歴史を変えた新聞報道

アメリカには歴史を変えた新聞報道が3つある。
1つは、ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件(1972)を暴いたワシントン・ポスト紙の報道。それを描いたのが『大統領の陰謀』(1976)。
ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードがワシントン・ポスト社の記者を演じ、真実に迫っていく様子を描いた。

『大統領の陰謀』から41年後、メリル・ストリープ、トム・ハンクス主演で『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』(2017)が制作された。
描いている時期はウォーターゲート事件直前の1971年。
ベトナム戦争の真っただ中の時期だった。
「勝てる」とされて突入したベトナム戦争は、実は1965年の時点で勝てないことがわかっていた。「兵を増員していて、状況は改善している。」というのはウソの発表で、現地の状況は悪化の一途をたどっていた。
「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、ベトナム政策決定過程に関する国防総省秘密文書のことで、これには、本当の状況が記されていた。
この国家最高機密文書が持ち出され、ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズに持ち込まれる。国家最高機密文書(戦争や外交に関すること)の漏洩は犯罪にあたる。
国家のウソというスクープ間違いなしのネタは、一歩間違えれば、会社の存亡にかかわる。
これを公表すべきなのか、するべきではないのか。悩むワシントン・ポスト社の社主キャサリン・グラハム。
結局、ワシントン・ポスト社がペンタゴン・ペーパーズを暴露したことによって、世論は一気に反戦に向かい、1973年のベトナム和平協定によるアメリカ軍の撤退につながった。

この作品はラストの場面で、夜のウォーターゲートビルで不審者が何やらよからぬことをやっている様子を映し出す。まるで『大統領の陰謀』が『ペンタゴン・ペーパーズ』の続編であるかのように2つの作品がつながっていく。

新聞報道が、ベトナム戦争からのアメリカ軍の撤退、ニクソン大統領の辞任、というアメリカ史を大きく変えた出来事につながった。
新聞報道が歴史を変えたのだ。


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スポットライト

そしてもう一つ。
『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)
ボストン・グローブ紙の「スポットライト」チームが、カトリック司祭による性的虐待事件の根本的真相に迫っていく様子を描いたもの。
アカデミー作品賞受賞。冒頭から一気に引き込まれ、ラストの場面まで、飽きることなく作品の世界に入っていける。
チームワークがいい。仕事に臨む真摯さがいい。
派手な場面があるわけではなく、ひたすら新聞記者たちが取材を続けるストーリーなのだけれど、次々と新たなことが判明し、そのたびにチームのみんながどうしたらよいのかを考えて行動していくので、見ている側も一緒に仕事をしている気分になれる。
この作品を見ていると、報道の果たす役割とは何なのだろうか?ということを考えさせられる。
面白い記事を書いて、購読者を増やせばいいということではないのだ。

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立ち向かっていかなければならない対象が宗教的権威であるということは、恐怖を伴う。
踏み込みたくない世界だと思う。一歩間違えば、ボストンじゅうを敵に回すことになりかねない。
ボストンはアイルランド系の住民が多く、ボストン・グローブ紙の購読者の半数以上はカトリックである。メンバーのサーシャのおばあちゃんも、毎週教会に通っているような敬虔なカトリック教徒だ。そんなおばあちゃんの信仰心を傷つけるようなことはしたくはない。
サーシャの気持ちの中には辛いものがあるが、しかし、今も、とんでもない神父によって、傷つけられている子供たちがいるのだ。
これを暴いて、やめさせなければならない。

スポットライト・チームは、果敢に取り組んでいく。

そして、調査を進めていくうちに、性的虐待をおこなった神父の数が数人レベルではなく、なんと教区の約6%、つまり教区全体で1500人いるうちの約90人もが性的虐待に関わっていたことがわかる。
その多さにチームのメンバーも驚く。その事実を暴露しただけで、世間は大騒ぎになるだろう。スクープになる。
しかし、スポットライト・チームは、問題のある神父の行為を暴露するだけでは問題の解決にならないと考える。
なぜこんなことが長きにわたってずっと繰り返され続けてしまったのか?

組織に焦点をあてよう。個々の神父ではなく、教会の隠蔽システムを暴け。教会が神父を転属させ、それが上の指示で行われていることを。」

被害にあった子供は口をつぐむ。内気な子供や、家庭に問題があって相談する人がいないような子供を狙っているのだ。相談しても、「まさか神父が」と信じてもらえないような環境下にある子供を選んでいるのだ。
被害にあった子供は心に傷を抱えたまま大人になっていく。
こんなことが許されるはずがない。

スポットライト・チームは真相に迫っていく。
しかし、記事の掲載が間近に迫った2001.9.11、ニューヨークの同時多発テロが起きる。
「今は、テロ事件に集中しろ。」という指令のもとに、掲載は先送りされる。
この部分は、なくてもいいようにも感じたのだが、現実の報道の世界では、当然こういうことも起きるということだ。優先順位をつけなくてはいけない。編集長はこういう場合の判断を迫られるから、チームが納得できるようなリーダーシップも必要なのだなと思った。

