『終戦のエンペラー』

4つ前のブログで、「ナチ犯罪追及をテーマにした作品」について書いた。
人類史上最悪の行為と言えるホロコーストに対して、戦後、ドイツがどのように向き合ってきたのかを、映画を通して考えてみた記事だ。

当然のことながら、読んだ方から、「では日本は?」と問われた。

実は、私はこの記事を書いた時、本当は、日本についても言及したかったのだが、書けなかったのだ。
「過去への向き合い方の優等生」と言われるドイツと比較して、「日本が徴用工のことや従軍慰安婦のことでいつまでも韓国から言われ続けているのは何故なのか」が自分の中で常にモヤモヤしていて、それについて考えたかったし、書きたかった。しかし、うまくまとめることができなくて、その時は、ドイツに焦点を絞ることで文章をまとめ、逃げてしまった。

今回、日本の戦後処理について、あらためて考えてみたいと思う。

日本のことを書こうとした場合、どうしても「昭和天皇の戦争責任」について触れなければならない。
実は、このことについて書くのはとても難しい。


悩んだ挙句、以前見た『終戦のエンペラー』という作品のことを思い出した。
この作品を通して、マッカーサーの占領政策がどのようなものであったのか、彼が天皇の処遇をどのようにしようとしたのかから、日本の戦後処理について考えてみたいと思う。

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終戦のエンペラー

『終戦のエンペラー』
2013年公開のアメリカ映画。
(出演者)フェラーズ准将:マシュー・フォックス
     マッカーサー :トミー・リー・ジョーンズ
             (サントリー缶コーヒーBOSSのCM「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ」でおなじみのあの人。)
東条英機(火野正平)、近衛文麿(中村雅俊)、木戸幸一(伊武雅刀)などが登場するが、それぞれの俳優が、演じた歴史上の人物になんとなく似ているというのも、見どころだと思う。このほか、ストーリーのなかでの重要な役どころとしては、主人公の恋人の伯父役の西田敏行。 など。

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1945年8月30日、マッカーサーは厚木海軍飛行場に連合軍最高司令官として降り立った。
パイプをくわえながら悠々とタラップを降りる姿は、これから、この人物のもとで占領政策が行われるのだということを日本人に強く印象付けた。
以後、彼の日本滞在は1951年の4月11日まで、2000日に及んだ。

この作品は、主人公のフェラーズ准将がマッカーサーから、「天皇を免責にするか逮捕するか、結論を出し、文書にして提出しろ。10日間で。」という命令を受けたことから始まる。

終戦直後の状況では、連合国側は天皇の裁判を求めており、さらに処刑を求める声が強かった。
しかし、マッカーサーは、「私の使命は日本の再建だ。」と言い切る。
「もし、天皇を逮捕すれば、集団自決や反乱を招く。裁判を行えば、火薬庫に火をつけるのも同然だ。」
と、日本のことを見ていた。

どうしたら、良いのか?

調査を開始したフェラーズは、いったんは「徹底的に調査したが、無実を証明する証拠は皆無。ヒロヒトは国の統治者として戦争責任を回避できない。天皇の逮捕は国内に大混乱を招くだろう。だが、不可避だ。」
という結論にたどり着く。
しかし、ここで昭和天皇の側近として宮中政治にかかわっていた木戸幸一が登場する。
彼はフェラーズに、8月9日深夜の御前会議のこと、8月14日から15日にかけての宮城事件(終戦反対事件、八・一五事件)のことを話した。

御前会議では、ポツダム宣言を受諾しようとする東郷茂徳外相と、降伏はできないとする阿南惟幾・陸軍大臣の意見に分かれ、3対3になってしまった。そこで、意見を求められた昭和天皇は、「自分の意見は、外務大臣の意見に同意である。」と答えた。
いわゆる「ご聖断」が下されたのである。
そして玉音放送の録音がされるのだが、降伏に反対する一部の陸軍省勤務の将校らが録音盤を奪い取ろうとして皇居を襲撃するという宮城事件を起こした。この事件は、鎮圧され、首謀者たちの自決や逮捕で収拾され、8月15日正午、当初の予定通り玉音放送はラジオを通して流された。

「天皇が戦争を終わらせた。」

フェラーズは、終戦に関しては間違いなく昭和天皇の意思が働いたと、結論づけた。


では、開戦に関してはどうなのか?

天皇は太平洋戦争の扇動者ではなかったのか?
仮に、天皇が開戦には反対だったとしても、軍部の暴走を止めることのできた唯一の立場にあったのは天皇ではなかったのか?
開戦について、天皇は止めえたのかどうか?

