『コリーニ事件』

2019年のドイツ映画。
コリーニ事件



冒頭から、引き込まれる。

2001年のベルリン。ホテルの最上階のスイートルームで、経済界の大物MMF社長ハンス・マイヤーが殺害された。容疑者は、ファブリツィオ・コリーニ、67歳。ドイツで30年以上暮らしているイタリア人。
この裁判でコリーニの国選弁護人となったカスパーにとって、被害者マイヤーは少年時代の恩人で、トルコ系のカスパーを孫の友人として優しく支援してくれた人物だった。
被害者マイヤーが自分の恩人のマイヤーではあると知らずに、コリーニの弁護を引き受けてしまったカスパー。しかも、コリーニは黙秘を続け、何も語らない。

動機は何なのか?
コリーニとマイヤーの過去にどんな関係があったのか?

フランコ・ネロ
    コリーニを演じたフランコ・ネロ
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「法廷モノに外れなし」の言葉どおりでした。
見終わった後、いろいろ調べ、考えました。
考えなければいけないテーマを投げかけられたと思いました。

以下は、それについてです。
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(パソコンだとこの機能が使えるのですが、スマホだと、この機能は使えず、続けて全部表示されてしまうのがわかりました。すみません。作品を余計な情報なしでご覧になりたい方は、ここで読むのをストップしてください。)

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『1987 ある闘いの真実』

2017年の韓国映画
1987.jpg


韓国にとって1987年がどういう意味を持つ年だったのか。
1987年時の政権がどれほど酷いものだったのか。
それに対する民衆の反抗がどれほど強く不屈のものであったか。
それがよく分かった。

光州事件から7年後の1987年、韓国は依然、チョン・ドゥホァン(全斗煥)軍事独裁政権下にあり、反政府勢力に対する酷い弾圧が行われていた。
民主化推進派はひとくくりでアカ(共産主義者)と呼ばれ、弾圧の対象になっていた。
民主化推進派が求めていたのは大統領直接選挙
共産主義体制を求めていたわけではない。しかし、政権にとって都合の悪い人物は、すべて「アカ」と呼ばれ、北朝鮮のスパイとの疑いをかけられて、南営洞(ナミャンドン)の治安本部対共分室で酷い拷問にかけられていた。

そんな状態が7年間も続いていた。
そこで起こってしまったのが、パク・ジョンチョル(朴鐘哲)というソウル大生の拷問死
作品は、ソウル大生拷問死事件の起きた1987年1月14日以降の展開を日付とともに描いている。

解剖による検死もさせないで心臓麻痺としてこれを処理しようとする警察のパク所長ら、この事件をもみ消そうとする権力側の人達。
これに対して毅然たる態度で、拷問死という事実を明らかにしようとするソウル地検のチェ検事をはじめ、解剖を担当した医師、中央日報の記者たち。
これら多くの人達が、良心にしたがって、それぞれの仕事をし、暴力をも使った妨害にも屈せず、事の真相を次第に明らかにしていく。
後半は、高まっていく民主化闘争。ここから、投獄された民主派推進派と監獄の外で活動する民主化推進派との連絡役を担うハン看守と、彼の姪で女子大生のヨニが登場する。
実話をもとに作成されたこの作品の中で、ヨニだけが実在しない架空の人物である。
ヨニは当初、危険な民主化闘争にかかわりたくないと思っており、叔父のハン看守がやっている民主派推進派の連絡役に使われるのを嫌がっていた。そのヨニが、彼女が慕う学生活動家のイ・ハニョルとのかかわりを通して民主化闘争に目覚めていく。
民主化闘争が最高潮に達し、バスの車両の上に上り、腕を振り掲げるヨニの姿は韓国の一般民衆の象徴だと思う。

エンディング。酷い拷問や民主化運動での治安部隊との衝突で命を落とした人達の名前と、その追悼に集まったたくさんの人々の映像とともに、「この日来たりなば」が流れる。 
この作品のは韓国での原題「1987 When The Day Comes」となった曲であり、抵抗の歌、民主化運動の象徴の歌である。
感動的。
軍事独裁政権に抵抗する様々な人が、権力側の暴力や脅しに屈することなく、民主化を勝ち取っていった「1987」という年は、韓国の人たちにとって誇れる年なのだと思った。

