オーストラリアで新型コロナに感染してしまったトム・ハンクスが無事回復して帰国し、コロナ治療薬開発のために「血漿」を提供したというニュースをきき、「アメリカの良心」ともいうべきこの人の作品についてブログに書きたくて,もう一度見てみた。
ストーリーの大筋は覚えているつもりだったのだが、細かい部分はだいぶ忘れていた。
初めて見たときには、コーフィのもつ不思議な力に注目がいった。
そして、実は彼は、双子の姉妹の強姦殺人犯ではなく、少女たちを助けたくて血まみれの彼女たちを抱いていたために犯人にされてしまい、えん罪だったのだ、ということ、そのコーフィがどうなるのかに興味が集中した。
時を置いて再び見てみると、違う見方をするものだ。
今回は、「刑務所の日常」に関心が行った。

『グリーン・マイル』
1999年のアメリカ映画
原作:スティーブン・キング
(『スタンド・バイ・ミー』、『ショーシャンクの空に』の原作者)
監督:フランク・ダランボン (『ショーシャンクの空に』の監督)
出演:トム・ハンクス
グリーン・マイルとは、獄舎から電気椅子へとつながる色あせた緑色の床の通路のこと。
全編3時間9分という長編作品。
エピローグとエンディングの老人施設を除いては、ほぼ全編、死刑囚が収容されている刑務所の中が舞台。
刑務所という特別な環境での職務。
看守という仕事も大変だ。
監房という閉ざされた空間。
相手は犯罪者で、しかもポール(トム・ハンクス)の担当しているのはE棟という、死刑囚を収監している獄舎。
彼ら看守は電気椅子による死刑執行も行わなければならない。
しんどい仕事だと思う。
(現在は薬物注射による死刑執行が主流であるが、この作品の舞台である1932年当時は電気椅子による死刑が行われていた。)
刑務所の看守主任ポールは同僚のブルータルらとともに、死刑囚に対して、残された日々を穏やかに過ごせるようにと、心を配りながら職務を果たしていた。
しかし若い看守のパーシーがそれをかき乱す。
このパーシーが、とんでもなくバカで幼稚で、救いようがない、ダメな人間の典型として描かれている。
思い通りにいかないと、知事の妻の甥であることを利用して、「クビにしてやる」というセリフをはく。
なんの実力もないのに、自分の親戚の権威を笠に着るサイテーな奴なのだ。
自分が悪くても、反省どころか、恥をかかされたことを恨みに思う。
もうひとり。
凶悪な死刑囚ウィリアム・ウォートン(通称ビル)
自分が犯した罪について悔いることなどないのだろう。
いつまでも凶暴で、チャンスがあれば看守に対しても危害を加えようとする。
彼らがどうなるのか?
例えば、パーシーが経験を通して成長していくというストーリーも可能だったはずだし、ビルが自分の犯した犯罪をすべて告白して懺悔するという場面を作ることも可能だったはずだ。
が、そんな臭い展開にはならない。
どうしようもない奴はどうにもならないのだ。
瀕死の生き物を蘇らせたり、病を癒す不思議な力を持っているコーフィは、パーシーやビルの「悪さ」が耐えられなくなる。
彼の優しい心は、「いい人」を助けたいという気持ちにあふれているのだ。
しかし...。
「毎日のように、世界中の苦しみを感じたり聞いたりすることに疲れたよ。」
えん罪であることを知って、何とかコーフィを助けたい、しかしどうすることもできないで苦しむポールに対して、コーフィが言った言葉だ。
*****
「いい人」と「悪い人」がステレオタイプで登場しているし、コーフィが不思議な力を持っているということで、ファンタジーのカテゴリーに属する作品なのだが、刑務所の日常や1932年当時の死刑執行の様子はきっとこんな感じだったのだろうということがわかる作品です。
そしてやっぱりトム・ハンクス演じる刑務所の看守主任ポールは「いい人」です。
ストーリーの大筋は覚えているつもりだったのだが、細かい部分はだいぶ忘れていた。
初めて見たときには、コーフィのもつ不思議な力に注目がいった。
そして、実は彼は、双子の姉妹の強姦殺人犯ではなく、少女たちを助けたくて血まみれの彼女たちを抱いていたために犯人にされてしまい、えん罪だったのだ、ということ、そのコーフィがどうなるのかに興味が集中した。
時を置いて再び見てみると、違う見方をするものだ。
今回は、「刑務所の日常」に関心が行った。

『グリーン・マイル』
1999年のアメリカ映画
原作:スティーブン・キング
(『スタンド・バイ・ミー』、『ショーシャンクの空に』の原作者)
監督:フランク・ダランボン (『ショーシャンクの空に』の監督)
出演:トム・ハンクス
グリーン・マイルとは、獄舎から電気椅子へとつながる色あせた緑色の床の通路のこと。
全編3時間9分という長編作品。
エピローグとエンディングの老人施設を除いては、ほぼ全編、死刑囚が収容されている刑務所の中が舞台。
刑務所という特別な環境での職務。
看守という仕事も大変だ。
監房という閉ざされた空間。
相手は犯罪者で、しかもポール(トム・ハンクス)の担当しているのはE棟という、死刑囚を収監している獄舎。
彼ら看守は電気椅子による死刑執行も行わなければならない。
しんどい仕事だと思う。
(現在は薬物注射による死刑執行が主流であるが、この作品の舞台である1932年当時は電気椅子による死刑が行われていた。)
刑務所の看守主任ポールは同僚のブルータルらとともに、死刑囚に対して、残された日々を穏やかに過ごせるようにと、心を配りながら職務を果たしていた。
しかし若い看守のパーシーがそれをかき乱す。
このパーシーが、とんでもなくバカで幼稚で、救いようがない、ダメな人間の典型として描かれている。
思い通りにいかないと、知事の妻の甥であることを利用して、「クビにしてやる」というセリフをはく。
なんの実力もないのに、自分の親戚の権威を笠に着るサイテーな奴なのだ。
自分が悪くても、反省どころか、恥をかかされたことを恨みに思う。
もうひとり。
凶悪な死刑囚ウィリアム・ウォートン(通称ビル)
自分が犯した罪について悔いることなどないのだろう。
いつまでも凶暴で、チャンスがあれば看守に対しても危害を加えようとする。
彼らがどうなるのか?
例えば、パーシーが経験を通して成長していくというストーリーも可能だったはずだし、ビルが自分の犯した犯罪をすべて告白して懺悔するという場面を作ることも可能だったはずだ。
が、そんな臭い展開にはならない。
どうしようもない奴はどうにもならないのだ。
瀕死の生き物を蘇らせたり、病を癒す不思議な力を持っているコーフィは、パーシーやビルの「悪さ」が耐えられなくなる。
彼の優しい心は、「いい人」を助けたいという気持ちにあふれているのだ。
しかし...。
「毎日のように、世界中の苦しみを感じたり聞いたりすることに疲れたよ。」
えん罪であることを知って、何とかコーフィを助けたい、しかしどうすることもできないで苦しむポールに対して、コーフィが言った言葉だ。
*****
「いい人」と「悪い人」がステレオタイプで登場しているし、コーフィが不思議な力を持っているということで、ファンタジーのカテゴリーに属する作品なのだが、刑務所の日常や1932年当時の死刑執行の様子はきっとこんな感じだったのだろうということがわかる作品です。
そしてやっぱりトム・ハンクス演じる刑務所の看守主任ポールは「いい人」です。
スポンサーサイト