ベン・ハー
2月にこのブログを始めてから、勢いで4つほど書いたが、その後、しばらく書けなかった。
曲がりなりにも、人に読んでもらう文章を書くには、エネルギーが必要だ。
間違ったことは書いてはいけないと思い、人名を確認したり、歴史背景を調べ始めると、止まらなくなる。
趣味で始めたはずなのに、ヘロヘロになってしまった。
「書く」という作業は、調べる、考えるという作業を伴うのだ。
始めたばかりで「挫折」では情けない。「細く」でいいから「長く」続けていきたい。
で、今回は、「ベン・ハー」
ベン・ハー
1959年のアメリカ映画。今から55年前の映画だ。
昔の名作の紹介というこのブログの目的からすると、絶対にはずせない作品である。
2月22日のWOWOWでやっていたし、もちろんTSUTAYAで100円。
ローマ帝国の繁栄がどれほどのものであったかを想像するのに役に立つ。
なんといっても、最大の見せ場は、「二輪戦車の競走」。
二輪の戦車に載る戦士が4頭の馬を操って競走する。
裕福な観衆は勝敗に賭けをして楽しんだ。
これぞローマ帝国の繁栄の象徴。
たまたま2月22日のNHKのBS地球ドラマティック「古代ローマ コロッセオの秘密」という番組をやっていた。
この番組で紹介されていたコロッセウムの建築技術は驚嘆すべきものであった。
特に注目すべきは、コンクリートとアーチ。
古代ローマでは、石灰、水、火山灰でセメントを作り、それに砂や小石を混ぜ合わせてコンクリートを作った。
レンガを積み上げて作った2枚の壁の間にこれを流し込み、コンクリート建築を作り上げた。
アーチを作るためには、石材を運び上げるための滑車を使った巨大クレーンも使用していた。
こうして5万人の観客を収容できるコロッセウムが完成した。
ボキャ貧で申し訳ないが、「すごい!」としか言いようがない。
しかも、これは、民衆の娯楽のための公共施設だ。
(皇帝が、自分の権力を盤石にするために、人気取りのためにやったものだとしても、
豪華な宮殿を立てるために巨万の富を浪費した権力者に比べたら、よっぽどまし。)
しかし、そこには征服者ローマのおごりがある。
コロッセウムの建設には、3万人ものユダヤ人が奴隷として動員されたという。
(ベン・ハーの時代設定はイエスの処刑ころであるから、紀元後の30年頃で、コロッセウムの完成は80年なので、二輪戦車の競走が行われた場所は、有名なコロッセウムとは別の競技場ということになるが。)
属州ユダヤに対する支配者ローマの高圧的態度は「ベン・ハー」でも扱われてる。
この映画は、「ユダヤの王族だったジュダ・ベン・ハーが、ローマ人の旧友メッサーラに復讐を果たす」というのがストーリーの柱で、そもそもの発端は、旧友メッサーラが属州ユダヤに司令官として赴任してきたことに始まる。
「ローマの支配に協力しろ。反乱のおそれのある者の名前を言え。」
「密告者になれというのか。同胞は裏切れない。」
そして新総督就任の行列に、ハー家のベランダの瓦が落下したことから、ベン・ハーは新総督暗殺未遂の罪を着せられ、奴隷以下の罪人にされてしまう。
が、そこからは復活劇。ガレー船の漕ぎ手としてこき使われても、才覚をあらわし、将軍アリウスを助けたことから、身分を取り返していく。
そして、二輪戦車の競走。
(当時の見世物は、けが人、死者が出るのなんか当たり前なのだな)
メッサーラに勝利し、復讐を果たしたものの、母と妹が業病(ハンセン氏病のこと)におかされ、死の谷にいることを知ったベン・ハーは憎悪の塊となる。
その頃、イエスがゴルゴダの丘で処刑される。
イエスは、磔にされ、肉体的に酷い苦痛をおわされても、死に至る間際に、
「神よ、彼らを許したまえ。」と言ったという。
その場面に遭遇したベン・ハーは憎悪の気持ちを捨てることができる。
で、嵐が起きて、母と妹の病が奇跡的に治ってラストというくだりは、ちと陳腐な感じが否めないが、
とりあえず、ハッピー・エンド。
世界史教師のひとりごと
ローマは、アウグストゥスから五賢帝時代までの約200年間、「パックス=ロマーナ」と呼ばれる大繁栄時代を送る。
農地を捨て、ローマに流れ込んだ無産市民ですら、「パンと見世物」を要求していれば、生きていけたという時代なのだから、どれほどの富がローマに流入していたのだろうと思う。
ローマは圧倒的な軍事力と、道路と船で帝国を抑えていく。
文化のレベルも、土木建築など、比類がない。
ローマの繁栄の恩恵を受け、豊かな暮らしができた人は多かったろう。
しかし、大帝国であるということは、領域内に大多数の支配される側の人間がいるということだ。
ベン・ハーは、アリウスの養子となり、ローマ市民の身分も与えられたのに、支配者ローマに対する憎しみから、それを返上する。
権力に媚びないベン・ハーが、前半のメッサーラとのやり取りでいった、
「僕は民族の未来を信じる。」という言葉の意味は重い。
ローマ帝国の繁栄と滅亡は、、現代社会を生きる我々にとって、教訓となる。
歴史を学ぶことは面白い。
追記:ベン・ハーについて書くのなら、主役を演じた、今は亡きチャールトン=ヘストンが、全米ライフル協会の会長を務め、2000年のアメリカ大統領選挙でのブッシュの当選に大きく貢献したことに触れなくてはならないが、それはまた次の機会に。