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(補足)
作品は、それを描いている時代だけでなく、それを制作した時代も反映する。
この作品は2017年の作品であるが、それは、わずか30数年前のチョン・ドゥホァン政権の酷い弾圧を描くことができる時代になったということを示している。
(ただし、チャン・ジュナン監督は当時のパク・クネ(朴槿恵)大統領のブラック・リストに載っていたので、制作の企画は秘密裏に進められたという。さらに、制作の途中、パク・クネ政権の汚職が明るみに出て混乱したことも、この作品の完成に幸いした。)

『在りし日の歌』

在りし日の歌


2019年の中国映画。
この作品は、ヤオジュンリーユンの夫婦の、1980年代から2010年代にかけての約30年間を描いたもの。

この夫婦を軸にストーリーは展開する。

中国北京に住む労働者として真面目に働く夫婦。
子供が生まれ、たまたま同じ誕生日の子を持つ親同士が親しくなって、家族ぐるみのお付き合いをしていた。
子供たちは成長とともに仲良しの友達になり、いつも一緒に遊んでいた。
多くを望まず、周りの人を大切し、ごくごく普通の幸せな生活を営んでいた。

それが続けばどんなにいいことかと思う。
しかし、人生はいろいろなことが起こる。
普通に得られたはずの幸せな生活は、思いもよらなかった事故や、「一人っ子政策」という国策や、工場の人員整理に伴う失職や、抗うことのできない事態に翻弄され、壊れていった。

当たり前の生活が壊され、辛く、悲しい思いを経験した。

それでも、この夫婦はそれを受け入れて、その苦しみを乗り越えて生きていった。

老境を迎えたとき、この夫婦は、自分たちの人生に起こった様々なことのすべてを、穏やかな気持ちで振り返り、過去に関りを持ったすべての人に対して、優しい微笑みをうかべて再会をはたした。

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多くを語らないヤオジュンとリーユン夫婦の、様々な思いを込めた深みのある表情が素晴らしい。

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ここでちょっと中国現代史のレクチャー。
中国は、1949年の中華人民共和国の建国以来、激動の歴史をたどった。
大躍進政策の失敗では、餓死者1500万人が発生したといわれている。
(一つの出来事による犠牲者数としては、戦争や自然災害を超えてこれが最大)
文化大革命では、紅衛兵の横暴により、知識のある優秀な人材が「下放」により地方に追いだされ、農作業に従事させられた。
(この作品の中国語原題「地久天長」は、日本人にはおなじみの「蛍の光」で、文化大革命の時に地方に追放される青年たちが二度と戻れないことを覚悟して、涙を流して歌った歌だという。)
そして文化大革命の終息と、市場経済の導入
各工場は採算をとらなければならず、人員整理が行われ、働きたい人たちから職場を奪った。
1979年から2014年まで実施された「一人っ子政策」は、その問題点として、「黒孩子(ハイヘイズ。一人っ子政策に反して生まれたために戸籍を持つことのできない子供のこと)」や「小皇帝(兄弟姉妹のいない環境下で過保護に育てられたために、わがままで協調性がない子供のこと)」について指摘されるが、その陰にあった強制的な人工中絶にも思いを至らせなければならない。

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一市民として当たり前の生活をしようとしていたのに、政治や経済体制の変化、国策によりそれがかなわなかった人々。
逆にこうした変化に便乗してお金持ちになった人々。しかし、勝ち組になった人々でさえ、一見、いい暮らしをしているように見えても、実は消すことのできない心の痛みを長く抱えて生きていたりする。
それは、「一人っ子政策」を推進する側の立場にまわって、2人目を妊娠した妊婦に対して人工中絶を強制したことへの痛みであるかもしれないし、あるいは人員整理で社員を切らなければならなかったことへの痛みであるかもしれない。

