『砂漠の鬼将軍』

「砂漠の鬼将軍」
1951年のアメリカ映画
砂漠の鬼将軍

第二次世界大戦で、北アフリカ戦線で活躍し、連合軍側から「砂漠の狐」と呼ばれて恐れられたドイツのロンメル将軍を描いた作品があると教えてもらい、さっそく飛びついた。70年前のモノクロ作品。U-NEXTで見ることができました。

タイトルの画像から、使われている音楽まで、まさに1950年代のアメリカ映画という感じで、何とも言えないワクワク感がありました。
内容もわかりやすく、興味深い構成でよかったです。
アメリカが敵将ロンメルを、敬意をもって描いた作品です。

ロンメル将軍については、英雄としてのイメージが強く、私はその悲しい最期について全く知らなかったので、非常に興味深く見ることができました。
ドイツでは、大戦の末期になってくると、ヒトラーの暗殺計画が持ち上がってきます。
ロンメルはこれに対してどのような考えをもち、どのような立場であろうとしたのかが描かれていました。
ストーリーの終盤で、ワルキューレ作戦が絡んできます。その場面が出てきたとき、「あっ」と息をのむほどの既視感がありました。
暗殺計画実行の舞台となった森の中の「狼の巣」と呼ばれる軍の施設や、隻眼のシュタウフェンベルク大佐が、トム・クルーズ主演の2008年の作品そのままだったのです。
1951年と2008年の、2つの映画がつながりました。


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(以下、この作品を見たことをきっかけに、調べたこと、考えたこと。)

ロンメルは、ヒトラーをどのように思っていたのか。

1933年1月、ヒトラーは首相に就任した。
「ロンメルは、他の軍人たちと同様にヒトラーの登場には熱狂し、彼の反共主義と再軍備政策を歓迎した。」(wikiより)

第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは過酷な賠償金に苦しみ、ハイパーインフレに苦しみ、世界恐慌への対応に苦しんでいた。
そんな状況の中で、救世主のように現れたヒトラーに人々は熱狂した。
かの高名な哲学者ハイデッガーですら、ヒトラーに期待し、ナチ党に入党し、支持し、賛美したのだ。
当然、ロンメルもヒトラー支持者であったし、妻への手紙でも、ヒトラー賛美の文が見受けられる。そして、ロンメルはヒトラーの寵愛を受けた。

そして時は流れていく。
当初の期待が裏切られていったら?
心酔してついていこうと思った人物が、「やばい」人格であったなら。
しかも、ロンメルは軍人である。軍というところは、上からの命令は絶対である。

しかし、ロンメルは、現場の判断を優先という理屈をつけて、正しいと思うことを貫くために、時として、上からの命令に逆らった。
例えば。
ある闘いで、ユダヤ人部隊を捕虜にした際、全員を虐殺せよ、との命令がヒトラーから下ったが、ロンメルはその命令書を焼き捨てた。
戦争においては、「捕虜に対して人道的待遇をする義務」があるのだ。
まして、捕虜を殺害することは、あってはならない。ロンメルはそれを守った。
作品の中でも、捕虜に対して不当な扱いをしようとしたドイツ兵に対して、ロンメルがまさに鶴の一声でやめさせた場面があった。
また、北アフリカ戦線で、戦況が悪化していった時、ヒステリックな命令を送ってくるヒトラーからの電文は「一歩も退くな。勝利か死だ。」というものだった。
ロンメルは撤退しなければ隊は全滅するだろうと考えた。
兵士の命がかかっているのである。ロンメルの決断は、命令を無視した撤退だった。

この映画作品はロンメルを英雄として描いているので、実にかっこいい。

ロンメルは最後までナチ党に入党することはなく、あくまで一人の軍人として戦い続けた。

しかし、一人の軍人としてまっとうに生きようとするのは難しい。
人は、おかれた状況の下で、最善の行動を選択していくわけだけれど、滅びゆく命運の側にいたら、もうどうにもならないのだな、としみじみ思った。

戊辰戦争における会津藩、組織として崩壊していった新選組、倒産した山一證券...。
いつものことながら、映画を見た後はとんでもなく妄想が広がり、作品からは全くずれたことを想像してしまう。
そして思う。自分がたまたま滅びゆく側に属していたなら、それはそれで仕方のないことだ。
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グッドナイト & グッドラック