これに関するフェラーズの答えは「わからない」というものであった。
何年たっても、わからないだろう。
天皇は自分の気持ちを言葉や文章にして残していない。
天皇制という制度も謎だ。
だから、「わからない。」

結局。
昭和天皇が戦犯として裁かれることは回避された。
日本という国の特性を見極めたマッカーサーの占領政策が施行された。
日本は世界が目を見張るような復興を遂げた。

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公開後のこの作品への反応は、アメリカでは「日本の戦争責任を無視し、過剰に美化している。」という痛烈な批判があったらしい。
日本人の私の感想は、「よかった。」というものである。
「よかった」というのは、なにやら「ほっとした」という意味だ。
天皇の戦争責任を厳しく追及した作品であったなら見ていてしんどい。少なくとも、「終戦については天皇の力が大きく働いた」という内容に安堵したのだ。

おそらく、作品を見た多くの日本人はそう思うと思う。

日本人にとって、昭和天皇の戦争責任について語ることは難しい。
昭和天皇が開戦に反対あるいは消極的な立場であったとしても、大日本帝国憲法下のもとでの当時の日本において、最高の立場にあったのだから、責任はあった。
昭和天皇自身も、敗戦国の元首であるのだから、退位は考えていたようである。

しかし、昭和天皇はそのまま「天皇」という立場に据え置かれた。
このことによって、日本は混乱を回避できた。

1947年5月3日、日本国憲法が施行された。
日本国憲法を作成するにあたって、最も難しかったのは、第一条だったのではないかと思う。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

現人神であった昭和天皇は、人間宣言をして、「国民の象徴」となった。

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数か月前にこのブログで「三島由紀夫vs東大全共闘」について書いたが、あの1969年の闘論の時の全共闘たちは「天皇制廃止」論者たちだった。
全共闘たちにとって、戦争責任についてあいまいな立場のままの昭和天皇に対する崇敬の気持ちはまるでなかったし、三島由紀夫は、天皇が日本人の心の拠り所であると考えていたのだから、意見が対立するのは当然だ。

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「天皇」とは何か?
私の中で知りたいこと、考えたいことが頭の中で渦巻き、天皇に関する書籍をいくつか読んだ。

むずかしい天皇制」 大澤真幸・木村草太 晶文社
街場の天皇論」 内田樹 文春文庫
平成と天皇」 半藤一利・保坂正康・井上亮 大和書房
「平成の天皇」論 伊藤智永 講談社現代新書

以上の書籍ではいずれも、平成の天皇が「象徴天皇」のあり方を模索し続け、見事に体現された、としている。
平成の天皇が、沖縄やペリリュー島などの戦争の被害が甚大であった地を訪れ祈る姿や、阪神・淡路大震災、東日本大震災の被災地を慰問する姿は、人々の心に安寧をもたらし、傷ついた人々を勇気づけた。

昭和天皇については難しすぎる。
64年の在位の中で、最初の20年は現人神として生き、後半の44年にわたる期間は人間であり、「国民の象徴」という簡単には理解できない立場に置かれた。
戦争責任について明確にされないまま、昭和天皇自身は、開戦を止めえなかったことに痛恨の思いを抱え続けながら、昭和という時代を生きぬいたのであろうと思う。

そして、年号はすでに「令和」になった。
「象徴って何?」
日本人にとってわけのわからなかった言葉の意味が、時代を経て、平成の天皇のあり方を通して定着してきたように思う。
継承者の確保の難しさや、皇族に自由はあるのかという点で、天皇制の存続を危惧する考えがあったとしても、天皇制そのものを否定する人は少ないと思う。

日本とはそういう国だ。

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では、もともと私が今回のブログを書く動機となった、「日本の過去への向き合い方」や戦争処理をめぐる問題についてはどうか?
日本は、1965年の日韓基本条約で、過去の韓国併合条約などの失効などを約し、日本は無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を行うことを約束し、それをもって賠償問題は終わった、という立場をとっている。

国家間でのお金のことでは決着はついている、と私もとらえたい。
しかし、感情的な面ではどうか?
韓国人の反日感情、日本人の嫌韓感情がいまだに残っているのは確かだ。
それがなぜなのかは、お金のことでは決着がついているとしても、日本の統治時代に韓国の方々受けた傷を癒すだけの日本側の謝罪や反省の表現が不十分であったからだろうと思う。
(ドイツにおけるブラントやヴァイツゼッカーやメルケルに相当する政治家が現れなかったのも不幸だった。)

そして2021年の現在。
BTSが大好きで韓国コスメを愛用している日本人の若い女性たちは、何の屈託もなく、「韓国大好き!」と答える。
これからの時代は彼ら・彼女たちが担っていく。
国際関係が良好で、平和が保てるのであればそれでいい。