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3時間5分にわたる、約30年間の年月を描いた壮大な作品。
現在と過去が行ったり来たりする。過去に何があったかを、過去の場面に戻って、登場人物の会話からとらえていかなければならない作り方。説明口調ではなく、淡々と登場人物の心を描いた秀作だと思う。
しかし、実は私は、登場人物の中国人の名前をよく把握できないまま見てしまい、前半はだれがだれだかわからなくなってしまった。後半はわかりやすかった。
おせっかいと思いつつ、これから見ようとする方、見終わった後、頭の中を整理したい方のために、登場人物の名前を挙げておきます。
主人公がヤオジュンリーユン夫婦。その子供がシンシン。養子の子供もシンシン。
この夫婦と大きなかかわりを持つのが、インミンハイイエン夫婦。その子供がハオハオ。ハイイエンは工場の主任。
彼らの友人カップルがシンジエンメイユー。シンジエンは、香港映画スターのようなおしゃれなファッションが大好きなイケてる男性なのだが、ダンスパーティーに行って、風紀を乱したという理由で逮捕される。1980年代になっても、まだ文化統制がきつかったのだな。あとは、インミンの妹のモーリー。工場でヤオジュンの指導を受けた美人の人。彼女のように、中国を出て、アメリカなど国外に自分の居場所を見つける人も多いのだろう。

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老境を迎えている自分としては、このヤオジュン、リーユンと同じような心のあり方でありたい。
自分の人生を振り返った時、「いろいろあったけれど、一生懸命生きてきたよね。」と思いたい。

『シカゴ7裁判』

シカゴ7裁判


2020年に公開のアメリカ映画。
コロナ・ウイルスの流行により、配給のパラマウントは劇場公開を断念し、Netflixに権利を売却。
日本では2020年10月から配信(配信に先駆けて一部劇場で公開)

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1968年8月、イリノイ州シカゴで、ベトナム反戦運動の集会・デモが、警察と衝突し、数百名の負傷者を出す暴動に発展してしまった。
その責任を問われ、デモに参加した各グループのリーダー的存在だった7人は、暴動を扇動したとする罪で法廷に立たされることになる。
しかし、この裁判があまりにも理不尽。
法廷ものは私の大好きな映画のジャンルだが、今まで見た中で、この裁判のホフマン判事は最低の裁判官だった。(ホフマンのひどさがこの作品での見どころ。)
訴えられたのは、「シカゴ・セブン」と呼ばれる7人。
民主社会学生同盟のトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)、レニー・デイヴィス。
青年国際党のアビー・ホフマン、ジェリー・ルービン。ベトナム戦争終結運動のMOBEのリーダー、デヴィッド・デリンジャー、さらにリー・ワイナー、ジョン・フロイスら7人。これに、ブラック・パンサー党のボビー・シールも加えた8人の裁判が展開される。

暴動を誘発した責任は、デモの側と警察の側のどちらにあるのか?
デモのリーダーたちは、参加者の安全に十分配慮したか?
などが争点。

裁判の展開は、映画を見て楽しんでもらうとして、このブログでは、デモについて考えてみたい。

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デモは政治を動かす。

1960年代は「若者」の政治参加が活発な時代で、アメリカでは、公民権運動やベトナム反戦運動が社会を大きく変えた。
フランスでも1968年、学生や労働者を中心に改革を求める運動が全国に広がり、「五月危機」と呼ばれる事態に発展し、翌年のド=ゴール退陣につながった。

日本でも1960年の安保闘争や、1968年~70年の全共闘運動学生紛争などが思い浮かぶ。もっと歴史をさかのぼると、大正政変がある。
大正政変の展開を説明すると少々長くなるので、ここでは省略するが、1913年、第三次桂内閣に抗議する数万の民衆が帝国議会を取り囲こみ、桂首相を辞任に追い込んだ出来事である。桂退陣の背景には、もうこれ以上事態が大きくなると、暴動・内乱に発展し危険だとする判断があったという。
日本では、これが民衆の直接行動が内閣を倒した最初の事例である。