そして、2002年、記事の公開へ。
記事を読んだ読者、それまで誰にも言うことのできなかった被害者からの電話が鳴りやまなかった。

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「スポットライト」は見ていて気持ちの良い作品である。
「正義」とか「真実」を求める行動には、世の中を正しい方向に向かわせるだけの力があるのだと思う。

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以上の『大統領の陰謀』、『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』、『スポットライト 世紀のスクープ』の3つの映画作品は、国家権力や宗教的権威の不正を暴いた新聞報道をテーマにしたものである。これらの新聞報道は、歴史を変えるほどのインパクトがあった。
新聞にはそれだけの力があったということだ。


『スポットライト』の中に印象的な言葉があった。

宗教的権威に立ち向かっていくスポットライト・チームのメンバーが、
「こんなことを記事にして責任がとれるのか?」と問われる。
これに対する彼の返答は、「記事にしなかった場合の責任は?」

質問に対して質問で答えるのは、私は本来好きではないのだが、この場合については、「そうだな」、と思った。
知っていながら、記事にしなかったとしたら、その責任は重い。

『ペンタゴン・ペーパーズ/国家最高機密文書』の中にも、ジャーナリストとしてのプライドを持ったベン(トム・ハンクス)の言葉がある。
「権力を見張らなくてはならない。我々がその任を負わなければだれがやる?」
これは、マクナマラ元国防長官の友人であったキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)に対して、自らもジョン・F・ケネディの友人だったベンが、「政治家と友人であることと記者であることは成り立たない、どちらかを選ばなくてはいけない」、という意味でいった言葉だ。
ベンはJFKの友人という立場をすて(すでに1963年の時点でJFKは死亡しているという事情もあるけれど)、ジャーナリストとしての信念を貫いた。そして、ペンタゴン・ペーパーズの暴露を決断したワシントン・ポスト社の社主キャサリンも素晴らしい。

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新聞社を扱った作品はかっこいい。
記事の掲載された新聞が、ぐるぐる回転する印刷機からどんどん刷り上がって、大量の束になって運ばれていく様子は迫力があり、見ていてワクワクする。
新聞社モノ、新聞記者が登場する作品にハズレなし。


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しかしなぁ。
インターネットの出現で、新聞の社会に与える影響は下がってしまった。
通勤電車の中で新聞を読んでいる乗客は非常に少なくなってしまった。
乗客の多くは、目を閉じて眠っているか、スマホを眺めているかのどちらかである。
夕刊の大衆紙をコンビニで買う人はそれなりにいるが、主要全国紙の定期購読者数は激減している。

この先、新聞という媒体はどうなっていくのだろうか?

自分の行動パターンを考えてみると、電車の中で、Yahoo!ニュースなど無料の記事ををスマホで確認して、そこから芸能誌や女性誌が出している思わせぶりな見出しがどうしても気になって、それを開いてしまい、あちこちジャンプして、結局大したことは書いていなかったなと腹を立てながらも、毎日同じようなことを繰り返しながら車中の時間をやり過ごしている。夫が購読料を払っている日経電子版も私のスマホで読めるけれど、見出しをサラッと見るだけで、じっくりは読んでいるとは言えないなぁ。そしてあとは、コロナ関連の情報もだいたいテレビから得ている。
と、ここまで書いて、自分自身がかなりまずい状況に陥っていることに気づく。
スマホの記事を読んでいると、次々に画面に出てくる気になる見出しにつられて次々と開いて、最初になんの記事を読んでいたのか忘れてしまうくらい散漫になっている。まさにスマホ脳
情報の受け手である私たちもかなりレベルダウンしている。

このままでいくと、紙の新聞はますます読まれなくなっていく。それとともに、私たちの頭が、深く思考することをしなくなり、どんどん退化していく。

私たち自身も反省しなければならない。そして、新聞にももっと頑張ってほしい。
コロナ対策にしろ、オリンピックの開催にしろ(開催まで1か月を切り、もはや開催をしないという選択肢は消えてしまったようだが、私はこの期に及んでも、まだ開催には反対で、コロナ感染がおさまっていないこの状況でオリンピックを開催するという判断に納得がいかない。スポンサーになってしまった新聞各社が開催の是非について言えなかったとか聞くけれど、新聞がそんなことでよいのか、とつくづく思う。)、赤木ファイルに関することでも、新聞はもっと深く突っ込んでいかなければならないと思う。
政府や専門家が述べている言葉をそのまま掲載して、〇〇はこう述べている、という記事や、一つのテーマに対して賛否両論を併記するような書き方は、記事の形態はとっていても、その新聞として実は何も言っていないのと同じである。

ネットの普及という時代の波だけでなく、新聞の内容が劣化しているならば、購読者はますます減る。スピードでテレビやネットに勝てないなら、じっくり読むだけの価値のある内容をもつ記事を書いてほしいと思う。

