2022年6月17日公開
原作:司馬遼太郎
監督:小泉堯史
戊辰戦争を舞台にした長岡藩家老の河合継之助を描いた作品。
とにかく河合継之助に焦点を絞って描いている。
わかりやすい。
河合継之助(役所広司)および、彼の周りにいる人たち、家族である妻(松たか子)、父(田中泯)、母(香川京子)、そして従僕の松蔵(永山絢斗)など、登場人物の一人一人に感情移入することができた。
長岡藩以外で長いセリフがあるのは、冒頭の大政奉還を宣言する徳川慶喜(東出昌大)と、官軍の新政府側の軍監・岩村精一郎(吉岡秀隆)のみ。
********
大きな歴史の転換点に遭遇してしまった場合、リーダーは、どういう選択をするのか、どのような立場をとるのかということを迫られる。
何が正しいのか、あるいはどのようにふるまうのが得策なのかは、あとになってみないとわからない。いや、あとになってもわからない。
考えて考え抜いて、おのれが正しいと思った方向にぶれずに進むしかないのだろう。
しかし、継之助に与えられた選択肢は限られていた。
岩村精一郎との小地谷・慈眼寺での談判で、「新政府と会津藩との和平を取り持つ」という継之助の申し出は、頑なに拒否された。
岩村の考え方は、会津との和平などありえない、長岡藩は新政府軍に恭順するか、会津とともに戦うかのどちらかを選べということだった。
それ以外はありえない。
となると、長岡藩にとっては、会津と戦闘をまじえることはありえなかったから、政府軍と戦うことを選ぶしかなかった。
さからうものは徹底的につぶすという新政府軍に対して、兵力で圧倒的に劣っているとわかっていながら、継之助=長岡藩は新政府軍を敵に回すという選択をしたのだった。
あとになってみれば、仙台藩のような巧みな立ち回りができなかったのかとか、長岡の地を焦土と化すような選択は何としてでも回避すべきだったというのはいくらでもいえる。
それについては、考えていきたいとは思うけれど、ここでは、あくまでも、継之助の生き方がテーマである。
最後のサムライなのだ。
かっこよく描きすぎているとは思うが、敗戦の色濃い戊辰戦争の長岡藩の中で、「武士の世は終わる」という時代の流れも見えていながら、最後まで武士としての立場をまっとうした継之助の姿は、潔い生き方といえる。
俳優陣がよかった。
また役所広司が主役なのかと思わないではなかったけれど、やはり役所広司は素晴らしかった。適役でした。
松たか子もよかった。立ち居振る舞いが武士の妻らしく美しい。ただの盆踊りを踊るだけでも、手先の動きや、足さばきが見事なのだ。
永山絢斗もよかった。常に継之助のそばにいるから画面に映っている時間は長いけれど、前半はほとんどセリフなし。そして、ラストにかけて、武士の身分ではないにもかかわらず、最後まで継之助に仕えようとする姿に涙。(この作品の中で一番泣けた。お兄ちゃんの永山瑛太が犯罪者の役「有罪」をやったり、西郷どんと対立していく大久保利通だったりと、幅広い役柄を演じるのに対して、弟の永山絢斗は誠実な役柄ばかりだけれど、この人を見ていると、いい人を演じさせたら天下一品という俳優としての立ち位置もよいではないかと思えた。)
そして。
わずか数秒、画面に登場しただけだけれど、赤ん坊を抱いて、鋭い眼光で継之助をにらんだ年老いた農民の山本学。
このシーンで、戦禍の犠牲となるのは、そこで暮らす貧しい農民というメッセージも込められる。
というわけで、いささかほめすぎの感もあるけれど、ヒステリックに継之助の申し出を拒否した吉岡秀隆も含めて、出演した俳優さん、みんな好きです。
******
戊辰戦後後の奥羽越列藩同盟に対する新政府の戦後処理はひどすぎて、仙台藩62万石から28万石へ、長岡藩7.4万石から2.4万石に減封。会津に至っては23万石から下北半島の斗南藩3万石へ移封となる。
ここまで冷遇されたら、戦後の立て直しは本当に厳しいものであったろうから、長岡の人々は継之助を恨んだろうな、とは思う。
スポンサーサイト