『ブラック・クランズマン』

ブラッククランズマン

渡邊裕子さんの
「スパイク・リーはなぜ席を立ったのか。/アメリカの黒人差別を理解するうえで見るべき映画」※という記事を参考に映画を見続けて、ようやくスパイク・リーの作品までたどり着いた。
https://www.businessinsider.jp/amp/post-214663

『ドゥ・ザ・ライトシング』、『ザ・ファイブ・ブラッズ』『ブラック・クランズマン』を立て続けに見たのだが、全部面白かった。
設定やストーリーの展開が面白く、エンタメ調で作っているので、飽きることなく、何が起こるのだろう、どうなるのだろうと思いながら見入ってしまった。
そして、当然の流れで、見終わった後、差別について考えさせられた。

『ドゥ・ザ・ライトシング』
ニューヨークのブルックリンの低所得者層、特に黒人が多く住む地区が舞台。
うだるように暑い夏の日。そこに住む人は、経済的にも余裕はなく、だるくて何にもやる気が起きないし、ちょっとしたことでイライラもするし・・・。
イタリア系移民の経営するピザ屋と客のトラブルからけんか騒ぎとなり、警察が出動。
警官は白人と黒人が殴り合っていたら、有無を言わさず黒人のほうを取り押さえるのだな。
そして身柄の確保だけで十分なはずなのに、エスカレートして、今、まさに問題となっている“警官の黒人への暴力”としか呼びようがない事態にまで発展してしまう。

何故ここまでにやりすぎてしまうのだろう?

『ザ・ファイブ・ブラッズ』
2020年のアメリカ映画。Netflixで配信。
ベトナム戦争からのアメリカの撤退から約40年後の2014年。黒人のベトナム帰還兵4人とその息子1人が、埋められた金塊を回収しようと、再びベトナムを訪れるというストーリー。
登場人物それぞれに事情があり、過去に負った心の傷がある。金が絡むと、仲間割れも起こる。
ストーリーの展開の予想がつかず、面白かった。

ストーリーとは少し離れてしまうけれど、この作品を見て、調べこと。
ベトナム戦争に参戦した黒人の割合は、合衆国の全人口に占める黒人の割合よりも、米軍における黒人の割合のほうがずっと多い。
しかも、ベトナム帰還兵のうち精神疾患にかかる割合は、黒人は白人の2~3倍ほど高いという。
これは、黒人の兵士が戦闘の前線に立たされ、白人兵士よりも,いっそう凄惨な戦争体験をしたためと言われている。


『ブラック・クランズマン』
冒頭の字幕に「リアルな話がベース」と出てくる。つまり実話をもとにしたストーリー。
こんな話が本当にあったのだろうか?と信じられないようなストーリー。

コロラドスプリングス初の黒人警官ロンは、電話でKKKの入会を申し込む。
KKKのリーダーのデュークはロンのしゃべる英語に黒人の訛りがないことから、まさか電話の相手が黒人であるなどと疑うこともせず、入会を許可する。
さらに相棒の警官でユダヤ系白人のフリックが,コロラドスプリングスのKKK支部の会合に参加して潜入捜査を行う。

潜入捜査を題材にした作品は、『インファナル・アフェア』(リメイク作品:アメリカ版は『ディパーテッド』、日本版は『ダブルフェイス』)などがあるが、潜入捜査だということがばれるのではないかと、みていてハラハラする。しかも潜入先の組織はマフィアだったり、日本の反社会的勢力(いわゆる暴力団)だったり、ばれたら有無を言わさずリンチにあい、その後で殺されるのだろうなと想像してしまうような組織だから本当に怖い。
今回の『ブラック・クランズマン』では、フリックが潜入したのは、狂気ともいうべき白人至上主義の集団KKK。

さて、この潜入捜査がうまくいくのかどうかも含めて、書きすぎるとネタバレになってしまうので、ストーリーについてはここまでにして、私がこの作品を見て感じたこと、考えたことを書きたい。


この作品を通して強く感じるのが、KKKという組織の異常さ
白いとんがり帽の覆面をかぶり白装束で身を固めたメンバーが十字架に火をつける儀式を行って結束を固める。
目的は黒人やユダヤ人の排撃。暴力を用いて弱者を排除しようとするだけでなく、殺人をしてまで、弱者を抹殺しようとしている。しかもそれを「よい行為」だとする価値観を持っている。
こういう組織をカルト教団と呼ぶのだな。