一方で。国外に目を転じると。
2021年6月24日、香港では政府批判の立場を貫いた「リンゴ日報」日報が廃刊になった。
ジャーナリストや幹部が次々と拘束されてしまったのだから、新聞社としての運営は成り立たない。頑張っていたのに。
これは、「言論の自由」が弾圧されたということだ。
批判する機関をつぶしてしまった国はこの先どのような方向に進んでいくのだろう。

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半世紀前、新聞の果たす役割は大きかった。
誰もがまさかと思うような、大統領の犯罪、宗教的権威の犯罪を新聞報道が明るみに出した。

21世紀の日本。誰もがおかしいと感じる政治と金の問題、人事権を握ることで人を操る政治の手法、突っ込みどころが満載の世の中だ。
気骨のある新聞報道が読みたい。

『The Lady  引き裂かれた愛』

2021年2月1日、ミャンマーでは、国軍によるクーデタがおき、国家最高顧問アウンサン・スー・チーは拘束され、ミン・アウン・フライン国軍総司令官が全権を掌握した。二度と軍事政権下に戻りたくないミャンマーの国民は、これを認めず、抗議活動を連日くり広げている。しかし、これに対する軍事政権の弾圧はひどいもので、子供を含む多くの犠牲者が出ていて、いまだに収束の見通しもつかない。

ミャンマーのことを心配している方が多いと思う。
私も2月のクーデタ以降、この国のことが気になって仕方ない。
この国についてもっと知りたいと思い、まずは、この作品をみてみた。
The Lady


『The Lady 引き裂かれた愛』
2011年のイギリス・フランス合作映画。
アウンサン・スー・チーが、民主化指導者となっていく過程、長期の自宅軟禁という軍事政権による弾圧にも屈せず、祖国ミャンマーの民主化のために尽くそうとする生き方、およびそれを支えたイギリス人の夫マイケル・アリス教授を軸に描いた作品。
とても分かりやすく、当時、軍事独裁を行っていたネ・ウィンという人物がどれだけひどいかということがよくわかった。

作品の冒頭は、夫マイケルのガンが発覚した1998年の場面から。
すでにこの夫婦は3年以上会えていないという。
なぜそんなことに?
そこから10年前の1988年に、さかのぼっていく。

1988年、イギリスのオックスフォードで夫マイケルと2人の男の子とともに暮らしていたアウンサン・スー・チーは母親の看病のためにミャンマーに帰国した。これと時をまったく同じにして、ミャンマーでは軍事政権に対する抗議運動が盛り上がり(8888民主化運動)、これに対する酷い弾圧が行われていた。民主化運動家たちは、独立の指導者アウンサン将軍の娘であるスー・チーに民主化運動の指導者となることを要望する。久々に帰国し、あまりにひどい軍事政権の暴挙をみたスー・チーはこれを引き受ける。
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イギリスで家族とともに安定した生活を送っていたスー・チーにとって、ミャンマーを見捨ててイギリスにもどり、家庭人としての自分の幸福を選択することもできたと思う。しかし、スー・チーはミャンマーのために生きる決断をする。
夫マイケルは、スー・チーがミャンマーにとどまって活動を続けることを支え、それは自身がガンで余命宣告を受けてからも変わらなかった。

この作品は2011年に制作されたもので、夫マイケルが死亡する1999年までを中心に描き、ラストは「その8年後」として2007年の僧侶らの反政府デモの様子、エンディングで、2010年に自宅軟禁が解除されたことを字幕で伝えて、終了する。

この作品が制作された2011年から10年が経過した。
この作品以降のミャンマーは、どのような歴史を展開したのだろうか?

2011年に民政に移管され、これにより、軍事政権時代に欧米諸国が行っていた経済制裁は解除され、海外の企業のミャンマー進出も盛んになった。2015年にはアウンサン・スー・チーが率いるNLDが選挙で大勝し、スー・チーが国家最高顧問とするNLD政権が成立した。ここ数年のミャンマーの経済発展には目覚ましいものがあった。

それなのに2021年、再び軍事クーデタがおきてしまった。
軍は政治への関与を手放さない。この国が抱える問題は根深い。
軍事政権下の不自由な生活には二度と戻りたくないミャンマーの人々は、命懸けで抗議活動を続けている。
それにしても、抗議活動を続ける無防備の自国民に対して銃を向ける軍の非道さが報道されるたびに、胸が痛む。

ミャンマーのことをもっと知りたいと思い、いつものことながら、作品で描かれている時期を飛び越えて、1948年の独立から現在に至るミャンマーの70余年間の歴史をたどってみた。
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世界史講座  ミャンマーの歴史

1886年 イギリス領インドに編入される。
ビルマ(現ミャンマー)は、3度にわたるイギリスとの戦争に敗北し、1886年、イギリス領インドに編入された。

20世紀になり、アジア・太平洋戦争がはじまると、日本軍がこの地に侵攻し、実質支配下に置いた。イギリスから独立したかったビルマのアウンサンら民族主義者はいったん日本と連携したが、日本による独立承認は形式的なものだったため、反日に転じた
1945年、アジア・太平洋戦争終戦で日本による統治は終わる。ビルマはイギリス領に復帰し、独立後の国づくりを模索していた。しかし、あまりにも残念なことに、独立前年の1947年にアウンサンは暗殺されてしまった。