曖昧のままでも時代は流れていく。

しかし、と思う。
過去に何があったのか、償うべきことがきちんとなされているのか、反省すべきことは何なのかは、歴史を学ぶことで考え続けていきたいと思う。

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少し話がずれることを承知で、最後に余計な一言を。
国際関係においては、双方の言い分が平行線をたどり決着がつかなくて、曖昧のままで何十年,何百年と続いてしまっていることはある。それでよいとは思っていないけれど、容易な解決は望めない。
しかし、自分の国のことで、決着できることは曖昧のままにしておいてはいけない。
特に政治家の「不正」とかね。
いくら日本人が、事を荒立てずに、時が過ぎて丸く収まるのを待つ、という特性を持っているとしても、不正を曖昧のままにしていると、日本がそれを許してしまう国になってしまう。
そうなってしまわないようにしなければね。
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『OSLO/オスロ』

『OSLO/オスロ』
2021年 アメリカ
スピルバーグが製作総指揮をつとめ、アメリカの衛星・ケーブルテレビ局HBOから2021年5月29日からリリースされ、日本では.U-NEXTで6月28日から配信されている。
オスロ


1993年9月、ワシントンで、長年の敵対関係にあったイスラエルとPLOとの間で、パレスチナ暫定自治協定が調印された。
クリントン大統領を挟んで、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が握手を交わすこの写真は有名である。
この協定は「オスロ合意」とも呼ばれる。それはこの協定の成立の背景に、ノルウェー外相ホルストの仲介があったからであるが、そこに至るには、1組のノルウェー人夫婦が進めたイスラエルとPLOとの秘密交渉があった。
この作品は、ノルウェー外務省の外交官モナと、その夫の社会学者テリエ・ラーセンを中心に、この秘密交渉に関わった人々の気持ちを丁寧に描きながら、「オスロ合意」が成立した過程を描いたものである。
パレスチナ暫定自治協定

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パレスチナ問題をざっとおさらいしておきたい。
1948年のイスラエル建国により、そこに住んでいた100万人のパレスチナ人は難民となった。さらに、1967年、第3次中東戦争により、イスラエルはガザ地区やヨルダン川西岸を占領したため、さらに100万人もの難民が発生した。
ガザ地区ではそこに残るパレスチナ人と、軍事占領して入ってきたイスラエル兵との間で、何度も武力衝突が起こっていた。

作品の中で何度もモナの中でフラッシュバックする光景がある。
ガザ地区で見た二人の少年の向き合う姿だ。
石を投げつけようと構えるパレスチナ人の少年、銃を構えるイスラエル兵の少年。
「殺す」「殺される」という、極限の空間。
パレスチナ人に生まれてきた、イスラエル人に生まれてきたというだけで、互いを憎しみ合わなければならない2人の少年が、立ちすくんでいる。
オスロ 少年

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こんな光景はあってはならない。
何とかしたい、とモナは強く思う。
そこで、モナとテリエが思いついたのが、イスラエル・パレスチナ双方に良好な関係を持つ自分たちが仲介役となって、和平交渉を進めること。
それは簡単なことではない。
イスラエルもパレスチナも、公人同士が直接会うことは禁止されていた。

しかし、モナとテリエは双方の交渉人を秘密裏にオスロに招き、交渉の場を設ける。

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世界の紛争を見るたびに、何とかならないものかと思う。
何かしたい。この夫婦は、それを現実に何とかしようとした。
そして、パレスチナ暫定自治協定の調印を実現した。

しかし。
作品で描かれているようにオスロ合意の成立まではこぎつけたものの、その後はどうなったのか?
エピローグで語られているように、実は、うまくは進展しなかった。
調印したイスラエル首相ラビンは、1995年、和平反対派のユダヤ人青年により暗殺された。
後任に、対パレスチナ強硬派のネタニヤフが首相になると、対立はますます深刻になった。
パレスチナ側がテロを止めるという姿勢を完全に示さない限り、イスラエルは国民の安全を守るためにテロと戦うという理屈だ。
パレスチナもハマスが勢力を強めている。ハマスは武装闘争によるイスラム国家樹立を目指した武装組織である。ハマスはそもそもイスラエルを承認していない。
しかし、ハマスがイスラエル側を攻撃したら、軍事力で勝るイスラエル側は、戦車を出動させ、ガザ地区へ空爆をする。倍返しをくらうのだ。

今年(2021年)の5月にも、イスラエルがパレスチナのガザ地区に空爆を続け、ビルから黒煙が立ち上っている映像が何日間もニュース映像で流れた。
ニュースを見るたびに、ガザ地区に住んでいる人たちが気の毒で仕方がなかった。
イスラエルにしたら、パレスチナ側が先に仕掛けたという理屈だろう。

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ハマスは、オスロ合意に反対している。このため、オスロ合意はパレスチナ人の間にそれを支持する人と反対する人との間に分裂をもたらしてしまった。
パレスチナ問題は容易に解決できない。
しかし、私は、パレスチナ問題解決の糸口は、オスロ合意が示した双方の歩み寄りだと思う。
武力を用いた抵抗は、事態をさらに悪化させるだけだ。

