歴史を変えた新聞報道

アメリカには歴史を変えた新聞報道が3つある。
1つは、ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件(1972)を暴いたワシントン・ポスト紙の報道。それを描いたのが『大統領の陰謀』(1976)。
ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードがワシントン・ポスト社の記者を演じ、真実に迫っていく様子を描いた。

『大統領の陰謀』から41年後、メリル・ストリープ、トム・ハンクス主演で『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』(2017)が制作された。
描いている時期はウォーターゲート事件直前の1971年。
ベトナム戦争の真っただ中の時期だった。
「勝てる」とされて突入したベトナム戦争は、実は1965年の時点で勝てないことがわかっていた。「兵を増員していて、状況は改善している。」というのはウソの発表で、現地の状況は悪化の一途をたどっていた。
「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、ベトナム政策決定過程に関する国防総省秘密文書のことで、これには、本当の状況が記されていた。
この国家最高機密文書が持ち出され、ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズに持ち込まれる。国家最高機密文書(戦争や外交に関すること)の漏洩は犯罪にあたる。
国家のウソというスクープ間違いなしのネタは、一歩間違えれば、会社の存亡にかかわる。
これを公表すべきなのか、するべきではないのか。悩むワシントン・ポスト社の社主キャサリン・グラハム。
結局、ワシントン・ポスト社がペンタゴン・ペーパーズを暴露したことによって、世論は一気に反戦に向かい、1973年のベトナム和平協定によるアメリカ軍の撤退につながった。

この作品はラストの場面で、夜のウォーターゲートビルで不審者が何やらよからぬことをやっている様子を映し出す。まるで『大統領の陰謀』が『ペンタゴン・ペーパーズ』の続編であるかのように2つの作品がつながっていく。

新聞報道が、ベトナム戦争からのアメリカ軍の撤退、ニクソン大統領の辞任、というアメリカ史を大きく変えた出来事につながった。
新聞報道が歴史を変えたのだ。


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スポットライト

そしてもう一つ。
『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)
ボストン・グローブ紙の「スポットライト」チームが、カトリック司祭による性的虐待事件の根本的真相に迫っていく様子を描いたもの。
アカデミー作品賞受賞。冒頭から一気に引き込まれ、ラストの場面まで、飽きることなく作品の世界に入っていける。
チームワークがいい。仕事に臨む真摯さがいい。
派手な場面があるわけではなく、ひたすら新聞記者たちが取材を続けるストーリーなのだけれど、次々と新たなことが判明し、そのたびにチームのみんながどうしたらよいのかを考えて行動していくので、見ている側も一緒に仕事をしている気分になれる。
この作品を見ていると、報道の果たす役割とは何なのだろうか?ということを考えさせられる。
面白い記事を書いて、購読者を増やせばいいということではないのだ。

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立ち向かっていかなければならない対象が宗教的権威であるということは、恐怖を伴う。
踏み込みたくない世界だと思う。一歩間違えば、ボストンじゅうを敵に回すことになりかねない。
ボストンはアイルランド系の住民が多く、ボストン・グローブ紙の購読者の半数以上はカトリックである。メンバーのサーシャのおばあちゃんも、毎週教会に通っているような敬虔なカトリック教徒だ。そんなおばあちゃんの信仰心を傷つけるようなことはしたくはない。
サーシャの気持ちの中には辛いものがあるが、しかし、今も、とんでもない神父によって、傷つけられている子供たちがいるのだ。
これを暴いて、やめさせなければならない。

スポットライト・チームは、果敢に取り組んでいく。

そして、調査を進めていくうちに、性的虐待をおこなった神父の数が数人レベルではなく、なんと教区の約6%、つまり教区全体で1500人いるうちの約90人もが性的虐待に関わっていたことがわかる。
その多さにチームのメンバーも驚く。その事実を暴露しただけで、世間は大騒ぎになるだろう。スクープになる。
しかし、スポットライト・チームは、問題のある神父の行為を暴露するだけでは問題の解決にならないと考える。
なぜこんなことが長きにわたってずっと繰り返され続けてしまったのか?

組織に焦点をあてよう。個々の神父ではなく、教会の隠蔽システムを暴け。教会が神父を転属させ、それが上の指示で行われていることを。」

被害にあった子供は口をつぐむ。内気な子供や、家庭に問題があって相談する人がいないような子供を狙っているのだ。相談しても、「まさか神父が」と信じてもらえないような環境下にある子供を選んでいるのだ。
被害にあった子供は心に傷を抱えたまま大人になっていく。
こんなことが許されるはずがない。

スポットライト・チームは真相に迫っていく。
しかし、記事の掲載が間近に迫った2001.9.11、ニューヨークの同時多発テロが起きる。
「今は、テロ事件に集中しろ。」という指令のもとに、掲載は先送りされる。
この部分は、なくてもいいようにも感じたのだが、現実の報道の世界では、当然こういうことも起きるということだ。優先順位をつけなくてはいけない。編集長はこういう場合の判断を迫られるから、チームが納得できるようなリーダーシップも必要なのだなと思った。

そして、2002年、記事の公開へ。
記事を読んだ読者、それまで誰にも言うことのできなかった被害者からの電話が鳴りやまなかった。

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「スポットライト」は見ていて気持ちの良い作品である。
「正義」とか「真実」を求める行動には、世の中を正しい方向に向かわせるだけの力があるのだと思う。