1948年 ビルマ連邦として独立
独立国となったビルマは、議院内閣制を採用し、初代首相ウー・ヌのもとでスタートした。
しかし。
1962年 ネ・ウィン国軍大将によるクーデタ
ウー・ヌ政権は倒され、ネ・ウィン国軍大将をトップとするビルマ型社会主義政権へと移行した。これ以後、ネ・ウィンは約26年間、国政に君臨した。しかし、ネ・ウィンの掲げた「ビルマ型社会主義」は、先進国や国際機関からの投資・援助・市場の提供をほとんど受けない政策であったため、同じ時期に、他の東南アジア諸国のシンガポール・マレーシア・タイ・インドネシアが発展を遂げている間に、経済発展から取り残された。
ビルマはネ・ウィン政権のもとで、ビルマ型社会主義に失敗し、世界の最貧国のグループに転落していった。

1988年 民主化を求めるデモが盛り上がる(8888民主化運動)。 時を同じくして、アウンサン・スー・チーが母親の看病のため帰国。国民民主連盟(NLD)の結党に参加。 反政府運動の盛り上がりの中で、ネ・ウィンは辞任するが、引き続き軍事政権が続く。
1989年 アウンサン・スー・チーがシェダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて演説を行い、人々の心をつかんだ。これに対して軍事政権は、アウンサン・スー・チーを、自宅軟禁に置く。(以後、2010年まで3度、計15年以上にわたる。)
1990年 総選挙で、アウンサン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝。しかし、軍事政権はこの結果を認めず、スー・チーを自宅軟禁は継続。
1992年 タン・シュエが政権を握る。(~2011) タン・シュエは、スー・チーを自宅軟禁にした人物。
2008  国民投票により新憲法が制定される。(but.LNDは選挙をボイコット)
2010  新憲法に基づいた総選挙が実施される。アウンサン・スー・チーの自宅軟禁が解除される。

2011  テイン・セイン大統領の新政府が発足、民主国家としての歩みを始める。  政治犯の釈放、メディアの自由化促進、国民の人権を脅かす法律の廃止、などを実施。
2015 総選挙でNLDが圧倒的勝利。アウンサンー・スー・チー政権誕生。(アウンサン・スー・チーのポストは2016年に「国家顧問」となる。)
2021 ミャンマー国軍によるクーデタ。アウンサン・スー・チーは拘束される。国軍のミン・アウン・フライン総司令官が全権を掌握。


以上、大雑把に年表にまとめてみた。
結局、ミャンマーは、1962~88年の26年間をネ・ウィン、1992~2011年の9年間をタン・シュエによる軍事政権が実権を握っていたわけだ。すでに、ネ・ウィンのもとでの「ビルマ型社会主義」の失敗が今日のミャンマーの混乱の原因となったことは書いたが、それにしても、ネ・ウィンとタン・シュエの政策はひどかった。

作品の中でもネ・ウィンのひどさが描かれている。占い師の助言を聞くとか、政策の選択をトランプの数字をみて決断するとか、20世紀の政治家とは思えないような悪政を展開した。1988年の抗議活動の引き金となったのは「廃貨」である。それまで流通していた25、35、75チャット紙幣の使用を禁止し、それら貨幣の交換も行われなかった。(作品ではわかりやすく、「9」のつく紙幣以外の使用を禁止したと、描いていた。) 目的はインフレの抑制なのだろうが、これも、占星術の影響といううわさが流れた。これでは不満が爆発するのも当たり前だ。持っていた紙幣が、独裁者の一声で、「この紙幣は使えません」となって、紙切れ同然になってしまうことは想像するだけで恐ろしい。

タン・シュエはネ・ウィン政権下で頭角を現してきた人物として作品にも登場していた。ネ・ウィンがスー・チーの人気にイライラして「あの女をどうにかしろ」といったことに対して、「私にいい考えがあります」と言って、スー・チーを自宅軟禁した人物だ。
こういうことを思いつく人間が、軍の中で頭角を現していくのだな。
タン・シュエの政策もろくでもなくて、占星術に凝っていた。首都をヤンゴンからネーピードーに移したのも、国旗が変更されたのも、占星術に基づくものらしい。


とんでもない人物が政権を掌握して独裁を続けると、国はこんなにもボロボロになってしまうということが分かった。

それにしても、なぜ、独裁はなくならないのだろうか?