地中海東岸の美しい土地が、人々が安心して住めるようになって欲しい。

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最後にこの作品を、見て思ったことを書きたい。
それは、モナ&テリエ夫妻の、イスラエル・パレスチナに平和をもたらしたいという思いの強さが、対立する2つの勢力の歩み寄りをもたらしたということ。
そして、この夫婦は、物事の進め方をよくわかっているということ。
交渉や話し合いをまとめるには何が必要か?
国家・民族を背負っての交渉も、まず第一歩は、窓口となる人間同士の信頼関係だ。
お互いの要求を主張しあっているだけでは交渉は決裂する。
どこかで妥協点を見つけなければならない。

この夫婦は、ルールを設ける。
会議室のなかに入るのは、イスラエル・パレスチナから来た2人ずつの4人だけ。
当事者同士の話し合いに任せる。モナ&テリエ夫妻は会議室の外で待つ。
「どうなることかしら?」と心配でたまらないが、当事者に任せる。
この夫妻は、あくまでも仲介役に徹して、公平な立場をとり、どちらかに肩入れするようなことはしない。

何度か、双方がぶちぎれて、会議室の中から怒声が聞こえる。
そんな時、交渉は一旦休止して、食事にする。
おいしい料理。とろけるようなデザート。
会議室をでたら、一切、交渉に関することは話題にしないルール。
おいしいものを食べて、お互いの家族のことなどを話題にする。
空気が和む。

会議が煮詰まってしまったら、散歩にでて、外の冷たい空気を吸いながら、お互いのプライベートを話題にしながら歩く。
気持ちは変わってくる。

会議が最悪の雰囲気になり、決裂しそうになった時、モナが必死に双方を説得した。
気持ちは通じた。双方が再び話し合いの席に戻る。

国家・民族間の交渉は、その背後にいる何千万の人々のことを思えば安易な譲歩はできない。とはいえ、所詮、交渉とは人と人との人間関係。
関わった人たちの人格、熱意、誠実さにより、交渉の行き着く先が決まっていく。

『砂漠の鬼将軍』

「砂漠の鬼将軍」
1951年のアメリカ映画
砂漠の鬼将軍

第二次世界大戦で、北アフリカ戦線で活躍し、連合軍側から「砂漠の狐」と呼ばれて恐れられたドイツのロンメル将軍を描いた作品があると教えてもらい、さっそく飛びついた。70年前のモノクロ作品。U-NEXTで見ることができました。

タイトルの画像から、使われている音楽まで、まさに1950年代のアメリカ映画という感じで、何とも言えないワクワク感がありました。
内容もわかりやすく、興味深い構成でよかったです。
アメリカが敵将ロンメルを、敬意をもって描いた作品です。

ロンメル将軍については、英雄としてのイメージが強く、私はその悲しい最期について全く知らなかったので、非常に興味深く見ることができました。
ドイツでは、大戦の末期になってくると、ヒトラーの暗殺計画が持ち上がってきます。
ロンメルはこれに対してどのような考えをもち、どのような立場であろうとしたのかが描かれていました。
ストーリーの終盤で、ワルキューレ作戦が絡んできます。その場面が出てきたとき、「あっ」と息をのむほどの既視感がありました。
暗殺計画実行の舞台となった森の中の「狼の巣」と呼ばれる軍の施設や、隻眼のシュタウフェンベルク大佐が、トム・クルーズ主演の2008年の作品そのままだったのです。
1951年と2008年の、2つの映画がつながりました。


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(以下、この作品を見たことをきっかけに、調べたこと、考えたこと。)

ロンメルは、ヒトラーをどのように思っていたのか。

1933年1月、ヒトラーは首相に就任した。
「ロンメルは、他の軍人たちと同様にヒトラーの登場には熱狂し、彼の反共主義と再軍備政策を歓迎した。」(wikiより)

第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは過酷な賠償金に苦しみ、ハイパーインフレに苦しみ、世界恐慌への対応に苦しんでいた。
そんな状況の中で、救世主のように現れたヒトラーに人々は熱狂した。
かの高名な哲学者ハイデッガーですら、ヒトラーに期待し、ナチ党に入党し、支持し、賛美したのだ。
当然、ロンメルもヒトラー支持者であったし、妻への手紙でも、ヒトラー賛美の文が見受けられる。そして、ロンメルはヒトラーの寵愛を受けた。

そして時は流れていく。
当初の期待が裏切られていったら?
心酔してついていこうと思った人物が、「やばい」人格であったなら。
しかも、ロンメルは軍人である。軍というところは、上からの命令は絶対である。

