック・クランズマン』のラストでは、ヴァージニア州シャーロッツビルに白人至上主義者が集結し、その集会に抗議する人々に車が突っ込んだという事件の実際の映像が映し出される。
人々の群れに車が突っ込む。あまりにもひどい。

作品は映像で終わっているのだが、ネットで調べたら、これに対するヴァージニア州知事テリー・マコーリフのスピーチが載っていたので、引用しておきたい。

 「今日シャーロッツビルに集まった、すべての白人至上主義者とネオナチに伝えたいことがある。私たちのメッセージはごく単純なものだ。帰れ。君たちはこの偉大な州に必要ない。恥を知れ。君たちは愛国者を気取っているようだが、愛国者なんかではまったくない。(中略)君たちは今日人々を傷つけるためにここに集まり、そして実際に傷つけた。私のメッセージは明確だ。私たちは君たちよりも強い。君たちが来たことで、私たちの州はもっと強くなった。君たちが成功することなどない。ここに君たちのいる場所はない。アメリカに君たちの場所などないのだ。(中略)私たちの多様性、さまざまな出自をもった移民が、アメリカを独自の国にしている。私たちは、誰かがここに来て多様性を破壊することを許さない。だからお願いだ、帰ってくれ。そして二度と戻ってくるな。憎しみも偏見も、ここにはいらない。」

明確な声明だと思う。

この州知事のように差別に反対する明らかな態度をとっている指導者はきちんと存在している。
しかし、肝心の合衆国で最高の立場にいるトランプ大統領は、「双方に悪い人がいた。」というような、歯切れの悪い声明。
暴動が起きたときに、その混乱状態は鎮静化しなければならないけれど、その混乱が起こった根本の原因から考え直さないと問題は解決しないと思う。


いつものことながら、作品そのものの話からそれてはしまったけれど、「差別」は単純な話ではなく、それが作られてしまった歴史的な背景や、社会制度的な仕組があるので、これからも、それを調べ、考えていきたいと思う。


『ブラック・クランズマン』はAmazonプライムとU-Nextで、『ザ・ファイブ・ブラッズ』はNetflixで、『ドゥ・ザ・ライトシング』はAmazonプライムで追加料金なしで見られます。

『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』

ダウンロード

2011年のアメリカのドラマ映画。
舞台は1960年代のミシシッピ州ジャクソン。
「ヘルプ」とは、家政婦・メイドのこと。

出演
エマ・ストーン(スキーター)
ヴィオラ・ディヴィス(黒人メイドのエイビリーン)
オクタヴィア・スペンサー(黒人メイドのミニー)
ブライス・ダラス・ハワード(ミニーの雇用主のヒリー)

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このところ、ずっと黒人差別についての映画を見続けている。
ネットの記事にリストが上がっていたり、友人が教えてくれたり。
見ておきたい映画はまだまだ、たくさんある。
そんな中で、友人が教えてくれたこの作品を見てみた。

1960年当時の南部の富裕層の家庭の白人の女主人と黒人メイドの関係がよくわかる作品で、出てくる女優陣がみんな魅力的だった。
このあと『ラ・ラ・ランド』(2016)でアカデミー主演女優賞を獲得するエマ・ストーン。
この作品で助演女優賞を獲得したオクタヴィア・スペンサーは、このあとの『ドリーム』などの作品でも大活躍だ。
そして、重要なのが、この作品の中で憎まれ役のヒリーを演じているブライス・ダラス・ハワード。黒人メイドに対して常に偉そうにふるまい、差別的でわがまま。見ている側を、黒人メイドのミニーを応援したくなるような気持にさせてくれる。憎まれ役を一手に引き受けているのだが、どこか間が抜けていて愛嬌があり、味のある女優だと思った。

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ストーリーは、スキーターが、黒人メイドたちから、女主人たちからのひどい扱いを受けた経験の話を取材して、本にまとめて世に知らしめようとすることを軸に展開する。
黒人に対する差別感情が当たり前で、黒人メイドをひどい待遇で扱うアメリカ南部の社会の中にあって、スキーターはそれを批判的な目で見、黒人の立場に寄り添おうとする。

黒人メイドたちもやられるままではなく、ヒリーも、ミニーの反撃にあって痛い目に合う。
ラストでちょっとエイビリーンに同情するけれど、彼女ならこの先も強く生きていくことができるだろう、と思える展開だ。
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見終わった後、スカッとした。面白かった。
そんな気持ちになれるようにこの映画はできている。

この作品は多くの観客を集め、興行的にも成功した。
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しかし。
この作品は典型的な「白人の救世主」映画とされる。
「白人の救世主映画」とは、白人が非白人の人々を窮地から救う、というおきまりのパターンの映画を、批判を込めて表現した言葉だ。

「白人の救世主映画」は成功する。

なぜ成功し、なぜ批判されるのか?

それは白人目線で作られているからだ。
人は「差別はいけないことだ」という感情を持っているし、世の中から差別をなくしたいと思っている。
だから、差別に抵抗して行動する人を見ると、ヒーローを見ている気分になれる。
『スーパーマン』や『スパイダーマン』を見るのと同じような脳の刺激を受けるのだと思う。

「白人の救世主」は、差別が当たり前の社会の中で、嫌がらせや、身の危険にまで及ぶ周囲の対応にも屈せず、正しいことを貫こうとする。
そういう姿を見ているのは、気分がいい。
差別を受けている黒人を助けようとする良心を持った白人を見て、自分たち白人も捨てたもんじゃない、と安心させてもらえる。

つまり、「白人の救世主」という批判を込めた言葉は、そういう人物を主人公にしてヒットを狙う製作者側に対するものであり、そこで満足してしまう見る側の受け止め方に対するものなのだ。

(「白人の救世主」の存在自体は、多数派が動かしている世の中の流れに逆らって、マイノリティの立場に立っているのだから、尊敬に値すると思う。)

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映画には、制作された時代が反映する。
(描かれている時代ではなく)、制作された作品そのものが映画の歴史を作っている。
かつての「西部劇」では、インディアンは白人の馬車を襲撃する悪者だった。
白人が全速力で疾走する駅馬車から銃でインディアンを倒し、駅馬車が無事にステーションまで到着するとほっと胸をなでおろした。
インディアンは白人と敵対する「悪」だった。

それが『ダンス・ウィズ・ウルブズ』で大きく変わった。
もともとアメリカ大陸に住んでいたインディアンの生活を脅かしたのは白人の側だという立場で作品が作られていた。
インディアンに寄り添い、最終的にインディアンと行動を共にする主人公の生き方に心を打たれる。
この作品も「白人の救世主」映画に分類される。
しかし、分類をすれば、「白人の救世主映画」に属してしまうけれど、この作品は、インディアン=敵=悪者という価値観から、一線を画した、映画史の中で大きな意味を持つ作品だ

「白人の救世主」の映画は、かつて一方的にインディアン=悪者と決めつけた西部劇と比較してみるなら、非白人と交流を持つ白人を描くようになったということで、西部劇時代からは一歩前進したといえる。

願望。
そういった意味で、映画が製作された時代を反映するのなら、そして歴史が「差別のない社会」をめざしているのだとしたら、いつか『かつて「白人の救世主」を描いた映画が作られた時代があった。』と、過去形で言えるような時代が来てほしいと思う。
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萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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