曲がりなりにも、人に読んでもらう文章を書くには、エネルギーが必要だ。
間違ったことは書いてはいけないと思い、人名を確認したり、歴史背景を調べ始めると、止まらなくなる。
趣味で始めたはずなのに、ヘロヘロになってしまった。
「書く」という作業は、調べる、考えるという作業を伴うのだ。
始めたばかりで「挫折」では情けない。「細く」でいいから「長く」続けていきたい。
で、今回は、「ベン・ハー」
ベン・ハー
1959年のアメリカ映画。今から55年前の映画だ。
昔の名作の紹介というこのブログの目的からすると、絶対にはずせない作品である。
2月22日のWOWOWでやっていたし、もちろんTSUTAYAで100円。
ローマ帝国の繁栄がどれほどのものであったかを想像するのに役に立つ。
なんといっても、最大の見せ場は、「二輪戦車の競走」。
二輪の戦車に載る戦士が4頭の馬を操って競走する。
裕福な観衆は勝敗に賭けをして楽しんだ。
これぞローマ帝国の繁栄の象徴。
たまたま2月22日のNHKのBS地球ドラマティック「古代ローマ コロッセオの秘密」という番組をやっていた。
この番組で紹介されていたコロッセウムの建築技術は驚嘆すべきものであった。
特に注目すべきは、コンクリートとアーチ。
古代ローマでは、石灰、水、火山灰でセメントを作り、それに砂や小石を混ぜ合わせてコンクリートを作った。
レンガを積み上げて作った2枚の壁の間にこれを流し込み、コンクリート建築を作り上げた。
アーチを作るためには、石材を運び上げるための滑車を使った巨大クレーンも使用していた。
こうして5万人の観客を収容できるコロッセウムが完成した。
ボキャ貧で申し訳ないが、「すごい!」としか言いようがない。
しかも、これは、民衆の娯楽のための公共施設だ。
(皇帝が、自分の権力を盤石にするために、人気取りのためにやったものだとしても、
豪華な宮殿を立てるために巨万の富を浪費した権力者に比べたら、よっぽどまし。)
しかし、そこには征服者ローマのおごりがある。
コロッセウムの建設には、3万人ものユダヤ人が奴隷として動員されたという。
(ベン・ハーの時代設定はイエスの処刑ころであるから、紀元後の30年頃で、コロッセウムの完成は80年なので、二輪戦車の競走が行われた場所は、有名なコロッセウムとは別の競技場ということになるが。)
属州ユダヤに対する支配者ローマの高圧的態度は「ベン・ハー」でも扱われてる。
この映画は、「ユダヤの王族だったジュダ・ベン・ハーが、ローマ人の旧友メッサーラに復讐を果たす」というのがストーリーの柱で、そもそもの発端は、旧友メッサーラが属州ユダヤに司令官として赴任してきたことに始まる。
「ローマの支配に協力しろ。反乱のおそれのある者の名前を言え。」
「密告者になれというのか。同胞は裏切れない。」
そして新総督就任の行列に、ハー家のベランダの瓦が落下したことから、ベン・ハーは新総督暗殺未遂の罪を着せられ、奴隷以下の罪人にされてしまう。
が、そこからは復活劇。ガレー船の漕ぎ手としてこき使われても、才覚をあらわし、将軍アリウスを助けたことから、身分を取り返していく。
そして、二輪戦車の競走。
(当時の見世物は、けが人、死者が出るのなんか当たり前なのだな)
メッサーラに勝利し、復讐を果たしたものの、母と妹が業病(ハンセン氏病のこと)におかされ、死の谷にいることを知ったベン・ハーは憎悪の塊となる。
その頃、イエスがゴルゴダの丘で処刑される。
イエスは、磔にされ、肉体的に酷い苦痛をおわされても、死に至る間際に、
「神よ、彼らを許したまえ。」と言ったという。
その場面に遭遇したベン・ハーは憎悪の気持ちを捨てることができる。
で、嵐が起きて、母と妹の病が奇跡的に治ってラストというくだりは、ちと陳腐な感じが否めないが、
とりあえず、ハッピー・エンド。
世界史教師のひとりごと
ローマは、アウグストゥスから五賢帝時代までの約200年間、「パックス=ロマーナ」と呼ばれる大繁栄時代を送る。
農地を捨て、ローマに流れ込んだ無産市民ですら、「パンと見世物」を要求していれば、生きていけたという時代なのだから、どれほどの富がローマに流入していたのだろうと思う。
ローマは圧倒的な軍事力と、道路と船で帝国を抑えていく。
文化のレベルも、土木建築など、比類がない。
ローマの繁栄の恩恵を受け、豊かな暮らしができた人は多かったろう。
しかし、大帝国であるということは、領域内に大多数の支配される側の人間がいるということだ。
ベン・ハーは、アリウスの養子となり、ローマ市民の身分も与えられたのに、支配者ローマに対する憎しみから、それを返上する。
権力に媚びないベン・ハーが、前半のメッサーラとのやり取りでいった、
「僕は民族の未来を信じる。」という言葉の意味は重い。
ローマ帝国の繁栄と滅亡は、、現代社会を生きる我々にとって、教訓となる。
歴史を学ぶことは面白い。
追記:ベン・ハーについて書くのなら、主役を演じた、今は亡きチャールトン=ヘストンが、全米ライフル協会の会長を務め、2000年のアメリカ大統領選挙でのブッシュの当選に大きく貢献したことに触れなくてはならないが、それはまた次の機会に。
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