しかし、ロンメルは、現場の判断を優先という理屈をつけて、正しいと思うことを貫くために、時として、上からの命令に逆らった。
例えば。
ある闘いで、ユダヤ人部隊を捕虜にした際、全員を虐殺せよ、との命令がヒトラーから下ったが、ロンメルはその命令書を焼き捨てた。
戦争においては、「捕虜に対して人道的待遇をする義務」があるのだ。
まして、捕虜を殺害することは、あってはならない。ロンメルはそれを守った。
作品の中でも、捕虜に対して不当な扱いをしようとしたドイツ兵に対して、ロンメルがまさに鶴の一声でやめさせた場面があった。
また、北アフリカ戦線で、戦況が悪化していった時、ヒステリックな命令を送ってくるヒトラーからの電文は「一歩も退くな。勝利か死だ。」というものだった。
ロンメルは撤退しなければ隊は全滅するだろうと考えた。
兵士の命がかかっているのである。ロンメルの決断は、命令を無視した撤退だった。

この映画作品はロンメルを英雄として描いているので、実にかっこいい。

ロンメルは最後までナチ党に入党することはなく、あくまで一人の軍人として戦い続けた。

しかし、一人の軍人としてまっとうに生きようとするのは難しい。
人は、おかれた状況の下で、最善の行動を選択していくわけだけれど、滅びゆく命運の側にいたら、もうどうにもならないのだな、としみじみ思った。

戊辰戦争における会津藩、組織として崩壊していった新選組、倒産した山一證券...。
いつものことながら、映画を見た後はとんでもなく妄想が広がり、作品からは全くずれたことを想像してしまう。
そして思う。自分がたまたま滅びゆく側に属していたなら、それはそれで仕方のないことだ。

グッドナイト & グッドラック

2つ前のブログで新聞報道やジャーナリズムのあり方をテーマに書いたら、『グッドナイト&グッドラック』を勧められた。
さっそく見てみた。
グッドナイト&グッドラック

2005年のアメリカ映画。監督・脚本はジョージ・クルーニーで出演もしている。
1950年代マッカーシー上院議員によって行われた「赤狩り」旋風の中で、実在したニュースキャスターであるエドワード・R・マローとCBSの番組スタッフが、冷静にこれに立ち向かっていった様子を描いた作品。

見終わって、思ったこと。ジャーナリズムを扱ったまっとうな作品なのだが、まったく一般受けしなさそうなこんな作品をよく制作したものだな、ということ。
全編モノクロ。
娯楽性は全くなし。気になって調べてみたら、ジョージ・クルーニーはこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞しているが、この作品の報酬は3ドルであったという。(監督1ドル、脚本1ドル、出演1ドル)。
儲けは関係なく、こういう作品が作りたかったのだろう。

クルーニーは、ハイチ地震被災者への寄付をしたり、スーダンのダルフール紛争解決のための抗議活動などの政治的な活動をしている。
日本ではスポーツ選手や俳優が政治的発言をすると、「黙っていろ」的な批判を浴びてしまうが、社会的に影響力のある人が、政治的な発言をすることや、慈善活動をすることを評価する文化を持ちたいと思う。被災地への寄付や炊き出しなどの支援をすると、売名行為だという見方をする人がいるけれど、有名人は社会的影響力が高いのだから、しっかりと意見を言って、遠慮せずに寄付や慈善活動も大いにしたらよいと思う。(年収高いのだし。日本でもひそやかに多額の寄付をしている有名人は多く、私はそういう方が素直に好きですが、それを取り上げる芸能誌に対しては放っておけよと思ってます。)

書き始めから、映画の内容から全くそれてしまった。
作品の話に戻るが、ニュースキャスターのマローの言っていることはいちいちまともです。

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マッカーシズムとは、東西冷戦が激しくなっていく中で、共産主義者を排除しようとする異常なほどの感情的で理不尽な動きだった。
リベラル派の官吏・外交官・軍人・文化人などを、すべてを共産主義者と決めつけて、彼らを職場から追放した。
社会がこういう状況になってしまったとき、人のとりがちな行動は黙ることである。
変だと思っても批判の声をあげない。
何か言ったことで、自分に矛先が向かってしまうことを恐れ、保身のために黙る。
しかし、マローはマッカーシズムを冷静に批判した。そもそも、共産主義者だから追放するということ自体おかしいと思うけれど、百歩譲って、共産主義思想を持ちソ連のスパイであるという疑いがある軍人や官吏を、軍や役所から追放するというのならわかる。しかし、その「証拠」が「親族が共産主義者だという内部告発があった。」だけというのは、理由として不十分だと思う。
このような例が次々に起こっていた。
マローはこれを批判する。
恐れずにテレビ番組で意見をはっきり言い続けるマローも素晴らしいと思うし、軍からの圧力があったにもかかわらず、それをはねのけ、マローを守り抜いたCBSというテレビ局も、素晴らしいと思った。
こうして、1950年からアメリカを吹き荒れたマッカーシズムは、1954年には収まっていった。

