
2021年8月の公開。昨年秋、行きそこなっているうちに、近所の映画館での上映が終了してしまっていた。都心まで出ていくか、配信されるようになるのを待つしかないと思っていたら、アカデミー賞の作品賞など4部門にノミネートされたということで、再び、近所の映画館で上映されるようになった。評判になるというのは、こういうことか。
ありがたい。
早速観に行ってきた。
かなり好みが分かれる作品だと思う。
約3時間という上映時間を無駄に長いと感じる人もいるだろうし、そう感じない人もいるだろう。
私は、後者だった。約3時間があっという間だった。
私は、こういう作品が結構好きだ。
見終わった後、一人でカフェに立ち寄り、コーヒーを飲みながら、あれこれと考えたい気分になる作品だった。
評判にはなっているものの、ストーリーの展開についての情報はほとんどなかった。
紹介記事も、何が起こるかについては触れないように書かれていて、見た者が、思わぬストーリー展開に、オッと思えるように配慮されているように感じた。
ありがたい。
この作品は静かな展開ながらも意外なことが次々に起こる。
そのたびに、主人公の家福悠介(西島秀俊)が何を感じ、何を思うのか。
彼の心にどんな変化が生じていくのか。
それを描いている作品なのだと思う。
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「僕は正しく傷つくべきだった。」
この言葉に対する共感度は、人生の中でどれだけの悲しみに出会ってきたかという、人それぞれの経験値で違ってくると思う。
どうしようもない悲しみを経験した人でなければ分からない。
深い悲しみを抱えながら、ずっとそれを抑えてきた家福が、同じく、深い悲しみを抱えながら生きてきた運転手のみさき(三浦透子)にだからこそ言えた言葉である。
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「正しく」とは、どういう意味なのか?
家福の傷つき方が間違っているという意味なのか?
この点については、Yahooニュースに掲載されていた現代ビジネスの杉田俊介さんの記事がとても参考になった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a866ce34445fafd4dc1e110eb21ef1d4494a31
この記事によれば。
男性学的に言えば、3つの次元の男性性がある。
(1) 旧来の家父長的な男性
(2) 仕事も家事もシェアし、妻に気配りのできる優しくリベラルな男性
家福はこのタイプ。
そして家福は(2)の段階を踏み越えて、(3)へと自分を変えていかねばならなかった。
(3)自分の痛みや傷について他者とコミュニケーションし、弱さを他者とコミュニュケーションできる男性
(以上、少し書き換えましたが、ほぼ引用)
どうしようもない悲しい出来事に遭遇してしまった場合、我慢しないで泣いてよいのだ。
感情的に泣きわめくのは見苦しい、などという価値観にしばられることはなく、その感情を吐き出していってよいのだ。
不愛想な運転手・透子は家福にとって、癒しをもたらした。
やっと、自分の過去に向き合うことができた。
それが立ち直りにつながる。
新たな一歩を踏み出すことになるのだ。
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もう一つ。私がこの作品から考えてしまったテーマがある。
ある意味、それはどうしようもなく大変なことなのですが。
それは、「心を病んでしまった妻を持つ夫の生き方」。
心を病んでしまっている者は、普通ではないのである。
しっかりしろ、気にするな、プラス思考でいこう、などという、正論を言われようなら、言った人間に対して心を閉ざすだけである。
心を病んでいる者にとって、病んでいるということも含めて、丸ごと自分を受け入れてくれる存在しか、支えにはならない。
そういう意味では、家福は丸ごと、妻を受け入れていた。
不思議な形であれ、妻が脚本家としての才能を発揮できるようにサポートした。
そのために、妻の一線を越えた行為の現場に遭遇しても、彼は逆上せず、静かにその場を立ち去った。
そして、妻を問いただすようなことはしなかった。
私は家福はそうするしかなかったのだと思っている。
妻と向き合うことを避けた、とか、逃げた、とは思わない。
相手が健常ではないのだから。
彼にとっては、対等に夫婦げんかができる妻に戻ってくれることを待ち望んでいたと思う。
おそらく、離婚に至る夫婦というのは対等なのだと思う。
心を病んだ妻をもった夫は、妻を捨て去ることはできないから、運命を共にする覚悟があるのだと思う。
そして、妻の回復を望みながら、時間を共にしていくのだと思う。
家福はそういう生き方を選んだと思う。
しかし、妻の死によって、家福の人生は新たな局面を迎える。
どんなに後悔の念があれ、残された人間は生きていかなければならないのだ。
人がどうやって、次のフェーズに入っていくのか。
そんなことも考えさせられる作品だと思った。
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家福悠介を演じた西島秀俊について。
おそらく、彼を初めて見たのはテレビドラマ「あすなろ白書」(1993)。
2006年の朝ドラ「純情きらり」では、主人公(宮崎あおい)の姉(寺島しのぶ)の夫の役で、人の気を引いておいて責任を取らない男をやらせたらピカiイチ、といわれた。
その後、「インファナルアフェア」のリメイク版である「ダブル・フェイス」で暴力団に潜入捜査を命じられた警察官を演じた。アメリカ版のリメイク作品「デパーテッド」のマット・デイモンとディカプリオより、日本版の「ダブル・フェイス」の方が、香川照之の毒気と西島秀俊のかわいそうさが対照的でわかりやすくてよかった。
大河ドラマ「八重の桜」では八重(綾瀬はるか)の兄・山本覚馬。知的でかっこよくて、彼本来のいい役。
近年では朝ドラ「おかえりモネ」では理想の上司である気象予報士・朝岡さん。ただし、災害を目の当たりにして悩み苦しむ表情は、「公安にしか見えない」というネットの声。これは、「MOZU」で演じた警視庁公安部の警察官・倉木尚武のイメージが強すぎるため。
「きのう何食べた?」ではケンジ(内野聖陽)のパートナーのお料理が抜群に上手なシロさん。ともすればゲイ・カップルという世間から偏見の目で見られかねない役柄を、西島秀俊でなければ出せない知性とやさしさで演じ、見ているものを癒してくれた。この作品を見ていると、食べることは大切、食事を大事にしよう、と思う。
そして「ドライブ・マイ・カー」の家福悠介。ここでまた新たな男性像が生まれた、と思いました。
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