2つ前のブログで新聞報道やジャーナリズムのあり方をテーマに書いたら、『グッドナイト&グッドラック』を勧められた。
さっそく見てみた。
グッドナイト&グッドラック

2005年のアメリカ映画。監督・脚本はジョージ・クルーニーで出演もしている。
1950年代マッカーシー上院議員によって行われた「赤狩り」旋風の中で、実在したニュースキャスターであるエドワード・R・マローとCBSの番組スタッフが、冷静にこれに立ち向かっていった様子を描いた作品。

見終わって、思ったこと。ジャーナリズムを扱ったまっとうな作品なのだが、まったく一般受けしなさそうなこんな作品をよく制作したものだな、ということ。
全編モノクロ。
娯楽性は全くなし。気になって調べてみたら、ジョージ・クルーニーはこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞しているが、この作品の報酬は3ドルであったという。(監督1ドル、脚本1ドル、出演1ドル)。
儲けは関係なく、こういう作品が作りたかったのだろう。

クルーニーは、ハイチ地震被災者への寄付をしたり、スーダンのダルフール紛争解決のための抗議活動などの政治的な活動をしている。
日本ではスポーツ選手や俳優が政治的発言をすると、「黙っていろ」的な批判を浴びてしまうが、社会的に影響力のある人が、政治的な発言をすることや、慈善活動をすることを評価する文化を持ちたいと思う。被災地への寄付や炊き出しなどの支援をすると、売名行為だという見方をする人がいるけれど、有名人は社会的影響力が高いのだから、しっかりと意見を言って、遠慮せずに寄付や慈善活動も大いにしたらよいと思う。(年収高いのだし。日本でもひそやかに多額の寄付をしている有名人は多く、私はそういう方が素直に好きですが、それを取り上げる芸能誌に対しては放っておけよと思ってます。)

書き始めから、映画の内容から全くそれてしまった。
作品の話に戻るが、ニュースキャスターのマローの言っていることはいちいちまともです。

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マッカーシズムとは、東西冷戦が激しくなっていく中で、共産主義者を排除しようとする異常なほどの感情的で理不尽な動きだった。
リベラル派の官吏・外交官・軍人・文化人などを、すべてを共産主義者と決めつけて、彼らを職場から追放した。
社会がこういう状況になってしまったとき、人のとりがちな行動は黙ることである。
変だと思っても批判の声をあげない。
何か言ったことで、自分に矛先が向かってしまうことを恐れ、保身のために黙る。
しかし、マローはマッカーシズムを冷静に批判した。そもそも、共産主義者だから追放するということ自体おかしいと思うけれど、百歩譲って、共産主義思想を持ちソ連のスパイであるという疑いがある軍人や官吏を、軍や役所から追放するというのならわかる。しかし、その「証拠」が「親族が共産主義者だという内部告発があった。」だけというのは、理由として不十分だと思う。
このような例が次々に起こっていた。
マローはこれを批判する。
恐れずにテレビ番組で意見をはっきり言い続けるマローも素晴らしいと思うし、軍からの圧力があったにもかかわらず、それをはねのけ、マローを守り抜いたCBSというテレビ局も、素晴らしいと思った。
こうして、1950年からアメリカを吹き荒れたマッカーシズムは、1954年には収まっていった。

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最後にこの作品を見た率直な感想を言わせてもらうと、マローの言っていることがまともすぎて、少々、説教臭く感じてしまった。
マッカーシズムとはどのようなことだったのか、テレビ報道はどうあるべきかを考えたい人にはお勧め度★★★★☆くらい。面白い映画を見たい人には★☆☆☆☆くらいかな。
「大統領の陰謀」も映画としては地味で面白くなかった。「スポットライト」は実に面白くて引き込まれたけど。
このあたりが、大衆に媚びない、主張する映画が抱える難しさだと思う。

ナチ犯罪追及をテーマにした作品5つ

『顔のないヒトラーたち』(2014)がよかった、という情報を得て、見てみたのが始まりだった。そこから、『アイヒマンを追え!/ナチスがもっとも恐れた男』(2016)、『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(2015、イギリス映画)を立て続けに見て、数か月前に見た『コリーニ事件』(2019)、ずいぶん前に見た『ハンナ・アーレント』(2012)がつながった。

以上、列挙した作品のうち、『アイヒマン・ショー』はイギリス映画であるが、それ以外はすべてドイツ映画で、2010年代の作品である。
第二次世界大戦をテーマにしたドイツ映画(ドイツを含む複数の国との合作映画)には『ヒトラーの偽札』、『戦場のピアニスト』などいくつかの作品があるが、戦後のドイツ国民が戦争犯罪や戦争責任についてどのように向き合っていったのかをテーマにした作品が出てきたのは、2010年代になってからだと思う。