KKKは1920年代に会員数500万人という大きな組織になったことがある。その背景にあったのは、『國民の創生』というサイレント映画だ。
『ブラック・クランズマン』冒頭部分にも、『國民の創生』の画像を背景にボーリガード博士なる人物が差別満載のスピーチをしている場面がある。
(私はこの部分を実在の人物が行った過去のスピーチ映像だと思ってみていたのだが、違った。テレビ番組でドナルド・トランプ役を演じて評判となったアレック・ボールドウィンという俳優が演じたものだった。このあたり、スパイク・リー監督は皮肉たっぷりな要素をいろいろ仕込んでいるのだけれど、解説を読まないと、気づかないこと、わからないことは、まだまだ多い。)

このボーリガード博士なる人物が言っていることがとんでもない。
「白人の子供たちは、あのブラウン判決以来、劣等人種との学習を強いられています。
アメリカは雑種国に堕ちんとしている。有色人種は異人種混交によってアメリカを侵略しようとしている悪党なのです。」

ブラウン判決とは。

まずは、1892年のプレッシー判決から。
人種隔離を認める州法の違法性を問うため、黒人男性があえて白人席に座って逮捕された。この裁判は最高裁まで持ち込まれたが、そこでの判決は、
「隔離を認める州法は、一方の人種を劣等とみなすものではない。従って憲法修正第14条に反するものではない。」
 
それから約50年後。
 自宅のそばにある学校が白人専用であるために、娘をバスで遠くの黒人専用学校へと行かせなければならないのは不当である、と訴えた「ブラウン対トピーカ市教育委員会事件」に対する最高裁長官ウォレンの出した判決は。
「法律は”この日この時“と無縁であってはならない。」
「我々は、公共教育の場における“分離すれども平等”の原則は成立しないものと結論する。教育施設を分離させる別学自体が本質的に不平等だからである。」


アメリカは憲法修正第14条および、このブラウン判決により、差別を否定する法の規定は明確になっているということだ。
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『ブラック・クランズマン』のラストでは、ヴァージニア州シャーロッツビルに白人至上主義者が集結し、その集会に抗議する人々に車が突っ込んだという事件の実際の映像が映し出される。
人々の群れに車が突っ込む。あまりにもひどい。

作品は映像で終わっているのだが、ネットで調べたら、これに対するヴァージニア州知事テリー・マコーリフのスピーチが載っていたので、引用しておきたい。

 「今日シャーロッツビルに集まった、すべての白人至上主義者とネオナチに伝えたいことがある。私たちのメッセージはごく単純なものだ。帰れ。君たちはこの偉大な州に必要ない。恥を知れ。君たちは愛国者を気取っているようだが、愛国者なんかではまったくない。(中略)君たちは今日人々を傷つけるためにここに集まり、そして実際に傷つけた。私のメッセージは明確だ。私たちは君たちよりも強い。君たちが来たことで、私たちの州はもっと強くなった。君たちが成功することなどない。ここに君たちのいる場所はない。アメリカに君たちの場所などないのだ。(中略)私たちの多様性、さまざまな出自をもった移民が、アメリカを独自の国にしている。私たちは、誰かがここに来て多様性を破壊することを許さない。だからお願いだ、帰ってくれ。そして二度と戻ってくるな。憎しみも偏見も、ここにはいらない。」

明確な声明だと思う。

この州知事のように差別に反対する明らかな態度をとっている指導者はきちんと存在している。
しかし、肝心の合衆国で最高の立場にいるトランプ大統領は、「双方に悪い人がいた。」というような、歯切れの悪い声明。
暴動が起きたときに、その混乱状態は鎮静化しなければならないけれど、その混乱が起こった根本の原因から考え直さないと問題は解決しないと思う。


いつものことながら、作品そのものの話からそれてはしまったけれど、「差別」は単純な話ではなく、それが作られてしまった歴史的な背景や、社会制度的な仕組があるので、これからも、それを調べ、考えていきたいと思う。


『ブラック・クランズマン』はAmazonプライムとU-Nextで、『ザ・ファイブ・ブラッズ』はNetflixで、『ドゥ・ザ・ライトシング』はAmazonプライムで追加料金なしで見られます。

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『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』

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2011年のアメリカのドラマ映画。
舞台は1960年代のミシシッピ州ジャクソン。
「ヘルプ」とは、家政婦・メイドのこと。

出演
エマ・ストーン(スキーター)
ヴィオラ・ディヴィス(黒人メイドのエイビリーン)
オクタヴィア・スペンサー(黒人メイドのミニー)
ブライス・ダラス・ハワード(ミニーの雇用主のヒリー)

******************
このところ、ずっと黒人差別についての映画を見続けている。
ネットの記事にリストが上がっていたり、友人が教えてくれたり。
見ておきたい映画はまだまだ、たくさんある。
そんな中で、友人が教えてくれたこの作品を見てみた。