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以上の『大統領の陰謀』、『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』、『スポットライト 世紀のスクープ』の3つの映画作品は、国家権力や宗教的権威の不正を暴いた新聞報道をテーマにしたものである。これらの新聞報道は、歴史を変えるほどのインパクトがあった。
新聞にはそれだけの力があったということだ。


『スポットライト』の中に印象的な言葉があった。

宗教的権威に立ち向かっていくスポットライト・チームのメンバーが、
「こんなことを記事にして責任がとれるのか?」と問われる。
これに対する彼の返答は、「記事にしなかった場合の責任は?」

質問に対して質問で答えるのは、私は本来好きではないのだが、この場合については、「そうだな」、と思った。
知っていながら、記事にしなかったとしたら、その責任は重い。

『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』の中にも、ジャーナリストとしてのプライドを持ったベン(トム・ハンクス)の言葉がある。
「権力を見張らなくてはならない。我々がその任を負わなければだれがやる?」
これは、マクナマラ元国防長官の友人であったキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)に対して、自らもジョン・F・ケネディの友人だったベンが、「政治家と友人であることと記者であることは成り立たない、どちらかを選ばなくてはいけない」、という意味でいった言葉だ。
ベンはJFKの友人という立場をすて(すでに1963年の時点でJFKは死亡しているという事情もあるけれど)、ジャーナリストとしての信念を貫いた。そして、ペンタゴン・ペーパーズの暴露を決断したワシントン・ポスト社の社主キャサリンも素晴らしい。

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新聞社を扱った作品はかっこいい。
記事の掲載された新聞が、ぐるぐる回転する印刷機からどんどん刷り上がって、大量の束になって運ばれていく様子は迫力があり、見ていてワクワクする。
新聞社モノ、新聞記者が登場する作品にハズレなし。


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しかしなぁ。
インターネットの出現で、新聞の社会に与える影響は下がってしまった。
通勤電車の中で新聞を読んでいる乗客は非常に少なくなってしまった。
乗客の多くは、目を閉じて眠っているか、スマホを眺めているかのどちらかである。
夕刊の大衆紙をコンビニで買う人はそれなりにいるが、主要全国紙の定期購読者数は激減している。

この先、新聞という媒体はどうなっていくのだろうか?

自分の行動パターンを考えてみると、電車の中で、Yahoo!ニュースなど無料の記事ををスマホで確認して、そこから芸能誌や女性誌が出している思わせぶりな見出しがどうしても気になって、それを開いてしまい、あちこちジャンプして、結局大したことは書いていなかったなと腹を立てながらも、毎日同じようなことを繰り返しながら車中の時間をやり過ごしている。夫が購読料を払っている日経電子版も私のスマホで読めるけれど、見出しをサラッと見るだけで、じっくりは読んでいるとは言えないなぁ。そしてあとは、コロナ関連の情報もだいたいテレビから得ている。
と、ここまで書いて、自分自身がかなりまずい状況に陥っていることに気づく。
スマホの記事を読んでいると、次々に画面に出てくる気になる見出しにつられて次々と開いて、最初になんの記事を読んでいたのか忘れてしまうくらい散漫になっている。まさにスマホ脳
情報の受け手である私たちもかなりレベルダウンしている。

このままでいくと、紙の新聞はますます読まれなくなっていく。それとともに、私たちの頭が、深く思考することをしなくなり、どんどん退化していく。

私たち自身も反省しなければならない。そして、新聞にももっと頑張ってほしい。
コロナ対策にしろ、オリンピックの開催にしろ(開催まで1か月を切り、もはや開催をしないという選択肢は消えてしまったようだが、私はこの期に及んでも、まだ開催には反対で、コロナ感染がおさまっていないこの状況でオリンピックを開催するという判断に納得がいかない。スポンサーになってしまった新聞各社が開催の是非について言えなかったとか聞くけれど、新聞がそんなことでよいのか、とつくづく思う。)、赤木ファイルに関することでも、新聞はもっと深く突っ込んでいかなければならないと思う。
政府や専門家が述べている言葉をそのまま掲載して、〇〇はこう述べている、という記事や、一つのテーマに対して賛否両論を併記するような書き方は、記事の形態はとっていても、その新聞として実は何も言っていないのと同じである。

ネットの普及という時代の波だけでなく、新聞の内容が劣化しているならば、購読者はますます減る。スピードでテレビやネットに勝てないなら、じっくり読むだけの価値のある内容をもつ記事を書いてほしいと思う。

一方で。国外に目を転じると。
2021年6月24日、香港では政府批判の立場を貫いた「リンゴ日報」日報が廃刊になった。
ジャーナリストや幹部が次々と拘束されてしまったのだから、新聞社としての運営は成り立たない。頑張っていたのに。
これは、「言論の自由」が弾圧されたということだ。
批判する機関をつぶしてしまった国はこの先どのような方向に進んでいくのだろう。

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半世紀前、新聞の果たす役割は大きかった。
誰もがまさかと思うような、大統領の犯罪、宗教的権威の犯罪を新聞報道が明るみに出した。

21世紀の日本。誰もがおかしいと感じる政治と金の問題、人事権を握ることで人を操る政治の手法、突っ込みどころが満載の世の中だ。
気骨のある新聞報道が読みたい。

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プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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