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第二次世界大戦において最も責任の重かったヒトラー(総統)、ゲッペルス(国民啓蒙・宣伝大臣)ヒムラー(親衛隊全国長官)はすべて自殺した。1945年~46年、戦争犯罪を裁く国際軍事裁判であるニュルンベルク裁判が行われた。
ドイツは、これをもって一区切りとし、人々のエネルギーを戦後の復興に向けた。そして、実際にアデナウアー政権のもと、「奇跡の復興」と呼ばれる目覚ましい経済発展を遂げた。

しかし、主要人物の自殺やニュルンベルク裁判で、戦争犯罪に関する処理が決着できていたわけではない。残虐行為に関わった多くの元親衛隊員、元ナチ党員が、罪を問われることなく、前歴を隠してドイツ社会の中で平然と暮らしていた。あるいは、アイヒマンのように、ホロコーストに最も責任があった人物は国外に逃亡していた。
終戦から十数年、ドイツは、戦後の処理を完遂できないまま、人々は過去から目を背け、豊かさを求めて暮らしていた。
一方で、アウシュヴィッツから生き残ったユダヤ人たちは、大切な家族を失った悲しみと、収容所での壮絶な体験による心の傷を抱えたまま、それを誰に語ることもなく口をつぐんで暮らしていた。

しかし、過去と向き合わなくてはならないと考えているバウアー検事長のような人物はいた。彼は、戦後十数年、戦争犯罪に関する処理が大きな進展のないまま、国外に逃亡したアイヒマンらを捕らえることもできず、1000万人いたナチ党員の責任追及もなされないまま時が流れていることを歯がゆく思っていた。
そしてついに、1950年代末頃から過去に向き合おうとする流れがおき、1963年のアウシュヴィッツ裁判へと進展し、ドイツ史は大きく転換した。

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『顔のないヒトラーたち』(2014)
顔のないヒトラーたち

実話に基づいたストーリー。ただし、主人公のヨハン・ラドマン検事は実在しない架空の人物。1930年生まれで、第二次世界大戦当時はまだ子供で、この作品で描かれている1950年代末には、まだ20代後半の新米弁護士であるという人物設定。
武装親衛隊であった過去を隠して教師をしている人物がいるということを知ったラドマンは、過去に向き合っていこうとし、収容所で行われていた残虐行為の事実を明らかにしていこうとする。
前半の部分で私が驚いたのは、ラドマンが街行く人々に「アウシュヴィッツを知っているか?」と次々に問うたときに、皆、首を横に振ったこと。作品を見ただけでは、ラドマンの問いかけを不快に思い、知らないふりをしたのか、本当にその地名を知らなかったのかは明らかではないのだが、私は、この時点のドイツでは、アウシュヴィッツという地名を知る人はほとんどいなかったのだと解釈した。
もちろん、ナチスによるユダヤ人迫害を知らない人はいない。戦時中、彼らの周りにいたユダヤ人たちが次々に拘束されどこかに移送されていったのだから。しかし、当時ドイツの人達が本当にアウシュヴィッツという地名を知らなかったのなら、終戦後10年たった時点でも、ドイツは、自国の行った戦争中の非道な行為について検証することをしていなかったということだ。
それを変えたのは劇中の架空の人物ラドマンなのだが、おそらくラドマンのような人物が実際にいたのだろう。
彼は、収容所にいたことのあるユダヤ人のシモンから当時の様子を聞き、収容所で行われた残虐行為に心を痛める。そして、それを明らかにし、罪を犯した者たちを追及しようとする。しかし、その特定には大きな困難が伴っていた。そもそも、1000万人いたナチ党員、アウシュヴィッツに駐留した兵士だけでも8000人。膨大な資料の山。さらに真実の追及に対する様々な妨害。権力者の側に、ナチスだったものが生き残っているのだ。追及をやめさせようとする脅迫状も届く。窓ガラスにハーゲンクロイツが刻まれた石を投げつけられる。
しかし、数々の困難を乗り越えながら、ラドマンたちの努力が実を結び、1963年のアウシュヴィッツ裁判につながり、ドイツ史の転換点となった。
「我々国民は事実を知るべきだ。」「ウソと沈黙はもう終わりにする。」
こうした考えがドイツの人々に広まっていった。