ミャンマーという国は、135の民族で構成されているという多民族国家である。内訳は68%のビルマ人と、シャン人、カレン人などの数%台の割合を占める少数民族や、1%に満たない少数民族など、実に多様である。歴史的にビルマ人が圧倒的優位な立場にあり、優遇策がとられてきたから、それに不満な少数民族は反発して反政府運動をおこない、ビルマ人の軍事政権がこれを弾圧するという悪循環が繰り返されていた。
マイノリティが武装化して抵抗してくると、様相は複雑化し、(ビルマ人社会の)治安を守るために、軍の存在意義が増す。

しかし、軍が政治権力を持つと、武力をバックになんでもできてしまうから危険である。
近代国家にとって当たり前のことである文民統制(シビリアン・コントロール)は、国家運営にとって非常に大切なことなのだ。このシステムができていない国の政治は混迷する。

そして、やはり、大切なのは憲法なのだ。。国家の基本は憲法にある。
憲法の条文に権力側に都合のいいことが含まれていると、世の中を変えようにも厄介なことになる。
2008年憲法では、大統領の資格要件として、「本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国国民であってはならない。」という条文があった。これはどう考えても、アウンサン・スー・チーの大統領就任を妨害する目的で作った条文としか考えられない。
さらに、2008年憲法では、議会における軍人議員の割合を一定数確保できる条文など、国軍に大きな権限を保障する内容があった。また、国家非常事態時に国軍総司令官の合法的な全権掌握を認めていることも規定されている。
だから、今回のクーデタは憲法に則ったものであると軍は主張しているのだ。
いいかえれば、2008年憲法を改正しようとしたアウンサン・スー・チーに先駆けて、国軍が現行憲法を逆手にとって国軍総司令官のミン・アウン・フラインが「合法的に」全権を掌握したとも言えてしまうのだ。

テイン・セインは2008年憲法の中の非民主的な条項を修正しようと試みたが失敗した。(テイン・セインは軍出身の政治家なので、それまでの軍事政権と同様の政策が行われるだろうという大方の予想に反して、様々な民主化改革に取り組んだ政治家である。)
アウンサン・スー・チーも憲法改正を試みたが、逆に今回のクーデタを招いてしまった。

なぜ、軍は権限に固執するのか?それは、政治的権限を持っていれば、経済的な利権が転がり込むからだ。
自分の身内や地元に利益をばらまいて、それによって支持を固めて、自分自身にも利益が転がり込むような構図はどこの国にもあるけれど、ミャンマーでも、軍が相当な利権を持っていたようだ。
当然、簡単には手放さない。利権が絡むと政治がゆがむ。
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困難を極めているミャンマーの現状であるが、国軍が抗議活動への弾圧を止め、この国に再び自由が戻り、豊かな国になっていくことを祈るばかりです。

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基本的なことだが、あらためて憲法は大切だと思った。そして、「日本は大丈夫か?」と考えてみた。。
2015年には、安保法制と呼ばれる法律が成立した。これは、日本が戦争に関わる可能性のある国になってしまった、ということだ。、自分の生活に直接影響がないことに関しては、人は無関心になりがちだけれど、こういうのを平和ボケというのだろう。
何を大げさな、と今、思えることが恵まれているのであって、それがいつまでも続くという保証はない。
今、自分が普通に生活できることに感謝しながら、危機感をもって、政治を見つめていこうと思った。

『三島由紀夫 vs 東大全共闘』

三島由紀夫 vs 東大全共闘  (2020)
三島由紀夫 vs 東大全共闘

2020年3月21日に公開された作品で、公開直後に見に行った。
テレビCMでこの作品のことを知った時、とにかく見たいと思い、時期としては、この直後の4月7日に1回目の緊急事態宣言が発令されたのだから、世の中にコロナ感染への不安がじわじわと強まっていたころだったけれど、とにかく行ってきた。

キャッチコピーどおり、「圧倒的熱量を、体感」してきた。
三島由紀夫という人物の人間力に魅了されてきた。
1960年代末の「政治の季節」と言われた時代を感じてきた。

一年後の2021年、Amazonプライムで配信されるようになったので、もう一度見てみた。
やはり、見入ってしまった。

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三島由紀夫

1969年5月13日、三島由紀夫は、超満員となった東大教養学部(駒場)900番教室にたった一人でのりこみ、東大全共闘の学生たちとの討論に臨んだ。
この前年の1968年、東大全共闘は、1月18日・19日に警視庁機動隊との安田講堂攻防戦で、催涙ガスと放水による厳しい攻撃に敗北している。
このころを学生運動の頂点とするならば、その翌年である1969年は、運動の熱気が下火になり始める時期に差し掛かっていた。全共闘側も活動の盛り上がりのための打開策がないかを探っている時だった。
そこで、打ち出されたこの討論会。実に興味深い設定であると思う。
簡単に言ってしまえば、左翼と右翼の全く考え方の違うものによる討論だ。

作品は、当時の学生運動の経過や、その頃の三島由紀夫の活動に触れながら、いよいよ討論の映像に入っていく。
私は三島由紀夫に心酔しているわけではないのだが、討論に臨む三島由紀夫を見て、なんて人を引き付ける力のある人なのだろうと感嘆した。
この人の人間力、ディベート力、すごいです!