ここだなと思う。
民衆の抗議で政治を変えることができるのは、まともな国での出来事なのだ。

世界の歴史の中では、抗議の声が権力側による弾圧によりつぶされ、流血の惨事となった事例は多い。
例えば、映画『遠い夜明け』に描かれている南アフリカでのソウェト蜂起(1976)。
黒人学生1万人と警察隊が衝突し、500人が死亡、約2000人が負傷した。これも当初は学生たちが計画した平和的な抗議活動だった。
無抵抗の学生たちに銃弾が浴びせられ、多くの黒人学生が死んだ。
この国がアパルトヘイトを撤廃するのは、その後、15年の年月を待たなければならなかった。

2014年の香港の雨傘運動も非常に盛り上がったけれど、香港政府はデモ側の要求をすべて拒否し、結局この運動をつぶした。
その後の香港では、2020年に香港国家安全維持法が成立し、活動家の周庭が逮捕され、裁判で実刑判決を受けた。
民主化を求める学生のデモを軍の出動によりつぶした天安門事件(1989)を挙げるまでもなく、国家権力の強い中国では、民衆の抗議活動はなかなか成功しない。

今日(2021.3.4)も、ミャンマーでの軍事クーデターに反対するデモのニュースが報道されていた。アウンサン・スーチー氏から政権を奪った軍事政権は、デモを武力でつぶそうとしている。ここ数日、事態はどんどん悪化して、死者の数は日を追うごとに増えている。
ニュースの映像を見ていると、かなり心配な状況。(けが人を救護する医療従事者を警察がこん棒でたたいていた。なんで?)
数週間前は平和的なデモだったのが、あっという間に悲惨なことになってしまった。

それでもミャンマー人たちは命懸けでデモに参加している。
かつての軍事独裁時代の不自由さを知っているから逆戻りは何としても防ぎたいのだ。
もう、ミャンマー自体では収拾できないのではないかと心配している。

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平和的なデモ活動と暴動は紙一重だ。

この『シカゴ7裁判』も、平和的に行おうとしたデモが、どうして暴動に発展してしまったのかが争点だった。
昨年全米で盛り上がったBLM運動は、特にリーダーがいるわけでもなく、自然発生的に各地で参加する人が増えていき、世界各地に広がった。一部、混乱が生じた事例もあったが、暴動に発展しないような配慮があったように思う。

21世紀の今、人類は戦争や暴力によらない問題解決の方向を目指していかなければならないのだと思う。



『2人のローマ教皇』

2人のローマ教皇


2019年の英・米・伊・アルゼンチン合作映画。
Netflixオリジナル作品。
監督:フェルナンド・フェイレス
脚本:アンソニー・マクカーテン

出演:アンソニー・ホプキンス(ベネディクト16世)
   ジョナサン・プライス(ベルゴリオ枢機卿=のちのフランシスコ教皇)

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タイトルを見たときに、さほど面白い映画ではないだろうと、あまり期待はしなかった。
世界史の教師をしているので、ローマ・カトリック教会史は必須なので、まぁ見ておこうか、くらいの気持ちで見始めたのだが、うれしいことに予想に反して、非常に面白かった。

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2人の教皇とは、2013年2月に辞任を発表したベネディクト16世と、その後を託されたベルゴリオ枢機卿(現在のフランシスコ教皇)のこと。
この作品は、この2人の心の交流を描いたものである。

教皇職は終身の役職で、本来、死んだ時にようやく任務から解放されるわけで、自分の意志で教皇を辞任するというのは極めて珍しい。700年前の1294年に事例があるだけだという。
(日本でも、2019年に平成の天皇が生前退位され、元号も令和になったが、日本の歴史の中で、これも珍しい事例で、私は、平成の天皇の決断には、ベネディクト16世の辞任の影響もあったのではないかと思っている。)

