『The Lady  引き裂かれた愛』

2021年2月1日、ミャンマーでは、国軍によるクーデタがおき、国家最高顧問アウンサン・スー・チーは拘束され、ミン・アウン・フライン国軍総司令官が全権を掌握した。二度と軍事政権下に戻りたくないミャンマーの国民は、これを認めず、抗議活動を連日くり広げている。しかし、これに対する軍事政権の弾圧はひどいもので、子供を含む多くの犠牲者が出ていて、いまだに収束の見通しもつかない。

ミャンマーのことを心配している方が多いと思う。
私も2月のクーデタ以降、この国のことが気になって仕方ない。
この国についてもっと知りたいと思い、まずは、この作品をみてみた。
The Lady


『The Lady 引き裂かれた愛』
2011年のイギリス・フランス合作映画。
アウンサン・スー・チーが、民主化指導者となっていく過程、長期の自宅軟禁という軍事政権による弾圧にも屈せず、祖国ミャンマーの民主化のために尽くそうとする生き方、およびそれを支えたイギリス人の夫マイケル・アリス教授を軸に描いた作品。
とても分かりやすく、当時、軍事独裁を行っていたネ・ウィンという人物がどれだけひどいかということがよくわかった。

作品の冒頭は、夫マイケルのガンが発覚した1998年の場面から。
すでにこの夫婦は3年以上会えていないという。
なぜそんなことに?
そこから10年前の1988年に、さかのぼっていく。

1988年、イギリスのオックスフォードで夫マイケルと2人の男の子とともに暮らしていたアウンサン・スー・チーは母親の看病のためにミャンマーに帰国した。これと時をまったく同じにして、ミャンマーでは軍事政権に対する抗議運動が盛り上がり(8888民主化運動)、これに対する酷い弾圧が行われていた。民主化運動家たちは、独立の指導者アウンサン将軍の娘であるスー・チーに民主化運動の指導者となることを要望する。久々に帰国し、あまりにひどい軍事政権の暴挙をみたスー・チーはこれを引き受ける。
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イギリスで家族とともに安定した生活を送っていたスー・チーにとって、ミャンマーを見捨ててイギリスにもどり、家庭人としての自分の幸福を選択することもできたと思う。しかし、スー・チーはミャンマーのために生きる決断をする。
夫マイケルは、スー・チーがミャンマーにとどまって活動を続けることを支え、それは自身がガンで余命宣告を受けてからも変わらなかった。

この作品は2011年に制作されたもので、夫マイケルが死亡する1999年までを中心に描き、ラストは「その8年後」として2007年の僧侶らの反政府デモの様子、エンディングで、2010年に自宅軟禁が解除されたことを字幕で伝えて、終了する。

この作品が制作された2011年から10年が経過した。
この作品以降のミャンマーは、どのような歴史を展開したのだろうか?

2011年に民政に移管され、これにより、軍事政権時代に欧米諸国が行っていた経済制裁は解除され、海外の企業のミャンマー進出も盛んになった。2015年にはアウンサン・スー・チーが率いるNLDが選挙で大勝し、スー・チーが国家最高顧問とするNLD政権が成立した。ここ数年のミャンマーの経済発展には目覚ましいものがあった。

それなのに2021年、再び軍事クーデタがおきてしまった。
軍は政治への関与を手放さない。この国が抱える問題は根深い。
軍事政権下の不自由な生活には二度と戻りたくないミャンマーの人々は、命懸けで抗議活動を続けている。
それにしても、抗議活動を続ける無防備の自国民に対して銃を向ける軍の非道さが報道されるたびに、胸が痛む。

ミャンマーのことをもっと知りたいと思い、いつものことながら、作品で描かれている時期を飛び越えて、1948年の独立から現在に至るミャンマーの70余年間の歴史をたどってみた。
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世界史講座  ミャンマーの歴史