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最後にこの作品を見た率直な感想を言わせてもらうと、マローの言っていることがまともすぎて、少々、説教臭く感じてしまった。
マッカーシズムとはどのようなことだったのか、テレビ報道はどうあるべきかを考えたい人にはお勧め度★★★★☆くらい。面白い映画を見たい人には★☆☆☆☆くらいかな。
「大統領の陰謀」も映画としては地味で面白くなかった。「スポットライト」は実に面白くて引き込まれたけど。
このあたりが、大衆に媚びない、主張する映画が抱える難しさだと思う。

ナチ犯罪追及をテーマにした作品5つ

『顔のないヒトラーたち』(2014)がよかった、という情報を得て、見てみたのが始まりだった。そこから、『アイヒマンを追え!/ナチスがもっとも恐れた男』(2016)、『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(2015、イギリス映画)を立て続けに見て、数か月前に見た『コリーニ事件』(2019)、ずいぶん前に見た『ハンナ・アーレント』(2012)がつながった。

以上、列挙した作品のうち、『アイヒマン・ショー』はイギリス映画であるが、それ以外はすべてドイツ映画で、2010年代の作品である。
第二次世界大戦をテーマにしたドイツ映画(ドイツを含む複数の国との合作映画)には『ヒトラーの偽札』、『戦場のピアニスト』などいくつかの作品があるが、戦後のドイツ国民が戦争犯罪や戦争責任についてどのように向き合っていったのかをテーマにした作品が出てきたのは、2010年代になってからだと思う。

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第二次世界大戦において最も責任の重かったヒトラー(総統)、ゲッペルス(国民啓蒙・宣伝大臣)ヒムラー(親衛隊全国長官)はすべて自殺した。1945年~46年、戦争犯罪を裁く国際軍事裁判であるニュルンベルク裁判が行われた。
ドイツは、これをもって一区切りとし、人々のエネルギーを戦後の復興に向けた。そして、実際にアデナウアー政権のもと、「奇跡の復興」と呼ばれる目覚ましい経済発展を遂げた。

しかし、主要人物の自殺やニュルンベルク裁判で、戦争犯罪に関する処理が決着できていたわけではない。残虐行為に関わった多くの元親衛隊員、元ナチ党員が、罪を問われることなく、前歴を隠してドイツ社会の中で平然と暮らしていた。あるいは、アイヒマンのように、ホロコーストに最も責任があった人物は国外に逃亡していた。
終戦から十数年、ドイツは、戦後の処理を完遂できないまま、人々は過去から目を背け、豊かさを求めて暮らしていた。
一方で、アウシュヴィッツから生き残ったユダヤ人たちは、大切な家族を失った悲しみと、収容所での壮絶な体験による心の傷を抱えたまま、それを誰に語ることもなく口をつぐんで暮らしていた。

しかし、過去と向き合わなくてはならないと考えているバウアー検事長のような人物はいた。彼は、戦後十数年、戦争犯罪に関する処理が大きな進展のないまま、国外に逃亡したアイヒマンらを捕らえることもできず、1000万人いたナチ党員の責任追及もなされないまま時が流れていることを歯がゆく思っていた。
そしてついに、1950年代末頃から過去に向き合おうとする流れがおき、1963年のアウシュヴィッツ裁判へと進展し、ドイツ史は大きく転換した。

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『顔のないヒトラーたち』(2014)
顔のないヒトラーたち

実話に基づいたストーリー。ただし、主人公のヨハン・ラドマン検事は実在しない架空の人物。1930年生まれで、第二次世界大戦当時はまだ子供で、この作品で描かれている1950年代末には、まだ20代後半の新米弁護士であるという人物設定。
武装親衛隊であった過去を隠して教師をしている人物がいるということを知ったラドマンは、過去に向き合っていこうとし、収容所で行われていた残虐行為の事実を明らかにしていこうとする。
前半の部分で私が驚いたのは、ラドマンが街行く人々に「アウシュヴィッツを知っているか?」と次々に問うたときに、皆、首を横に振ったこと。作品を見ただけでは、ラドマンの問いかけを不快に思い、知らないふりをしたのか、本当にその地名を知らなかったのかは明らかではないのだが、私は、この時点のドイツでは、アウシュヴィッツという地名を知る人はほとんどいなかったのだと解釈した。
もちろん、ナチスによるユダヤ人迫害を知らない人はいない。戦時中、彼らの周りにいたユダヤ人たちが次々に拘束されどこかに移送されていったのだから。しかし、当時ドイツの人達が本当にアウシュヴィッツという地名を知らなかったのなら、終戦後10年たった時点でも、ドイツは、自国の行った戦争中の非道な行為について検証することをしていなかったということだ。
それを変えたのは劇中の架空の人物ラドマンなのだが、おそらくラドマンのような人物が実際にいたのだろう。
彼は、収容所にいたことのあるユダヤ人のシモンから当時の様子を聞き、収容所で行われた残虐行為に心を痛める。そして、それを明らかにし、罪を犯した者たちを追及しようとする。しかし、その特定には大きな困難が伴っていた。そもそも、1000万人いたナチ党員、アウシュヴィッツに駐留した兵士だけでも8000人。膨大な資料の山。さらに真実の追及に対する様々な妨害。権力者の側に、ナチスだったものが生き残っているのだ。追及をやめさせようとする脅迫状も届く。窓ガラスにハーゲンクロイツが刻まれた石を投げつけられる。
しかし、数々の困難を乗り越えながら、ラドマンたちの努力が実を結び、1963年のアウシュヴィッツ裁判につながり、ドイツ史の転換点となった。
「我々国民は事実を知るべきだ。」「ウソと沈黙はもう終わりにする。」
こうした考えがドイツの人々に広まっていった。