三島由紀夫は、学生たちとの討論に実に誠実な態度で臨んでいた。質問に対する受け答えがまっとうなのである。ずれた回答をしたり、意図的にはずしてはぐらかすようなことはなく、時にユーモアを交え、笑いをとりながら、真摯にしゃべっていた。
聴衆の1000人を超える学生たちは、三島が何を語るのかに集中している。三島一人に対して、聴衆はすべて敵であるという舞台設定の場で、あれだけのスピーチができる三島由紀夫は天才だ。

真剣勝負での討論のラスト。
言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。そして私は諸君の熱情は信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。」
2時間半にわたる討論の最後に、三島由紀夫はこう言って会場を去った。

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この翌年の1970年11月25日、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した。

三島は何を考え、何を求めていたのだろうか?

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長い論文の中の一部を切り取るのは、全体の論旨からずれることがあるので注意しなければならないが、三島由紀夫は、「反革命宣言」と「反革命宣言補註」のなかで以下のことを明確に述べているので引用しておく。(出典は『文化防衛論』ちくま文庫)
文化防衛論 本

なぜわれわれは共産主義に反対するのか?
第一にそれは、われわれの国体、すなわち文化・歴史・伝統と絶対に相容れず、論理的に天皇の御存在と相容れないからであり、しかも天皇は、われわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴だからである。」
(『文化防衛論』 p.11)


われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。」

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はっきりわかることは、三島由紀夫が共産主義革命に反対する立場をとっていて、その行動の根拠を天皇としているということである。

21世紀の現在、社会主義・共産主義はとうの昔に敗北しているから、こうしたことを真剣に語っていることが滑稽にすら感じてしまうかもしれないが、当時は、東西冷戦の真っただ中の時代だった。
社会主義を理想の社会・政治システムだと考える人が世界の半分いたのだ。

高度成長期の豊かさを享受していた日本人のほとんどは、資本主義が負けるわけはないと思っていたし、日本で革命が起きて世の中がひっくり返ってしまう可能性はないだろうと、安穏に思っていたわけだけれど。

そんな社会の状況の中、三島由紀夫ははっきりと反革命宣言をして、少数者としての誇りをもちながら活動していた。

「われわれ反革命の立場は、現在の時点における民衆の支持や理解をあてにすることはできない。われわれは先見し、予告し、そして、民衆の非難、怨嗟、罵倒すら浴びながら、彼らの未来を守るほかないのである。」
「われわれは自分の中の少数者の誇りと、自信と、孤立感にめげないエリート意識を保持しなければならない。」

「では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは天皇である。」

******

はっきりとした文章で、三島の気持ちがわかる。

世の中には、ボ~っと生きていて、物事を深く考えずに安穏に暮らしている大半の人々と、危機感を感じて、世の流れがもしも悪い方に向かっているなら、何とかその流れを変えていこうとする少数者がいる。

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三島は、少数者としての「民衆の非難、怨嗟、罵倒」には耐える覚悟をもって、東大全共闘との討論に臨んだ。
場合によっては壇上で腹を切ってもいいという覚悟で短刀を忍ばせて会場に行ったようである。
それくらいの覚悟をもって討論に臨み、結果は、この討論会の会場にいた1000人を超える聴衆たちをひきつけた。みな真剣に三島の語ることを聞いた。あとで三島が述べている通り、この討論会は三島にとって愉快なものであったようだ。実際、三島は時折、笑顔すら浮かべ、終始、楽しそうだった。

しかし、そうした覚悟を持った少数者にとって、無関心や嘲笑は屈辱的で耐え難いものなのだったのかもしれない。
三島はことにあたるときに、恥をさらすくらいなら、腹を切るという覚悟をもって臨んだ。
そして、市ヶ谷駐屯地での自衛隊員への呼びかけは失敗した。
だから、本当に割腹自殺してしまった。
数々の三島研究がされている中で、浅い理解ではあるかもしれないが、そういうことなのだと思う。

死に急ぎすぎであると思うし、あまりにももったいなくて、残念でたまらないけれど。


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2021年の今。
質問に対する答えになっていない答弁や、「緊密に」とか「徹底的に」とかいう空虚な修飾語だけがふわふわと流れてるだけで内容が全くない答弁を聞かされすぎているせいか、真剣勝負で言葉と言葉の応酬を繰り広げたこの討論が、とても新鮮で魅力的だった。

参考図書
三島由紀夫 vs 東大全共闘文庫

『罪の声』

『罪の声』 (2020)
罪の声

35年前の食品会社脅迫事件の真相に迫るサスペンス・ドラマ。
出演:小栗旬 星野源
原作:塩田武士
監督:土井裕泰
音楽:佐藤直紀
脚本:野木亜紀子

星野源がいい。小栗旬がいい。
原作と脚本が素晴らしい。

モチーフとなったのは1984年・1985年に起こった誰もが知るグリコ・森永事件。
当時まだ幼かったり、まだ生まれていないという若い方々も、この事件の名称は聞いたことがあるのではないだろうか。作品は、そういう若い方々にもわかりやすく入り込めて、35年という時の経過を経て、事件がそれぞれの人々にどのようにかかわっていったのかを解き明かしていく。