1886年 イギリス領インドに編入される。
ビルマ(現ミャンマー)は、3度にわたるイギリスとの戦争に敗北し、1886年、イギリス領インドに編入された。

20世紀になり、アジア・太平洋戦争がはじまると、日本軍がこの地に侵攻し、実質支配下に置いた。イギリスから独立したかったビルマのアウンサンら民族主義者はいったん日本と連携したが、日本による独立承認は形式的なものだったため、反日に転じた
1945年、アジア・太平洋戦争終戦で日本による統治は終わる。ビルマはイギリス領に復帰し、独立後の国づくりを模索していた。しかし、あまりにも残念なことに、独立前年の1947年にアウンサンは暗殺されてしまった。

1948年 ビルマ連邦として独立
独立国となったビルマは、議院内閣制を採用し、初代首相ウー・ヌのもとでスタートした。
しかし。
1962年 ネ・ウィン国軍大将によるクーデタ
ウー・ヌ政権は倒され、ネ・ウィン国軍大将をトップとするビルマ型社会主義政権へと移行した。これ以後、ネ・ウィンは約26年間、国政に君臨した。しかし、ネ・ウィンの掲げた「ビルマ型社会主義」は、先進国や国際機関からの投資・援助・市場の提供をほとんど受けない政策であったため、同じ時期に、他の東南アジア諸国のシンガポール・マレーシア・タイ・インドネシアが発展を遂げている間に、経済発展から取り残された。
ビルマはネ・ウィン政権のもとで、ビルマ型社会主義に失敗し、世界の最貧国のグループに転落していった。

1988年 民主化を求めるデモが盛り上がる(8888民主化運動)。 時を同じくして、アウンサン・スー・チーが母親の看病のため帰国。国民民主連盟(NLD)の結党に参加。 反政府運動の盛り上がりの中で、ネ・ウィンは辞任するが、引き続き軍事政権が続く。
1989年 アウンサン・スー・チーがシェダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて演説を行い、人々の心をつかんだ。これに対して軍事政権は、アウンサン・スー・チーを、自宅軟禁に置く。(以後、2010年まで3度、計15年以上にわたる。)
1990年 総選挙で、アウンサン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝。しかし、軍事政権はこの結果を認めず、スー・チーを自宅軟禁は継続。
1992年 タン・シュエが政権を握る。(~2011) タン・シュエは、スー・チーを自宅軟禁にした人物。
2008  国民投票により新憲法が制定される。(but.LNDは選挙をボイコット)
2010  新憲法に基づいた総選挙が実施される。アウンサン・スー・チーの自宅軟禁が解除される。

2011  テイン・セイン大統領の新政府が発足、民主国家としての歩みを始める。  政治犯の釈放、メディアの自由化促進、国民の人権を脅かす法律の廃止、などを実施。
2015 総選挙でNLDが圧倒的勝利。アウンサンー・スー・チー政権誕生。(アウンサン・スー・チーのポストは2016年に「国家顧問」となる。)
2021 ミャンマー国軍によるクーデタ。アウンサン・スー・チーは拘束される。国軍のミン・アウン・フライン総司令官が全権を掌握。


以上、大雑把に年表にまとめてみた。
結局、ミャンマーは、1962~88年の26年間をネ・ウィン、1992~2011年の9年間をタン・シュエによる軍事政権が実権を握っていたわけだ。すでに、ネ・ウィンのもとでの「ビルマ型社会主義」の失敗が今日のミャンマーの混乱の原因となったことは書いたが、それにしても、ネ・ウィンとタン・シュエの政策はひどかった。

作品の中でもネ・ウィンのひどさが描かれている。占い師の助言を聞くとか、政策の選択をトランプの数字をみて決断するとか、20世紀の政治家とは思えないような悪政を展開した。1988年の抗議活動の引き金となったのは「廃貨」である。それまで流通していた25、35、75チャット紙幣の使用を禁止し、それら貨幣の交換も行われなかった。(作品ではわかりやすく、「9」のつく紙幣以外の使用を禁止したと、描いていた。) 目的はインフレの抑制なのだろうが、これも、占星術の影響といううわさが流れた。これでは不満が爆発するのも当たり前だ。持っていた紙幣が、独裁者の一声で、「この紙幣は使えません」となって、紙切れ同然になってしまうことは想像するだけで恐ろしい。