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(2016)
アイヒマンを追え

「ナチスがもっとも恐れた男」とはバウアー検事長のこと。ユダヤ人である。
バウアーは、「顔のないヒトラーたち」にも登場し、上司として新米のラドマンを指導する役回りだった。この作品では主人公の検事長として、アイヒマンの逮捕に全力を尽くす。
アイヒマンは何百万人ものユダヤ人を収容所に送った中心人物である。このことを考えただけでも、裁判を受け、その責任を明らかにして相応な刑罰を受けるのは当然と思うのだが、現実はそう簡単なことではなかった。国外に逃亡した犯罪者の逮捕やその身柄の引き渡しには国家間での様々な制約があるのだ。インターポールは「政治犯は管轄ではない」と協力を拒否する。アルゼンチンの警察も頼れないのだろう。そして、ドイツの捜査機関である連邦刑事局も連邦情報局もナチスの残党だらけ。
アイヒマンがアルゼンチンに潜伏していることを突き止めたバウアー検事長は、「アイヒマンがクウェートに潜伏している」というニセ情報を信じているふりをしながら、イスラエルの情報機関モサドにアイヒマンの拘束を委ねる。
ドイツの捜査機関は信頼できなかった。バウアー検事長がどこまでの情報を得ているかを常に監視している。潜伏先をつきとめたことがわかれば、そのことがアイヒマンに伝わり、アイヒマンはさらに逃亡し、違う偽名を使って、再び見つけることは困難になってしまう。
そしてついにモサドがアイヒマンの身柄確保に成功する。
結局、バウアーが望んだように、自国ドイツでの裁判にはならなかったが、1961年、アイヒマンはエルサレムの法廷で裁かれることになった。
アイヒマンがどのような人物であったのかは、この前年に制作された『アイヒマン・ショー』や2012年の『ハンナ・アーレント』で明らかになっていく。

『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(2015 イギリス映画)
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1960年、アルゼンチンに潜伏中だったアイヒマンはイスラエルの諜報機関モサドに捕らえられ、翌1961年からエルサレムの法廷で裁かれた。この裁判の様子は世界中に放映されることになった。この作品は、この裁判の放映に関わったテレビマンたちを描いた作品である。
裁判の全体像を客観的に映し出しだそうとする局側に対して、監督はアイヒマンという人物の表情をズームアップしてとることにこだわり、アイヒマンがどのように反応し、どんな表情を浮かべるかを細かく映し出すことにより、この人物がどんな人間なのかをあぶりだそうとする。番組の制作方針で、まず意見がぶつかり合う。
さらに、世界の注目を浴びているとはいえ、一般の人々の興味は、長丁場の裁判の展開を丁寧に視聴するほど集中力が高いわけではない。派手な話題に飛びつきがちである。
この裁判が行われていた1961年は、ソ連がヴォストーク1号の成功に成功し、アメリカはキューバと国交を断絶するなど、アメリカとソ連の派手な動きが話題の中心だった。
そんな状況下でのこの裁判を、どのような手法で放映するのか。
テレビマンたちが、この裁判を世界に伝えようと奮闘した結果、裁判の展開、アイヒマンの様子がテレビによって明らかになっていく。
アイヒマンとはどのような人物だったのか。
それにしても、この人って、いったい....!!

『ハンナ・アーレント』(2012)
ハンナ・アーレント

アイヒマン裁判を傍聴し、レポートを書き、ザ・ニューヨーカー誌に発表したのがユダヤ人の政治学者・政治思想家のハンナ・アーレントだった。
この裁判でアイヒマンは、「私はただ、命令されたことをやっただけだ。」と他人事のような表情で言った。
アーレントはこれを「思考の欠如した凡庸な悪」と批判した。
600万人ものユダヤ人殺害の最終的責任者であったにもかかわらず、命令に従ったまま、事務的に処理しただけだという。悪いのはヒトラーやヒムラーであり、自分には何の責任もない、という。すべて、人のせい。
これこそが、「(ヒトラーのような)悪魔的な悪」を助長する恐ろしいものの正体だ。
アーレントは言う。
「思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。」
思考することで人間は善悪の判断ができる。
思考することで人間は強くなれる。