ヒューマン・ドラマとしても、阿久津英士(小栗旬)が新聞記者として、なんのために報道をするのかを考える様子、京都でテーラーを営む曽根俊也(星野源)が、家族を守ろうとしながらも、事件とのかかわりを知り、向き合っていこうとする様子がとてもいい。

おすすめ度:★★★★★

(追記)
この作品のもう一つの楽しみ方。
出演している俳優陣が豪華です。若い方は、主役の小栗旬星野源、最近の作品でもよく見かける松重豊,NHK BSプレミアムこころ旅でおなじみの火野正平はわかるとしても、その他の出演者はよく知らないかもしれませんが、私たち世代にとっては、顔と名前が一致する俳優がいっぱい出てきて楽しいのです。例えば、梶芽衣子浅茅陽子正司照枝。皆さん、最近お見掛けしなくなっていたけれど、年を重ねていっても素敵で、お元気そうで何よりと思いました。
「この人知っているはずだけれど、誰だっけ?」と思ったのが、桜木健一佐川満男。そして、重要な役どころなのに、最後まで「この人と誰だっけ?」と思って調べてしまったのが、宇崎竜童。調べた後で、思わず、わからなくて、すみませんでした、と心の中で思った。



KCIA 南山の部長たち

 2020年の韓国映画
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この作品は、1979年に起きたパク・チョンヒ(朴正熙)大統領暗殺事件を取り上げた実録本「南山の部長たち」を基に事件前40日を描いたフィクションである。
「南山」とは中央情報部のあった場所。韓国初の情報機関“中央情報部”は強力な権限を武器にパク政権を支えた。大統領に次ぐ権力を持つ中央情報部の歴代部長は“南山の部長たち”と呼ばれ、恐れられた。
登場人物は微妙に名前を変えているが、イ・ビョンホン演じた暗殺実行犯のキム・ギョンピンはもちろんキム・ジェギュ(金載圭)

彼は18年間の長きにわたった軍事独裁政権に終止符を打った民主化運動の愛国者なのか?
それとも、大統領の信頼が自分から警護室長に移っていくことで、自分が排除されることへの不安から凶行を行った自分本位の人物だったのか?

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ここでちょっと世界史講座:「暗殺について」
世界史上、いちばん有名な暗殺事件はサライェヴォ事件だろう。
反オーストリア感情をもつセルビアの一青年によるオーストリア皇太子夫妻の暗殺事件は、第一次世界大戦勃発の引き金となった。
事件の背景は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナという地域(現在は国家です。)をオーストリアが併合したことで、セルビア人のオーストリアに対する反発が増幅したことだった。

これは異なる民族同士の対立から起きたものであるが、世界史上の暗殺事件は、同じ国民、同じ民族のなかでの、考え方の違いにから起こったものが多い。
リンカーン大統領を暗殺したのは南北戦争の結果に不満を持つ、南部連合の支持者だった。
ガンディーは、独立に際して「ヒンドゥーとイスラームが融合したインド」をめざしたが、ムスリムに対する譲歩など考えることができない狂信的なヒンドゥー原理主義者から暗殺された。
中東問題関連では、エジプト・イスラエル平和条約を締結したエジプトのサダト大統領はイスラーム復興主義過激派の軍人によって暗殺された(1981)。
パレスチナ暫定自治協定に調印し、中東和平に踏み切ったイスラエルのラビン首相は、ユダヤ教徒急進派に暗殺された(1995)。
ケネディ大統領暗殺については、いまだに謎であるが、暗殺実行犯オズワルドの背後には、ケネディの方針に不満を持つ一部のCIAの策動があったとする説が出てきている。一部のやったことであるにしてもCIAが企てたのだとしたら、まさに直属の組織による犯行ということになる。
そして、パク・チョンヒ大統領暗殺は側近中の側近キム・ジェギュ(金載圭)によるものだった。
案外、身内によるパターンが多い。

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作品に話を戻す。

歴史的事実を扱ったものなので結果はすでにわかっている。
しかも、作品の冒頭は、暗殺の行われた1979年10月26日、宮井洞(クンジョン)設宴所に、パク大統領とキム部長が入っていく場面である。そして、40日前にさかのぼり、暗殺に至るまでにどのような経過があったのか、ということを描くという構成。

この作品は、キム部長が暗殺を決意するまでの状況に納得がいくだろうか?
ということが、テーマであるように思う。
どういう立場で作品を制作したのか?
キム部長に同情的であるのか、批判的なのか、あるいは、歴史的事実を客観的立場で描こうとしたものなのか?