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(2016)
アイヒマンを追え

「ナチスがもっとも恐れた男」とはバウアー検事長のこと。ユダヤ人である。
バウアーは、「顔のないヒトラーたち」にも登場し、上司として新米のラドマンを指導する役回りだった。この作品では主人公の検事長として、アイヒマンの逮捕に全力を尽くす。
アイヒマンは何百万人ものユダヤ人を収容所に送った中心人物である。このことを考えただけでも、裁判を受け、その責任を明らかにして相応な刑罰を受けるのは当然と思うのだが、現実はそう簡単なことではなかった。国外に逃亡した犯罪者の逮捕やその身柄の引き渡しには国家間での様々な制約があるのだ。インターポールは「政治犯は管轄ではない」と協力を拒否する。アルゼンチンの警察も頼れないのだろう。そして、ドイツの捜査機関である連邦刑事局も連邦情報局もナチスの残党だらけ。
アイヒマンがアルゼンチンに潜伏していることを突き止めたバウアー検事長は、「アイヒマンがクウェートに潜伏している」というニセ情報を信じているふりをしながら、イスラエルの情報機関モサドにアイヒマンの拘束を委ねる。
ドイツの捜査機関は信頼できなかった。バウアー検事長がどこまでの情報を得ているかを常に監視している。潜伏先をつきとめたことがわかれば、そのことがアイヒマンに伝わり、アイヒマンはさらに逃亡し、違う偽名を使って、再び見つけることは困難になってしまう。
そしてついにモサドがアイヒマンの身柄確保に成功する。
結局、バウアーが望んだように、自国ドイツでの裁判にはならなかったが、1961年、アイヒマンはエルサレムの法廷で裁かれることになった。
アイヒマンがどのような人物であったのかは、この前年に制作された『アイヒマン・ショー』や2012年の『ハンナ・アーレント』で明らかになっていく。

『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(2015 イギリス映画)
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1960年、アルゼンチンに潜伏中だったアイヒマンはイスラエルの諜報機関モサドに捕らえられ、翌1961年からエルサレムの法廷で裁かれた。この裁判の様子は世界中に放映されることになった。この作品は、この裁判の放映に関わったテレビマンたちを描いた作品である。
裁判の全体像を客観的に映し出しだそうとする局側に対して、監督はアイヒマンという人物の表情をズームアップしてとることにこだわり、アイヒマンがどのように反応し、どんな表情を浮かべるかを細かく映し出すことにより、この人物がどんな人間なのかをあぶりだそうとする。番組の制作方針で、まず意見がぶつかり合う。
さらに、世界の注目を浴びているとはいえ、一般の人々の興味は、長丁場の裁判の展開を丁寧に視聴するほど集中力が高いわけではない。派手な話題に飛びつきがちである。
この裁判が行われていた1961年は、ソ連がヴォストーク1号の成功に成功し、アメリカはキューバと国交を断絶するなど、アメリカとソ連の派手な動きが話題の中心だった。
そんな状況下でのこの裁判を、どのような手法で放映するのか。
テレビマンたちが、この裁判を世界に伝えようと奮闘した結果、裁判の展開、アイヒマンの様子がテレビによって明らかになっていく。
アイヒマンとはどのような人物だったのか。
それにしても、この人って、いったい....!!

