



前回、「博士と彼女のセオリー」について書いた。
車椅子の天才科学者ホーキング博士を演じたエディ=レッドメインが見事だった。
その彼が今度は自分の性に違和を感じ、世界初の性別適合手術を受けたリリー・エルベを演じた。
まるで別人。
女装したレッドメインが美しい。
今でこそ、LGBTという言葉は一般的な用語となり、差別や偏見はやめましょう、という考えが普及してきた。ざっと調べてみたら、LGBTという用語が北米・ヨーロッパにおいて一般的な用語となったのは1990年代半ば以降のことで、国際連合などの国際機関において公文書に使用されるようになったのは2006年以降のようである。
日本においても2011年に東京レインボープライドが発足し、この組織がNPO法人となったのが2015年。虹色のフラッグを掲げて、その運動を支持する動きが高まり、FaceBook上でもプロフィール写真にこのフラッグを使うことで盛り上がったが、あの動きはまだ数年前のことなのだ。
(調べているうちに、その後、この組織はGの人とその他の人との分裂があったという記事に出会った。どこの組織も運営は大変だ。)
1990年代以前の方々は差別や偏見の中で肩身の狭い思いをして生きていたのだろうと思う。(もちろん、今も差別・偏見はある。)
ましてこのリリー・エルベは1920年代を生きた人物だ。苦しかったと思う。
この作品は1926年のコペンハーゲンが舞台。
リリーとして女性の名前で生きていくことになるアイナ―・ヴェイナーとゲルダ・ヴェイナーの夫婦の愛の物語でもある。
私はつい女性の視点から、もし自分が同じ立場だったら?という事を想像してみる見方をしてしまうのだが、ここまで自分の連れ合いを支えることができるかどうか、まったく自信がない。(1つ前のブログでも同じようなことを書いた気がする。)
ゲルダがすごい。自分の性に違和を感じ、女装をして出かけていく夫のことを案じる。
ついには性転換手術を受けようとする夫を支える。
術後の痛みに苦しむ夫をそばに寄り添って介護する。
リリーになる前のアイナ―は決してゲルダをだましていたわけではない。
自分の性に違和を感じ、ずっと変だ変だと思っていながら、どうしてなのかわからなかった。
医者の診察を受けても精神疾患としか扱われなかった。
そしてついに「それは病気ではない。」という医師が現れ、性別適合手術の存在を知らされる。
自分がトランス・ジェンダーだとわかったとき、どのような選択をするのか?
(当時はそんな言葉もなかったと思うが。)
夫がトランス・ジェンダーだとわかったとき、妻はどのような対応をするのか?
先例がないことに取り組む人がいて、道は拓ける。
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