1960年当時の南部の富裕層の家庭の白人の女主人と黒人メイドの関係がよくわかる作品で、出てくる女優陣がみんな魅力的だった。
このあと『ラ・ラ・ランド』(2016)でアカデミー主演女優賞を獲得するエマ・ストーン。
この作品で助演女優賞を獲得したオクタヴィア・スペンサーは、このあとの『ドリーム』などの作品でも大活躍だ。
そして、重要なのが、この作品の中で憎まれ役のヒリーを演じているブライス・ダラス・ハワード。黒人メイドに対して常に偉そうにふるまい、差別的でわがまま。見ている側を、黒人メイドのミニーを応援したくなるような気持にさせてくれる。憎まれ役を一手に引き受けているのだが、どこか間が抜けていて愛嬌があり、味のある女優だと思った。

**********

ストーリーは、スキーターが、黒人メイドたちから、女主人たちからのひどい扱いを受けた経験の話を取材して、本にまとめて世に知らしめようとすることを軸に展開する。
黒人に対する差別感情が当たり前で、黒人メイドをひどい待遇で扱うアメリカ南部の社会の中にあって、スキーターはそれを批判的な目で見、黒人の立場に寄り添おうとする。

黒人メイドたちもやられるままではなく、ヒリーも、ミニーの反撃にあって痛い目に合う。
ラストでちょっとエイビリーンに同情するけれど、彼女ならこの先も強く生きていくことができるだろう、と思える展開だ。
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見終わった後、スカッとした。面白かった。
そんな気持ちになれるようにこの映画はできている。

この作品は多くの観客を集め、興行的にも成功した。
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しかし。
この作品は典型的な「白人の救世主」映画とされる。
「白人の救世主映画」とは、白人が非白人の人々を窮地から救う、というおきまりのパターンの映画を、批判を込めて表現した言葉だ。

「白人の救世主映画」は成功する。

なぜ成功し、なぜ批判されるのか?

それは白人目線で作られているからだ。
人は「差別はいけないことだ」という感情を持っているし、世の中から差別をなくしたいと思っている。
だから、差別に抵抗して行動する人を見ると、ヒーローを見ている気分になれる。
『スーパーマン』や『スパイダーマン』を見るのと同じような脳の刺激を受けるのだと思う。

「白人の救世主」は、差別が当たり前の社会の中で、嫌がらせや、身の危険にまで及ぶ周囲の対応にも屈せず、正しいことを貫こうとする。
そういう姿を見ているのは、気分がいい。
差別を受けている黒人を助けようとする良心を持った白人を見て、自分たち白人も捨てたもんじゃない、と安心させてもらえる。

つまり、「白人の救世主」という批判を込めた言葉は、そういう人物を主人公にしてヒットを狙う製作者側に対するものであり、そこで満足してしまう見る側の受け止め方に対するものなのだ。

(「白人の救世主」の存在自体は、多数派が動かしている世の中の流れに逆らって、マイノリティの立場に立っているのだから、尊敬に値すると思う。)

***********

映画には、制作された時代が反映する。
(描かれている時代ではなく)、制作された作品そのものが映画の歴史を作っている。
かつての「西部劇」では、インディアンは白人の馬車を襲撃する悪者だった。
白人が全速力で疾走する駅馬車から銃でインディアンを倒し、駅馬車が無事にステーションまで到着するとほっと胸をなでおろした。
インディアンは白人と敵対する「悪」だった。

それが『ダンス・ウィズ・ウルブズ』で大きく変わった。
もともとアメリカ大陸に住んでいたインディアンの生活を脅かしたのは白人の側だという立場で作品が作られていた。
インディアンに寄り添い、最終的にインディアンと行動を共にする主人公の生き方に心を打たれる。
この作品も「白人の救世主」映画に分類される。
しかし、分類をすれば、「白人の救世主映画」に属してしまうけれど、この作品は、インディアン=敵=悪者という価値観から、一線を画した、映画史の中で大きな意味を持つ作品だ

「白人の救世主」の映画は、かつて一方的にインディアン=悪者と決めつけた西部劇と比較してみるなら、非白人と交流を持つ白人を描くようになったということで、西部劇時代からは一歩前進したといえる。

願望。
そういった意味で、映画が製作された時代を反映するのなら、そして歴史が「差別のない社会」をめざしているのだとしたら、いつか『かつて「白人の救世主」を描いた映画が作られた時代があった。』と、過去形で言えるような時代が来てほしいと思う。
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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