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ベネディクト16世は2005年から2013年までの約8年間、ローマ教皇を務めた。
前任のヨハネ・パウロ2世は、1978年から2005年までの27年間教皇を務め、非常に人気があり、全世界から尊敬されるような人物だったので、いろいろやりにくいこともあったろうと思う。
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(参考)この作品ではヨハネ・パウロ2世は冒頭に葬儀の時の映像がちょっと流れるだけで、登場はしていないのだが、前任者がどのような人物だったのかを知ると、ベネディクト16世を深くとらえることができると思うので、ここで、ちょっとヨハネ・パウロ2世についての説明をします。

ヨハネ・パウロ2世の何が素晴らしいか。
反戦と平和を訴え続け、世界中を飛び回り(訪問した国は129か国)、「空飛ぶ教皇」と呼ばれた。日本の広島・長崎を訪れた最初の教皇である。
・他宗派・他宗教・他文化間の対話を呼びかけた。
・キリスト教がなした過去の罪について、歴史的謝罪を活発に行い、ガリレオ・ガリレイの地動説裁判における名誉回復を公式に発表。また、ダーウィンの進化論についても容認した。
(今時、天動説を主張する人はいないし、人類がアダムとイブから始まったと思っている人はいないものね。)

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ヨハネ・パウロ2世が素晴らしい教皇だったという印象が強いのに比べると、ベネディクト16世は、イメージとしては、保守的・厳格・地味、といったところだった。
偉大な教皇の後任は辛い。
しかも、映画『スポットライト 世紀のスクープ』で描かれているように、ボストン・グローブ紙が「カトリック司祭による性的虐待事件」の記事を公開したのが2002年のことで、ローマ・カトリック教会は当然のことながら、厳しい批判にさらされた。
そんなことがあったころの就任だった。

この作品は、ベネディクト16世が辞任を決意する2012年を中心に描いている。
彼が後任を託そうとしたのが、現在のフランシスコ教皇だった。
ベネディクト16世とは、考え方のまるで違う人物である。
作品中でも、「君を次の教皇にしたくないから、教皇を辞めることができなかった。」というベネディクト16世のジョークがある。
そんなベネディクト16世がフランシスコという人物のすばらしさを見抜き、考え方の違うフランシスコを信頼して、あとを任せて退こうとする。
「君なら教会の改革ができる。」

フランシスコに教皇職を引き受けてくれるように説得する場面で、二人が背負っている過去の罪について告白しあうのが、この作品の見どころだと思う。
どんなに偉い人でも背負っている罪があり、だからこそ、人々に対して優しくなれるのだと思った。

ラストは、現在のフランシスコ教皇の活動。
フランシスコ教皇は初の南米出身のローマ教皇で、古い伝統にとらわれない革新的で庶民的な教皇。サッカーとビートルズが大好き。
公用車を使わず、公共交通機関で移動するなど、貧しい人の味方で、人気が高い。

この作品では描かれていないのだが、フランシスコ教皇は、トランプ大統領との会談での発言が注目をあびた。
メキシコ国境の壁に対して、「橋を築くことではなく、壁を造ろうと考えるのはキリスト教徒ではない。」
そして、アルゼンチン人である自分のことを「私も移民の子孫です。」と言って、トランプの移民排除の姿勢を批判したことは多くの人々からの共感を得た。

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ヨハネ・パウロ2世とフランシスコ教皇に挟まれたベネディクト16世なので、人気や評価の点で何かと損な立場にあると思うのだが、私は、この『2人のローマ教皇』という作品をみて、ベネディクト16世がなにかほほえましく、好感が持てた。
演じたアンソニー・ホプキンスが素晴らしい。
アンソニー・ホプキンス


脚本のアンソニー・マクカーテンは『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』、『博士と彼女のストーリー』『ボヘミアン・ラプソディー』を手掛けた脚本家。
この作品も2人の教皇が対話を重ねて理解しあうという展開のなかで、心に残る言葉が数多くちりばめられていた。

※注:フランシスコ教皇は、教皇に就任する前は正確にはベルゴリオ枢機卿なのですが、ややこしいのでフランシスコという表記で文を書きました。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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