『ハンナ・アーレント』(2012)
ハンナ・アーレント

アイヒマン裁判を傍聴し、レポートを書き、ザ・ニューヨーカー誌に発表したのがユダヤ人の政治学者・政治思想家のハンナ・アーレントだった。
この裁判でアイヒマンは、「私はただ、命令されたことをやっただけだ。」と他人事のような表情で言った。
アーレントはこれを「思考の欠如した凡庸な悪」と批判した。
600万人ものユダヤ人殺害の最終的責任者であったにもかかわらず、命令に従ったまま、事務的に処理しただけだという。悪いのはヒトラーやヒムラーであり、自分には何の責任もない、という。すべて、人のせい。
これこそが、「(ヒトラーのような)悪魔的な悪」を助長する恐ろしいものの正体だ。
アーレントは言う。
「思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。」
思考することで人間は善悪の判断ができる。
思考することで人間は強くなれる。

『コリーニ事件』(2019)
コリーニ事件

2001年のベルリン。ホテルの最上階のスイートルームで、経済界の大物マイヤーが、ドイツで30年以上暮らしているイタリア人コリーニに殺害された。
この二人の間に何があったのか?
作品は、「なぜ?」の連続のサスペンス・ドラマに仕立てあがっているので、ネタバレしないようにストーリーについてはここで留めなくてはならないのだが、この作品で重要な鍵を握る法律「ドレーアー法」について説明しておきたい。
ドレーアー法とは、「ナチ犯罪に加担した法律家や軍人などが行った犯罪についての時効を短縮させた」法律で、1968年に施行された。
簡単に言うと、ホロコーストの実行に協力したSSの幹部や強制収容所の所長らの罪の公訴時効を15年にしたということだ。このほか、パルチザンを保護した一般のイタリア市民を銃殺した罪についても同様で、時効が短縮された。つまり、法律の成立した1968年の時点で、終戦の1945年を起点としてもすでに15年の時効が成立していて罪に問えないということになってしまったのだ。
なぜこのような法律が成立してしまったのか。
ドイツでは、上記の映画作品でも描かれているように、1960年代から、ナチ犯罪を追及する動きが始まっていた。そして、世界中で若者たちが大きな動きを見せた1968年には、親世代のナチ犯罪を追及しようとするドイツの若者たちの動きが高まった。
ドレーアー法はそれに対する反動である
ドレーアーのようにナチス政権下で検事として活躍した人物が、戦後も公職追放を免れ、法律家として力を持っていたということだ。
『コリーニ事件』は映画としてとても面白い作品です。
そして、見終わってから、いろいろなことを考え、調べたくなる作品です。


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以上の5作品を見て、ドイツでは、戦後すぐにナチ犯罪を追及する動きが始まったわけではなく、1950年代末から1960年代になってようやくその動きが本格的になったのだということが分かった。そこには、様々な妨害にも屈せずに、ナチスが犯した犯罪を明らかにしていかなければならないと、過去に真摯に向き合った人たちの尽力があった。
それをテーマにした作品が2010年代に次々に制作され、しかも、『コリーニ事件』では、戦争中の犯罪だけではなく、戦後においても自分たちの保身のために追及を免れるための法律を作った勢力がいたということを鋭く描いていた。

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(以下は映画から離れた世界史の話です。)

ドイツは過去への向き合い方の「優等生」というような言われ方がされる。
靖国神社参拝をめぐる是非や、徴用工や従軍慰安婦の問題などでいまだに中国や韓国から批判され続けている日本と比較して使われる言葉だ。

もちろん、ドイツと日本とを単純に比較することはできない。
しかし、ドイツが「優等生」と呼ばれる要因の一つに、謝罪、反省、犠牲者への哀悼を示す指導者の存在があったことがあると思う。
ブラント

有名な写真がある。ワルシャワのゲットー前でひざまずくブラント首相の写真だ。
この写真は、日本の高校教科書には、山川出版社のものにも、東京書籍のものにも、浜島書店の史料集にも載っている。
ゲットーとは、ユダヤ人が強制的に住まわされた居住地区のことで、劣悪な生活環境のもと、伝染病の流行と飢餓で何十万人もの人がそこで死亡した。
そこを訪れたブラント首相の行為は、そこで亡くなったユダヤ人を悼む気持ちと、ドイツ人としての謝罪の気持ちにあふれていたのだと思う。


そして、1985年、ドイツ敗戦40周年にあたっての、ワイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」と呼ばれる演説があった。
「ユダヤ人という人種をことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。・・・・。
この犯罪に手を下したのは少数です。公の目には触れないようになっていました。
(しかし。)目を閉ざさず、耳を塞がずにいた人々、調べる気のある人なら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。・・・犯罪そのものに加え、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのが現実であります。・・・。」
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです。」


さらに。
2008年イスラエル建国60周年にメルケル首相はイスラエルの国会クネセトで演説を行い、ドイツとイスラエルの関係を、ホロコーストへの反省と責任に基づく「特別な唯一無比の関係」と表現した。メルケルは、イスラエルとの良好な関係を維持しつつ、イスラエルのヨルダン川西岸や東エルサレムの入植地建設に強い反対を示すなど、いうべきことはきちんと言っている。

こうした指導者たちが、ドイツという国家を代表して、過去と真摯に向き合う行為・発言をしたことで、ドイツ人の立場がどれだけ救われたことかと思う。
見せかけだけのパフォーマンスなのか、過去と未来に対する深い思いがあるのかは、人はわかるものなのだ。

参考図書
ワイツゼッカー

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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