タン・シュエはネ・ウィン政権下で頭角を現してきた人物として作品にも登場していた。ネ・ウィンがスー・チーの人気にイライラして「あの女をどうにかしろ」といったことに対して、「私にいい考えがあります」と言って、スー・チーを自宅軟禁した人物だ。
こういうことを思いつく人間が、軍の中で頭角を現していくのだな。
タン・シュエの政策もろくでもなくて、占星術に凝っていた。首都をヤンゴンからネーピードーに移したのも、国旗が変更されたのも、占星術に基づくものらしい。


とんでもない人物が政権を掌握して独裁を続けると、国はこんなにもボロボロになってしまうということが分かった。

それにしても、なぜ、独裁はなくならないのだろうか?

ミャンマーという国は、135の民族で構成されているという多民族国家である。内訳は68%のビルマ人と、シャン人、カレン人などの数%台の割合を占める少数民族や、1%に満たない少数民族など、実に多様である。歴史的にビルマ人が圧倒的優位な立場にあり、優遇策がとられてきたから、それに不満な少数民族は反発して反政府運動をおこない、ビルマ人の軍事政権がこれを弾圧するという悪循環が繰り返されていた。
マイノリティが武装化して抵抗してくると、様相は複雑化し、(ビルマ人社会の)治安を守るために、軍の存在意義が増す。

しかし、軍が政治権力を持つと、武力をバックになんでもできてしまうから危険である。
近代国家にとって当たり前のことである文民統制(シビリアン・コントロール)は、国家運営にとって非常に大切なことなのだ。このシステムができていない国の政治は混迷する。

そして、やはり、大切なのは憲法なのだ。。国家の基本は憲法にある。
憲法の条文に権力側に都合のいいことが含まれていると、世の中を変えようにも厄介なことになる。
2008年憲法では、大統領の資格要件として、「本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国国民であってはならない。」という条文があった。これはどう考えても、アウンサン・スー・チーの大統領就任を妨害する目的で作った条文としか考えられない。
さらに、2008年憲法では、議会における軍人議員の割合を一定数確保できる条文など、国軍に大きな権限を保障する内容があった。また、国家非常事態時に国軍総司令官の合法的な全権掌握を認めていることも規定されている。
だから、今回のクーデタは憲法に則ったものであると軍は主張しているのだ。
いいかえれば、2008年憲法を改正しようとしたアウンサン・スー・チーに先駆けて、国軍が現行憲法を逆手にとって国軍総司令官のミン・アウン・フラインが「合法的に」全権を掌握したとも言えてしまうのだ。

テイン・セインは2008年憲法の中の非民主的な条項を修正しようと試みたが失敗した。(テイン・セインは軍出身の政治家なので、それまでの軍事政権と同様の政策が行われるだろうという大方の予想に反して、様々な民主化改革に取り組んだ政治家である。)
アウンサン・スー・チーも憲法改正を試みたが、逆に今回のクーデタを招いてしまった。

なぜ、軍は権限に固執するのか?それは、政治的権限を持っていれば、経済的な利権が転がり込むからだ。
自分の身内や地元に利益をばらまいて、それによって支持を固めて、自分自身にも利益が転がり込むような構図はどこの国にもあるけれど、ミャンマーでも、軍が相当な利権を持っていたようだ。
当然、簡単には手放さない。利権が絡むと政治がゆがむ。
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困難を極めているミャンマーの現状であるが、国軍が抗議活動への弾圧を止め、この国に再び自由が戻り、豊かな国になっていくことを祈るばかりです。

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基本的なことだが、あらためて憲法は大切だと思った。そして、「日本は大丈夫か?」と考えてみた。。
2015年には、安保法制と呼ばれる法律が成立した。これは、日本が戦争に関わる可能性のある国になってしまった、ということだ。、自分の生活に直接影響がないことに関しては、人は無関心になりがちだけれど、こういうのを平和ボケというのだろう。
何を大げさな、と今、思えることが恵まれているのであって、それがいつまでも続くという保証はない。
今、自分が普通に生活できることに感謝しながら、危機感をもって、政治を見つめていこうと思った。
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プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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