すごく単純に、パク大統領=独裁者、キム部長は独裁者を倒した人物という形で描かれているのならわかりやすいのだが、そういう描き方でもない。
暗殺を行ったキム部長をイ・ビョンホンが演じているので、つい彼に肩入れしてみてしまうのだが、パク大統領を演じているのもイ・ソンミンという、「ミセン(未生)」のオ課長や「工作」のリ所長など、私の好きな作品の中で極めて重要な“いい人”を演じている俳優をあてているのだ。
(クァク室長はまさに悪役で、わかりやすい。)

後半に入ったあたりでパク大統領の独裁者ぶりがわかりやすくなる。
プサン(釜山)からマサン(馬山)へと拡大した民主化を求める学生や市民のデモ(釜馬民主抗争)に対して、クァク大統領警護室室長のいった「暴徒は戦車でひき殺してしまえばいい。」という発言に対して、パク大統領は
「その通りだ。私が発砲命令を下せばだれも文句は言えない。何人か捕まえて、デモの黒幕にしたてろ。」と言い放った。
このあたりから、キム部長の、大統領と警護室長に対する不信感が強くなっていく。

そして、パク部長の心が大統領暗殺に向かっていくラスト30分はハラハラ・ドキドキで目が離せなくなる。

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ここで再び世界史講座:「開発独裁」

パク大統領は1961年にクーデタで政権を握り、63年に大統領となった後、1965年、国内の反対を押し切って日韓基本条約を締結した。これにより韓国は日本から有償・無償の経済援助を受け、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げた。
パク大統領は韓国の経済発展の立役者と言っていい。
しかし、18年もの長期政権というのは、権力維持のために反対勢力をかなりつぶしているはずなので、相当な膿が溜まっている。
1973年には野党指導者キム・デジュン(金大中)を東京で拉致するという金大中事件を起こした。このあたりから民主化運動への弾圧が強くなっていく。
1979年10月には最大野党の新民党総裁のキム・ヨンサム(金泳三)総裁を辞職させたことで、釜馬民主抗争が起こり、これに対して、パク大統領はこの作品で描かれているような対応をした。
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「開発独裁」という言葉がある。
簡単に言ってしまえば、開発のためには独裁が必要なのだという考え方。
たしかに開発独裁によって経済発展は遂げられた。
しかし、その発展は親族企業の優先、外国資本との癒着など、偏った構造を生み、大部分の国民には利益は還元されないという歪みを持っていた。
多くの開発途上国に見られた開発独裁は、国民の成長とともに高まっていった民主化闘争により、1990年代までにはいずれも崩壊していった。

韓国の場合、パク政権は暗殺という形で幕を閉じ、その後、もっと酷いチョン・ドゥホァン軍事政権が成立してしまい、この間、民主化を求める人たちに対する酷い弾圧により、多数の犠牲者を出すことになるのだが、その政権も1987年の民主化闘争により倒れた。

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キム部長は、パク大統領暗殺というところまでは完遂した。
が、その後の政権掌握というところまではできなかった。
作品を見ていると、参謀総長を味方につけておけばよかったのに、とか、暗殺実行後、南山に車を進めていたらよかったのに、などとは思ってしまう。
結局、暗殺実行後、キム部長の乗った車は陸軍本部に向かい、そこで逮捕された。

現実のキム・ギュテは裁判で、暗殺の目的は、「国民が犠牲になるのを防ぐことでした。」と言っている。
動機の根底にはそういう気持ちはあったと思う。
しかし、作品を見て私は、キム部長が暗殺という手段に至ったのは、民主化を弾圧するパク大統領との間で、考え方の違いが次第に深まり、クァク室長を重用する大統領からはずされ、やがて自分の存在自体も消されてしまうだろうという危機感から追い詰められていったのだろう、と思った。

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軍事力も持たない個人が暗殺を企てたとして、暗殺自体は成功したとしても、その後、暗殺実行犯が政権を握ることができたという例はない。
暗殺という手段は割に合わない。
暗殺によってその後の世の中がより良くなったという例もない。
サライェヴォ事件、五・一五事件、二・二六事件のその後、どういう時代に突入したのか、
サダト暗殺、ラビン暗殺後の中東情勢の混迷を見れば明らかである。
ケネディ暗殺後のアメリカはベトナム戦争という泥沼にはまっていった。
韓国も、パク大統領暗殺後、チョン・ドゥホァン軍事独裁政権による民主化勢力への弾圧が待っていた。

ろくなことがおこらない。

唯一、暗殺が成功していたら良かったのに、と思うのは、ヒトラー暗殺だけだ。

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(追記)
暗殺はテロ行為なので、起きてほしくないことだ。
ただし、暗殺を扱った作品は面白い。(不謹慎ないことを言ってすみません。)
このブログでも暗殺関連の過去記事がいくつかあるので、よかったらお読みください。

ワルキューレ
NHKスペシャル 未解決事件 JFK暗殺
JFK
ヒトラー暗殺 13分の誤算
プロフィール

萩谷功枝

Author:萩谷功枝
世界史教師をしています。

映画や本の紹介、最新のニュースから感じたこと、など自分の日常を通して、世界史のことを考えていけたらと思います。

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