『コリーニ事件』(2019)
コリーニ事件

2001年のベルリン。ホテルの最上階のスイートルームで、経済界の大物マイヤーが、ドイツで30年以上暮らしているイタリア人コリーニに殺害された。
この二人の間に何があったのか?
作品は、「なぜ?」の連続のサスペンス・ドラマに仕立てあがっているので、ネタバレしないようにストーリーについてはここで留めなくてはならないのだが、この作品で重要な鍵を握る法律「ドレーアー法」について説明しておきたい。
ドレーアー法とは、「ナチ犯罪に加担した法律家や軍人などが行った犯罪についての時効を短縮させた」法律で、1968年に施行された。
簡単に言うと、ホロコーストの実行に協力したSSの幹部や強制収容所の所長らの罪の公訴時効を15年にしたということだ。このほか、パルチザンを保護した一般のイタリア市民を銃殺した罪についても同様で、時効が短縮された。つまり、法律の成立した1968年の時点で、終戦の1945年を起点としてもすでに15年の時効が成立していて罪に問えないということになってしまったのだ。
なぜこのような法律が成立してしまったのか。
ドイツでは、上記の映画作品でも描かれているように、1960年代から、ナチ犯罪を追及する動きが始まっていた。そして、世界中で若者たちが大きな動きを見せた1968年には、親世代のナチ犯罪を追及しようとするドイツの若者たちの動きが高まった。
ドレーアー法はそれに対する反動である
ドレーアーのようにナチス政権下で検事として活躍した人物が、戦後も公職追放を免れ、法律家として力を持っていたということだ。
『コリーニ事件』は映画としてとても面白い作品です。
そして、見終わってから、いろいろなことを考え、調べたくなる作品です。


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以上の5作品を見て、ドイツでは、戦後すぐにナチ犯罪を追及する動きが始まったわけではなく、1950年代末から1960年代になってようやくその動きが本格的になったのだということが分かった。そこには、様々な妨害にも屈せずに、ナチスが犯した犯罪を明らかにしていかなければならないと、過去に真摯に向き合った人たちの尽力があった。
それをテーマにした作品が2010年代に次々に制作され、しかも、『コリーニ事件』では、戦争中の犯罪だけではなく、戦後においても自分たちの保身のために追及を免れるための法律を作った勢力がいたということを鋭く描いていた。

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(以下は映画から離れた世界史の話です。)

ドイツは過去への向き合い方の「優等生」というような言われ方がされる。
靖国神社参拝をめぐる是非や、徴用工や従軍慰安婦の問題などでいまだに中国や韓国から批判され続けている日本と比較して使われる言葉だ。

もちろん、ドイツと日本とを単純に比較することはできない。
しかし、ドイツが「優等生」と呼ばれる要因の一つに、謝罪、反省、犠牲者への哀悼を示す指導者の存在があったことがあると思う。
ブラント

有名な写真がある。ワルシャワのゲットー前でひざまずくブラント首相の写真だ。
この写真は、日本の高校教科書には、山川出版社のものにも、東京書籍のものにも、浜島書店の史料集にも載っている。
ゲットーとは、ユダヤ人が強制的に住まわされた居住地区のことで、劣悪な生活環境のもと、伝染病の流行と飢餓で何十万人もの人がそこで死亡した。
そこを訪れたブラント首相の行為は、そこで亡くなったユダヤ人を悼む気持ちと、ドイツ人としての謝罪の気持ちにあふれていたのだと思う。


そして、1985年、ドイツ敗戦40周年にあたっての、ワイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」と呼ばれる演説があった。
「ユダヤ人という人種をことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。・・・・。
この犯罪に手を下したのは少数です。公の目には触れないようになっていました。
(しかし。)目を閉ざさず、耳を塞がずにいた人々、調べる気のある人なら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。・・・犯罪そのものに加え、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのが現実であります。・・・。」
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです。」


さらに。
2008年イスラエル建国60周年にメルケル首相はイスラエルの国会クネセトで演説を行い、ドイツとイスラエルの関係を、ホロコーストへの反省と責任に基づく「特別な唯一無比の関係」と表現した。メルケルは、イスラエルとの良好な関係を維持しつつ、イスラエルのヨルダン川西岸や東エルサレムの入植地建設に強い反対を示すなど、いうべきことはきちんと言っている。

こうした指導者たちが、ドイツという国家を代表して、過去と真摯に向き合う行為・発言をしたことで、ドイツ人の立場がどれだけ救われたことかと思う。
見せかけだけのパフォーマンスなのか、過去と未来に対する深い思いがあるのかは、人はわかるものなのだ。

参考図書
ワイツゼッカー

プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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